カロカンノート

へぼチェス日記

引退

2016年09月20日 | my history
1980年12月 念願の学生チャンピオンに.

1978年4月からはじめたチェスであるが、親しい人には、大学4年生で学生選手権で優勝し、その年か翌年にユニバーシアードに出場たら長い休憩を取って、仕事に専念し仕事を引退したらチェスを再開すると言ってました。
学生選手権優勝した月に横浜の早川さんとモービルのアダムスさんに報告へ行き、30年か40年後、チェス界にカンバックしたら日本のチェス界のために貢献して欲しいといわれ、必ずチェスを日本に普及させますとその場で約束しました。
もう36年前の話です。でも一度した約束は必ず守ります。

青春とはなんだ

2011年01月23日 | my history
布施明 「貴様と俺」


(^_^)(^_^)(^_^)

自分がラグビーが好きなのは、小学校の頃見たこの映画の元のテレビドラマに間違いない。

高校入学時に、やはりスポーツをやって体を鍛えねばと思いラグビー部を訪問(´◉◞౪◟◉)

部活の年間スケジュール表を見て唖然(´◉◞౪◟◉)(´◉◞౪◟◉)(´◉◞౪◟◉)

年がら年中、遠征、遠征、遠征 おまけにラグビー部は、全員寮生活(´◉◞౪◟◉)

とてもついて行けそうも無く入部断念しました。

柔道部の顧問から柔道部入部を勧められましたが、同じクラスの柔道部員に内容を聞くと

8組のK君以外、新入生は入学前にセレクションを通過した猛者ばかり。

人数が足りないから、入部歓迎するとのことでした。

新入生3人は、高校卒業後、スポーツ枠で、筑波、筑波、早稲田へ進学し皆さん教員に

一般人のK君は、現役で明治に、在学中に税理士試験に合格、父親の税理士事務所を継ました。

関係ないけど、サッカー部は一般人の方が多かったですね。

一般人でも皆さん大学進学時には、スポーツ枠での入学勧誘が来てましね。

さすが、スポーツ学校と思います。

野球部も3年間補欠の同級生が、推薦で法政大学に進学しました。

スポーツを3年間続けたことが評価されたんでしょうね(´◉◞౪◟◉)

印象に残っているスポーツ部員は、学年が一個上の「長内 孝」先輩(´◉◞౪◟◉)

高校1年生の時から天才スラッガーとして神奈川で名を馳せていました。

初めて見たのが私が高校1年の4月、休憩時間に学食横の自動販売機にコーヒー牛乳を買いに行くのですが

学食へ行く通路脇の芝生スペースにいつもバッドで一心不乱で素振りをしている上級生が長内先輩でした。

才能ある人間がさらに努力する、でもスポーツで世に出る事は、なかなかむずかしいですねえ(´◉◞౪◟◉)

神奈川高校球界では、注目度ナンバーワンの長内先輩でしたが、翌年、東海大相模に原辰徳が入学し、

原ブームが巻き起こり、津末、村中など全国から人材をスカウトした東海大相模には歯がたちませんでした。



1978年4月

2011年01月21日 | my history
大学2年生になって、サークルに入り直そうとチェス研究会に入会した。

小学校5年生から、克明に日記を書いているのだが、だいたい残存しているのは

1980年まで、それ以降はパソコンで記録していたため、フロッピーや

ハードディスクに保存し、パソコンが故障したところでおしまい。

記憶を辿ると1年生でアメリカンフットボールをやめた時(少人数の大学だった

ので、部員が24名、同じリーグの次に部員が少ない大学でも部員数3桁でした

ので、第一クォーターした試合にならず、一方的な点差で敗戦ばかり。

クラブを建て直すには、まず部員数を増やさなければならないんですが、絶対敵

に学生数が少ないので、戦力の補強は不可能。

敗戦続き、常勝チームになるのは夢のまた夢、ほかのサークルに転向することに

しました。


1978年5月 ゴールデンオープン

2010年03月22日 | my history
ゴールデンオープンは神田今川橋の大朋会館
確かパチンコ屋のジャンボの8階で、何ラウンド目か
忘れたが、ゲーム対戦中にパチンコをした記憶があります。

成績は覚えていません。(3.5/8だったような)

覚えているのは、終始下痢気味だったことで、
1ラウンド対戦中、何度もトイレ往復して
これはもう対戦できる状態ではないと、
ゲーム途中リザインして、トイレに駆け込んでしまいました。
ドローオファーも考えたんですが、こちらがルーク、ビショップの
2ピースアップしている状態でドローオファーもないだろうと思い
キングを横にして対戦ありがとうございましたと言って退席しました。

ゴールデンオープンは当然、全日本選手権と併催されているのですが
全日本選手権のことはまったく覚えていません。



1978年4月 ジュニアチャンピオン宅訪問

2010年03月22日 | my history
翌週、郵便チェスのオフ会で知り合ったドンさんとドンさんの師匠筋にあたるジュニアチャンピオン宅におじゃますることになった。
田園調布駅で待ち合わせジュニアチャンピオン宅へカロカンとドンさんとジュニアとジュニアの同級生でしばしチェスをしました。

ジュニアとジュニア同級生は、二人とも親が伊豆と軽井沢に別荘を持っていて、
んーチェスをする人は人種が違うのかと思ってしまいました。
まあ、田園調布に行ったのもカロカン久しぶりでした。

