先日、長男のランドセルを、おばあちゃん、おじいちゃんと買いに行きました。
俺のランドセルの記憶は、母方の実家が呉服屋をやっているので、そこで購入(?)したものと思われる。
とても嬉しかったし、兄に近づいたような気もした。
長男はどんな気持ちだったろうな。
初売りで買うか?
という案もあったんだけど、俺が、
「じいちゃん、ばあちゃんと一緒に買うようにしたい。」
とワガママを言った。
結果、そうして本当に良かったと思う。
二年生くらいに見えた。
親バカのようですが、長男は賢い子どもなので何でも覚えている。
嬉しかったことを思い出してはニコニコし、悲しかったことを思い出しては泣いている。
些細な事も全て覚えている。
賢い分、育ちの中でズルさや甘えも芽生えて来たようだ。
今日、ある社長さんと「犬との生活」という話になった。
ペットショップを経営している我々ベーシックの我妻もよく言うのだが、犬を見ると、その家庭がある程度分かる。
要は、褒めるべきタイミングで超ほめて、叱るべきタイミングで超叱る。
そのタイミングが本当に難しくて、「例外」や「特別」があると犬はとても混乱してしまいます。
そして、そのタイミングが駄目な家庭の子どもは、それこそ例外なく「オイオイ」と言いたくなるような子どもに育っていると感じます。
うるさい「バカ犬」と呼ばれる家庭の子どもは結構似たような匂いがする。
バカである。
自分で書いてて耳が痛いけれど、甘やかし過ぎてはいけないし、怒りすぎてもいけない。
都合よく「ペット」で、都合よく「家族」では駄目なんだと思う。
「しつけ」をされている犬はどこにでも連れて行ってもらえるから、本当に幸せな犬であろうと思う。
そう考えてみれば子どもも「都合の良い」子どものなんと多いことか。
普段なら怒られないのに、公共の場だから「静かにしろ!」と怒られる。
普段なら怒られるのに、祖父母の前だから許される。
それでは混乱するだろうし、その混乱は善悪の概念や、やる気の問題にも関わる。
従業員も同じことが言えるのだと思う。
「社長は今日、機嫌が悪そうだから大人しくしてようぜ。」
これでは、会社は回らない。
そういう子どもが大人になった世の中だから、会社もそういう人たちに溢れる。
信賞必罰の会社は、伸びしろが多いように思うし、「嫌われたくない経営者」の会社は見ていて悲惨だなぁと思う。
俺は、周りが引いてしまうほど子どもには厳しいと思う。
自覚もしてる。
でも、それが彼らを何処にでも連れて行けるという意味で、彼らの本当の幸せになるのではないかと思ってる。
そして、嫌われないんだ!
という自信もある。
何故ならば、俺が親を嫌いではないから。
どんな子どもも、親が憎くて仕方が無い、(そういうケースもあるけど。)という場合は少ない。
どんなに虐待を受けてても、
「ママ!」
と言って抱きついて行くのが子ども。
俺は仕事先にも、妻の都合で子どもを連れて行くことがある。
でも、君たちは大丈夫。
誇りに思うよ。
どうか交通事故だけには気をつけて、立派に大きくなってね。
下の写真は、ご褒美の乗り物ゲーム。
車掌さんの奪い合いになっていたが、長男が譲ってあげたようだ。
俺のランドセルの記憶は、母方の実家が呉服屋をやっているので、そこで購入(?)したものと思われる。
とても嬉しかったし、兄に近づいたような気もした。
長男はどんな気持ちだったろうな。
初売りで買うか?
という案もあったんだけど、俺が、
「じいちゃん、ばあちゃんと一緒に買うようにしたい。」
とワガママを言った。
結果、そうして本当に良かったと思う。
二年生くらいに見えた。
親バカのようですが、長男は賢い子どもなので何でも覚えている。
嬉しかったことを思い出してはニコニコし、悲しかったことを思い出しては泣いている。
些細な事も全て覚えている。
賢い分、育ちの中でズルさや甘えも芽生えて来たようだ。
今日、ある社長さんと「犬との生活」という話になった。
ペットショップを経営している我々ベーシックの我妻もよく言うのだが、犬を見ると、その家庭がある程度分かる。
要は、褒めるべきタイミングで超ほめて、叱るべきタイミングで超叱る。
そのタイミングが本当に難しくて、「例外」や「特別」があると犬はとても混乱してしまいます。
そして、そのタイミングが駄目な家庭の子どもは、それこそ例外なく「オイオイ」と言いたくなるような子どもに育っていると感じます。
うるさい「バカ犬」と呼ばれる家庭の子どもは結構似たような匂いがする。
バカである。
自分で書いてて耳が痛いけれど、甘やかし過ぎてはいけないし、怒りすぎてもいけない。
都合よく「ペット」で、都合よく「家族」では駄目なんだと思う。
「しつけ」をされている犬はどこにでも連れて行ってもらえるから、本当に幸せな犬であろうと思う。
そう考えてみれば子どもも「都合の良い」子どものなんと多いことか。
普段なら怒られないのに、公共の場だから「静かにしろ!」と怒られる。
普段なら怒られるのに、祖父母の前だから許される。
それでは混乱するだろうし、その混乱は善悪の概念や、やる気の問題にも関わる。
従業員も同じことが言えるのだと思う。
「社長は今日、機嫌が悪そうだから大人しくしてようぜ。」
これでは、会社は回らない。
そういう子どもが大人になった世の中だから、会社もそういう人たちに溢れる。
信賞必罰の会社は、伸びしろが多いように思うし、「嫌われたくない経営者」の会社は見ていて悲惨だなぁと思う。
俺は、周りが引いてしまうほど子どもには厳しいと思う。
自覚もしてる。
でも、それが彼らを何処にでも連れて行けるという意味で、彼らの本当の幸せになるのではないかと思ってる。
そして、嫌われないんだ!
という自信もある。
何故ならば、俺が親を嫌いではないから。
どんな子どもも、親が憎くて仕方が無い、(そういうケースもあるけど。)という場合は少ない。
どんなに虐待を受けてても、
「ママ!」
と言って抱きついて行くのが子ども。
俺は仕事先にも、妻の都合で子どもを連れて行くことがある。
でも、君たちは大丈夫。
誇りに思うよ。
どうか交通事故だけには気をつけて、立派に大きくなってね。
下の写真は、ご褒美の乗り物ゲーム。
車掌さんの奪い合いになっていたが、長男が譲ってあげたようだ。