カロカンノート

へぼチェス日記

音楽に対する考えが変わりました

2011年01月27日 | 日誌
1974年 高校一年生の時、2つ上の姉が近所のピアノ教師にピアノを習っていたのですが、その先生から「私なんかに習っていたらピアニストには成れないわよ、私の娘の様に井口愛子に師事するようでなければ世には出れないわ」といわれ、転勤族サラリーマンの娘の姉にはかなりショックだったようです。
私も小学校、中学校、高校と音楽の先生に授業の時あなたの声はすばらしいといわれ、必ず一人だけ2回歌わされていたので、ひょっとして声楽の才能があるのではないかとひとり勘違いをしたんですが、芸事ですから3、4歳からはじめちゃんとした名の通った先生に師事して研鑽を積まなければ趣味とはいえ一人前にはなれないのかなと思い歌うことをやめました。
先生の娘さんが自分から志願して井口愛子の弟子になったことを知り、自分が誤解していたことに気づきました。
先生の娘さんが高校から付属の音大に進学せず、ジュリア-ト音楽院に進学した時も先生の英才教育方針だと勝手に推察しておりましたが、ご本人の意向だと初めてしりました、まあ先生の娘さんが現在立派なピアニストとして活躍されているのは喜ばしい限りです。
52歳の手習いでこれからがんばって声楽の勉強に励むことにしました(^_^)(^_^)(^_^)

米国に逆らい結果を出したマクドナルド藤田田 儲けの原点「ユダヤ商法」と「超合理主義」

2011年01月27日 | 気になるニュース
米国に逆らい結果を出したマクドナルド藤田田 儲けの原点「ユダヤ商法」と「超合理主義」
MONEYzine 1月3日(月)16時0分配信


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■最初の1ヵ月で売上げの世界記録を更新した第1号店

 1971年、マクドナルドの第1号店が東京の銀座三越1階にオープンした。
2年越しで、米国本社のレイ・ブロックを説得して、日本における初進出の店舗である。本国の米国では、郊外のファミリーレストランとして成功してきたので、繁華街やダウンタウンでの出店は予想外で、またそれほど期待されていなかった。

 しかし開けてビックリとはこのことで、売上げの世界記録をつくってしまう。「郊外なんかダメ、やるなら日本一、人通りのよい日本の中心部がよい」といって、東京銀座に開店。日本法人の意向を貫き通した、社長藤田田の勝利だった。

 銀座三越店の1号店の開店には、3000万円の費用がかかったが、最初の月間売上げで4000万円を記録して、1ヵ月で開店費用を回収してしまうという快挙がおこった。

 その体験を元に1972年、藤田田の記した『ユダヤの商法―世界経済を動かす』は、出版されるやいなや、瞬く間に売れ行きベストテンに入り、販売部数104万部でミリオンセラーになった。しかし、その後、この本は市場から姿を消す。

 通常なら、ミリオンセラーは古本屋でいくらでも安価に手に入るのだが、現在の値段は、最低7000円前後で、高騰しており、ほとんど市場に出回っていない。

 なぜなら、この本には、元祖富裕層になった起業家の教えとして、商売と金儲けのコツがふんだんに書かれており、購入した人が大切に保管しているからだと、著者の藤田田氏本人が語っていた。

 確かに、藤田田は、日本で外食産業を根づかせた父として語り継がれており、そのカリスマ性は半端ではない。

 東大在学中に藤田商店を起こし、銀座にマクドナルドの1号店を出店。あっという間にハンバーガーブームを巻き起こし、億万長者になったビジネス巨人から、読者へのメッセージとして、今なお読み継がれているのである。ここでは、その本のエキスを抽出して紹介していきたい。

■あとがきに「お金の欲しい人が読んでください」

 まず、彼の成功の秘訣を探ってみよう。

 日本という「米」と「醤油」の国で、米国の象徴である「パン」と「ケチャップ」を売り込み、ファーストフードの先駆けとなった、大風呂敷商法の極意、そして大成功の源となった、世界中で異端視される「ユダヤの商法」とは、いったいどんなものなのだろうか? 