田園調布に家が建つご家庭はそれなりに裕福なんだなと

1978年4月 郵便チェス協会 オフ会

2010年03月22日 | my history
記憶が確かではないのだが、初めてサンデートーナメント参加した翌週の日曜日

郵便チェス協会のオフ会参加の為に、横浜から京急に乗り換えて南大田の早川酒店に

酒屋で早川会長と雑談したあと、近くの区民センターで郵便チェス協会のオフ会に参加

郵便チェスのオフ会でオンボードのチェスを半日楽しみました。

そのあと、大学生のドンさんと横浜駅の喫茶店で携帯チェスで遊びました。


1978年4月 サンデートーナメント初参加

2010年02月02日 | my history


赤坂見附からほど良い近さにアジア会館はある。
昔から赤坂近辺では一番リーズナブルな格安ホテルであるが、名前の通り外人さんが
多い。
カロカンの予想に反して、アジア会館の会議室はオープン早々チェスをする人が
15人と大勢いた。奇数なのでカロカンは初めてなので見学させてくださいと申し
でたので、ミラーさんかリーさんの二人の内どちらかがペアリングしたのだが、
ミラーさんが
「えーお前かよ、なんで金払って
お前とゲームせんといかんのや」

とリーさんに毒づいたことが記憶にある。

1978年4月 チェス研究会入会

2010年02月02日 | my history
チェス研究会のメンバーは

(4年生)
部 長  ムラさん
副部長  ヒロシさん
メンバー ナベさん
メンバー オオミヤさん

(3年生)
メンバー クミさん

新入部員は
(2年生)
新入部員 カロカン
(1年生)
新入部員 メグさん
新入部員 ヨーコさん
新入部員 カオルさん
新入部員 アヤコさん

10名という顔ぶれであった。

チェスに一番熱心だったのは、元部員の4年生のタニさんであった。

世話役のヒロシさんは、しきりにカロカンが昨年入会していれば
チェス研究会設立者のツキジがどんなに喜んだことかと、
遅くはないので、OBのツキジさんと合ってみないかと提案されたが
根津高校から根津大学に進学したツキジ先輩とは想像もつかないので
丁寧に辞退することにした。

入会初日は、チェス界のことをいろいろ教えてもらい、ヒガシコウヘイ
のチェス入門と黒いバインダーをお借りした。

チェスが残りの大学生活を使うだけの価値があるかどうか確かめたかったが
この黒いバインダーを見る限りでは、チェス界はまだ発展途上とカロカンは思った。

振り返れば、日本のチェスはピークアウトしていたが、フィッシャーフィバーの余熱
を勘違いしていたようだ。

ヒロシさんからは、
チェス研究会には、積極的にチェスをする物はいないからと、
日本チェス協会、日本郵便チェス協会、ポール大学チェスクラブ、
サンプラザ大学の土曜日会合等対戦相手がいそうな場所を
紹介していただいた。

根津大学チェス研究会入会

2010年01月30日 | my history
1978年4月 大学2年生になってからチェス研究会というサークルに入会した。
1年生の夏にアメリカンフットボール愛好会を辞めたカロカンは、9月から神保町に
あった村田簿記学校へ毎日簿記の勉強に通っていた。いまでは信じられないけれど
その頃の簿記学校はまずソロバンによる珠算の時間があった。


大学の秋の文化祭で、将棋部の連中と初めて対戦したのであるが、手抜きしてわざと
勝たしてくれているもんだと思っていたら、本気で部員全員弱かった。
将棋部は大学間の所属リーグも底辺に近い位置で、身近なゲームであるが、
大学1年から本格的に始めても、ただの趣味に終わってしまいそうなので将棋部入部
は考えなかった。


カロカンとしては、大学生の4年間、有り余る時間を何か一つの事に打ち込みたいと
考えていたのだが、何をしようか決まらずにいたずらに時は過ぎた。

チェス研究会は学生会館の3階にあり、約60平米の部室を「開放研究会」と
部室をシェアしていた。 12月に入会しようと考えたのだが、なかなかドアを
開けることができなかった。

4月は、各クラブとも新入生の獲得に力を入れる時期であったし、カロカンの所属する
ゼミの先生は奥さんがアメリカ人でゲーム好きな方でしたので、
「先生 チェス研究会ってありますがご存知ですか?」
「へーまだチェス研究会やってるんだ、あ、そういえば設立するときの顧問ボクだった、
たぶん辞めた覚えないから今もボクが顧問だ」

ちょうどチェス研究会の設立者の築地さんは、同じゼミの先輩にもあたるのだった。

チェスとの出会い

2010年01月27日 | my history
チェスを初めて知ったのは、幼稚園の年少の時である。
同じく年長の姉と親に買って貰った「はなやま」のゲームセット
ダイヤモンドゲームなど8種類のゲームが入っていた。
その中に、チェスとチェッカーがあった。
チェッカーははさみ将棋もどきだからすぐ理解出来、遊んだ覚えがあるのだが、
チェスは、アンパッサンは理解出来たが、キャッスリングが理解出来なかった
理解出来なかったというより、間違って覚えた。
R---K--R

この状態から

-KR----R

または

R---RK--

キングと両方のルークの間に駒がなくなった時、キャスリングできると思い込んでいた
反対側のルークとの間にも駒はあってはならないと。

ルールをよく理解できなかったので、駒を並べただけで実際にプレイすることは
なかった。
このゲームを覚えておかないと将来後悔するのではと布団の中から天井を見ながら
考えた覚えがあるが、もしキャッスリングをちゃんと理解出来ても対戦相手は
姉一人であるから、覚えても覚えなくても大差はなかったのである。