「天狗の中国四方山話」

~中国に関する耳寄りな話~

No.322 ★ 中国随一の海鮮都市・大連の思い出が蘇る、池袋「逸品火鍋 四季海岸」の紅焼鱸魚 進撃の「ガチ中華」#8

2024年05月13日 | 日記

現代ビジネス (近藤 大介:『現代ビジネス』編集次長)
2024/5/11

現代ビジネス「北京のランダムウォーカー」でお馴染みの中国ウォッチャー・近藤大介が、このたび新著『進撃の「ガチ中華」』を上梓しました。その発売を記念して、2022年10月からマネー現代で連載され、本書に収録された「快食エッセイ」の数々を、再掲載してご紹介します。食文化から民族的考察まで書き連ねた、近藤的激ウマ中華料理店探訪記をお楽しみください。
第8回は、池袋「逸品火鍋 四季海岸」の紅焼鱸魚に覚えた、ささやかな幸福感ーー。

 

⇒前回の店【#7】池袋「薩斐蘭州牛肉麺」

40年以上日本の統治下に置かれていた大連

中国はおしなべて「反日」というイメージがあるかもしれないが、全国で1ヵ所だけ、これまで一度も「抗日デモ」が起きていない都市がある。いわば中国一の「親日都市」。それが、渤海(ぼっかい)に面した遼寧(りょうねい)省遼東半島の先端に位置する750万都市、大連だ。

PHOTO:iStock

大連(ダーリエン)という名前は、「ダリエ」(遠くの場所)というロシア語に由来している。日清戦争(1894年~1895年)で大勝した日本は、伊藤博文首相が故郷・下関の行きつけの料亭「春帆楼(しゅんぱんろう)」に、李鴻章(り・こうしょう)清国(中国)全権代表を呼びつけ、台湾や遼東半島の割譲を呑ませた。それが下関条約だ。

私は、下関条約の原版を、東京の外交史料館で見たことがあるが、李鴻章代表が押した巨大な黄色い押印が、ひときわ印象的だった。せめて判子の大きさだけは日本に負けないぞ、という意地を感じさせる条約文書だ。

実際、この時の日本は、さすがにやりすぎだろうという声が、国際社会で上がった。その代表格であるフランス・ドイツ・ロシアが、「遼東半島は清国に返還しなさい」と、日本に迫った。いわゆる三国干渉だ。

列強3ヵ国からの圧力に、日本はやむなく、遼東半島を返還した。そうしたらロシアは、清国に向かって、「功績の見返り」を要求した。それで得たのが、遼東半島の先端の地域だった。ロシア人はその土地を「ダリエ」と呼び、ロシア風の都市建設を始めた。

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こうした動きに怒りを強めた日本は、1904年、ついに大国ロシアと一戦を交える。それが日露戦争で、翌年にポーツマス条約を結んで終結した。日本は、日本海海戦勝利の勢いを見せつけるかのように、ダリエをロシアから譲り受けた。そしてダリエに漢字を当てて、「大連」とした。

日本は大連を起点として、大陸横断鉄道を敷く壮大な計画を立てた。それが南満州鉄道(満鉄)だ。後の東海道新幹線の原点となる「アジア号」も走った。私は、いまも一輛だけ大連に保管されているアジア号を見せてもらったことがあるが、その規格外の巨大列車に、当時の様子が偲(しの)ばれた。

Gettyimages

1906年、満鉄の初代総裁に就任したのが、いまの東京の道路網の原型を創った後藤新平だった。気宇壮大な発想の持ち主だった後藤総裁は、ロシア風だったダリエの街並みを、日本風の大連に変えた。

日本の統治は、日本が太平洋戦争で敗戦する1945年まで、40年も続いた。日本時代の大連は、60万都市となって大いに繁栄した。それで1949年の新中国建国後も、大連人は日本時代の建造物や家屋をそのまま使用し、いまに遺している。

遼東半島に位置する中国最大の「海鮮都市」

大連人が日本時代から引き継いだものが、もう一つあった。それは、豊富な海産物に囲まれた、魚介類を中心とした食生活だ。

大連には、豊洲の海鮮市場のような魚河岸が何ヵ所もあり、早朝から夕刻まで、大いに賑わっている。大連はまさに、中国最大の「海鮮都市」なのだ。

そんな大連にあって、いまから30年ほど前の1992年、大連外国語大学の正門近くに、一軒の小さな海鮮料理店がオープンした。「天天漁港」(ティエンティエンユイガン)という店名は、「毎日漁港のように海鮮が溢れている」という意味で付けた。

