日本茶道塾 ブログ

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春の日差しをまとった茶室

2010年03月28日 | お知らせ
「みんなの茶室」を活用くださった方
第一号です。

2010年3月27日
富士東製茶組合青年部様の

「茶」の文字で有名な静岡県掛川市東山の粟岳(あわがたけ)

山頂の栄西禅師の座像の前に据えてくださいました。

今回の壁は「春の暖かな日差し」と表現くださった方ありますが、

日を背にお茶をいただくととてもぽかぽかと春の陽気をいただいた心地で、

ずっと茶室に座っていたくなる気がします。




茶室御礼

2010年03月15日 | 行事報告
文化庁「地域文化芸術振興プラン」で作成しました
「みんなの静岡茶室」のお披露目茶会を昨日、大日本報徳社大講堂(掛川市)にて開催させていただくことができました。

地元の皆さまのご協力で短い時間やいろいろな制限の中で、静岡の茶畑の中でもお茶を楽しめることも視野に入れた組み立て式のお茶室ができました。

これから皆様にも使っていただければと思っております。

ご参加いただきました方、またご声援いただきました方、本当にありがとうございました。

地元の新聞にも紹介いただきましたので、お写真等ご覧ください。


(静岡新聞)
http://www.shizushin.com/news/local/west/20100315000000000031.htm

(中日新聞)
http://www.chunichi.co.jp/article/shizuoka/20100315/CK2010031502000136.html

日・中・韓 茶道 融合点前披露

2010年03月09日 | 常釜
昨日は、富士山静岡空港にて日・韓・中の茶道「融合点前」を白雲塾長の考案の元に初披露させていただきました。

韓国茶礼と中国茶芸、日本茶道の歴史から紹介し、
中国の方から、日本、韓国へと茶器を渡し(茶の伝来を示す所作)、

日本の水で煮やした釜を囲み、この湯で三国が茶を点てるという形です。

韓国茶礼では、風炉釜は木火土金水など世界を構成する要素の象徴ということですので、韓国により釜を清めてふたが開けられると、日本が釜の湯を各国へ渡します。

帛紗さばきの時は、日本が全宇宙を清めるという心で、他の国は静かに、その心に同調します。

それぞれの国の点前の心が最も現れてくるところは、ソロパート。

他国は静かに膝に手を置き、その国の心と一体となっていきます。

また、茶を入れる、湯を茶に注ぎ、茶を点てる、というところでは、各国がハーモニーを奏でるように、同時に動作をしていきます。

そしてそれぞれの茶が点ちます。

それぞれが少しずつ、気を合わせ、「和」していく様は、ぴりっとした緊張感もあり、まさに、互いに和し、互いに敬し、その姿は清く、寂の心を見い出せ、見事でした。

ご覧いただいた方から「融合してました」と言っていただき、(当日実は合わせたままでのぶっつけ本番でしたので、本当によかったです)

プロジェクトHPから少しお写真ご覧いただけます。

http://www.geocities.jp/nihonsadojuku/chasitu.html

韓国茶礼も中国茶芸もここ数十年の間に温められてきたものですので、三国の茶道点前がそろって融合すると言う形は、まさに今、世界初の試みと思います。

それを日本茶道から発せたことがうれしいと思います。


茶のトートバック

2010年03月05日 | 常釜
日本茶インストラクター静岡支部10期会がお茶の木のトートバックを作成しました。

数限定ですが、ご希望者に特別頒布中。
(製作費と送料負担)

*世界的なお茶の大百科事典『ALL ABOUT TEA』に掲載された茶の木(花、実など)の画。

お問い合わせは茶道塾までメールでどうぞ
chadojuku@yahoo.co.jp



桃山時代の抹茶

2010年03月04日 | 常釜
千利休より少し前の時代
抹茶はどのようなものだったのか、

御研究されて再現された方から
(参照:茶の湯文化学会誌十七号)

感応テストにお声かけていただき、
文献から再現された当時の茶筅でお点前させていただき、味わってまいりました。

石臼も再現されたものでしたが、ざらつきは無く、覆いをかけていない栽培法ということで、苦渋味が旨味甘味の下にあるのではなく、はっきりと感じられました。

3月の第一土曜日(緊急ですが)銀座の節句釜ではこちらをお持ちして、皆様にも感応テストに参加いただこうかと思います。

(茶筅は現在、世界に一本だけの再現茶筅)

楽しみに。


韓国、中国、日本 茶道融合点前について

2010年03月01日 | 茶の話
日本茶道・中国茶芸・韓国茶礼における点茶点前の融合
日本では、「点前というと、茶道を連想する人が多くいると思います。
茶道の歴史を見ると、昔の儀礼を重んじ、特別な道具を用いた御殿での茶の湯から、身近な道具を用い、煩雑な点前をやめ、「茶道」(侘び茶)として、創造されてきました。
ここでの点前の在り方は、心の成長を導く行動として、文化的に注視するべきものがあります。
点前は、精神を鍛える意識を内在しながら、格や式法に偏らない、現実的な所作を追及するようになっていったのです。

この創成期による点前の変化は、秀吉も認めるほど、その意義は大きく、文化を深める分岐点でもありました。
『茶話指月集』という古書に利休と秀吉の話があります。

「豊臣秀吉公が、初めて千利休に台子の茶の湯の点前をするようにと言われた。秀吉公はその点前を見た後、「利休の点前は、その格に合わない所がある」と咎めました。利休は、「古流はいろいろと道具も多く、扱いも煩雑で良くないので、略していたしましたと」と言いました。秀吉公は、古流の習いを知った上での事であればと、褒められ、この後、茶の湯をする人は、利休を見習うべきだと感心された。」(意訳)

とあります。利休も、古を知り、新しい茶を作り出したのです。決まり事と思いこんでいる作法でさえ、変革し、新しいものを生んでいく。その変革のためには、ひとつひとつの所作の真の意味を知り、そこから深めていくことになります。
茶の湯文化を楽しむという事は、この話のような絶え間ない追求であり、現代の茶人も心がけて進化を実行し、後の世代に伝えることなのです。

今日まで、日本独自で深められてきた茶道ですが、いよいよ茶を世界の文化として捉えることになりました。
日本茶道・中国茶芸・韓国茶礼における点茶点前の融合は、日本の茶道創成以来、革新的な無限の可能性を予感させる大きな改革の一歩として歩みを始められるきっかけとなればと考えております。

日本茶道塾 吉野白雲

*『茶話指月集』利休の孫・宗旦が、高弟・藤村庸軒に伝えた逸話を、庸軒の女婿の久須見疎安が筆録、編集。元禄14年(1701)板行。