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サワノのお気に入りだけで構成するブログ

ドイツ連邦議会議事堂

2009-05-30 | ベルリン旅行 090516~
私がベルリン観光で是非訪れたいと思っていた場所のひとつ。
ドイツ連邦議会議事堂のテッペンにあるガラスドーム。
トップの写真の建物の上、わずかに見えるガラス張りの、あの部分です。

美術館もお目当ての雑貨屋さんも10時にオープンする中、
ココはなんと8時から一般公開しています。
時差ぼけで5時頃に起きてしまう初日こそ ココへ向かうチャンスです!
しかも無料
夜も遅くまで開いているので夜景を見るのもいいそうです

駅で7日間バスと電車が乗り放題になるチケットを購入して
9時前には到着しましたが、すでに列が出来ていました。
↓列に並びながら撮った入口の天井。
ガラスの向こうに人影が見えます、あそこに行くのね。



正確な時間は記録していないのですが
30分も待たずに中に入ることが出来たと思います。
まずは人数制限で中に入って一階でセキュリティチェック。空港みたい。
それからエレベーターに乗ってガラスドームのある屋上に行きます。

↓わー、これこれ!テンションあがるー!
しっかしすごいなぁ!
とにかくガラスドームにのぼってみます。







中央のガラス張りの真下には議会席があるそうです。
運が良ければ議会の様子が見られるとか。
みんなが見ている写真は この議事堂の歴史を解説しているもの。
このスロープはちゃんと交互になっていて
「上り」と「下り」があるので逆流しない様に注意です。







↑ガラスドームは天井に穴が空いていました。
しっかりとコンピューター制御されたガラスと巨大な日よけによって
(あえてフレームからハズしてしまったので写真がナイ....)
議会席に明るい光が注いでも 決してまぶしくはならないそうです。
すご過ぎてよく分からない程すごい。

ガラスドームをおりて屋上からまわりの景色を見てみます。
東には私の滞在したPark inn、TV塔、ベルリン大聖堂。
シュプレー川を遊覧する船の先にはFriedrichstr駅。



南にはブランデンブルグ門がすぐ近くに!



そして同じく南側。視線を移すと現代ベルリンの象徴、Potsdamer platz。
1920年代、ヨーロッパで最も交通量の多い交差点として
名を馳せたポツダム広場です。
「ベルリン天使の詩」では戦争によって荒廃したまま
東西を分断する壁だけが存在していました。
画面 右にサーカスの屋根みたいなモノが見えますが、これが
富士山をイメージしたといわれるソニーセンターです。
ソニーのヨーロッパ拠点として2000年に完成しましたが今は売却した模様。
「富士山のイメージ」に ふと我に返る静岡県民。
ずいぶん遠くまできたよな、私。
....って、郷愁?



西側一面、森の様に広がるTiergartenの中心に小さく写った戦勝記念塔。
これも「ベルリン天使の詩」でおなじみです。



こんなに楽しい観光地ですが、ここにもベルリンの深い傷があります。
1894年に完成した議事堂は1933年、ヒトラーが首相に就任した一ヶ月後、
不審火により炎上します。
半壊したこの建物に さらなる追い打ちを掛けたのは
1943年、連合軍によるベルリン大空襲と1945年のソ連とのベルリン攻防戦。
ソ連軍はここを主要攻撃目標とし、徹底的に破壊しました。
ドイツ連邦議会議事堂にソ連の旗が掲げられたのはこの時の出来事です。
その後、ドイツが統一し 首都をベルリンに戻す為の大規模な修復に着手するまで
長い間、黒く焼けた痛々しい姿のまま放置されていました。
修復計画を手掛けたのはイギリス人建築家のノーマン・フォスター。
現在 世界最大の空港ターミナルである「北京空港第3ターミナル」を手掛けた人物。
彼は「開かれた国会」にふさわしい、透明性の高い建築に仕上げました。
内部は現代美術館のようなモダンな空間になっているとか。
一方で1894年建設当初の石工職人がつけた加工の為の印や、度重なる戦災の傷跡、
そしてソ連兵の落書きを見せているそうです。
できればこれも、見てみたかった。



Park Inn Alexanderplatz 2

2009-05-28 | ベルリン旅行 090516~
前回より続きです。

私がココを選んだ理由は
立地の他にもう一点、朝食メニューの豊富さがありました。
朝食の豊富さはあちこちのブログで聞いてはいたのですが
なかなかその全貌に迫る写真がなかったのでココで
突撃!朝ご飯レポート!します