 藤田田は『ユダヤの商法』のあとがきで、「お金の欲しい人が読んでください」として、こう記している。

「どうすれば儲かるか――ということを公開するのは、はなはだ不本意だが、世の中を見渡すとどうも不景気色が強い。これまで他人に金儲けのコツを伝授するための苦労してきたわけではないが、国の将来のためにわたし一人が儲けるよりは、国民全体に儲けもらった方がプラスになりそうなので、あえて金儲けのコツの公開に踏み切った」

 何と太っ腹な経営者であろう。自分が億万長者になったヒケツをすべて公開しようというのである。これこそ究極の「ウィンウィン関係」(お互いにメリットのある関係)ではなかろうか。

 藤田式「ユダヤの商法」の基本は、「現金主義」である。ユダヤ人の教えでは、天変地異や人災から自分の命や生活を守るのは、現金以外には考えられないというものである。

 人間も社会も毎日、毎日変化する中で、銀行預金ですら、いつ破綻してゼロになるかわからないし、クレジットカードなど信販会社の信用がなくなれば、まったく価値のないものになってしまう。さらに、戦争が起これば、現金以外は通用しなくなる可能性も高いのだ。したがって、すべての評価は「いま現金をいくら持っているか」という概念に基づいて行われるわけだ。

■どんなビジネスも商売相手は「女」と「口」

 第二に、ユダヤの商法には、「商売の対象」は2つしか存在しない。それは「女」と「口」である。「女」とは、男が稼いだお金を女が使って生活を立てるわけだから、商売は女を狙うことが大事だという意味。古今東西、儲けるには「女」が欲する商売を行うことである。

「口」とは、レストランや居酒屋、バーなどの飲食店を始め、食品関連業などが対象で、口に入ったものは、身体の中で消化されて、次の商品が必要になるからだ。つまり永遠にリピートされる商品であるわけだ。したがって、ひとつ当たればロングセラーになり、大きな儲けが期待できる。

 第三に、「国際感覚」が必要であり、そのための必須条件は英語が話せること。グローバルビジネスで、通訳をはさんでいては、意思の疎通ももどかしく、即断即決の妨げになる。また、いろいろな国の人間と商売をすれば、それだけ広い視野から考えられるし、違った角度から物事が見られることにつながる。

 藤田田も学生時代に、GHQでアルバイトをして英語力を磨き、国際感覚を養っており、後に「銀座のユダヤ人」といわれるようになる。GHQ時代には英語力だけでなく、ユダヤの商法の原点になることも体験した。

 GHQに従事する軍人たちの中にはユダヤ人も多く、かれらは同僚に金を貸すサイドビジネスで儲けていた。相手が同僚でも一切手加減せずに、厳しくお金を取り立てていく姿は、藤田に衝撃を与える。お金=キャッシュの大切さや重要さを、ここで身につけることになる。

 ユダヤ人は、紀元前から自国を追われて難民となり、差別から土地の所有権や職人への弟子入りも許されなかったので、キリスト教ではご法度の金融業などを行い、大きな利益を稼いでいったのである。当然、お金のためには危ない橋も渡らなければならないわけで、これが「黒い錬金術師」の誕生であるといわれている。

■ビジネスは「もっとよこせ! 」が儲けの原点

もうひとつ藤田田のユダヤの商法で特長的なのは、「超合理主義」というヤツである。

 それをひとことで言いあらわすと「勝てば官軍」という言葉になる。そこで、彼は語る。

「勝負は勝たなければダメだし、商売は他人が腰を抜かすほど儲けて見せなければダメだ」
ビジネスの世界では、「敗者の美学」など存在せず、負ければ即倒産である。負けてから、いくら立派な理由をつけようとも何の意味もない。ビジネスは食うか食われるかの世界なのである。

