カロカンノート

へぼチェス日記

今後の例会

2010年01月31日 | 日誌
福岡チェスクラブ

2月14日(日) 午前10時~午後9時 早良市民会館

3月 7日(日) 午前10時~午後9時 早良市民会館

九州選手権

3月28日(日) 午前10時 1ラウンド開始 早良市民会館

久留米チェスサークル

2月21日(日) 午前9時~午後5時 高牟礼会館

3月21日(日) 午前9時~午後5時 高牟礼会館

4月18日(日) 午前9時~午後5時 高牟礼会館

五棋の会


2月20日(土) 午前9時~午後5時 高牟礼会館

2月28日(日) 午前11時~午後5時 フィランソレイユ笹丘

3月14日(日) 午後1時~午後6時 日本将棋連盟筑紫野支部


長崎居留地チェスクラブ

チェスプレーヤーの皆様 2月の例会のお知らせ

  日時:2月14日(日),27日(土) 13:00~17:00

  場所:東山手「地球館

  参加費:無料。 (ただし、何か一品ご注文下さい)


久々の例会参加 と 日本チェス協会再々入会

2010年01月31日 | 日誌
福岡チェスクラブの例会会場によく使われる早良市民センター
カロカンの自宅から15分もかかりません。
交通の便もよく地下鉄空港線藤崎駅出口の上にあります。
基本的には例会はここで、場所がよく人気があるので予約できなかった
場合、姪浜にある西市民センター利用となります。

久々の例会参加なので知らない顔も多く、カロカンとしては初心者の
フリをしてURからスタートしたかったのであるが、JCAのレイティング
リストにはリストアップされているため(たぶん死んでもリスト削除なし!?)
レート1914から再々スタートとなる(・_・)

ゲーム1 白番 対戦相手 酔象さん

酔象さんは、1980年福岡チェスクラブが平尾の「一番星」という喫茶店で
産声をあげた時からの古参メンバー

長くやっている割には強くないのだが、別名「五棋」さんと呼ばれるように
将棋、中将棋、自ら考案した平成将棋とゲームのレパートリーが広くチェス
にはそんなに精力掛けていないのだ。

カロカンと酔象さんとは共通点が多く
誕生日が一緒(昨年は40代と50代であったが、今年からは仲良く50代)
血液型が一緒
左利きが一緒
住んでいるのが福岡県で一緒

まあ一緒で一番珍しいのがチェス愛好家であるということですかあ(・o・)

チェスの実力は明らかに酔象さんが一枚上手である、
対戦成績はカロカンの3勝7敗くらいのペースである。
でも対戦していてぜんぜん歯がたたないレベルではなく
50歩100歩の世界なので、一番対戦していて楽しい
今後とも仲良くしてください(・o・)酔象さん


根津大学チェス研究会入会

2010年01月30日 | my history
1978年4月 大学2年生になってからチェス研究会というサークルに入会した。
1年生の夏にアメリカンフットボール愛好会を辞めたカロカンは、9月から神保町に
あった村田簿記学校へ毎日簿記の勉強に通っていた。いまでは信じられないけれど
その頃の簿記学校はまずソロバンによる珠算の時間があった。


大学の秋の文化祭で、将棋部の連中と初めて対戦したのであるが、手抜きしてわざと
勝たしてくれているもんだと思っていたら、本気で部員全員弱かった。
将棋部は大学間の所属リーグも底辺に近い位置で、身近なゲームであるが、
大学1年から本格的に始めても、ただの趣味に終わってしまいそうなので将棋部入部
は考えなかった。


カロカンとしては、大学生の4年間、有り余る時間を何か一つの事に打ち込みたいと
考えていたのだが、何をしようか決まらずにいたずらに時は過ぎた。

チェス研究会は学生会館の3階にあり、約60平米の部室を「開放研究会」と
部室をシェアしていた。 12月に入会しようと考えたのだが、なかなかドアを
開けることができなかった。

4月は、各クラブとも新入生の獲得に力を入れる時期であったし、カロカンの所属する
ゼミの先生は奥さんがアメリカ人でゲーム好きな方でしたので、
「先生 チェス研究会ってありますがご存知ですか?」
「へーまだチェス研究会やってるんだ、あ、そういえば設立するときの顧問ボクだった、
たぶん辞めた覚えないから今もボクが顧問だ」

