最前線の子育て論byはやし浩司(2)

子育て最前線で活躍する、お父さん、お母さんのためのBLOG

●別の心と臨界期

2010-02-19 12:33:42 | 日記
【裏の心】(臨界期)

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(表の心)があるとするなら、(裏の心)がある。
(表の心)は、外から見える。
それだけにつかみやすい。
しかし(裏の心)は、外からは見えない。
そのため何かと無視されやすい。
しかし(表の心)より、(裏の心)のほうが、
はるかに重要。
人間の心、つまり「私」の大部分は、この
(裏の心)でつくられていく。

+++++++++++++++

●別の脳

 どんなに熟睡していても、(「熟睡」の定義もむずかしいが)、人はベッドから落ちない。
それは自分では、いくら熟睡していると思っても、脳の別の部分が、それを意識しているからにほかならない。
「それ」というのは、「自分の体とベッドの位置関係」ということになる。
もし「その部分」まで、本当に眠ってしまえば、それこそ人は寝返りを打つたびに、ドスン、ドスンと、ベッドからころげ落ちることになる。

 これは眠っているときの話である。
が、目を覚ましているときも、実は脳の別の部分は、意識とは別に、別の働きをしている。
このことは、子どもを観察してみると、わかる。

 たとえば私と母親と、その子どもについて、何かを話していたとする。
子どもは、少し離れたところで、何かのおもちゃと遊んでいる。
私と母親の話を聞いているようには見えない。
そういうときでも、私がその子どもをほめたりすると、話の内容がわかっているかのように、私たちのほうを見て、ニコッと微笑んだりする。

 あるいは、その子どもの問題点を指摘することもある。
そういうとき、もし子どもが近くにいるようなら、私はできるだけ難解な言葉を使うようにする。
子どもに、話の内容を悟られたくない。

「行動面では問題ないと思いますが、識字能力が心配です。黙読にすると、読解力が著しく落ちます」と。

 すると子どもは、そういうとき、こちらのほうを見て、何か心配そうな表情をして見せる。

●2人の(自分)

 ここに書いたことと、同じ現象と考えてよいかどうかはわからない。
わからないが、私はよく、こんなことを経験する。
最初に、それがわかったのは、私がどこかの会場で、講演をしているときだった。
私は、自分の脳の中に、2人の(自分)がいることを知った。

 1人の(自分)は、講演の内容について考えている。
もう1人の(自分)は、そういう自分を、別のところから見ていて、「あと30分しか時間がないぞ」「つぎの話は簡単にして、すませ」「時間があるから、ついでにあの話もしろ」などと命令する。

 このように(意識)というのは、二重、三重構造になっている。
少なくとも、一重ではない。
そんな単純なものではない。
そうした意識の下に、意識できない意識の世界がある。
一般的には、意識の世界よりも、意識できない世界のほうが広いと言われている。
しかも、意識できない世界のほうが、意識できる世界よりも、数万倍から、数10万倍も広いと言われている。

 言い換えると、私たちが今意識している世界などというのは、脳の中でも、ほんの一部でしかない。

●子育ての世界では・・・

 ここに1人の子どもがいる。
その子どもは、自分の好きなことをしている。
そういうときでも、その子どもは、周囲の変化や様子に、絶えず注意を払っている。
注意を払っているだけではない。
周囲のあらゆるものを、どんどんと自分の脳の中に蓄積している。

 その子どもの外見的な様子に、だまされてはいけない。
まわりの様子に無頓着で、無関心に見えるからといって、「注意を払っていない」と考えてはいけない。
親の立場、あるいは教師の立場から言うと、けっして、油断してはいけない。

 たとえばあなたが今、車を運転しているとする。
子どもは助手席に座って、ゲーム機器をいじっている。
そんなとき、携帯電話の呼び鈴が鳴った。
あなたは携帯電話を手にすると、「まあ、いいか」という思いで、携帯電話で相手と話し始める。

 横を見ると、子どもは、どうやら気づいていないようだ。
相変わらず、ゲームに夢中になっている。
が、実際には、そうではない。

 子どもは、見えない目、見えない耳で、あなたの行動すべてを観察している。
それを脳の中に、しっかりと焼きつけている。
つまりこうしてあなたの子どもは、あなたという人間の人物像を、少しずつだが、つくりあげていく。
「ママ(パパ)は、ずるい人間」と。