1995年、初めて大連を訪れた私を案内してくれたのも、大連外大日本語学部のOBだった。私の父親とほぼ同い年の彼とは、もともと日本で知り合ったが、ヤマトホテル(現・大連賓館)を始めとする市内の日本時代の足跡を、一日かけてガイドしてくれた。その間、自分の親族が大連日赤病院(現・大連医科大学)で一命をとりとめた話など、いかに日本の貢献が大きかったかを説いた。

夕刻、母校を案内された。

「ここは1964年、周恩来総理の呼びかけで、中国共産党と日本共産党が共同で設立した日本語学校だった。私が入学した時分は、日本語教師はすべて日共の日本人だったよ……」

彼は正門前に立って、そんな思い出話をしてくれた。だが、空腹だった私は、正門とは逆側が気になって仕方なかった。

中国全土に鮮魚の味を知らしめた「天天漁港」

「天天漁港」と書かれた看板が掛かった店の前に、所狭しと新鮮な魚介類が並んでいた。奥には活魚用の水槽もあった。まるで「ミニ海鮮市場」だ。

「夕食はここで食べませんか? 今日のお礼にご馳走しますから」

私が提案すると、彼は「以前はこんな店、なかったけどなあ」と、首をかしげながら中へ入った。

「一生に一度でいいから、『海胆』(ハイダン=ウニ)を腹が痛くなるくらい食べたいと思っていたんですよ。それが20代のうちに実現するとは……」

私はテーブルに置かれたウニの木箱を前に、ホクホク顔である。何せ1ケース注文して、1000円にも満たなかった。他にもエビやらカニやら、海鮮尽くしの夜だった。

私は翌日のランチもディナーも、迷わず「天天漁港」に通い詰めた。その翌日は、昼12時の飛行機で、留学先の北京へ戻らなければならない。

そのことを二日目の晩に、女性店長に愚痴ったら、「あなたのために、明日は午前10時に開けてあげるわ」と言ってくれた。そこでまた午前中に訪れ、大量の「打包」(ダーバオ=持ち帰り)までして、北京へ戻ったのだった。

それが「天天漁港」との邂逅(かいこう)だった。以後、大連を10回ほど訪れているが、「天天漁港」の勢いは、すさまじいものがあった。今世紀に入って中国人は急速に豊かになり、それまで「大連人の特権」だった鮮魚の味に目覚めたのだ。

大連で「天天漁港」の支店は20店舗近くに増え、北京、アモイ、深圳、成都……と全国で計200店舗を超えるまでに成長した。2006年には中国調理協会から、「中華餐飲名店」の称号を授与された。

私自身、大連で最後に「天天漁港」のチェーン店に行ってから、すでに10年近くが経つ。その頃には店舗は巨大化し、その店だけで100人以上の従業員を雇っていた。もはや「ウニ1ケース」など、とても注文できない値段に変わっていた。

それでも、私にとって渤海の爽風香しい大連グルメと言えば、「天天漁港」の海鮮類なのである。

鮮魚に溢れる「大連グルメ店」を発見!

東京で、あのような贅沢な「大連グルメ」など望むべくもないというのは、重々承知している。だがそれでも、大連人が開いた「四季海岸」という店が、池袋のガチ中華街の一角にあると耳にした。

「四季海岸」というネーミングに惹かれて、春の日の夕刻、ぶらっと足を運んだ。
エレベーターで4階まで上がり、店の扉を開ける。正面に大きな水槽群が、目に飛び込んできた。

水槽内には活きた水槽の前で、男性店員が魚を仕込んでいた。「どんな魚が入っているんですか?」――中国語で尋ねると、立ち上がって指さしながら答えた。

「黒魚、石斑魚、石雕魚、鯉魚、鲫魚、甲魚、基囲蝦……」

「へえーっ」

すっかり見とれていると、ダメ押しのように告げた。

「今日だけですがね、鱸魚(ルーユイ=スズキ)も2匹だけ入っています。実はね、常連の中国人客が、今朝、海で釣り上げたものなんですよ。自慢げに持って来たので、店で買い取りました」

店員はわざわざ、そのうちの一匹を氷箱に入れて、見せてくれた。

その日の朝に海で釣り上げた鱸魚(スズキ)。目玉が黒々としている

「ほうーっ」。2度目のため息が出た。

「天天漁港」で、「魚は目を見ろ」と教えられたものだ。黒々としていたら、つい先ほどまで活きていた証拠だ。これはもう、注文するしかない。

「時価ですがね、5880円でお出しします。『紅焼鱸魚』(ホンシャオルーユイ=スズキのしょう油焼き)にすると、最高に旨いですよ」

早くも気分は、「天天漁港」である。「四季海岸」は100席以上ある大型店だが、中国人客でほぼ満席だった。

100席以上あるが中国人客でほぼ満席状態

鱸魚だけでは少し物足りないので、「水煮魚」(シュイジューユイ 1680円)も頼んだ。四川風ピリ辛の白身魚の煮込みだ。それに水餃子(6個入り680円)と青島ビール(495円)、以上である。

