遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

祝、ブログ開設4年! 能画18.浮世絵屏風『砧』

2022年07月09日 | 能楽ー絵画

今日で早くもブログ開設、通算(Yahooブログ含め)4年になりました。実は、昨年と同じく1か月間違えていて、正確には4年1か月です。来年は間違えないようにします(^^;

というわけで、いつものようにとりとめのないガラクタ類では格好がつかないので、少しマシな品物をアップします。

能『砧』の2曲屏風です。

高さ176.1㎝、幅187.4㎝。江戸時代後期。

能『砧』の一場面を描いた肉筆浮世絵屏風です。

 

【あらすじ】九州の芦屋の里で、上京している夫を妻は待ち続けています。晩秋の夜、夫の帰りを待ちわびて、一人、砧を打ちます。侍女が夫からの便りを持って来ました。それは、今年も帰らないとの知らせでした。悲しさのあまり妻は病を得、やがて亡くなります。妻の訃報を聞いて急遽帰国した夫の前に、妻の亡霊が現れ、恋心と恨みが入り混じり、妄執に苦しんでいることを訴え、夫を責めますが、読経により成仏するのでした。

『砧』は世阿弥作の名曲です。特に、前半、夫を待ちわびる妻が、一人、砧を打つ場面は、「砧の段」と呼ばれ、一番の聞かせどころ、見せ所です。この浮世絵屏風は、「砧の段」を描いたもので、ものがなしい情景の中に、夫を待ちわびる妻の寂しさと悲しさが美しく表現されています。

「砧の段」:蘇武が旅寝は北の国。これは東の空なれば。西より来るの風の。吹き送れと間遠の。衣打たうよ。
古里の軒端(のきば)の松も心せよ。おのが枝々に。嵐の音を残すなよ。
今の砧の声添へて君がそなたに。吹けや風。
余りに吹きて松風よ。我が心。通ひて人に見ゆならば。その夢を破るな破れて後はこの衣たれか来ても訪ふべき。来て訪ふならばいつまでも。衣は裁ちも更(か)へなん。
夏衣。薄き契りは忌(いま)はしや。君が命は長き夜の。月にはとても寝られぬにいざいざ。衣打たうよ
かの七夕の契りには。一夜ばかりの狩衣。天の川波立ち隔て。逢瀬かひなき浮舟の。梶の葉もろき露涙。二つの袖や萎(しを)るらん。水蔭草(みづかげぐさ)ならば。波うち寄せよ泡沫(うたかた)。
文月七日の暁や。八月九月。げに正に長き夜。千声万声の憂きを人に知らせばや。
月の色。風の気色。影に置く霜までも。心凄き折節に。
砧の音。夜嵐悲しみの声虫の音。交りて落つる露涙。ほろほろはらはらはらと。いづれ砧の音やらん。

秋の夜、月明かりのもとで、砧を打っています。軒端には、一本の松の木があります。妻は、嵐の風に砧の音をのせて、東の彼方、夫のいる京へ届けと送るのです。「おのが枝々に。嵐の音を残すなよ。」・・・松の枝に嵐を留めないで、砧の音を夫に届けておくれ、とけなげに衣を打つのです。

しかし、その願いは、夫からの便りによって、空しく打ち消されてしまいます。

文を抱えた、若くて美しい侍女。

着物も艶やかです。

一方、初老の妻は地味な装い。

肉筆浮世絵の大作です。江戸時代、版画を除けば、絵画は絵師への注文品でした。この絵も、武士や裕福な町人から依頼を受けた絵師が描いた物でしょう。歌舞伎とは異なり、能画が版画として大量に刷られ、庶民の手に届くことはほとんどなかったと言えます。

この絵の作者、美葉栄については不明です。

人物の描き方からすると、歌川派の絵師ではないかと思われます。

注目されるのは、二人の女性の唇です。

下唇が緑色です。

江戸時代後期、紅花から作られる「紅」を塗り重ねて、下唇を玉虫色に光らせる化粧(小町紅)が大流行しました。この「緑色」(光の調子により玉虫色)の口紅は、「笹紅」ともよばれ、当時、女性たちの人気化粧法だったのです。