はい!
コチラ↓が朝食レストラン。



広いです。奥の奥まで席があります。
初日は「ひろっっ」と思っていましたが、なにしろ1000室を越える客室数。
6時でガラガラ。
7時でチラホラ。
8時でほど良く。
8時半を過ぎると一気に満席、9時で戦場と化します。
この時間帯の経過は一週間滞在して判明しました。
写真は時差ぼけで余裕の5時起きをした初日、6時過ぎの様子です。



↑手前から ゆでたまご、スクランブルエッグ2種類、ソーセージ。
奥に焼きトマトとジャーマンポテト有り。







↑パンは本当に種類が豊富。
他のヨーロッパの都市では必ずあると思われる
あまーいデニッシュ系のパンが無いかわりに
これでもか!とイチオシの ドイツパン達が並んでいます。



↑やった生ハム食べ放題♪
と、思ったのは最初の2日。
これがすっごく塩分がきいていて2枚が限度なんだってば。
寒い国なのね、と思ってしまった。



↑カットフルーツとヨーグルト。
↓カット野菜とまるごとりんご
どうでもいいけど外国のりんごってやや小さくて
現地の人、電車内でおもむろにカバンから取り出してかじったりする。
歩きながらかじっている人も見掛けました。
すごく身近なくだものなんだろうな。





シリアルの種類もたっくさん
8種類くらいありました、どれも美味しかったー。
↓手前の粉砂糖ついてるシリアル、ちょっと変わった食感でクセになる。



ここまで写真で載せてしまうと 
自分が行った時に感動がなくなってつまらない、とご心配の方、
大丈夫
この他にも数種類の紅茶、数種類のジャム、パン屋さん系の小さめのケーキ、
スープやジュースも用意されています。

レストランの出入り口ではこれも数種類、新聞が置かれています。
残念ながら日本語はありませんけど。
荷作りの為に地域密着型らしき新聞を一部いただきました。



「ベルリーナー モルゲンポスト」ベルリン市民のための朝刊の様です。
一面にサッカーの写真。
サッカーのことは分からないけど、負けちゃった的ショットですよね。



ベルリンにはたくさんのホテルがあって
中でも有名なのはアート、デザイン系ホテル。
アーティストが各部屋を手掛けている部屋ごとに内装の違うホテルや
オーガニック素材で統一されたホテル、デザイナーズホテルの老舗、
特に「デザインホテル」と銘打っていなくても
HPや旅行者のブログ、海外ホテル予約サイトなんかを見ていくと
モダンでスタイリッシュな内装のホテルが結構あります。
とても個性的です。
私はデザインと聞くと生じる10代の頃からのほど良い反発のせいか
ただ単に素直じゃない性格のせいか、こういう所を選べませんでしたが
Park innはバスルームの後付け加減を気持ち的にクリアすれば
立地、内装、食事ともにイチオシです。



Park Inn Alexanderplatz 1

2009-05-27 | ベルリン旅行 090516~
ココからベルリンの旅行記 始めます。

今回の旅行で撮ってきた700枚弱の写真をパソコンに入れました。
書きたいこと、見てほしいこと、たくさんあり過ぎてまとまりません。
まずは来月、もしかしてもしかして
ベルリンに降り立つかもしれないYちゃんの参考になればと
私のホテル選びから始めようかと思います。

トップの写真は何度も何度も歩いたAlexanderplatzの夕景。
夕景と言っても日が落ちる時間が遅いため
夜8時過ぎくらいの写真だったかと思います。
完全に日が沈むのは9時以降で
自分が白夜の国の近くにいることを実感しました。
手前の丸い屋根が駅舎、中央にドイツを代表するデパートKaufhof、
そして奥の高層ビルが私が宿泊したPark Inn
「パークイン アレキサンダープラッツ」です。



ココを選んだ理由は、Tegel空港からのバスの停留所と
ベルリンの観光地を網羅している100番・200番のバスの停留所と、
(トップの写真にも かろうじてその2階建てバスの姿があります)
Ubahn(地下鉄)Sbahn(近郊電車)の主要駅が目の前であること。
本当にココは何処へ行くにも便利で
重い荷物を持って疲れきって帰路についても安心で
スーパーからカフェやパン屋さんまで揃うため食べるモノの心配も皆無、
加えて歴史的な広場に面していました。



