遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

能画23.巻物断簡『鉄輪』・『大會』

2022年07月19日 | 能楽ー絵画

今回は、何だかわけがわからない能絵です。

32.7㎝x48.2㎝。作者不詳。江戸中期。

「鉄輪」と書かれていますから、能『鉄輪』ですね。能舞台を描いたタイプBの能画です。

しかし、それらしい人物は見当たりません。

『鉄輪』は、不実の夫に対して、女が、恨みのあまりに鬼女となって襲いかかるも、陰陽師によって退けられ、いったん、姿を消すという物語です。登場人物は、女(前シテ)、女の生霊(後シテ)、安倍清明(ワキ)、夫(ワキツレ)、社人(狂言師)です。

右側に打杖を振り下ろさんとする人物が描かれています。これが、怨みのあまりに鬼女となった女かと最初は思いました。しかし、面が般若系ではない(むしろ男面)し、蝋燭を立てた五徳を頭にのせてもいません。また、乘っている台には、祈祷のための設えがありません。これは、どう考えても、『鉄輪』ではないですね(^^;

もう一度、書かれている文を読んでみました。 

鉄輪

思ふ中をはさけられし
   恨の鬼と成て人におもひしらせん
                うき人に思ひしらせむ

これは、『鉄輪』の前半の最後、貴船神社の社人から、憤怒の心をもつならば、忽ち鬼神になることができるという神のお告げを伝えられた時の、女の言葉です。そして後半、女は鬼となって、夫に怨みを晴らしに来るのです。

この男は、狂言師が演ずる社人ですね。

通常、男は直面なのですが、面を着けたように描かれています(理由不明)。

この左側には、怪しげな女(前シテ)が描かれていたはずです。

おそらく、さらに続いて、『鉄輪』の後半部も描かれていたでしょう。般若面(橋姫か生成)を着け、打杖をもった鬼女、安倍清明、そして夫です。

肝心の所が欠けています(^^;

 

じゃあ、右に描かれているのは?

一畳台の上で打杖を振りかざしています。頭には輪冠が。

これは、能『大會』のラストシーンですね。

あらすじ】比叡山の僧が修行していると山伏姿の天狗が現われ、以前命を助けられたお礼に望みをかなえてやると言う。僧の望みにより、釈迦が霊鷲山で行なった説法の様を現わし、僧は思わずありがたさに合掌礼拝するが、怒った帝釈天が天下って天狗の魔術を破り、天狗をこらしめる。(「精選版 日本国語大辞典」より)

この能は、有頂天になった天狗(シテ)が、帝釈天(ツレ)によって戒められるという、チョッとおまぬけな天狗の物語です。

打杖を振りかざしているのは、主人公の天狗ではなく、帝釈天ですね。この絵の右には、癋見面を着けた天狗が、打ち据えられた姿で描かれているはずです。が、切り取られてしまってます(^^;

 

今回の品は、巻物断簡の一つです。が、もう少し内容を考えて切断してほしかったですね(^^;  

絵は上等、書も一級ですから、本来は相当立派な能絵巻物だったと思います。それだけに、『鉄輪』がどのように描かれていたのか知りたいところです。でも今となっては、それもかなわぬ夢巻物(^..^)

 

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能画22.山田北雲、二曲屏風『小鍛冶』

2022年07月17日 | 能楽ー絵画

日本画家、山田北雲による二曲屏風、『小鍛冶』です。

高さ175.2㎝、幅180.8㎝。大正時代。

【山田北雲】(やまだほくうん) 明治、大正に活躍した日本画家。詳細は不明。

能『小鍛冶』の舞台を描いた能画です。

【あらすじ】帝が夢にみた不思議な剣を打たせるため、勅使は三条の小鍛冶宗近(ワキ)に刀剣新造を命じます。宗近は、相槌を打つ名手のいないのに困り果て、稲荷明神に参詣します。すると、童子(前シテ)が現れて、古今東西の名剣の霊験を語り、相槌を約束して稲荷山に消えます。 宗近が家に戻り、鍛祭壇を整えて神に祈りを捧げていると、稲荷明神(後シテ)が現われ、相槌を打ち、名剣、小狐丸が完成します。稲荷明神の霊狐は、雲に乗り、稲荷山へ消えて行くのでした。

