ちーろぐ

今日の出逢いに感謝を込めて

受け継がれる鳥浜トメさんの志 2

2006-07-25 13:43:33 | そぞろ歩き
「伝え間違えてはいけないよ。
 あの子達の供養と、この国の安全と発展を祈るんですよ」

これがトメおばあちゃんの口癖でした。

にっこり笑って、涙ひとつも見せないで
日本のために、早く行かなければならないのですよ。
と言って出て行った特攻兵士達の供養は、
彼らが願って止まなかった、日本の発展と平和のための祈りと
一直線に通じていたのでした。

そして、トメさんは
「生きれども、生きれなかった人」がいたことを
決して忘れてはならない。と強く強く語られました。

この国のために・・・・・
現在では、『国』という言葉を使うと、すぐに右や左や
とその人の思想を特定しようとしたりするきらいがあります。
しかし、国を思うこと、国を愛すること
この『公』の思いのために、自ら『私』を捨てて
身を捧げた「生きれども、生きれなかった人」若者の
『公』に尽くした生き方に、私達は学ばなければならないのでは
ないでしょうか。

『私』ばかりが巨大化し、『公』の意味が忘れ去られた社会は
もはや共同体の姿を失い、育つべき「思いあう心」が育てられる
土壌すら消えようとしてしまうのではないでしょうか。

トメおばあちゃんは、
「生きれども、生きれなかった人」若き特攻兵士達にその
『公』の崇高さと、『今、自分が相手にもってなす行為』の
尊さを教えてくれているようでした。

戦後、知覧を訪れる多くの人々にトメおばあちゃんは
常に目じりに涙を浮かべながら、彼らのまさにここにあった命を
語られました。
そこで語られる話は、よく平和の願い、日本の悲しい歴史として
紹介されがちですが、それは戦後の歴史観に基づいたほんの一面
でしかないことを今回は強く感じました。

トメさんは、彼らの死を言い尽くせない悲しみとして背負いながら
彼らが、ただひたすら尊い使命を抱いていたことも語っておられるのです。
それは、人は、生きても死んでも「その人に与えられた使命」があることを
伝え、その使命を果たさんと願うところに、輝きが与えられることを
伝えているのではないかと感じました。

「生きれども、生きれなかった人」若き特攻兵士達が願った
『国』の平和と発展を願う『公』の思いに、今一度私達は
立ち返らなければならないのではないでしょうか。

『国』思う心・・・それは万里を越え
『郷』思う心になり
『父母』思う心と結びつき
『人』を思い合う心を育てる

そのようにトメさんは「当たり前」なことなんだよ、と
教えてくれているようでした。

「生きれども、生きれなかった人」彼らの心を
無にして生きないでおくれ。

トメおばあちゃんの人生をかけた
このメッセージを私は、聞かせていただいたように思いました。



今はサッカー場と野球場になった飛行訓練場跡に立つ
トメおばあちゃんです。
向こうに見える給水タンクを目印に、特攻兵士達は
飛び立ちました。

トメおばあちゃんは、確かに聞いていたのです。
「おばちゃん、人生50年と言うけれど
 俺は20才で逝くよ。
 俺の残りの人生を全部おばちゃんにあげるから
 元気で長生きしておくれよ。」

「生きれども、生きれなった人」の人生を無駄にしては
ならない、彼らが伝えたかった思いを語り続けたトメおばあちゃんは
多くの人々に、「今生かせれてある生に与えられた使命」を
見つけてほしいと伝えるられました。


散るために 咲いてくれたか さくら花
  散るほど もののみごとに ちりにけり
 (トメさんが遺した唯一の歌)

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