 が、それだけではない。
そうした人間像は、そっくりそのまま、その子どもの人間像となって、反映されるようになる。

●赤ん坊の記憶

 こう書いても、まだ私の話を信用しない人がいるかもしれない。
しかしこんな話を書けば、どんなに疑い深い人だって、私の話に納得するだろう。

 実は、あの生まれたての赤ん坊にしても、まわりの様子をどんどんと記憶している。
それを証明したのは、ワシントン大学のメルツオフという人だが、まさに怒涛のごとく記憶している。

 仮にこの時期、子どもが人間の手を離れ、たとえば動物によって育てられたとすると、その子どもは、そのまま動物になってしまう。
インドで1920年代に発見された、オオカミ姉妹の例をあげるまでもない。
で、ここが重要だが、この時期、一度、動物になってしまうと、仮に再び人間によって育てられたとしても、人間に戻ることはない。
オオカミ姉妹にしても、同じころ、フランスで見つかった、ビクトールという少年にしても、人間らしさを取り戻すことはなかった。

 ここで登場するのが、「臨界期」という言葉になる。
D・H・ヒューベルとT・N・ヴィーゼルという2人の科学者が、子ネコについて行った実験で、世に知られるようになった※。
つまり人間というのは、(ほかの動物もそうだが)、その時期において、適切な指導や刺激を受けないと、脳の機能が変化してしまうことをいう。

 「赤ん坊には記憶はない」と考えるのは、誤解というより、まちがい。
赤ん坊は赤ん坊で、まわりの様子を、猛烈な勢いで吸収、それを記憶にとどめている。

●母の心

 私はこんな経験もした。
最後の2年間を、母は、この浜松市で過ごした。
1年たったころ、脳梗塞を起こしてからは、そういうことはなかったが、私の家に来たころは、頭の働きも達者で、冗談をたがいに言いあうほどだった。

 そんなある日、母が、親類の人たちの話を始めた。
「あの人は、いい人や」「あの人は、悪い人や」と。
その話を聞いて、私は、驚いた。
話の内容に、驚いたのではない。
母は、私が子どものころにもっていた印象と、まったく同じことを口にしたからだ。

 たとえば私は、子どものころ、Aさんという親類の男性が嫌いだった。
あるいはBさんという親類の女性が好きだった。
そのAさんについて、「あのAさんは、タヌキ(=うそつき)だった」とか、「Bさんは、やさしい人だった」とか、言った。

 私は私がもっていた印象は、何のことはない、子どものころ、母によって作られたことを知った。
つまり親子というのは、そういうもの。
「以心伝心」という言葉もある。
「魚心あれば、水心」という諺もある。
親がもっている心は、そっくりそのまま子どもに伝わる。
あなたという親が、言葉として、何も話さなくても、伝わる。
それを見たり、聞いたりするのが、冒頭に書いた、「別の脳」ということになる。

●核心

 いよいよ子育ての核心部分ということになる。

 あなたは今、子育てをしている。

「ほら、算数だ」「ほら、英語だ」「ほら、ひらがなだ」と。
それを(表の子育て)とするなら、(裏の子育て)がある。
「教えずして教えてしまう」のが、(裏の子育て)ということになる。
そして実は、その(裏の子育て)のほうが、実は重要で、かつ比重的には、(表の子育て)よりも、はるかに大きい。
もちろん子どもに与える影響も、はるかに大きい。

 たとえば私は子どものころ、たいへん小ずるい子どもだった。
ずるいことが平気でできた。
しかしそのほとんどは、私が母から受け継いだものだった。
もし私があのまま、郷里の町で、生活していたら、その小ずるさそのものに気づくこともなかったかもしれない。
幸か不幸か、私は郷里を離れた。
その結果として、私は私自身を、客観的に見る機会を得た。
外国の人たちと、自分を、比較することもできた。
そして(あの世界)が、全体として、その(小ずるさ)で成り立った世界であることを知った。

 母とて、その中のワンノブゼム(多数の中の1人)に過ぎなかった!