三条宗近は鍛治祭壇をしつらえ、刀剣を打ちます。

すると、稲荷明神が現れ、

相槌を打ちます。

稲荷明神の頭には狐。

作者、山田北雲は、今では、ほとんど無名の画家ですが、画力は確かなようです。

私がこの屏風を購入したのは、能絵の珍しさからです。『小鍛冶』自体は、多く描かれている画題です。この絵の特徴は、囃子方が大きく描かれていることです。

元々、能画では、能のストーリー展開に直接関係しないので、囃子方が取り上げられることはあまりありませんでした。特に明治以降の能画は、シテに照準をあてたものが主流となり、囃子方の存在は非常に薄くなりました。

これには、能楽界に厳然として存在するヒエラルキー(シテ方>ワキ方>囃子方>狂言方)も影響していると思います。

そんな能画の中で、囃子方を浮かび上がらせたこの絵は異色の一品と言えるのです。

笛(能管)方:

鼓(小鼓)方:

鼓(大鼓)方:

太鼓方:(出番(キリ)が来るまで控えている):

作者の山田北雲がどのような画家なのかは不明です。

近代日本画には、忘れられ、発掘を待っている絵師たちの品が、まだまだ多くあるのだと思います。

 

 

 

 

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能画21.河合英忠『張良』

2022年07月15日 | 能楽ー絵画

ここ2回、江戸時代の能画『張良』を紹介してきました。

今回は、近代の日本画家による『張良』を紹介し、江戸画と比較して見ます。

全体、33.9㎝x181.5㎝。本紙(紙本)、30.8㎝x115.0㎝。明治ー大正。

【可合英忠】(かあいえいちゅう) 明治8八(1875)年―年大正十(1921)年 。明治、大正に活躍した日本画家。歴史画、能画を得意とした。

この絵を初めて見た時には、一体何が描かれているのかわかりませんでした(^^;

正装した武人が立ち上がろうとしています。

端には、沓がころがっています。

こうなれば、もう『張良』しかありませね(^.^)

でも、絵の構成が特異です。絵画『張良』ではめったにありません。黄石公から見たアングルの絵です。ワイエスのクリスティーナを逆向きにしたような(^^;

画面には他に何もない(黄石公さえも)のですから、これはもう、能舞台を描いた絵、しかも、明治以降盛んになった、主人公に焦点を当てたタイプBの能画に違いない、と思い込んでいたのです・・・が、よく見ると左端に黒い大きなシミのようなものが、さらに、その下には薄く棒のようなものが描かれているではありませんか。

写真を加工すると、もう少しはっきりと浮かび上がります。

これは、どうやら、橋の欄干のようですね。黒いシミのようなものは、欄干と橋げたをとめる金具?

橋げたはずーっと上まで伸びています。どんな橋なんでしょう。

いずれにしても、橋が描かれていることは重要です。なぜなら、能舞台には橋などないからです。黄石公は、橋に見立てた台の上に座しているだけです。

かといって、この絵には、川の流れがどこにも描かれていません。実際の能舞台のように、張良の向こうに沓が投げられているだけです。

ということは、この絵は、能の情景を描いたタイプAの能画でもなく、能舞台を描いたタイプBの絵でもなく、両者を折衷したものということになります。

中途半端でありながら、何となくシュールなこの絵を引き立てているのは表具です。天地、中まわし、柱など絵を取り囲む部分が、縞模様の粋な布で仕立ててあります。さらに、軸先には螺鈿の装飾が。

地味な掛軸ですが、なかなかの趣味人の持ち物であったのかも知れません。

 

江戸中期。勝部如春斎『張良』。

江戸後期、土佐光孚『張良』。

大正時代、可合英忠『張良』。

これまで3回にわたって、異なる時代、作者の『張良』を見てきました。これら3つの絵が私の手もとにあったのはたまたまですが、こうやって並べてみると、時代の違いが何となく表れているような気がします。

 

 

 

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能画20.勝部如春斎『張良』

2022年07月13日 | 能楽ー絵画

先回のブログで、江戸後期土佐派の絵師、土佐光孚による能画『張良』を紹介しました。例によって、『張良』の江戸時代の絵は他にもあったはず、と引っ張り出したのが今回の品です。狩野派の絵師、勝部如春斎による『張良』(双幅)です。

 