このホテルは1970年、かつてのDDR
(ドイツ民主共和国。Deutsche Demokratische Republikの略)
いわゆる東ドイツが 国の威信を掛け、たかどうかはわかりませんが
国営ホテル「Stadt Berlin」としてOpenしました。
もちろんキレイに改装されてその面影はありませんが
今現在でもこの付近にこれだけの高層ビルはないのを考えると
やはりTV塔同様、国の威信を掛けた、のではないでしょうか。



客室数1000を越える ベルリン最大級のホテルです。
(決して最高級ではありません



宿泊したスタンダードだと大きさはそれ程広くはありませんがキレイです。
ここに泊まった方は一様に書いていますが
この部屋の最大の特徴が分かりますか?
よく見て!


























答えはこれ↓



バスルームが部屋に面しているのデス
このバスルーム、どうも後付けではないでしょうかね??



今年、2009年はベルリンの壁崩壊から20周年を迎えます。
Alexanderplatzでも壁に関するパネル写真の屋外展示をしていました。
その中に「東ドイツ史に残る大きなデモ」という説明書きのついた写真がありました。
おそらくこの頃ドイツ各地で起こった東ドイツの民主化を求めるデモだと思われます。

  

まさにこの場所、この高層ビルこそ、私が宿泊したホテルだったのです。


Park inn Alexanderplatz 2へつづく。



行ってきます!

2009-05-16 | ベルリン旅行 090516~
只今、中部国際空港 出発ロビー。
今回初の名古屋出発。
空港はキレイだけど
こぢんまりしてます、笑っ。


あと一時間で搭乗なのにガラガラです。
恐るべし新型ウィルス?
それとも大型連休直後だから?


では行ってきます!
羨望の眼差し、その向こう。

靴磨き

2009-05-15 | ベルリン旅行 090516~
いってらっしゃいメールをくれたみんなにありがとう

ドコモのHPにてiモードの海外利用設定をしてみました。
それが本当に手続きできたのかどうかイマイチわからない。
けど、おそらく明日以降、私の携帯にメールするとドイツまで繋がっちゃいます。
通信料とかよくわかりません。
返信もできないと思います。
ご注意を。





出発にむけて靴磨きました、さっき。
よ、余裕?

今日(明日?)は 明け方、3時過ぎに清水→セントレアのバスに乗ります。



あと一週間!

2009-05-08 | ベルリン旅行 090516~


↑ここ、グミ専門店です。
よく見ると絶対食べたくない様な毒々しい色もあります。







大学に通っていた4年間のうち 後半の2年程は
人が変わった様に学校の図書館に入り浸っていた。
図書館が心地良く感じ始めたのは自ら学ぶ楽しさを覚え
家具の道に進みたいと決めたことが大きな理由だけれど
もうひとつの目的はLDで観ていた映画でした。
(ってかLDってどうなったの??



何の予備知識もなくタイトルだけで選んだ「ベルリン・天使の詩」は
再生数分後に飽きて止めてしまった。
当時、映画といえばマフィアもの、役者といえばロバート・デ・ニーロだったので
今考えてみれば耐えられないのも無理ない...かな?
ベルリン行きを決めたからには この映画と再び向き合う時がきた!

まだ若かった、ドンパチやらない映画は退屈に感じたんだ
みんな知ってる名作映画なんだから きっと感じ入るトコロがあるに違いない
そう自分に言い聞かせて (←?)徒歩2分のTSUTAYAへGO。

それが....























ダメだった...、全然ダメだった。
難解なフランス映画を観ている気分。
最終的には罰ゲーム化。
いや、全部観ました、ちゃんとじゃないけど

ひとつ、すごく気になったのは
主人公が人間化した瞬間。 
もうひとりの天使が彼の足跡に気付くシーン。
この場所って壁と壁の間、「死のベルト地帯」だと思うのですが
何故か後ろでウサギが跳ねまわっていたんです!!!
(っって、そこかよっ!
ふ、普通にいたのかな?
ウサギ、気になります。



その後、この映画について書いている方のブログなど拝見しましたが
うん、ベルリンの歴史と併せるとこの映像のすごさは
理解できる様な気がしないでもない様な気がしないでもない。....様な。
例えば今のベルリンを必死でアタマに叩き込む私には
戦争で更地と化したポツダム広場の映像が衝撃的だった。
でもこの映画では更に戦前の文化人達が集うポツダム広場に想いを馳せている。

