どうせ地球のチリだからな。

生き方を変えたから、ブログも変えようと思った。
企画屋の日記です。

不思議な50日間と最後のイタズラ

2011-04-29 21:45:29 | Weblog
3月11日から突っ走って今に至る。
正直、途中何度も限界を迎えては支えられ、限界を迎えては助けられ。
セコンドがタオルを投げ込もうとしても自分でヤメロと言いながら、ずっとやってきた感じでした。
昨日で四十九日を迎えて、今日で50日目。
佐藤幸枝さんの告別式も滞りなく終了しました。
気持ちにも滞りなく。
俺は御伽噺やファンタジーは好きだが、キチンと現実的ではないと思ってるしコジツケも好きではない。
だけど、本当に不思議な事ばかりが起きた50日間だったと思う。
震災の日。
俺は、おたふく風邪が治ってブログを更新してる最中に地震が来た。
寝床にいた。
携帯も止まってしまい、固定電話も駄目。
まだまだ沢山の仲間が連絡ついていない時だったが、ゆきえさんに何かあった事を感じていた。
だから、初日の夜中も大将や九二四四氏らに「ゆきえさんを探す。」と騒いでいた。
夜、足が痛かった。
バイクで七郷に向かうと足が痛くなくなる。
しばらくオタフクで寝てたからだと思っていたが、家に戻ると、つまり七郷から離れると痛くなる。
近づくと軽くなる。
そして、ゆきえさんが見つかって、足は治った。
気持ちを切り替えるのに、時間は必要ないと言い聞かせ今回の活動を始めた。
それこそ命がけでガソリンを買いに行き、動ける仲間を増やす。
◆調達
◆情報収集
◆運搬と捜索支援
という大きく三つの班に分けて活動する。
そんな日々の途中でイルカのニュース。
葛藤もあったが、イルカのニュースは世界に広がり、俺たちの支援活動は一気にメディアに出る事となる。
そのイルカがいた田んぼが、ちょうどゆきえさんのいた田んぼ。
その後、おばあちゃんがずっと探していた靴が、そろって置いてあったのもその田んぼ。
ゆきえさんが一度だけ夢に出た日が余震の日。
偶然かもしれないし、頭の半分ではそうじゃないって分かってる。
そうじゃなくても、一生に一度あるかないかの事が毎日起こり、毎日がすごいスピードで流れた。
良いも悪いも人の本性も見えたし、自分のするべき事も見えたと思う。
新しい仲間や、全国に友人も沢山できた。
俺は必ず会いに行ってお礼を述べたいと思っているし、気持ちや精神面では今が一番充実していると思う。
よりシンプルな毎日に移行した気がしてる。
正直、安置所は行きたくない。
正直、お母さんを返して!と子ども達に泣かれたくない。
家にいて、庭を仕上げてみたり、昼寝とかしていたい。
超能力が欲しい。
時間を戻したり、空を飛んだり、スゲー力で人を助けたり。
しかし、そんな事はできない。
俺は何も出来ない。
でも、出来る事がある。
組織を作ったり、人をやる気にさせたりするのは得意な方だ。
その中で最大限に動いてみようと思った。
成功も不成功もないのだろう。
誰かのコピーにあるように、
「今、私たちにできること」
それは、どのようにでも受け止められる。
様々な考え方の人がいて、それで社会。
ムカついたりも相変わらずするし、いい年してアーケードで殴りあいもする。
それが俺だし、様々な考え方の中の一つであると思えば、否定も肯定もない。
強盗に入る連中の方がクソだ。
俺も小さい人間だが、アイツラよりは100倍マシだ。
「諦めない」
という言葉を多用した。
諦めなければ、何とかなるもんだ。
現に俺は今生きている。
今日、アプローズという花を、マスタージーベックの山添さんに手配してもらって、ゆきえさんの三人娘に届けた。
青いバラである。
青いバラは、「不可能の代名詞」
ずっと追い続けた夢を、やっと叶えた喜び。
新しい夢を見つけ、むかっていく勇気。
そういう意味を込めて【喝采】という意味のアプローズ。
花言葉は【夢かなう】だそうです。
【夢を諦めなかった】結果の花。
今の俺には、しっくり来すぎて泣けてきた。
最期まで諦めなかったゆきえさんの意志は俺達が引き継いだから、ゆきえさんの夢は娘達が引き継げばいい。
そのように、彼女たちに花を届けるようにと頼まれた気がした。
写真は玄関前で、彼女らといつもの笑顔のゆきえさん。
「自分のサロンを持つ」
という、その時は本当に大変な夢をもっていた彼女はキチンと諦めずに叶えた。
俺は【喝采】を送りたい。
それに応えてなのか、帰りに君の実家に大きな、大きな虹をかけてくれたよね。
あんなに色の濃い虹は見た事ないし、あんなに大きな虹も初めて見た。
しかも、2本がけ。
最後の最後まで、君らしい。