全体(の半分)、一幅、62.0㎝x187.3㎝。本紙(紙本)、51.4㎝x129.3㎝。二幅対。江戸中期。

【勝部如春斎】(かつべ じょしゅんさい)享保六(1721)年ー天明四(1784)年。江戸中期、上方で活躍した狩野派絵師。近年再評価がすすむ。

江戸中期の狩野派絵師、勝部如春斎の墨絵『張良』です。

先回の土佐光孚『張良』と同じ場面ですが、今回の品は能舞台の一場面ではなく、物語の情景を描いています。

馬に乗った黄石公が沓を川に落とし、それを激流から取り戻した張良が沓をかかげているところです。

狩野派らしい筆致で、

黄石公、張良、そして馬が描かれています。

黄石公の左足が裸です。やはり、左の沓を落としたのですね。

作者、勝部如春斎は大阪周辺で活躍した絵師ですが、一般に広く知られてはいません。私も、この品を入手するまでは知りませんでした。資料が少なく、真贋を云々する段階にはないのですが、この絵から伝わる画力から、真と信じたいです(^.^)

江戸時代には、全国各地に、このようにローカルに活躍した絵師がたくさんいたのですね。

 

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能画19.土佐光孚『張良』

2022年07月11日 | 能楽ー絵画

先に、江戸後期土佐派の絵師、土佐光孚による能画『江口』を紹介しましたが、土佐光孚の能画がもう一つありましたので、今回アップします。

全体、63.8㎝x193.8㎝。本紙(絹本)、49.9㎝x108.9㎝。江戸後期。

掛け軸の大きさ、絵のタッチは、先回の品とよく似ています。前後して描かれたものでしょう。

【あらすじ】漢、高祖の臣下、張良は夢の中で老翁と出会い、兵法の伝授を約束されます。夢の中での約束どおり、橋のほとりに行くも、時間に遅れてしまいます。老翁は遅刻を咎め、また五日後に来いと言い去ります。五日後、張良の前に、威儀を正した老翁(黄石公)が馬に乗って現われ、履いていた沓を川へ落とします。張良は急流に飛び込み沓を取ろうとしますが、大蛇が現れ妨害します。張良は剣を抜いて立ち向かい、大蛇から沓を奪い返します。大蛇は、張良の守護神となって天空へ消え、黄石公は張良の武勇をたたえ、兵法の奥義を伝授したのでした。

黄石公と太公望は兵法の祖とされています。張良は、黄石公から授かった太公望兵書によって大軍師となり、劉邦の漢の建国に貢献したのです。

 

馬に乗った黄石翁が、端の上から川へ沓を投げ、張良がそれを取りに行こうとしている場面です。

能舞台ですから、川も橋もありません。そこに橋があり、川がとうとうと流れている様を感じ取るのは観客の役目です(^^;   黄石翁は馬のつもりの桶に腰を掛け、台(橋のつもり)の上に座しています(^^;

黄石翁と張良は、ともに正装をしています。

二人とも能面をつけていません。いわゆる直面(ひためん)。人間の顔自体を能面と考えるのです。喜怒哀楽を直截的に表さない能では、直面で演じるのはかえって難しいとされています。

 

『張良』でもう一つ特徴的なのは、シテとワキの関係です。通常の能では、当然シテが主役であり、すべてのことがらがシテを引き立てるように能の構成はなされています。

ところが、『張良』では、どう考えてもワキが主人公なのです。能『船弁慶』でも、大活躍するのは、ワキの弁慶です。このように、シテではなく、ワキが主人公の能は珍しいです。

投げられた沓。

黄石公の左足の沓だったのですね。能では、頃合いを見計らって、後見が沓を舞台に投げます。そして、張良は大蛇と戦い、沓を取り戻します。沓が投げられた位置によって、シテは演技を微妙に変えなければなりません。普段の能では脇にまわるワキ方にとって特別の舞台であり、力量が求められる大曲です。

落款は、先に紹介した『江口』の場合と同じです。同時期に描かれたのでしょう。

今回の『張良』とほとんど同じ能画が、国立能楽堂に所蔵されています。おそらく他にもあるのでしょう。

以前のブログで、版画とは異なり、能画は絵師への依頼によって描かれた物、いわば一品物だと書きました。しかし、このように、同一パターンの能画が存在するのですから、少なくとも江戸後期の土佐派では、商業的に能画を製作していたと考えられます。

土佐光孚の色絵は非常に多く現存します(偽物ではない品が(^^;)。おそらく、弟子なども動員した工房体制がとられていたのではないでしょうか。

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