....うーーん。
でもまだ的を得ないな。
やっぱりバ◯でも分かるハリウッド映画向きかな 私。



一方でGOOD BYE LENIN!は普通に(←?)おもしろかった。
そのタイトルからソ連の映画だと思っていましたが、これ、
ベルリンの壁崩壊前後の 旧東ベルリンに暮らす家族のお話です。
予習(旅行準備)の甲斐あっててんこ盛られた東側の様子がよく分かりました。

何故「納車がたったの3年で?」とママが驚くのか、
(納車に10年かかっていたそうです。免許取得にも申し込みから10年とか!)
何故ハンガリー旅行から帰らない人達がいたのか、
(自由化に踏み切っていたハンガリー経由で西側に行くルートがあったそうです)
何故 電話線がひかれていることに彼女がそんなに喜んだのか、
(こちらも申請から10年かかったそうです)
「ダサい」服、慢性的なスーパーの品不足、
「オスタルジー」(ドイツ語の東を意味するオストとノスタルジーの造語)、
旧東ドイツの日用品を偽造して詰めたプレゼント、
最終的には主人公が自分を納得させる為(←おそらく)に演出する
「西側からの難民受け入れ」。
監督自身は西ドイツの方らしいのですが その東っぷりに脱帽。
興味深い作品です。



さて、あと一週間デスベルリン
毎年、ゴールデンウィークや夏休みが
普通の週末と変わらない程しかないことに憤慨している私デスが
今年は喜んで出勤致します。
土曜日も出ます!
働きます!
全てはベルリンのため

できれば調べてみたい人→ハンス・コンラッド・シューマン(この人)
とかもいたのだけど ちょっと時間的に厳しいか....?



写真はグミ専門店を除いてウィーンのスーパー店内にて撮影したもの。
グミ以外は美味しそうでショ??




ヒロシマ橋

2009-04-08 | ベルリン旅行 090516~
戦後50年と言われていた1995年の8月6日。
朝、広島平和公園の記念式典の様子をニュースでちらっと見た後、私は新幹線に乗った。
平和公園に到着した時には式典の跡形は何もなく ただ そこでたくさんの人が祈っていた。
いつも私の旅を強力サポートしてくれるぶんぶんに連れられて
韓国人原爆犠牲者慰霊碑にも手を合わせた。
とても天気が良くて青空がまぶしいぶんだけ
50年前の真っ黒な惨状を思うだけで涙が出たのを覚えている。
そして「ヒロシマ」というカタカナ表記に意味があることを知った。





ここ数日の私はもう時間さえあればガイドブックのおさらい、
ベルリンについて書いている人のHPやブログ&写真チェック、
地図と路線図のにらめっこです。
行き当たりばったりな旅が出来るタイプではないので
最終的にはGoogle Earthで確認。


そんな中、発見してしまいました




↑写真はベルリンの市街地の地図ドUPです。
(マーカー等で非常に見にくいドUPでゴメンナサイ)
いえ、ココで言いたいのは「バウハウス資料館」ではありませんヨ。
(余談ですがドイツには「バウハウス」という名のホームセンターがあるらしい、笑)
中央の「ヒロシマ橋」分かって頂けるでしょうか?
なぜベルリンに「ヒロシマ」が?

最初は姉妹都市か何かかと思いました。
この橋を渡って北上した「ヒロシマ通り」に日本大使館があります。
....大使館、ヒロシマ通り、そしてヒロシマ橋。
うーーーん分からない。
検索しよう。
そうしよう。









ハイ、出ましたっ!

★ヒロシマ通り hiroshima strasse★
1933年、アドルフ・ヒトラーがドイツの首相に君臨。
(この人について調べる度に興味深いと思うのは
画家を志し美大の受験に失敗を重ねていた頃の勝ち組に
夭逝の画家と言われるエゴン・シーレの存在があったこと。
もしヒトラーが美大に入学していたら 彼の生涯は売れない画家だったかもしれない)
地名軍事化のため同盟国 イタリア・日本の大使館のある通りを軍人の名前に改名。
この通りは「シュペー伯爵通り」でした。
マクシミリアン・フォン・シュペー伯爵は一次大戦のときのドイツ海軍の軍人です。
1989年ベルリンの壁が崩壊する半年前、戦争を象徴する「シュペー伯爵通り」から
市民運動によって平和を象徴する「ヒロシマ通り」と名前を変えました。
2000年8月の朝日新聞にも記事が載っていた様です。

ベルリン以外の街にもいくつか「ヒロシマ通り」が存在しているようです。
ご存知の方、是非教えてください。



世界に届け、ヒロシマの祈り!



