カロカンノート

へぼチェス日記

失踪の林葉直子、釈明会見で“ドロドロ不倫”語らず

2009年07月26日 | 林葉直子
94年7月20日】失踪の林葉直子、釈明会見で“ドロドロ不倫”語らず
 女流棋士・林葉直子(当時26歳)が日本将棋連盟に「休養届」を提出して行方をくらましたのは5月中旬のこと。約50日間の失踪騒動を経て、報道陣の前に姿を現した林葉は「まさかこんな騒ぎになっているなんて…」と困惑した表情を浮かべた。

 この日、東京・千駄ケ谷の将棋会館で行われた緊急会見では「海外で将棋を広めたいと思っていた」と英国に“潜伏”していた理由を説明。背景には棋士としての不振、講演、執筆活動などの忙しさから来るストレスがあったとし「このまま仕事を続ければお金も入るし将棋も適当にやって勝てる。そんな自分に何か新しいものを見つけたかった」と涙を浮かべた。

 失踪中は父親との不仲、金銭問題、英国人青年との恋愛、35歳の医師との逃避行など、さまざまな憶測が飛び交ったが、林葉はこうした噂を完全否定。「父親との男女の関係説もあるが?」との際どい質問には、硬い表情で「そんなこと書かれて、私が結婚できなくなったらどうしてくれるんですか!」と声を荒らげた。

 渡英後、将棋連盟への連絡すらしなかった態度に「手順不足では?」「大人げないのでは?」など詰め寄られると「引退覚悟」の決断だったことを強調。「辞表を出すつもりだったが“友人”の助言で休養届にしましたが、全部捨てても自分の夢を追いかけたかった」と告白した。

 この日の会見に関して、林葉の“打ち回し”は見事だったと言うほかない。時には涙目、時には笑顔を浮かべて、肝心なことには口をつぐんだ。女流棋士の頂点に立った“勝負師”としての実力をいかんなく発揮した一局だった。

 真実が明らかになったのは98年の4月。既に棋士を引退していた林葉は週刊誌で中原誠永世十段との5年間に渡る不倫関係を暴露した。「これから林葉邸、突撃しま~す!」。林葉が報道陣に公開した留守電の声の主は、まぎれもなく中原だった。

 不倫関係は1992年8月にスタート。中原にあこがれて棋士になったという林葉のラブコールで、二人は男と女の関係になった。「中原さんは会うたびに体を求めるタイプ。避妊もしなかった」。林葉は間もなく妊娠したが、中原に相談することなく中絶。失踪したのはこうした心労が重なったのためだったという。英国から帰国してからは、不倫関係の解消を決意したが、なし崩し的に関係が続いた。別れ話が進むと、中原は嫌がらせの電話を林葉の自宅に掛け、ストーカー行為をエスカレートさせるようになった。

 自宅で会見を開いた中原は不倫について「はい、認めます」とキッパリ。林葉の失踪中は「毎日ひやひやしてました。自分の名前が出たら自殺しようと思った」と話し、滞在先の英国にも極秘で1週間訪れていたことを明かした。「(ずっと不倫関係が)続くのかと思ったら何の連絡もなくなった。(交際は)続けたいと思っていた」と未練たらたら。林葉から無心され約1000万円の金銭を渡していたことも明らかになり、世間からは失笑を買うだけだった。

 一方、林葉は中原に「もう会うことはありません。陰ながら応援させていただきます」と、あてつけるように激励メッセージを送り、「これで肩の荷が降りました」と安どの表情。一連の騒動については「将棋ファンの皆さんには、ちょっと汚い部分が見えてしまったかも。でもそれが勝負の世界ですから」。さらりと人ごとのように言い放った。