今回の品です。
古い木箱に入っています。
箱には、「粉引茶碗」とあります。
古い更紗に包まれていました。
径 13.8㎝、高台径 4.6㎝、高 6.8㎝。時代不明。
見込みは平凡で、これといった見所はありません(^^;
裏側は、それなりに時代を感じさせます。
高台は、三日月高台、内側には兜巾も見られます。いくつかの雨漏りも。
外側には、火間(釉薬の掛け残し)が。
これは、粉引(粉吹)茶碗の約束ですね。
箱の底には何やら謂れが書かれています。
この品は、加藤清正の遠縁にあたる、尾張国加藤仲左衛門の所に伝わった古物で、寛政元年に、柳星山(常念寺)に招来した。
「寛政元年ノ事」と書かれているので、この箱に入れられたのはもう少し後でしょう。箱の状態からすると、江戸後期~幕末というところでしょうか。
で、問題の「粉引茶碗」です。
粉引茶碗は、粉吹茶碗とも言われ、高麗末期から李朝初期にかけて焼かれた茶碗です。鉄分の多い素地に白化粧をし、薄く釉薬をかけた物で、白い粉が吹いたような感じがすることから、このように呼ばれるようになったそうです。
今回の品は、それらしい姿はしていますが、粉が吹いた雰囲気はありません。素地もそれほど鉄分が多いとは思われません。
手にとってみると、重く冷たく感じます。しかも、硬い(^^;
これは、いわゆる堅手茶碗に入る部類の品ですね。粉吹きなら、柔らか手です。柔らかく、温かみがあるはず。
むしろ、毎日使っている、10年選手のコーヒードリッパーの方が、ふわっとした温かさを感じます(^^;
今回の茶碗が、悪意のある品物かどうかはわかりませんが、看板に偽りあるのは確かです。
粉引茶碗は、茶人が朝鮮の雑器を茶器として取りあげた物ですが、当初から稀少品で、簡単に入手できる物ではなかったでしょう。
ということで、幕末期に何とかそれらしい品を「粉引茶碗」に仕立て上げた・・・・これが、今回の品の一番マシなストーリーだと思います(^.^)
ps:今一度、箱を眺めてみました。箱の表に、「粉引 茶碗」と書かれていますが、よく見ると、「粉引」と「茶碗」の文字が異なるのです。しかも、「茶碗」の文字が擦れているのに対して、「粉引」は新しい。箱には、もともと、「茶碗」としか書かれていなかったのですね。それに対して、近年、「粉引」が書き加えられた(^^;
ということで、幕末期、火間のあるそれらしい朝鮮茶碗に対して、「粉引茶碗」という名称は使わず、ただ、「茶碗」と箱書きされた堅手の茶碗が、今回の品だといえるでしょう。
元々の箱と茶碗は素直な物だったのですが、そこへ「粉引」を加えた悪巧みに、危うく一杯食わされるところでした(^.^)
とはいえ、この箱書きから品物についてあれこれと調べ想像する
これは骨董趣味の大きな醍醐味であることは確かですよね。
元々は、李朝の白磁茶碗を幕末箱に入れた物だと思うのですが、近年、誰かが「粉引」の字を入れて、高く売り付けようとしたのですね(^^;
半偽物(半本物)というべきでしょうか(^.^)
遅生さんが言われますように、これは、本歌の粉引茶碗を後世に(時代は分かりませんが)写されたのでしょうね。
箱も、箱に書かれたいわれ書も立派なものですが、「粉引」と書き加えたのがまずかったですね。
遅生さんに見抜かれましたね(^_^)
素人にはとても素敵な茶碗に見えます。
更紗、この時代には貴重品でしょう?
強弁になりそうですが、最初からもうひとつ腑に落ちない品ではありました。それから、全体的に鈍重。さらに、・・・・言い訳の後出しじゃんけん(^.^)
人間の感覚は、鋭いセンサーなのですね。
それと、数多の経験(痛い目に会った)とで、この魑魅魍魎の世界を、アップアップしながらも、なんとか渡っていける・・・・・と思えるようになった頃には、残された時間が黄信号(^^;