 こうした徹底した精神こそ、日本では絶対に不可能といわれたハンバーガービジネスを大成功に導いた源なのである。

 藤田は「人間の本性は「悪」だ」といい、次のように語っている。
「日本人は基本的に性悪説ではなく性善説をとっている。それは、講談や浪花節でもわかるように、とにかく長い間、勧善懲悪というモラルに親しんできたからだ。(中略)

 しかし、ビジネスの世界ではそうはいかない。ここでは、相手も絶対に儲けようと思っているのだし、自分もそう思っている。自分が儲けるためには、相手をどん底に陥れる。そうしなければ自分がやられる。お互いに食うか食われるかの修羅場で戦っているのだ。」

 つまり、ビジネスは修羅場であり、そんな修羅場に性善説でのぞめば、あっという間に足をすくわれ、骨の髄までしゃぶりとられてしまうことは目に見えているのだ。

 日本人はよく「商売はギブ・アンド・テイクでいきましょう」というが、これはキリストが人を導くためにいった宗教上の言葉であり、ビジネスに応用するほうがおかしいのである。
その証拠に、ユダヤ人は

「テイク・アンド・アスク・フォー・モア」つまり「(取った上で)さらによこせ! 」
という。「ギブ」はなしで、取ってとって取りまくるという意味である。これなら、儲かること間違いなしである。

 実際「ギブ・アンド・テイク」では、最初に与えるわけだから、よくてイーブン、下手をすれば大損をしかねないのである。

■ソフトバンクの孫正義もユニクロの柳井正も師と仰ぐ

 お金に関連してもうひとつ付け加えると、お金に「きれい」とか「汚い」とかという表現は意味がないということだ。日本人はよく「きれいなお金」「汚いお金」という言葉を使いたがる。そのお金の出所、つまりどうやってその金を稼いだかを問題にする。

 しかし世界では、そんな考え方は通用しない。どんなお金でも価値は変わらないというわけだ。お金には倫理的な判断は必要ないとされている。

 米国には「ループホール」という言葉がある。「抜け穴」とか「例外」という意味だが、そこを狙えば儲かるということで、ループホール専門の弁護士がいて、「この法律にはこういうループホールがあるのでやりませんか」という儲け話を持ってくる。

 日本でいうと、そんな輩は「悪徳弁護士」になるのだろうが、こんなことは世界中で、日常茶飯事のように行われているのだ。

 藤田田はこういった考えから、企業と政治家の癒着という批判が起こりそうな政治献金も正々堂々と行い、政界からもいろいろな情報を得て、ビジネスに生かしていた。

 そんな藤田田を尊敬して、ソフトバンクの総帥・孫正義、そしてユニクロの創業者・柳井正も、彼の著作を読破し信奉して、その経営理念を受け継いでここまできたといっている。

 特に、孫氏は高校時代、藤田に直接面会して、「これからはコンピュータビジネスの時代」という薫陶を受け、起業し大成功につなげているのだ。

■競争相手を知りたければゴミ箱の中を調べればよい

 藤田田のビジネスのルーツは、米国マクドナルドの創業者レイ・クロックのとの出会いに始まる。初めてクロックに会ったとき、彼は自分の手を広げて見せてくれた。薬指の第一関節から先がなく、若い頃、工場でケガをして切断したという。

 そして彼は、藤田に手を見せろといい、「きみは指が全部揃っているから、大きくなるまで20年かかったわたしより、もっと早く日本マクドナルドを大きくできる」といった。

 クロックがマクドナルドの事業を立ち上げたのは52歳で、人生の黄昏時である。それから、30年間、粉骨砕身努力して、世界一のファーストフード企業に育て上げた。そのビジネスに対する情熱を述べた言葉に「成功はゴミ箱の中に」というものがある。
これは、クロックが競争相手に述べた言葉で、

「競争相手のすべてを知りたければゴミ箱の中を調べればよい。知りたいものは全部転がっている」
と語ったものである。続けて、

「わたしが深夜2時に競争相手のゴミ箱をあさって、前日に肉を何箱、パンをどれだけ消費したかを調べたことは一度や二度ではない」

とも語っている。そんな情熱家に気に入られて、日本でマクドナルドを創業した藤田田は、クロックが予想した以上に、瞬く間に年商3000億円の巨大産業に育て上げ、自らも『フォーブズ』誌に世界の長者として紹介されることになる。まさに、「ジャパニーズ・ドリーム」ナンバーワンの巨人といえるだろう。

参考資料:『ユダヤの商法』、『勝てば官軍』『頭の悪い奴は損をする』(以上、KKベストセラーズ)、『藤田田―金儲けのプロの教え』(アスペクト)など
(ビリオネア・リサーチ・グループ)


中国選手権 3月6日 参戦?