●別の心

 子育てをするときは、常に子どもの中で、どのような(裏の心)が作られているかに注意する。
たとえば私のばあい、幼児に文字を教えたとする。
そのとき重要なのは、その幼児が、(文字を書けるかどうか)(文字を書けるようになったかどうか)ということよりも、(文字を楽しんだかどうか)ということになる。

 (できる・できない)は、別。
もっとわかりやすく言えば、その子どもの中に、(文字に対する前向きな姿勢ができたかどうか)ということになる。

 これは文字の話だが、こうした指導法は、幼児の指導法の原点ということになる。
文字、数などの学習面にかぎらない。
行動、情緒、知育、性格、性質など、あらゆる部分に及ぶ。
さらには、人間性にまで及ぶ。
先に書いたオオカミ姉妹の例を、もう一度、思い浮かべてみてほしい。
オオカミ姉妹にしても、その適切な時期に、適切な刺激を受けなかったため、生涯にわたって、人間らしさを取り戻すことはできなかった。

 「私は私」と思っている、あなた。
「私のことは、私がいちばんよく知っている」と思っている、あなた。
今一度、あなたの中にいる、別の(あなた)を、探索してみてほしい。
そこに本当の(あなた)がいる。

(注※……臨界期)(理化学研究所のHPより、転載)

『ヒトを含む多くのほ乳類の大脳皮質視覚野神経細胞は、幼若期に片目を一時的に遮蔽すると、その目に対する反応性を失い、開いていた目だけに反応するよう変化します。この変化は、幼若期体験が脳機能を変える例として、これまで多くの研究が行われてきましたが、このような変化は「臨界期」と呼ぶ生後発達の一時期にしか起きないと報告され、脳機能発達の「臨界期」を示す例として注目されてきました。

(中略)

サル、ネコ、ラットやマウスなどの実験動物で、生後初期に片目を一時的に遮蔽すると、大脳皮質視覚野の神経細胞がその目に反応しなくなり、弱視になることが1960年代に発見され、その後、生後の体験によって脳機能が変化を起こす脳の可塑性の代表的な例として、多数の研究が行われてきました。さらに、片目遮蔽によって大脳皮質にこのような変化を起こすのは生後の特定の期間だけであったことから、鳥類で見つかった刷り込みと同じように、この期間は「臨界期」と呼ばれるようになりました。

この「臨界期」の存在は、その後ヒトでも報告されたことや、視覚野だけでなく脳のほかの領域にも認められたことから、「臨界期」における生後環境あるいは刺激や訓練の重要性を示す例として、神経科学のみならず発達心理学や教育学など、ほかの多くの分野にも影響を与えてきました。その中で、例えば、脳機能発達には「臨界期」が存在することを早期教育の重要性の科学的根拠とする主張も出現してきました。

最近になって、成熟脳でも可塑性のある脳領域が存在することや、「臨界期」を過ぎた大脳皮質でも可塑性が存在することを示唆する研究が報告されました(Sawtell et al., Neuron 2003)。しかし、大脳皮質視覚野の「臨界期」後に可塑性が保持されるのかどうか、保持されるとすればどの程度なのかは不明のままでした。

研究チームは、大脳皮質神経回路を構成する興奮性と抑制性の2群の神経細胞を区別して、それらの左右の目への光刺激に対する反応を記録することで、「臨界期」終了後の可塑性の解明に挑みました』(以上、「理化学研究所」HPより)。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 臨界期 別の心 別のあなた 本当の私)

(注)この原稿は、心理の発達段階論と、臨界期をやや混同、誤解している部分があります。
その点をご理解の上、お読みください。
近く、改めて、この原稿を書き改めてみます。
(2010-2-19記)


Hiroshi Hayashi++++++++Feb.2010+++++++++はやし浩司

●電子マガジン(2-19日号)

2010-02-19 10:22:07 | 日記
 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
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q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
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凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
\   /(″ ▽ ゛)\    厂 ̄偶
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 子育て最前線の育児論byはやし浩司      2月   19日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●受験家族は病人家族
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 「受験家族は、病人家族」と心得るべし。受験生をもつ親に向かって、「どこを受験す
るの?」「合格したの?」と聞くことは、病人に向かって、「病名は何?」「寿命はどれ
くらい?」と聞くのと同じくらい、失礼なこと。相手のほうから話題にするばあいは、べ
つとして、そうでなければ、それについて触れるのは、タブー。出身校、学歴についても、
同じ

●乳幼児にも記憶がある
________________________________________

乳幼児にも記憶が残る! ワシントン大学のメルツオフは、それを証明した。しかもその
記憶は、おとなの私たちとは比較にならないほど、まさに怒涛のように脳の中に記憶され
る。まわりの空気、匂い、音、母親の肌のぬくもり、息づかいなどなど。そしてそれがや
がてその子供の心の基礎となる。目を閉じてやすらかに眠る乳児。けっして、軽く考えて
はいけない。