ちょうどチェス研究会の設立者の築地さんは、同じゼミの先輩にもあたるのだった。

チェス戦略大全 第2巻「ポーンの指し方とセンター」(2010年3月

2010年01月29日 | 日誌
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[書籍紹介] チェス戦略大全1 駒の活用法
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チェス戦略大全1 駒の活用法
ルディック・パッハマン
小笠誠一訳
評言社(2008/12)2,310円(税込)
 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4828205349/jccachess-22/

第2巻「ポーンの指し方とセンター」(2010年3月)、
第3巻「両翼の攻防」(2011年3月)と続いて出版予定。

詳細は下記をご覧ください。正誤表も掲載されています。
 http://www.geocities.jp/sunking0521/sub3.html

訳者への直接注文は消費税・送料込みで2,200円を下記に振込。
払込用紙の通信欄に、書名・冊数とともに「MMで見た」と記載してください。
郵便口座00150-5-556239 小笠誠一

JCCAはチェス書の本邦刊行を応援しています。

(・o・)(・o・)(・o・)(・o・)(・o・)(・o・)(・o・)(・o・)

日本通信チェス協会メールマガジンより勝手に転載(ーー;)

JCA

2010年01月28日 | 日誌
グーグルで「JCA」と検索すると
Japan Cycling Associationがはじめにでてくる。

Japan Chess Association とは頭文字が一緒なのだが・・・・

実は日本サイクリング協会の前会長はカロカンの仲人のユーノスさんである。

ユーノスさんは、英語、フランス語、ドイツ語がペラペラで、グーグルで検索

すると12,900件ヒットする有名人なのだ、世間一般にはユーノスさん

といってもすぐわかる人はかなりの経済通であるが、名前を知らない人でも

ある自動車メーカーの元社長といえば、そのメーカーを知らない人はまずいない

対外的にも外国人相手でも、自転車は乗るが自動車は乗らないし興味がない人でない

限り知っているメーカーである。

であるから、

空席になった、もうひとつのJCAの会長に就任してもらえないかなと今日この頃考えるカロカンである。


チェスとの出会い

2010年01月27日 | my history
チェスを初めて知ったのは、幼稚園の年少の時である。
同じく年長の姉と親に買って貰った「はなやま」のゲームセット
ダイヤモンドゲームなど8種類のゲームが入っていた。
その中に、チェスとチェッカーがあった。
チェッカーははさみ将棋もどきだからすぐ理解出来、遊んだ覚えがあるのだが、
チェスは、アンパッサンは理解出来たが、キャッスリングが理解出来なかった
理解出来なかったというより、間違って覚えた。
R---K--R

この状態から

-KR----R

または

R---RK--

キングと両方のルークの間に駒がなくなった時、キャスリングできると思い込んでいた
反対側のルークとの間にも駒はあってはならないと。

ルールをよく理解できなかったので、駒を並べただけで実際にプレイすることは
なかった。
このゲームを覚えておかないと将来後悔するのではと布団の中から天井を見ながら
考えた覚えがあるが、もしキャッスリングをちゃんと理解出来ても対戦相手は
姉一人であるから、覚えても覚えなくても大差はなかったのである。

(・o・)

2010年01月26日 | 林葉直子
「日刊ゲンダイ」2006年11月10日号によると林葉直子さんが約6000万円の負債を抱えて自己破産していた。

官報の平成18年11月9日の17ページに林葉さんが破産手続きをしたことが載っている。1億2000万円の豪邸を父と共同名義で所有していたが、2005年2月に父が死去したため、約5000万円のローンを1人で抱え返済不可能となったらしい。

「日刊ゲンダイ」2006年11月15日「この人物のオモテとウラ」によると、「周囲の迷惑など一切考えず、エゲツない話題やグロテスクな裸を切り売りして食いつないできた女だからね。好き放題やってきて自己破産したんだから誰も同情などしませんよ」 と関係者は冷たいという。

