学校や先生に反発していくのが毎日の仕事、みたいな10代の終わり頃
私は先生に恵まれたせいか、割と(割と!です)授業は真面目に聞いていた。
こと国語と社会においては あの頃に聞いたいろんなことが知識の根源になっている。
ある日 日本史の授業で「サワノさん、ファシズムって何だと思う?」と
名指しで聞かれたので 立ち上がりもせず ややふてくされて
でも私の中では最大の自信を持って「独裁主義」と短く答えた。
すると先生が「うん。おしい。」「全体主義のことなんだ」と言った。
それを聞いた友人が「どこがおしいの?答えが真逆じゃん」と笑った。
自分の中では最大の自信を持っていたので当然 腑に落ちない。
帰宅して真っ先に、当時 私が使っていた辞書(三省堂国語辞典)をめくると
「一次大戦のあと、イタリアのムッソリーニを中心として起こった独裁政治(運動)。
ファシズムに似た独裁政治。」と書かれていた。
他の国語辞典も大抵似た様なことになっている。
「全体」なんてどこにも書いてない。
当時の私には それ以上に調べる手段が無かった。
今、お借りしている「戦争が遺したもの 鶴見俊輔に戦後世代が聞く」という
鶴見俊輔、上野千鶴子、小熊英二の対談を読んでいますが
これを読んでいると間違いなく「ファシズム=全体主義」だと描かれている。
(そしてそれが現代においては「=アメリカ」という図式が更に興味深い。)
試しに高校生の頃 家には無かった三省堂の大辞林で「ファシズム」を引いてみた。
「一次大戦後に現れた極端な全体主義・排外的政治理念、またその政治体制。
自由主義を否定し一党独裁による徹底した専制主義・国粋主義をとり
指導者に対する絶対の服従と反対者に対する過酷な弾圧、
対外的には反共を掲げ侵略政策をとることを特色とした。
イタリアのファシスト党に始まる。」
ああ確かに まさしくこれがファシズムだ。
当時の私はナチス、というかヒトラーを意識しすぎていたのかもしれない。
独裁による、と付くにしても意味はやはり「極端な国家全体主義」。
「信信信也 疑疑亦信也」(荀子)
信じることを信じること、それが信だが
自分の疑いを更に疑うことによっても 人は信に至る。のだそうだ。
人生は自分次第でもっと豊かなモノになる。
その可能性が、今は楽しい。
私のいつものブログを
「美術や木工や食べ物」と要約してくださって嬉しい限りです。
放っておいても読書は一ヶ月も保たないと思いますので
ご安心ください。
そのうちもとに戻ります
http://blog.livedoor.jp/d26001500/archives/51725382.html
早く勉強を終えて、美術や木工や食べ物のブログに戻ってくれますように。