■アインシュタイン
________________________________________

★The important thing is not to stop questioning. - Albert Einstein
「重要なことは、問いつづけることだ」(A・アインスタイン)

■アリストテレス
________________________________________

★Those who educate children well are more to be honored than parents, for these gave
only life, those the art of living well. - Aristotle
「子どもをよく教育するものは、両親より、称えられる。なぜなら、両親は、命を与える
だけだ
が、子どもをよく教育するものは、生きる技術を与えるから」

■Ayn Rand
________________________________________

★「彼らは、物理学と哲学のふたつを専攻していた。その選択は、私をのぞいて、みなを
驚かせた。しかし近代の思想家は、現実を認知することを、不必要と考えた。そして近代
の物理学者は、思索することを、不必要と考えた。しかし私は、私を驚かせたことは、こ
れらの子どもたちも、それを知っていたということを、よりよく知っていた」

■C・S・ルイス
________________________________________

★"Most of all, perhaps, we need an intimate knowledge of the past. Not that the past
has
anything magical about it, but we cannot study the future." - C.S. Lewis
「私たちのほとんどは、たぶん、過去をよくしる必要がある。それは、過去が何か神秘的
である
からということではなく、過去を知らなければ未来を学ぶことができないからである」
(C・S・ルイス)

■C・サガン
________________________________________

★Frederick Douglass taught that literacy is the path from slavery to freedom. There
are many kinds of slavery and many kinds of freedom. But reading is still the path.
- Carl Sagan
「フレドリック・ダグラスは、読み書きの能力は、奴隷を解放する道だと教えた。いろい
ろな種類の奴隷制度があり、いろいろな種類の自由があるが、読書は、まさにその道であ
る」(C・サガン)

http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/++++++++++++++++はやし浩司

■孔子
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★I hear and I forget. I see and I remember. I do and I understand. - Confucius
「私は聞いて、そして忘れる。私は見て、そして覚える。私は行動して、そして理解する」
(孔子)

■E・A・ポー
________________________________________

★The true genius shudders at incompleteness - and usually prefers silence to saying
something which is not everything it should be. - Edgar Allen Poe
「真の天才は、未完成さに、身震いする。つまり真の天才は、それがすべてでない何かを
語るよりも、沈黙をふつう、好む」(E・A・ポー)

■F・L・ライト
________________________________________

★To know what to leave out and what to put in; just where and just how, ah, THAT
is to
have been educated in the knowledge of simplicity. - Frank Lloyd Wright
「どこにどのように、何を捨て、何を取り入れるか……つまりそれが、単純な知識として、
教育されるべきことである」(F・L・ライト)

■G・ガリレイ
________________________________________

★You cannot teach a man anything; you can only help him find it within himself. Galileo
Galilei
「あなたは人に教えることなどできない。あなたはただ、人が彼の中にそれを見つけるの
を、助けることができるだけである」(G・ガリレイ)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●失聴

+++++++++++++++++

1月13日、朝。
目が覚めたら、音が聞こえなくなっていた。
もともと左耳は、32、3歳ごろ、聴力を
失っている。
そのときは焼けるようなはげしい痛みがあった。
たまたま年末で、すぐ行ける医院もなかった。
それで氷で患部を冷やしてすませた。
その痛みが取れたとき、聴力は消えていた。

が、今回は、右耳。
自分の声が小さく、海の底から聞こえてくるような
感じ。
キンキンと高い音だけが聞こえる。
まわりをすませても、いつもなら聞こえるはずの
風の音も聞こえない。
窓の外では、栗の木の葉が、はげしくゆれていた。

++++++++++++++++++++

●不安感

 起きるとすぐ、ワイフに話しかけた。
ワイフは、洗面所で化粧をしていた。
「耳が聞こえない」と言うと、何やら言った。
「よく聞こえない」と言うと、今度は大きな声で、「どうしたの?」と。

私「わからない。昨夜、1時ごろまでは何ともなかった」
ワ「どんなふうに聞こえないの?」
私「ほとんどだ・・・」と。

 「おかしい?」という思いが一巡すると、今度は不安感が私を襲った。

●失聴

 ワイフと話している間に、耳が聞こえなくなっているのを、確信した。
口は動くが、部分的な高い音以外は、聞こえない。
私はいつものように、ウォーキングマシンの上で、10分ほど運動をこなした。
いつものような足音も、モーターの音も、聞こえなかった。