2011年01月26日 | 日誌
毎年、この時期になると九州のお隣の中国選手権に参加するかどうか迷ってしまう。
カロカンは、仕事柄土曜日曜がフル出勤なので、月に1度くらいしか日曜日は休め
ない・・・・・・
当然、家族で日帰り温泉というパターンが多い。
あと、開催場所の三原が結構遠い、旅費的には、神戸や大阪より高い(^_^)(^_^)(^_^)

でも、トーナメントには参加したいとうだうだ考えているうちに終わってしまう

<海老名香葉子>林家三平の婚約会見を受けてコメント 国分佐智子を初めて見たとき「ピンと来た

2011年01月24日 | 気になるニュース
落語家の林家三平さん(40)が女優の国分佐智子さん(34)と婚約し23日、東京都内で婚約報告会見を開いた。会見後、三平さんの母、海老名香葉子さん(77)がコメントした。全文は以下の通り。(毎日新聞デジタル)

 --おめでとうございます。三平さんがご婚約されたということで今のお気持ちは?

 もうホッとしました。あの子はいつまでも赤ん坊のようでしたので。

 --国分さんとお会いになって。

 (会う前から)きれいな人だ、きれいな人だとさんざん聞かされてましたから。それにしてもきれいだなと思いました。(一同笑い)

 --初めて会われたときにこれは息子がお嫁さんを連れてきたと思いましたか。

 ピンと来ました。さっちゃん(国分さん)の目を見て分かりました。大きな瞳で何度も見ているの、せがれの目を。こんなに見つめるんだと思って(笑い)。

 --三平さんを愛おしそうに見つめてらっしゃいますもんね。

 そうなんですよ。あんなにお互いに見つめるもんですかねえ。(一同爆笑)

 --いつも今日の会見のように見つめ合っているんですか。

 そうなんですよ。おいしいねといいながら、お互いに。わが息子ながらもったいないと思いました。

 --どんな夫婦になりそうだなと思いますか。

 さっちゃんの方が(精神的に)ずっとお姉さんなのね、だからきっと(三平さんを)育ててくれると思います。

 --国分さんは「おかみさんにいろいろ教えていただいて」とおっしゃっていましたけど。その覚悟は感じられましたか?

 そうですね。本当にしっかりしているのでねえ。

 --おかみさんとしてどんなことを覚えてほしいですか。

 一門ですから、みんなが気持ちよく集まれる場所にしなさいよと。それには大変なのよ、お台所も大変だし、だけれどもみんなが泰ちゃん、三平君って来てもらえる家にしなさいよって。

 --おかみさんの目から見て合格点ですか。

 合格点というよりも、ああきれいだなあって。女優さんってやっぱりきれいですね。(一同爆笑)

 --お着物姿をご覧になってどうですか。

 私が作ったんですけど、手を通さなかったんですよ。機会がなくて。仕事ができて初めてのご褒美のもの。袖を通してもらってうれしかったなと思いました。(海老名の家紋がちゃんと入って)最初は地味だから嫌だとか言われるかなと思ったんですよ。振り袖を着るじゃないですか(こういうときは)、どなたもきれいにね。「実は私のこういう着物があるんだけどどう?」って見せたら、「あら、いいわあ」」って、そのとき妹さんも一緒だったんです。そうしたらすごく褒めてくださって。「あらいいわね」って。

 --国分さんは海外で過ごされたりしていた方ですけど、伝統芸能を受け継ぐ人のおかみさんで大丈夫かなとか、心配をされたりしませんでしたか。

 全然そんな感じしませんでした。もっとパッとしていて、英語ペラペラで、と思っていたら、礼儀正しくて、あいさつもきちんとできる人で。

 --国分さんは仕事をセーブしておかみさん業を習うとおっしゃってますが、それを聞いてどう思いました?