「AERA」1991年7月2日号によると林葉直子さんは1968年生まれで福岡県出身である。5歳のときから警察官の父親に将棋を仕込まれる。小学5年生のとき週刊誌の企画で米長邦雄さんと対局したことがきっかけで米長さんの内弟子になった。高校は地元の私立福岡第一高校に進んだ。11歳で女流アマ名人戦に優勝、13歳で女流王将となると10期連続防衛と華々しい成績を残す。大学は第一薬科大学に進学するが2年生で中退する。1987年「ペントハウス」のグラビアにセミヌードを掲載し、将棋界の先輩方から批難された。このヌードを撮影を担当した編集者の紹介でライトノベルを書きはじめる。この時代から林葉さんの書く小説はエッチなところがある。1988年には南野陽子主演で小説とんでもポリスシリーズを映画化する企画もあった。1990年ごろは作家として3000万以上の収入があったようである。1993年には歌手デビューの話(1993年5月20日報知新聞「林葉5段歌手デビュー」)があり、「魔の刻の合わせ鏡」、「風があわない」が録音されたが日の目をみなかった。1994年6月に大局をすっぽかす失踪騒ぎを起こす。1995年8月24日には将棋連盟に退会届を提出し、同年写真集「CONFESSION 告白」(1995、竹書房)にてヘアヌードを発表した。1998年には中原誠永世十段との長期に渡る不倫が「週刊文春」に取り上げられ、妊娠・中絶の経験があることも明らかにした。中原誠さんは、電話に留守録で「(林葉の自宅に)突撃しま~す」というメッセージを吹き込んだ。「突撃しま~す」というフレーズは流行語にもなった。林葉さんも会見で「センセイに恋していたのか将棋に恋していたのか今はもうわからない」などと会見で発言した。

1998年ヘアヌード写真集「SCANDAL」(1998、テイアイエス)を発売した。また1998年には半自伝的小説である不倫短編集『アバンチュール』(1998、竹書房)を出すした。この作品では主人公は不倫をするし、父親には縄で縛られたり鞭でぶたれたりロウソクを垂らされたりして愛される。また『不倫旅行・夏』(1998、テイアイエス)という不倫小説も発表した。「罰」(2001年、モッツ出版)で豊胸術後の乳房をはじめ、大胆に肢体を露出させた。「罰」は性器が見えるというデマが流れて結構売れたらしい。2001年には、R-15指定作品の「秘宴」というVシネマで主演し、乱れた人妻を演じた。このころ「週刊宝石」に「林葉直子の肉感的人生相談ビショ濡れクリニック」という連載を持った。

2004年には六本木にインドカレー店「Woo Curry(ウーカレー)」をオープンしたが2005年10月に閉店した。『週刊新潮』2006年3月16日号の「今度は「タロット占い師」に転身「林葉直子」」によると、「ウーカレー」では店に将棋盤を置いたため客の回転がわるかったという。それでも店で作った赤字は400万ほどだった。タロット占いに初めて触れたのは12歳のときで、今では林葉さんのサイト「林葉直子の「お悩み晴らします」。」から占いの申し込みを受け付けている。また、将棋漫画「しおんの王」(ペンネーム「かとりまさる」)の原作もやっている。

林葉さんの父親の林葉恵男さんも、『娘の怒鳴り方―熱血オヤジの体当たり的教育論』(1994、ザマサダ)という本を出している。

このように書いていくと林葉直子さんは問題のある人だと思うかもしれないが、同情すべき点もあるように感じる。

林葉直子『ひとりぼっちの対局 だから青春!』(1983、ノラブックス)には次のような、記述がある。

 私の夢っていうと、将棋センターを建てることかな。

 女実業家ってカンジであんまリステキじゃないかしら。

 できればね、東京に建てたいの。福岡もまあまあ大きい街だけど、東京とはくらべものにならない。それだけ将棋人口も多いってことだもの。

ね、ここいらへんシッカリしているでしょう。

 そうね五階建てくらいのビルがいいな。三階くらいまでは将棋とレストランのフロアにして、四階、五階に家族が住むの。もちろん私の部屋はいちぱん上の五階。朝陽がさしこむような大きな窓があるといいな。(153ページ)



林葉さんが女流王将10年間維持して稼いだ金額がトータルで800万円だと証言している。これが事実なら女性棋士は賞金だけで生活することは不可能である。「スポーツ報知」2006年12月2日の記事によると、女流棋士は将棋連盟の正会員ではない。毎月の基本給料もなく、厚生年金の加入もない。また棋戦など自ら運営できず、待遇面で恵まれていない。男性のプロ棋士の平均年収は1000万円ほどと言われるのに、女流棋士は対局料だけでは年収100万円にも満たない人も多いと言う。これはジェンダーの問題だろう。林葉直子は作家としての収入もあったはずだがその管理は実家に任せていたという。これでは林葉さんの高校時代の夢が叶わないのも無理はない。