2009-04-05 | ベルリン旅行 090516~
ベルリン+ドレスデン行きの準備、着々と進めています。



個人旅行者のバイブルみたいに言われるガイドブックによると
ベルリンの壁は一夜にして築かれ(中略)ある日突然崩壊した」
みたいなことが書いてあったけれど、この文面を読んだ時
「突然の崩壊」という言葉が、私には納得できなかった。
歴史、それを動かすヒトの心に「突然」はあり得ないと思ってるから。
こんなにも頑に作り上げた壁が あっさり「突然の崩壊」をするわけがナイ。
遠いヨーロッパの国々の様子をココ、日本からニュースでだけ聞いていれば
「突然」だったのかも知れないけれど。

ビックリする程分かりやすい壁についてのHPを見つけました。
こちら
この方によると 壁は決して一夜にして築かれたものではないし
突然崩壊したわけでもない。
これなら納得できます。
ベルリンの壁が崩壊するには すでに国民の不満を抑えきれなくなって
自由化に踏み切っていたハンガリーや隣国オーストリアも関係していて
その後 チェコスロバキアのビロード革命やルーマニアのルーマニア革命
そしてソ連の崩壊にまで影響していく程の、
東ヨーロッパ全体の大きな流れの中の一部だったのです。



人の手によって世界中に築かれた(目には見えない)壁が 数えきれない程存在している。
これをまた人の手によって崩壊させなければならない。
世界中の壁が崩壊するまで、人類は一体どれだけ時間を費やすのだろうか。



トップの写真、ベルリンの壁とは無関係ですが
ヴァンジ彫刻庭園美術館の「壁」。
「登った先に男が見るものは....」という解説を読んだことがあります。
希望に満ちた光でありたい。



舞姫追憶

2009-04-04 | ベルリン旅行 090516~
森鴎外の舞姫を「立身出世のために女を捨てる男の話。
君達はこんな男に引っ掛かっちゃイカン」と教えてくれたのは
高校生の頃 誰より尊敬していた国語のK先生。
隣の席のSちゃんが「のんたん」とあだ名を付けた。
確か理由は「鼻が丸いから」

のんたんを尊敬した理由は幾つかあるけど
強烈に覚えているのは「自由ってなんだと思う?」と
教室の隅から順番にひとりひとり聞かれたこと。
当時16~7歳。
みんなが「自分の好き勝手に振る舞えること」と答えていた。
でもそれが明らかにのんたんの期待する答えではナイと察した私は
「わかりません....」と大人しく答えておいた。

「自由とは、権力からの独立なんだ!」と、力説するのんたん。
クラス一同静まり返って呆然、そして唖然。
言っている意味さえ分からないまま、言葉だけが脳裏に焼き付いた。

意味がなんとなく分かる様になったのはいつ頃だったんだろう。
例えば記憶にあるベルリンの壁の崩壊は
思えばきっとこれがのんたんの言う「自由」だったんだ。



そして決めました、ベルリン+ドレスデン 7泊9日。

一年数ヶ月、非常に良い先輩達と好きな仕事に集中してきましたが 
ワケあってあわてて休暇をもらった次第です。
って、まだ兄さん達から許可をもらっただけで上には言ってないけど強行します。
ハードな残業が続く中、一ヶ月でパスポートの更新から
航空券やホテルの手配までしなければ!←この作業は好きだけどあせる....
それまでの間に散々調べ倒したプラハやブダペストは最後まで迷った結果、
やっぱり美術館に行くことを最大の目的にしようと思って保留にしました。

昨日LufthansaのHPから飛行機を予約。
パスポートはICチップ内蔵、航空券は料金が引き落とされる手持ちのクレジットカード
宿泊先もネットで検索。どんどん旅行がラクになる。

そんなワケでメールの返信もブログの更新も滞ってますゴメンナサイ。



私がベルリンで感じる「自由」ってなんだろう。