 ときおりワイフが何やら話しかけてくるが、それも聞こえない。
耳の中が、ボンと詰まったような感じ。
朝起きたとき、軽いめまいがあったのも気になる。
三半規管がやられると、そうなる。
中耳なら、まだ治療法はある。
三半規管だと、深刻。

 ワイフは「耳鼻科へ行ったら」と声をかけてくれた。

●耳鼻科

 耳鼻科には、不信感が強い。
ちょうど30年前になるが、今でいう偏頭痛で、頭を割られそうになったことがある。
当時はまだ偏頭痛の診断法も、治療法も確立されていなかった。
それもあって、医師は、子どものころの慢性中耳炎だけをみて、悪性腫瘍と誤解したらし
い。
あとでわかったことだが、私の左耳の奥には、真珠腫と呼ばれるかたまりがあった。

 医師は、「左耳が聞こえなくなったのは、それが原因」と断定した。(・・・らしい。)

 が、そのつぎの日、別の病院で診断してもらうと、今度は反対に、「風邪でしょう」とい
うことになった。
たまたま近くで、大学の先輩が勤務医をしていた。
その人の紹介ということもあって、その病院では、3時間あまりかけて診察してくれた。
で、風邪薬をもらって飲むと、2日後には、頭痛も消えていた。
が、左耳の聴力は以後、もどっていない。
おそらくあのとき、耳と脳をつなぐ神経が焼き切れてしまったためではないか。

 しかしそれが今でもトラウマになっている。
耳鼻科に対する不信感も、そのとき生まれた。
もっとも今から30年近くも前のこと。
当時はまだ、医療水準も、その程度だったのかもしれない。

●W医院

 かかりつけの内科医院へ行くと、医師は話を聞くやいなや、「耳鼻咽喉科へ行きなさい」
と言った。
「突発性難聴だったら、早く治療を始めたほうがいい」と。

 私はそのまま、知り合いのW耳鼻咽喉科へ向かった。
私のHPでは、世話になっている。
W耳鼻咽喉科には、私のマガジンの申込用紙を置いてもらっている。
たがいに無料で、宣伝しあっている。

 しかしドクターとゆっくり話すのは、今回が、はじめて。
が、そんな心の余裕はなかった。

 ていねいに話を聞いてくれたあと、ドクターは、6種類の薬を処方してくれた。
「突発性難聴の薬も入っています」と。

●不安

 本当の不安が、私を襲ったのは、医院を出たあとのことだった。
「仕事はどうしよう」と考えたとたん、奈落の底にたたき落とされたようなショックを覚
えた。
「子どもたちの声が聞こえなければ、子どもの指導もできない」と。

 ワイフはそういう私の横にいて、「1週間、休みましょうか」とか、「補聴器をつければ
何とかなるわよ」とか、言った。
そのつど、「そんな簡単な問題でもないのだがなあ」と思ったが、それは言わなかった。
反論する気力もなかった。

●健康

 健康というのは、いつもそうだが、それを失ってみて、そのありがたさがわかる。
それまでは、わからない。
そこにあるのが、当たり前。
私もそのときまで、耳のことは考えていなかった。
左耳が聞こえないから・・・ということで、右耳は大切にしてきた。
しかし今度は、前兆症状は、まったくなかった。

 ドクターに、「突発性難聴には、前駆症状がありますか」と聞くと、ドクターは、「自覚
症状がないまま難聴になる人が多いです」と教えてくれた。
「左耳のときは、焼けるように痛かったです」と言うと、「そのときは風邪か何かで、そう
なったのでしょう」と。

●症状

 「75歳まで現役でがんばるぞ!」と宣言した矢先のこと。
出鼻をくじかれたような感じだった。
「こんな調子なら、65歳どころか、ぼくの仕事も今月まで」と。

 仕事の段取りが、クルクルと頭の中で回転した。
回転するだけで、まとまらない。
さみしかった。
つらかった。
家に帰って、横になった。
少し眠れば、症状もやわらぐと思った。
しかし朝のときと、それほど、変わらなかった。
耳鳴りだけが、ジンジンと響いた。
それ以外は、無音の世界だった。