「日刊ゲンダイ」2006年11月15日の「この人物のオモテとウラ」によると、出版プロデューサー、芸能プロ、雑誌編集者、テレビディレクターといった連中が、金儲けのため寄ってたかって「スキャンダル女・林葉」をつくり上げたという事実があるという。中原誠さんとの不倫騒動のさいも、もともとは林葉と中原の不倫関係をつかんだフリーライターが雑誌社に持ち込み林葉さんに高額ギャラを払って、ののしり口調でとことん暴露させた。豊胸手術の一件でも、林葉さんのヘア写真集を普通に出したって売れないと考えて、一部スポーツ紙にうっすら性器が見えるといった情報を流して記事にしてもらい、写真集をあおった。最初、林葉は豊胸手術を拒否したが、何度も説得されて納得したらしい。

それに有名棋士には変な風聞もある。ヌードを披露したのは、将棋界で林葉さんだけではない。米長邦雄さんも「FOCUS」1985年11月1日号「米長邦雄十段のショーゲキヌード――将棋「十段」戦を前に、鳥取砂丘に遊ぶ」でヌードになっている。「噂の真相」1998年7月号「林葉直子・中原誠不倫騒動で分かった棋士の生態と将棋連盟を巡る暗闘」によると米長さんは宴席で性器をだしてしまうことも少なくないようである。屋敷伸之さんは競艇狂いで先崎学はギャンブル好きだという。また将棋の世界では男性棋士の女性棋士へのセクシャルハラスメントも少なくないという。また対戦は男性同士の場合5時間で2回だが、女性同士の場合2時間で2回、男女で対戦するときは5時間で2回である。女性は男性と対戦するときは時間の配分が変わるので男性と対戦するときの時間配分が難しいのではないだろうか。

将棋界がもう少し女性棋士にとって生きやすい環境だったら林葉さんの人生も違うものになっているのでは、と思った。林葉さんの自己破産を期に、将棋界のジェンダーの問題に関心を持つ人が増えてくれたら、と思う。

福岡ブリッジプラザ

2010年01月24日 | 日誌
金曜19:00~22:00
土曜 9:45~16:45
日曜10:00~16:30

週末は、セミナー三昧(・o・)

今日のランチは祇園の「ナンバーワン」でラーメン
途中の1階ローソンが入っているビル6階にある
福岡ブリッジプラザを覗いてみました。

チラ見で24人がゲーム中(・o・)

んー少ないがゲーム人口は多いんだなあ(・o・)

大昔の渋谷囲碁サロンを思い出した。


2008年10月30日九州だんじより(・_・)

2010年01月19日 | 林葉直子

今回のゲストは元棋士の林葉直子さん。女流棋士として実力は高く、女流王将戦を10連覇するなど抜群の活躍を見せた林葉さんは現在、作家やタレント、占い師としてマルチな活躍を続けています。そんな林葉さんは博多出身。バイタリティ溢れる人生を故郷の屋台で語ってもらいました。5歳の頃から始めた将棋は12歳でプロになり、その実力と持ち前の美貌であっという間に将棋界のアイドルになったそうです。将棋での最大の楽しい瞬間は「勝ったと思った時の相手の顔を見る瞬間」だとか。まさにプロの世界の誇りと意地のぶつかり合いが伺える名言です。そして、林葉さんは女性は負けることも大切とアドバイス。ピアニシモの女の子たちのお仕事にも共通する深~いお言葉でした。そしてトークは林葉さんの好みの男性のタイプへ移るとそこへ男性のお客様が来店。プチお見合いに発展!するかと思いきや、その男性の左手には指輪が…。
 トークは棋士のお給料の話へ展開。林葉さんの1局のギャラや羽生先生の1局のギャラなど普段は知り得ない棋士界のトークが盛りだくさん。そのギャラの少なさに驚き、本を執筆したことが作家デビューのきっかけになったそうです。ちなににペンネームは「かとりまさる」これは『「香」取り「勝」』という将棋から取ったペンネーム。林葉さんらしいペンネームです。これからもマルチな才能を発揮して、博多を盛り上げてくださいね。

 この秋に完成した番組のオリジナル焼酎「だんじ」のプレゼント決定!この「だんじ」という焼酎は福岡にある老舗酒造「清力酒造」に協力を得て作った究極の麦焼酎。フルーティーで爽やかな飲み心地でどんな飲み方でも美味しい大将自慢の銘酒です。お酒が苦手な方でも飲みやすいお酒ですよ