「天狗の中国四方山話」

~中国に関する耳寄りな話~

No.418 ★ 「技術を盗まれるからダメだ」…中国の国家主席の要望をも突っぱねる男・葛西敬之が「リニア」に込めた思い

2024年06月24日 | 日記

現代ビジネス (森 功:ジャーナリスト)

2024年6月23日

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 安倍元首相が国士と賞賛した葛西敬之が死の床についた。政界と密接に関わり、国鉄の民営化や晩年ではリニア事業の推進に心血を注ぎ、日本のインフラに貢献してきた。また、安倍を初めとする政治家たちと親交を深め、10年以上も中心となって日本を「事実上」動かしてきた。

   本連載では、類まれなる愛国者であった葛西敬之の生涯を振り返り、日本を裏で操ってきたフィクサーの知られざる素顔を『国商』(森功著)から一部抜粋して紹介する。

 『国商』連載第39回  『JR東日本にも運輸省にもナイショで…品川に「新幹線駅」を作りたかった葛西敬之のハチャメチャすぎる「行動」』より続く

台湾の地震をきっかけに

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 台湾は日本と同じ地震国でもある。1994年9月16日にはマグニチュード6・8の台湾海峡地震に見舞われた。黒野が次のような秘話を明かした。 「話のはじまりはまだ私が次官だった頃でした。

『地震に耐えられる日本の新幹線技術がほしい』と李登輝総統から首相補佐官の岡本行夫(元外務省北米第一課長)君に要請があったそうです。すでにJRがヨーロッパと契約していて、そこへ台湾で大地震が起き、日本からの新幹線輸入の気運が高まったといいます」

  橋本龍太郎政権時代である。「橋本総理から『おい、ほんとに行くのか』と電話があってね。現職の役人が台湾へ行ったら、大変なことになると心配してくれたのでしょう。『ひょっとしたら運輸次官を辞職しなければならなくなるかもしれませんが、台湾新幹線が前に進むなら、私は行こうと考えています』と返事をすると、総理は『うーん、まあ、ちょっと俺も考えてみるよ』と唸っていました。今でも中国の手前、現職の役人が台湾でハイレベルの協議をすると厄介ですからね。結局、次官を辞めてから行くことになりました」

日本初の鉄道海外輸出プロジェクト

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 橋本自身、親中派の議員として知られるだけに、黒野の訪台はいったん見送られた。運輸事務次官を退任したあと黒野は岡本とともに台湾へ向かった。2000年2月のことだ。そこへ同行したのがJR東海社長の葛西だったのである。  

「岡本君宛てに『日本のしかるべき人を連れて来てくれませんか』と李総統から要請があり、前の年の7月に次官をやめて、葛西さんと3人連れ立って向こうに行きました。岡本君が葛西さんに声をかけてセッティングしたわけです。ただ李登輝総統にしても、自ら声をかけたことが発覚して中国政府の神経を逆なでするようなことはまずいと考えたのでしょう。『台湾政府としてこれ以上口を出せない』と言っていました。日本にいる台湾ロビーからいろいろ探りが入るかもしれないけれど、われわれが李登輝総統に会ったことはいっさい秘密にしてくれ、とも言っていました」

 そうして新幹線の輸出が決まり、三菱重工業、東芝、川崎重工業、三井物産、三菱商事、丸紅、住友商事の7社が出資し、台湾新幹線株式会社が設立された。JR東海やJR西日本、日本鉄道建設公団(現鉄道建設・運輸施設整備支援機構)が技術支援した台湾高速鉄道は、日本初の鉄道海外輸出プロジェクトとして評判になる。台湾高速鉄道は07年1月5日の開業以来現在にいたるまで、台北市の南港駅から高雄市の左営駅までの345キロを1時間30分で結んでいる。

「技術を盗まれるからダメだ」

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 葛西はこの台湾新幹線の成功により、政府や政治との結びつきの必要性を感じたのではないだろうか。もっとも中国に対してはやはり厳しい見方をする。黒野が言う。  

「中国へも新幹線を輸出していますが、それは川崎重工が中心にやったんです。川崎重工が新幹線技術をブラックボックスにしないまま中国に提供してしまったと葛西さんは考えています。葛西流に言わせれば、『その結果、中国が新幹線技術を盗んだ』となるんでしょうね。葛西さんは、『JR東海はもはや川崎重工とは契約しない』と切っちゃった。川重に代わり、日本車輛という会社を子会社にして、技術革新を図っているんです」