話したい事とかいっぱいあるけど、またいつか髪切ってよね。
髪を切りながら、グダグダ喋るのが好きだった。
説教も今思えば、全部君の言う通りだ。
俺は「うっせぇ、の野郎!」とキレていたが、図星だからキレたのだ。
ごめん。
すぐに感情的になって怒りだすのはお互い様だからケンカばかりしたのだろう。
でも、どんな時でも二つ返事で協力してくれてありがとう。
俺も、惜しまなかったつもりだが負けたまま君は死んでしまった。
勝ち逃げは、ずるいと思う。
焼肉をおごるのか、おごられるのか忘れたけど、約束も残ってる。
誕生日に「バッグ買って!」と言われた時に、セブンのビニール袋を渡してゴメン。
「指輪もいいなぁ♪」とか言うから、たまたま飲んでたオロナミンCのプルトップを渡して、本当にゴメン。
娘達に勉強とか、ガンガン教えるね。
心配しないで大丈夫。
勉強は得意。
自分の娘のようにはいかないだろうけど、俺にそうしてくれたように、超気にかけて生きていこうと思う。

俺に仕事の全部を任せてくれて、ありがとう。

ALWAYS ON YOUR SIDE.
「いつだって、あなたの味方」
君の娘に、そういう気持ちでいつか色々と話そうと思う。

ありがとうございました。
さよなら、ゆきえさん。

いつかまたね。

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6 コメント

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Unknown (Unknown)
2011-04-29 22:57:11
了先生(^-^)大丈夫!きっと子供達の心の支えになれると思う☆
私が今出来るとこやらなきゃな。。
お店に相方と会いにいきますね!!!
返信する
水鉄砲 (桜海老駿河)
2011-04-29 23:39:02
 了さんの息子さんもねお父さんに遊んでもらえず戦っているんだと勝手に思い込んだ!

そう身勝手に!!

http://blog.goo.ne.jp/cheapdust/e/122da91145a7fb0849dc03028796f96a

あれ?2人ともお子様?息子さんの友達だったのかな?

水鉄砲で遊ばないかなぁ。

3個カートに入れてから

避難所の方々が欲しているものを何となく選別架空発注していたのね。

流石に水鉄砲は不謹慎かなぁと思って削除をしたのだけれど。

ビタミン剤が急だったようだから発注したよ。!

そしたら水鉄砲も一緒に発注確定になっちゃったみたい。

ふざけたわけじゃないよ。

子供は表で遊ぶものだと思い込んでるオイラの我が儘サ!

時々、息子さんとも遊んでね^^
返信する
Unknown (Rin)
2011-04-29 23:52:15
夢をかなえるためのたった一つの方法は、諦めないことだってね。

諦めないのって簡単そうで、そうじゃない。

これを読んだ日本中のみんなが、ゆきえさんを思い、ご冥福を祈っていると思います。
そしてお子さんたちの幸せを。
返信する
Unknown (sikao)
2011-04-30 01:36:37
平さん、あなたは この50日間
みんなにとって ヒーローだったよ。
多分、これからも・・・

それと ゆきえさんには
いつか必ず会えると思います。

その時は、ゆきえさんを紹介してくださいね。
返信する
君は (デンキマン)
2011-04-30 07:53:28
君は私達がやろうとしてもやれなかったことを。
やるべきことを。
圧倒的なスピードと精神力と判断力で道を拓いてくれた。
年齢は私の方が一回りも上なのに、君は頼れる先輩に思えた。
まだ何も変わってはいない。
でも、君に分けてもらったガソリンがどれほど有り難かったか。
君の笑顔がどれほど豪快で明るく私達の心を絶望から救ってくれたかは、君は知らないのだろう。
尊敬という言葉を君は嫌うかもしれない。
誰にでも出来る簡単なことだが、誰にでも出来ることじゃない。
君の言うように、戦後はもっともっと大変だったのだろう。
ただ、私の母は戦後を経験しているが君を未だに語る。
あの時の、果物や食べ物、お菓子や缶詰…そしてガソリン。
私は生涯、忘れない。
君の未来は、私達がやれる限りの力をもって守りたい。
微力ではない力を振り絞って、君の支えになりたい。
君にアプローズを。
心の中で、君に青いバラを贈ります。
たくさんの愛をありがとう。
君は、私達の誇りです。
どうか再開するまで、お元気で過ごしてください。
ありがとうございました。
追記
私はあれから君の日記を遡り、全て読んだ。
事実は小説よりも奇なり。
どんな文章よりも君の言葉は魂を揺さぶる。
たまに、自分の言葉のように君の言葉を使う私がいる。
了承して下さい(笑)
返信する
上の (kyu)
2011-04-30 22:19:36
デンキマンさんのコメント読んで
本文でも泣いてるのに
更に泣かされました

涙ではなく笑顔を。
そしてみんなにアプローズを。

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