 愛しいし、可愛いですね。これまで、泰ちゃんも「ねえ、今日ね」って「話を聞いてくれる?」ってよく来てたんですけど、私のところに来る回数が少なくなりました。(一同笑い)。

 --ちょっと寂しくないですか?

 私忙しいですから(笑い)。

 --佐智子さんと知り合って、三平さんは変わりましたか?

 そうですね。決められるようになってきたかな。きっとさっちゃんとお話をしているんですね。

 --早くお孫さんの顔が見たいですね。

 だからね、結婚したら早く赤ちゃんを作って、二代目、三代目ち続くように頑張ってちょうだいよって頼んだんですけど。そうしたら(三平さんが)「お母さん、あんまりプレッシャーを掛けないで」って。言われましたけど、でも言い続けます。(一同笑い)

 --12月24日に初めてお会いになってから、何度か会っている?

 電話は何度も掛かってきますからね。何度も会ってます。

 --最初に会ったときから変化がありますか。

 最初はきれいな女優さんだなという感じでしたけどね。あとから、この人なら大丈夫だな、なんでも話せるなあというまでになれました。正蔵の家内は20歳でうちに来て28年、一緒にやっているんですけど、これが非常に出来がいいんです。非常にいいお嫁さんだと思います。だから「この子になんでも教わりなさいよ」と。年が近いですから。指輪を買いにいくのでも正蔵の家内が一緒に付いていったんです。

 --先代の好みのタイプだとか。

 お父さん、美人好みだったから。(一同爆笑)美人さんと結婚したかったのに、師匠さんに紹介されたんだからって押しつけられてお見合いさせられて、一緒になったんだよって(聞かされてたので、今の三平さんも)お父さんの理想のようにきれいな人をもらうって言ってたんですよ。

 --公約通りだった。こんなきれいな人を香葉子さんに紹介したのは初めてだったんですか?

 高校生のときからお友だちはいっぱいいました。よく家にも来てましたけど、結婚を意識した人はそんなにいません。40歳も近くなってね、まあどうしましょうって、まあ心配しましてね。どうしよう、どうしようって自分もね、焦りましたね。器量がよくてもね。心が優しくないと。

 --高座も見て勉強しているそうですよ。どんな家庭にしてほしいですか。

 この近くに住みたいと。家に部屋はあるんですけれど、まずは2人きりにさせてあげたいじゃないですか(笑い)。目と目をあんなに合わせてね。

 --皆さん落ち着かれて安心しました?

 安心しました! 一門みんなも、ね(笑い)。

 --あとは泰葉さんの再婚ですね。

 泰葉はいまちょっと……。今朝も電話で「皆さんで会ってご飯食べましょうね」って言ってました。かわいそうだったんですけど、今ちょっと風邪ぎみで、犬が調子が悪いとかって。

 --三平さんは佐智子さんが作ったショウガ焼きを食べられたそうですけど。

 私はまだなんですよ。でもショウガ焼きがうまいんですって(笑い)。私に言うんですよ。「さっちゃんのショウガ焼きはうまい」って。だから、ぜひ食べさせてねって。

 --佐智子さんの着物は今日初めて着られたということですか。

 今日初めてです。本(「ことしの牡丹はよい牡丹」)がベストセラーになって最初に作ったんですよ。

 --今の方が好みそうな柄ですね。

 全然考えてなかったんですけど。

 --ご家族が全員そろったことは?

 泰葉がまだ。一門の会などで、そろれば。


1月24日月曜日

2011年01月24日 | 日誌
今朝の体重 85.2kg

昨日は、2万歩超歩いたはずなのに、万歩計がどうしてか

リセットされていて計測不能。

リセットボタンの上になんか貼るべきか??