先に運ばれてきたのは、水煮魚だった。

水煮魚は中国の若者たちの人気メニュー

水煮魚には多く、巴沙魚(バーシャーユイ=バサ)の白身が使われる。日本人には、フィッシュバーガーでおなじみの淡水魚だ。これにタラ、ネギ、モヤシ、赤トウガラシなどを混ぜて煮込む。

大連風ではなく、四川風だが、今時の中国の若者たちは、この料理に目がない。この日の店内でも、そこかしこのテーブルで見かけたので、「入郷随俗」(ルーシアンスイスー=郷に入りては郷に従え)で頼んだのだ。

「辛み」と「絡み」――ピリ辛スープを含んだ柔らかな白身魚が、ネギやモヤシと絶妙に絡まり、美味に仕上がっていた。若者たちが「水煮魚を食べると元気が湧いてくる」と言うのも肯ける。

さて、「前座」に舌鼓を打ってしばらく経つと、おごそかに雰囲気を異にする「真打ち」が登場した。「紅焼鱸魚」である。

大皿の中に、先ほどの鱸魚が、土気色に姿を変えて横たわっていた。上に、香菜(シアンツァイ=パクチー)が添えてある。

見事な「紅焼鱸魚」

身はホクホクして、中国しょう油のスープと絶妙のハーモニーを醸し出している。
特に、尾に近い部分が美味だった。中国の美食家の中には、尾ひれの運動によって身が引き締まった下半身しか食さない人もいるほどだ。

「紅焼」のスープは、大連風のやや薄味である。それだけに、大皿料理でも途中で飽きがこない。

もう一つ発見があった。水餃子をこのスープに浸して食べても旨いのだ。

さらに爽快な青島ビールが加われば、鬼に金棒だった。青島は大連のある遼寧省ではなく隣の山東省だが、海岸線上では近い距離にある。実際、大連には大連ビールもあるが、青島ビールが人気だ。

考え起こせば、「歌は世につれ」と言うが、「魚も世につれ」である。あの1995年の衝撃的な「天天漁港」は、もはや存在しない。いま大連にあるのは、前述のように巨大なチェーン店と化した高級海鮮レストランだ。

そして私が舌鼓を打っているのは、渤海、黄海、東シナ海、そして日本海を越えた先にある東京にある「四季海岸」の鱸魚である。それでも、ささやかな幸福感を覚えることに違いはない。

近藤 大介:『現代ビジネス』編集次長)

1965年生まれ、埼玉県出身。東京大学卒業、国際情報学修士。講談社『現代ビジネス』編集次長。明治大学国際日本学部講師(東アジア国際関係論)。2009年から2012年まで、講談社(北京)文化有限公司副社長。新著に『日本人が知らない! 中国・ロシアの秘めた野望』(ビジネス社)、『ふしぎな中国』(講談社現代新書)など、中国を始めとする東アジアの関連図書は34冊に上る。

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1 コメント

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マルテンサイト千年 (グローバルサムライ)
2024-05-21 10:10:20
最近はChatGPTや生成AI等で人工知能の普及がアルゴリズム革命の衝撃といってブームとなっていますよね。ニュートンやアインシュタイン物理学のような完全理論駆動型を打ち壊して、データ駆動型の世界を切り開いているという。当然ながらこのアルゴリズム人間の思考を模擬するのだがら、当然哲学にも影響を与えるし、中国の文化大革命のようなイデオロギーにも影響を及ぼす。さらにはこの人工知能にはブラックボックス問題という数学的に分解してもなぜそうなったのか分からないという問題が存在している。そんな中、単純な問題であれば分解できるとした「材料物理数学再武装」というものが以前より脚光を浴びてきた。これは非線形関数の造形方法とはどういうことかという問題を大局的にとらえ、たとえば経済学で主張されている国富論の神の見えざる手というものが2つの関数の結合を行う行為で、関数接合論と呼ばれ、それの高次的状態がニューラルネットワークをはじめとするAI研究の最前線につながっているとするものだ。この関数接合論は経営学ではKPI競合モデルとも呼ばれ、様々な分野へその思想が波及してきている。この新たな哲学の胎動は「哲学」だけあってあらゆるものの根本を揺さぶり始めている。こういうのは従来の科学技術の一神教的観点でなく日本らしさとも呼べるような多神教的発想と考えられる。

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