●水がたまる

 「そう言えば・・・」ということで、一度、こんなことがあったのを思い出した。
20年近く前のこと。
そのときも何かしら、耳がふさがったような感じがした。
そこで佐鳴湖の近くの医院へ行くと、すぐ鼓膜切開をしてくれた。
中にたまった水を吸い出してくれた。
とたん、症状が軽くなった。

 「それかもしれない」と思った。
だから午後、再び医院へ向かった。
仕事はすべてキャンセルした。

 ドクターは、「そういう薬も入っていますから、まず炎症を抑えることです。水も少しは
あるかもしれませんが、炎症が収まれば、水もなくなります」と。

●8000種類以上

 病気というのは、ある日、突然、やってくる。
しかもまったく予期せぬところから、やってくる。
一度、家庭医学書を見て、驚いたことがある。
800ページ近い医学書だったが、病名だけで、その10倍以上。
簡単に計算しても、8000種類。
言うなれば、8000本のポールをよけながら、車を運転するようなもの。
毎日、ひとつずつ病気を経験しても、20年以上かかる。
「8000種類」というのは、そういう数字である。

 生きていることも奇跡だが、病気でないということも、これまた奇跡。
8001本の中から、1本だけの当たりくじを引くようなもの。

●加齢とともに

 もっとも加齢とともに、こうした病気は多くなっていく。
みなが、みな、ある日突然、ポックリと死ぬわけではない。
徐々に、徐々に、少しずつ、健康を害していく。
私もこの半年だけで、いろいろな病気を経験した。

 最近では、腰痛。
これは重い机を持ちあげたため。
原因はわかっていたが、そのつど、「このまま一生つづいたら、どうしよう」と心配した。
そのころ、同時に、EDになった。
「ぼくも、そろそろバイアグラの世話に・・・」と思った。
腰痛とEDは、どこかで関係しているらしい。
(これは私の素人判断。)
ほかに寝ていて頭を急に持ちあげたようなとき、後頭部の神経が束になって、ギクッと痛
いときがある、などなど。
そんなわけで今年の年賀状には、こう書いた。
「今のところ、かろうじて健康ですが・・・」と。

●不安の中身

 「仕事をどうするか」という不安。
が、仕事が、問題ではない。
仕事にまつわる(生きがい)。
その(生きがい)をどうするか。
もし今の私の前から、子どもたちの姿が消えたら、思考は停止状態になってしまう。
そういう点では、「教育」というのは、ほかの世界とは、ちがう。
そこに子どもがいての「教育」。
子どもがいての「教師」。
よい例が、退職した教師たち。

 ほとんどの教師たちは、退職すると同時に、みな、異口同音にこう言う。
「教育なんて、もうこりごり」と。
たいていの人は、そのまま、教育の世界から、遠ざかってしまう。

 実は私もその1人かもしれない。
今は現役で、何とか(子どもたちの世界)にしがみついている。
が、もし子どもたちの姿が私の前から消えたら、私もこう言い出すだろう。
「教育なんて、もうこりごり」と。
が、このあとが、問題。
「こりごり」と言って去るのは、簡単。
しかしそのまま心にポッカリと穴があいてしまう。
その穴が、こわい。

(2)

2010-02-19 10:21:42 | 日記


●不安の連鎖

 さらに若いときとちがって、絶壁に追いやられたような恐怖感も覚える。
後がない!
若いときなら、仮に数か月、病気で休んでも、取り返しがつく。
未来に、行き止まりはない。
しかし歳を取ると、そこにDNAの問題がからんでくる。
どんなにがんばっても、(老い)と闘うことはできない。
いつも一方的な、負け戦(いくさ)。
それから生まれる閉塞感は、何ともしがたい。

 それに私は今まで、「元気で働ける」ということを前提に、自分の老後を組み立ててきた。
こうした病気になるということは、その前提が崩れることを意味する。

●究極の選択?