この屏風に描かれた女性の下唇の色調は、彩色された時はどのようなものであったか、想像するのも楽しいですね。ひょっとすると、玉虫色に光っていたかもしれません。

比較のため、近代に描かれた『砧』をのせておきます。

全体、45.7㎝ x 108.9㎝、本紙(紙本)、27.6㎝ x 32.2㎝。大正。早川世外(明治6年ー?)筆。

6年前に、岐阜県博物館で行った展示会、『美術工芸品で味わう能文化』のポスターにも、この屏風絵を使いました。

ついでに、故玩館にある唯一の砧。

布を柔らかくするために打つのですが、長年使われているうちに絹の油が移って、得も言われぬ味わいの砧になるそうです。が、残念ながらこの品は、穀物を打つのに使われていた槌だと思います(^^;

 

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能画17.土佐光孚『江口』

2022年07月03日 | 能楽ー絵画

江戸後期の絵師、土佐光孚の能画『江口』です。

全体、63.5㎝x192.2㎝。本紙(絹本)、49.8㎝x108.6㎝。江戸後期。

【土佐光孚(とさみつざね)】安永九年(1780)年ー 嘉永五(1852)年、江戸時代後期の土佐派の代表的絵師。。禁裏絵所を務め、寛政二(1970)年従六位上に、嘉永五(1852)年には正四位下に叙せられた。文化三(1806)年以降は土佐守と号した。

土佐光孚は、多くの色絵を残していますが、今回の品はそのうち、能画に属するものです。能画のパターンとしては、能舞台の一場面を描いたBタイプの絵です。

能『江口』は、観阿弥作、世阿弥改作の能で、卑しい遊女江口が実は普賢菩薩の生まれかわりであったという物語で、俗世のなかに高遠な真理を説く夢幻能です。聖と俗とを仏教の原理からとらえ直そうとする『卒都婆小町』の前半部に似ています。

【あらすじ】旅僧たちは、西国行脚の途中、娼館が軒を連ねた江口の里(大阪)に立ち寄り、一夜の宿を請う西行法師の頼みを断ったという遊女、江口の君の旧跡をたずねます。すると、里の女(前シテ)が現れ、江口の君は、頼みを断ったのではなく、出家者西行の身を思って遠慮したのだと述べて姿を消します(前半)。夜半、僧が江口の君を弔っていると、二人の侍女を伴った江口の君の亡霊が、屋形舟に乗って現れ、華麗な舟遊びの様子を見せ、罪深い遊女の身のつらさを語り、舞います。そして、この世の無常からの解脱を説くと、普賢菩薩となり、象に乗って西の空に消えて行くのでした。

この絵は、能『江口』の後半、二人の侍女を伴った江口の君の亡霊が、屋形舟に乗って現れ、華麗な舟遊びの様子を見せる場面です。

中央に江口の君(後シテ)、両脇に侍女(ツレ)。

旅僧(ワキ)は、屋形船の3人の女性と対時します。

3人の女性と旅僧は、土佐派特有の色絵で描写されています。

一般に、能の情景を描くAタイプの能画に対して、舞台の一場面を表すBタイプの絵は、能が作りだす世界を表現すのには不向きです。

しかし、この場合、華麗な舟遊びの場面なので、土佐派の色絵表現は適していると言えるでしょう。

3人の女性(江口の君、侍女二人)の衣服も相応に描き分けられています。

江口と若い侍女。

扇を持つ江口の君の衣裳は華麗ですね。

竿を手にした年配の侍女は地味な着物。

落款には、「絵所預正五位下土佐守藤原光孚」とあります。土佐光孚が正五位下の位にあったのは、文化元(1818)年1年間のみですから、この年に描かれた品であることがわかります。

実は、ずいぶん前、道後温泉の老舗旅館の能舞台に、土佐光孚の能画を貼った屏風が置いてありました。どんな題目の能絵だったか忘れましたが、「おお、こんな江戸画があるのか。」と感心しました。何とか入手したいと思っていた所、数年後にめぐり合ったのが今回の品です。

念ずれば通ず(^.^)

 

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能画16.英一蝶『鉢木』

2022年06月27日 | 能楽ー絵画

同じような古面ばかりが続きましたので、気分を変えて、能画シリーズに戻ります。

全体、88.9㎝x148.5㎝。本紙(絹本)、83.2㎝x56.9㎝。江戸中期。

江戸時代の絵師、英一蝶の落款、印がある掛軸です。

【英一蝶】承応元(1652)年~享保九(1724)、江戸中期の画家。狩野安信に学び、後に、浮世絵風の軽妙なタッチで都市風俗を描いた。また俳諧を松尾芭蕉に学び、諸芸にも通じた。1698年幕府の忌諱にふれて12年間三宅島に流罪の後、英一蝶と改名。    