(今日誕生日の方)

市原悦子、野際陽子 1936年1月24日生まれ

生年月日一緒なんですねえ、二人とも息の長い女優さんです(^_^)

なぜカラオケでストレス解消してはいけないのか ---プレジデント社

2011年01月24日 | 気になるニュース

職場に潜む落とし穴

■人格を破壊する“カラオケリスク”


「歌わないの? 遠慮しないで。ハウンド・ドッグの『ff』とかどう」
 誰かれかまわず部下をカラオケに誘って、こんな命令をしていませんか? もし、していたら大変危険ですので、やめてください。
 忘年会などで一杯飲んで職場の人間とパーッとひと騒ぎ。まま、それはいいでしょう。しかし、心療内科で多くのウツとウツもどきの若い患者たちのカウンセリングをしている私に言わせれば、カラオケは人格を破壊してしまうリスクをはらみます。

「私、カラオケ、苦手なんです」ときっぱり宣言できればいいですが、職場の関係から曖昧な態度しかとれず、しつこく「歌え歌え」と迫られると、そこにいるのさえしんどくなる。
 実は、カラオケボックスの狭い個室ではみな無意識に演技をしています。必死にノリのよさを演じるのです。大音量と輝く光の助けも借りて、明るく、ポジティブなキャラを貫き通す。いい年をして、「AKB48よりモー娘。だろ」などとバカ騒ぎ。あるいは、それは現実逃避かもしれません。しかし懸念するのは、とても歌う気分ではないメランコリックな心境であっても、空気が読めないのは人間失格とばかりに場になじもうと頑張ってしまう人が多いことです。本当の自分を封印して、ノリノリ。その乖離が大きいと心は激しく葛藤し、疲弊します。カラオケのような「陽」の空間でのポジティブ・シンキングは心を強くするのではなく、ストレスは増します。

 メンタル的な疾患にかかっていなくても、人の気分というものは一日の中でも天気のように変わるものです。元気ハツラツのとき、安らいでリラックスしているとき、ブルーに沈んでいるとき……さまざまです。そこで大事なのは、その時々の気分に同調すること。調子がよくない、気分がすぐれない。そんな日は、無理に元気に振る舞わない。空回りして、妙に周囲から浮いてしまわないように。
 何か心に傷を負ったようなケースなら、なおさらです。その傷を少しでも短い時間で癒やしたいとカラオケに行くなどもってのほか。そんなときは、じっくりとその悲しさや辛い感情を深く掘り下げることを患者にすすめることもあります。名付けて、あえて自ら傷に粗塩を塗り込む、塩塗療法。いわば、「攻めのネガティブ・シンキング」です。

 元気がない部下がいると、とかく上司は得意の「飲んで歌って」コースに持ちこもうとします。でも、慣れないカラオケボックスという環境になじまねばと部下にかえって負荷がかかることも少なくない。そのため、曲の合間などに上司がつぶやいた、とっておきのアドバイスも心遣いも、相手の胸には届かない。また、部下に本音を吐露させる目論見も果たせないまま、ただの飲み会となるのです。
 これは学校生活で言えば、放課後にいつもの教室で担任の先生に言われたことは鮮明に覚えていても、職員室に呼び出されて学年主任に言われた内容は記憶にないといったことと一緒。部下への自分の語りに自信がないから、上司は安易に「場」を変えようとしがちです。
 けれど、いつもの仕事場で、部下の隣に座って静かに「自分はこんなにダメな人間」といった自虐ネタなどを披露するほうが、結果的には「心に染みる話」ができるものなのです。上司の命令が滅茶苦茶でも、なにも考えずに従うだけで済んだ時代は終わりました。いまや社会には草食系が増殖。わけもなく深く考えようとする迷える羊はすぐに心が折れるのです。


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臨床心理士 心理学者
植木理恵
一九七五年、大分県生まれ。日本教育心理学会「城戸奨励賞」「優秀論文賞」受賞。著書に『本当にわかる心理学』『ウツになりたいという病』など多数。