 もし難聴から、・・・すでに難聴ぎみだが・・・、聾唖者になってしまったら・・・。
2年ほど前のことだが、過労から、緑内障を引き起こし、右目の視野を50~60%、失
ってしまった友人がいた。
その友人に私の耳のことを話すと、友人は、こう言った。
「まだ目ならいいけど、耳だと、たいへんだなあ」と。
そのとき私はちょうど反対のことを考えていた。
「耳ならいいけど、目だと、たいへんだなあ」と。

 どちらがよいとか悪いとかいう問題ではない。
両方とも健康なのが、よいに決まっている。
しかしこれだけは言える。

 まだ半分だけも残っているなら、幸せ、と。
もし両目、あるいは両耳の機能を同時に失ってしまったら・・・。
そのときは、もう、目だとか、耳だとかは言っておられない。

●涙

 夕方、ひとりで布団の中で横になっていると、ポロリと涙がこぼれた。
幻想でも何でもよい。
それにしがみついて生きている間は、まだ幸福なほう。
その幻想さえもつぶされてしまったら、人は、どうやって生きていけばよいのか。

というのも、幻想であるかないかということは、あくまでもその人、個人の問題。
「金儲けこそが、私を幸福にする」というにであれば、その人は金儲けだけをすればよい。
他人がそれに対して、とやかく言う必要はない。

 同じように、私は「思考こそが、私を幸福にする」と考えている。
別の人は、そういう私を見て、笑うかもしれない。
「考えてばかりいると、気が変になりますよ」と忠告してくれる人は、多い。
しかし今の私には、それが楽しい。
生きがいにもなっている。

●変化

 夜になって少し変化が見られた。
「慣れたせいかもしれない」と思った。
自分の声が少しずつ、戻ってきた。
あの水面下でキンキンするような声は、消えていた。
が、聴力はそのままだった。

 その夜は、布団乾燥機をつけたまま、また枕元には、電気ストーブをつけたまま、眠っ
た。
睡眠導入剤をのんだこともあり、朝までぐっすりと眠った。

●朝

 目をあけると、カーテンの向こうから白い朝の日差しが見えた。
庭の木々がシルエットとなって、そこに映っていた。
耳をすました。
カサカサ、サーッ、と。
聞こえた。
つづいて自分で話してみた。
「テスティング、ワン、ツー、スリー」と。

 自分の声に戻っていた。
うれしかった。
ほっとした。
が、いつもなら聞こえるはずの、掛け時計のカチカチという音は聞こえない。
手に耳をあてて聞く。
かすかだが、聞こえた。

 昨日は、耳全体がポンとして感じだった。
が、今朝は、つばを飲み込むと、ゴクリと耳の奥で鳴った。

●今・・・

 今、ゴーンゴーンという、今までになかった耳鳴りを経験している。
おそらく耳の機能が、過剰に亢進しているせではないか。
現在、6種類の薬をのんでいるが、そのひとつに、「心臓の働きをよくして・・・」という
のも含まれている。

 これも今の病気が治れば、消えるだろう。
あとは安静にしていればよい。

 ・・・ということで、改めて健康の大切さ、健康であることのむずかしさを知った。
同時に、こうも思った。
万が一のときのための準備も、怠ってはいけない、と。

 何があるかわからない。
それが「健康」ということになる。

 W耳鼻咽喉科の先生、ありがとうございました。
また昨年(09年)末、退職したという、MTさん、ありがとうございました。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 ある朝突然 難聴 耳が聞こえない 突発性難聴 健康論)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●平均寿命まで、あと15年(少し暗い話)

+++++++++++++++++

今年、私は満63歳になる。
男性の平均寿命は、78歳前後ということだから、
その78歳まで、あと15年。

「平均寿命」という言葉に併せて、
最近では、「健康寿命」という言葉を使う。
「健康でいられる年齢」という意味である。
ふつう(平均寿命)-10年で、計算する。
それでいくと、健康寿命は、68歳。
そのばあい私の健康寿命は、あと5年。
78歳になったとたん、ポクリと死ねるという
わけではない。
68歳以後は、いろいろな病気との闘いという
ことになる。

ましてや80歳を過ぎて、健康でいられるなどとは、
考えていない。
どこかのホームで寝たきりという状態になるかもしれない。

+++++++++++++++++

●密度

 (時間)は同じとしても、与えられた時間をどう生きるか。
それで、時間の長さは変わる。
要は、密度の問題。
仮に平均的な人より、2倍の密度の人生を送れば、残りの15年を、30年にすることが
できる。
反対に、2分の1の人生を送れば、残りの15年は、7年半になってしまう。
が、実際には、加齢とともに、脳のCPU(中央演算装置)の働きは、鈍くなる。
どんなにがんばったところで、若いときのようなわけにはいかない。
20代のころの10年と、60代になってからの10年は、明らかにちがう。
中身がちがう。
密度がちがう。
脳にも周波数のようなものがある。
脳の中心部にある視床下部の先端から出る信号も、そのひとつ。
その周波数そのものが、少なくなる。