描かれているのは、能『鉢木』の一場面です。能画としては、舞台ではなく、情景を描いたAタイプの絵です。

【あらすじ】ある雪の夜、上野(コウズケ)の佐野に着いた旅の僧が、(佐野源左衛門)常世の住む貧屋に宿泊を請う。いったんは断った常世だが、妻の言葉を受け入れて僧を連れ戻り、粟の飯をすすめ、秘蔵の鉢植えの梅、松、桜を火にたいて、精いっぱいの歓待をする。常世は、一族の横領にあってこのように落ちぶれているが、もし鎌倉に事が起きたら一番に駆けつけて命を捨てて戦う覚悟だと話す。翌朝、旅僧はなごりを惜しんで家を去る。
 後日、鎌倉から諸国の武士に召集がかかる。常世もやせ馬に乗って駆けつけると、例の旅僧は前執権の最明寺入道時頼で、常世の言葉に偽りがなかったことを賞し、鉢の木のもてなしに報いるためだと言って、梅田、松枝、桜井の三荘を与える」(『能狂言事典』平凡社)

旅僧に身をやつして諸国行脚をする北条時頼のために、落ちぶれた武士佐野常世が、大切に育ててきた盆栽の、梅、松、桜を切りくべて、雪の夜、暖をとろうとする場面を、英一蝶らしい温かな筆致で描いています。この場面は、謡曲では「薪の段」とよばれ、広く親しまれています。

【薪の段 】仙人に仕えし雪山の薪。かくこそあらめ。我も身を。捨人の為の鉢の木。切るとてもよしや惜からじと。雪打ち払いて見れば面白やいかにせん。まづ冬木より咲きそむる。窓の梅の北面は。雪封じて寒きにも。異木よりまづ先立てば。梅を切りやそむべき。見じという人こそ憂けれ山里の。折りかけ垣の梅をだに。情なしと惜しみしに。今さら薪になすべしとかねて思ひきや。櫻を見れば春ごとに。花少し遅ければ。この木や侘ぶると。心を尽し育てしに。今はわれのみ侘びて住む。家櫻切りくべて火櫻になすぞ悲しき。さて松はさしもげに。枝をため葉をすかして。かかりあれと植え置きし。そのかい今は嵐吹く。松はもとより煙にて。薪となるも理や切りくべて今ぞみ垣守。衛士の焚く火はおためなりよく寄りてあたり給えや。

降りしきる雪の中、秘蔵の盆栽を伐ろうとしている佐野常世。

その常世をながめている旅僧、北条時頼。

白黒を基調とした絵が、しんしんと降り積もる雪と、その中での二人の心の通い合いを浮かび上がらせます。

松や衣服の模様には、地味な色がさされています。

旅僧の頭巾、袈裟に色。

目立たないですが、笹葉にも薄く彩色がなされています。

しっかりとした描線や淡い色使いなどは、狩野派を学んだ英一蝶らしい表現だと思います。

しかし、英一蝶は江戸時代から人気のあった作家だけに、贋物が非常に多いことでも有名です。実際の所、この絵の真贋はわかりせん。

落款と印章からすると、グレーか?(^^;

この絵をよく見ると、左上に馬がいます。

いざ鎌倉に際して、佐野常代が、ボロの具足(絵の右上)を身にまとい、痩せ馬に乗って馳せ参じる時の馬です。

馬の表情が何とも言えません。

英一蝶は、時として、動物を擬人化して描くことがあったという・・・ひょっとしたら期待できるかも(^.^)

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能画15.人頭燭台で『鉄輪(かなわ)』

2022年05月28日 | 能楽ー絵画

今回の品は、珍しい墨絵の能画です。

70.4㎝ x 95.3㎝。昭和。

作者の詳細は不明です。

タイトルには「夜の祈り」とありますが、能『鉄輪(かなわ)』の前半部の情景描写と思われます。

鬱蒼とした大木が茂る中、何かに憑かれたように女が夜道を急ぎます。

 

能『鉄輪』は、若い女に走り、自分を捨て去った夫に対する激しい怒りと恨みで、鬼となった都の女の物語です。前半は、貴船神社へ参詣をする女に、丑の刻参りによって鬼に変身させるとの神託が下ります。後半、鬼女となった女は、凄い形相で恨みを語り、夫と新妻の人形を激しく責め苛みますが、陰陽師、安倍清明の祈祷により、とりあえずその場を去って行きます。

