玉瀾堂(ぎょくらんどう)は乾隆15(1750)年建造の穿堂殿(せんどうでん)。
穿堂殿とは庭から庭へ通り抜けられるようになっている建物のことを
云うらしい。
東西にそれぞれ配殿があり、正殿が玉瀾堂、東側を霞芬室(かふんしつ)、
西側を藕香榭(ぐうこうしゃ)という。
光緒帝はこの玉瀾堂を寝室として使用していた。
光緒24(1898)年の戊戌政変(ぼじゅつのせいへん)後、西太后は
ここに光緒帝を幽閉した。
▼室内はガラス越しの撮影なので写りが良くないですが、
一応こんな感じということで…(笑)
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