ちーろぐ

今日の出逢いに感謝を込めて

富屋食堂 3【アリランと共に逝った光山さん】

2006-07-22 11:47:36 | そぞろ歩き
「こん光山さんちゅう人は、朝鮮の方じゃったんよ。
 自分の国じゃなかやのに、飛んでいきなったんよ」

「こん人が私は、ただ不憫で不憫でならんのよ」

このように、光山さんのことを語るトメおばあちゃんが、
最も大切にしていた写真がこの写真です。



いつものように、富屋食堂にはたくさんの特攻兵が
集まり歌っていました。
常に、寡黙であまり多くを語らない光山さんでしたが
初めてトメおばあちゃんに会ったときから

「私は、朝鮮人です」

と打ち明けていたのでした。

祖国を離れ、一年前に母を失ったという光山さんを
トメおばあちゃんは、ことの他かわいがり面倒を見ていました。

そんな静かでありながらも、温かい日々を光山さんは
本当に心から喜び、トメおばあちゃんを慕っていました。
しかし、光山さんにも出撃の命令が下ります。
出撃前夜、富屋食堂の一角にあった土間で
光山さんは、トメおばあちゃんに最後の別れを告げたのでした。

「おばさん、お世話になりました。
 明日行きます。
 私は、生まれてからおばさんのように親切な人には
 会ったことがなかったよ。本当にありがとう」と

「最後に私の国の歌を歌うよ。」
 
 トメさんと、二人のお嬢さんはじっと光山さんをみつめていました。
 
   アリラン アリラン アラリヨ
   アリラン峠を 越えていく
   私を捨てて 行く君は
   一里も行けず 足痛む

帽子を目深に下げた光山さんの目には涙が溢れていました。
2回目はトメさんも歌いました。
そして4人で、3回このアリランを歌い、
自分の形見として、と黄色い巾着財布をトメさんに託したのでした。

深々と頭を下げて、電燈の向こうに消えていく光山さんの
最後の姿をトメおばあちゃんは、忘れることが出来なかったそうです。

光山 文博少尉は、本名は卓 庚鉉とおっしゃいました。
京都薬科大学から学徒出陣で、特攻兵を志願したのには
光山さんの悲痛な願いが込められていたのではないかと、
考えます。

当時、朝鮮人であることは大変な差別の原因でありました。
その差別の中、国の英雄として崇め奉られた「特攻兵」
に自分が志願すれば、父やや兄弟達が差別から開放されるのでは・・・
との思いから、志願したとも言われています。


このように特攻兵士の中には、11人の朝鮮人(当時)が
含まれていたのですが、戦後彼らが慰霊名簿に加えられるのにも
時間がかかっていることも覚えていただきたいと思います。

トメおばあちゃんは、戦後写真や遺品を遺族に返す活動を
続けていました。
しかし、どうしても光山さんの遺族に会うことが出来ず、
形見の黄色い巾着財布と写真をなでながら、

「わたしんところに、こいがあるっちゅうことは
 悲しいことなんよ。
 こん光山さんは、ご遺族を探してあげられんじゃった
 ほんとに、不憫なお方なんよ。」

今も光山さんの財布と写真は、トメおばあちゃんの腕の中で
慈しまれているのです。