鬼女が登場する能は多くありますが、最後まで怒りを失わない設定の能は『鉄輪』だけだと思います。鬼女は一時退散するだけなのです。

鬼女のつける面も、怨念がつのった面で、前半は泥眼、後半は橋姫です。

『鉄輪』では、後半部、五徳に燃え盛る蝋燭をつけた鬼女の立ち回りが有名です。しかし、前半部、女が怨念に燃え、鬼女に変身する様も見所です。

今回の絵画の女は、いかにもいわくありげな表情をしています。目に金泥は塗られていませんが、面としては、泥眼と考えてよいでしょう(墨一色の絵だとばかり思っていましたが、ほんのわずかに彩色がなされています)。

 

真夜中に貴船神社を参詣する女 ・・・・・そうだ、人頭燭台。

和ろうそくをセットして、夜を待ちます ・・・・

女が現れました。

蝋燭を燈します。

芯をきらないと、どんどん焔が大きくなります。

危ないので、息を吹きかけて、消しました。

やがて女も、煙のように消えて行くのでした(^.^)

 

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能画14.作者不詳、古画断簡『葵上』

2022年05月11日 | 能楽ー絵画

先回に続いて、『葵上』の絵画です。

20.4ccmx35.3㎝、絹本、江戸中期。

未表装の古画です。細長い絹地に描かれています。

おそらく、巻物状の能画集を切り取ったものと思われます。江戸初期ー中期にかけて、このように多くの能の場面(タイプB)を描いた巻物が作られました。今回の品は、そのうちの一つでしょう。

これは、能『葵上』の後半部のクライマックス、「祈り」の場面です。

先回のブログにあったように、前半では、「枕の段」が終わると、六条御息所の生霊は消え失せます。

さて、『葵上』の後半です。

臣下は、ただならぬ体の生霊に対して加持祈祷をするため、横川の聖を呼び寄せます。

床には、葵上が病に臥しています(衣服で代用)。

そこへ、鬼女と化した六条御息所の生霊が現れ、打杖をかざして襲いかかります。

数珠を揉み鳴らし、必死に祈祷する横川の聖。

大小鼓が激しく打ち鳴らされるなかで、戦いは続きます。

しかし、ついに鬼女は調伏され、怨念を捨て、成仏して、舞台から消え去ります。

 

能『葵上』は、強い怨みを抱いた女の心がテーマです。例によって、ストーリーは単純ですが、能ならではの味わいや含蓄が含まれています。

能では、激しい恨みや怒りのなかに、人間の哀しさ、時には優しさまでが表現されているのが特徴です。それは、シテがつける面にも表れています。

先回のブログ、『葵上』前半の生霊がつける面、泥眼です。

     泥眼(『能楽古面輯』昭和16年)

恨みを抱いた女の面で、白目や歯が金色に塗られています。不気味ですが、どこか優しさを秘めています。

さらに、怒りと恨みが強くなると、般若になります。

般若(『国立能楽堂コレクション展』2008年)

般若は怖い面の代表とされています。確かに、つり上がった金眼、大きく裂けた口、怒りと恨みが込められています。しかし、大きな額の下にある奥まった眼には、怒りよりもむしろ、苦しみや哀しみが表れています。

般若は別名、中成(ちゅうなり)です。怨念が、行きつくところにはまだ達していません。

怒り、恨みがさらに強くなると本成(ほんなり)とよばれる究極の面、「蛇(じゃ)」になるのです。口はさらに大きく裂け、舌がのぞいています。耳はなくなり、蛇の体となります。よく知られた『道成寺』では、若僧に恋をした女が恨みのあまり毒蛇となり、鐘の中に逃げ込んだ若僧を蛇体を巻き付けて、焼き殺してしまいます。『道成寺』の舞台では般若面が多く用いられますが、本当は蛇面ですね。

真蛇(『国立能楽堂コレクション展』2008年)

なお、泥眼と般若の間の怒りの面は、生成(なまなり)と呼ばれていて、角が半分だけ生えています。この方が、般若よりも怒りがどんどん増している状態をよく表しています。大変不気味な面です。

 

さて、もう一度、六条御息所を見てみます。

装束は、三角形の連続模様です。これは鱗を表しています。蛇体になっているのですね。

これは、先回のブログで紹介した『葵上』の前半、六条御息所の生霊が恨みをのべながら舞う「枕の段」です。この時、シテは、もう、内側に鱗模様の衣服をまとっていることがわかります。

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