 黒野は葛西を通常の経営者とは見ていない。  「経営者じゃなく、一種の思想家のように思えます。経営判断よりも先に、自分の思想信条で判断しちゃうところがある。だからこそ、中国嫌いだとあまりにもストレートに口に出してしまう。江沢民が日本に来たとき、山梨県のリニアの実験線に乗りたいと言われたのですが、葛西さんが『技術を盗まれるからダメだ』と断ってしまいました」

 JR東海の社長、会長に昇りつめ、国士と評されるようになった葛西が最も心血を注いだ事業がリニア新幹線である。「JR東海の葛西」「名古屋の葛西」ではなく、「日本の葛西」を目指したのだろう。手段を選ばず、いかに効率よく目的を達成できるか。そんな合理主義者の反面、見方を変えれば、極めて純粋な企業経営者でもある。

その葛西はいつの間にか、リニア中央新幹線構想について、日本の全国民が評価するプロジェクトだと信じて疑わなくなる。  

『官房副長官も秘書官も「葛西のお気に入り官僚」…「一介の企業経営者」に過ぎない葛西が官邸人事にまで影響力を持つ衝撃の理由』へ続く

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No.417 ★ シルクロードのブーム去った中国・敦煌、日本人観光客を熱望…邦人 拘束など日中関係ネックに

2024年06月24日 | 日記

読売新聞

2024/6/23

12日、甘粛省敦煌市で敦煌研究院の趙声良・共産党委員会書記(右)らに莫高窟を案内される金杉憲治・駐中国大使(中央)

 世界遺産・莫高窟(ばっこうくつ)で知られる中国・敦煌市が、日本人観光客の訪問を熱望している。文化財保護での日中協力の歴史を生かし、コロナ禍を経てほぼ姿を消した日本人を再び引きつけたい考えだが、低調な日中関係がネックとなっている。(中国甘粛省敦煌 東慶一郎、写真も)

 「天井と壁全体に色鮮やかな宗教画が残っています」

 12日、莫高窟の第285窟。地元の「敦煌研究院」研究員が、視察に訪れた金杉憲治・駐中国大使に流暢(りゅうちょう)な日本語で説明した。第285窟は、莫高窟でも古い時期の西魏時代(6世紀)の壁画が残る。普段は非公開だが、壁画の保護、研究に日本の独立行政法人が協力したこともあり、特別に案内された。

 シルクロードの要衝だった敦煌は、井上靖氏の小説「敦煌」や画家の平山郁夫氏の作品で有名だ。1980年代にはNHKのドキュメンタリー番組が一大ブームとなった。文化財保護で日中協力も進み、日本政府も約10億円の無償資金協力で支援した。

 敦煌市によると、80、90年代は観光客のほとんどが日本人だった。ブームは去り、2000年代以降は徐々に減少した。コロナ後も回復していない。23年の日本人訪問は600人台で、90年代の1%程度にとどまるという。

 市政府は、国際的な観光地として発展するため、日本からの観光客回復に期待を寄せる。金杉氏と会談した市トップの石琳・市共産党委員会書記は平山氏らの名前に触れつつ「日本との交流を大切にしている」と強調した。日本とのチャーター便の年内就航を計画していることも明かした。

 莫高窟を研究する敦煌研究院トップの趙声良・党委書記も「歴史的に敦煌と日本には密接な関係がある。ぜひ日本の皆さんに来てほしい」と日本語で呼びかけた。

 課題は多い。コロナ禍前に認められていた日本人への短期査証(ビザ)免除は再開されておらず、中国観光のハードルは高い。邦人拘束など日中間の懸案もある。金杉氏は地元政府との会談で、ビザ免除など環境整備への協力を求めた。

習近平(シージンピン)政権下で進んだ少数民族の締め付けなどに伴う対中好感度の低下も大きい。日中の文化交流に詳しい中央大の榎本泰子教授(中国近代文化史)は、「今の日本で当時のブーム再現は難しい。『敦煌と日本の絆』という両国にとっての資産を生かすため、日本人が安心して行ける雰囲気作りを中国に望みたい」と指摘した。

莫高窟

=4世紀から14世紀にかけて現在の敦煌市郊外の断崖に造られた仏教遺跡。492か所の石窟に壁画と塑像が残されている。1900年、蔵経洞(第17窟)から数万点の経典や絵画など「敦煌文書」と呼ばれる文化財が発見された。87年、世界遺産に登録。

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