 このことは、幼児や子どもと接していると、わかる。
彼らのもつ周波数は、私たちの世代がもつ周波数とは、明らかにちがう。
テンポやリズムがちがう。

 つまり「長生きをする」というのは、時間の問題ではない。
密度の問題ということ。

●忘れて消える情報

 このところ少し心境に変化がみられるようになった。
たとえばDVDを観ていても、「つまらない」と感じたとたん、同時に「時間を無駄にした」
と思うようになった。
楽しむといっても、そのあと、「だから、それがどうしたの?」という部分がないときには、
それを楽しむことができない。
やはり「時間を無駄にした」と思ってしまう。

 たとえば今夜も、1時間ほど、BS放送を観た。
そこはまさに情報の世界。
洪水のように、ドドーッ、ドドーッと、情報が飛び込んでくる。
たまたまNHKでは、ニュージーランドの山脈を、紹介していた。
美しい山々だった。
しかしそのあと、すぐ私は、こう思ってしまった。
「だから、それがどうしたの?」と。

 むしろガイドへ払う、ガイド料が、日本円で1万5000円~2万円というテロップに、
驚いた。
1名分の料金である。
10名も連れていけば、15万円~20万円ということになる。

 明らかに円安である。
日本の(円)の価値が、さがりすぎている。
現在(1・13日)、1ニュージーランドドルは、68円前後。
「1ドルは、半分の34円でもいい」と。

 ・・・とまあ、そんな美しい景色を見ながら、そんなことを考えてしまった。

●還元

 再び、健康論。

 この健康論には、もうひとつ重大な問題が隠されている。
「だから、どうなの?」という問題である。
つまり健康というのは、いわば、(道具)のようなもの。
たとえて言うなら、パソコン。
いくら高性能のパソコンをもっていたとしても、使い方を知らないのであれば、宝の持ち
腐れ。

 恩師の池田英雄先生(鵠沼在住)は、いつもこう言っている。
「若い人たちに還元すること」と。
「老後の命や健康は、若い人たちに還元するために使うべき」と。
すばらしい言葉である。

 もし残された人生を、自分のためだけに使うのであれば、・・・これは私が今、実感しつつ
あることだが、空しいだけ。
この年齢になると、遊べば遊ぶほど、そのあとに空しさが襲ってくる。
その空しさを紛らわせるために、同じように空しさを味わっている人たちと、慰めあう。
酒を飲む。
うさ晴らしをする。
愚痴を言い合う。
そんな人生になってしまう。

●余談

 ところで今朝、起きたときに、こう考えた。
ここまで書いたことと、まったく関係ない。
ないが、一度は、書いておきたい。

 よく歳を取ると、もの忘れがひどくなる、という。
しかしこの考え方は、正しくない。

 (記憶)というのは、(記銘=脳に記憶を刻む)→(保持=脳の中に保つ)→(想起=思
い出す)という、3つのプロセスを経て、(記憶)となる。

 老人になると、第一に記銘力が弱くなる。
・・・というより、その努力をしなくなる。
ちょっとだけ聞いて、それで覚えたような気になる。
これがいけない。
本当に記銘したければ、何度も復唱する。
数分、あついは1、2時間たったあと、もう一度、復唱する。
自分の脳みそを過信してはいけない。

 保持力については、その脳細胞が死滅しないかぎり、若い人たちとは、それほど、変わ
らない。

 問題は想起力。

 記憶のメカニズムは複雑で、それぞれの記憶は、そのつど、てんでばらばらな部位に記
憶される。
言うなれば、本が散乱した書庫のようなもの。
歳を取ると、それがますますひどくなる。
けっして、想起力そのものが、弱くなるわけではない。

 たとえば1年前にどんな映画を観たかを忘れてしまっていても、同じ映画の一部を観た
だけで、その映画を思い出したりする。
何かのきっかけがあれば、思い出す。
つまり「想起力」というのは、「想起法」の問題ということになる。

 たとえば子どもの名前を覚えるときは、私は、その子どもの名前と、友人の名前と結び
つけたりする。
近所の知り合いの人の名前でもよい。
また忘れたときは、心の中で、「ア・・・、イ・・・、ウ・・・」と順に探していく。

 こうして考えていくと、「老人になると、もの忘れがひどくなる」と、記憶をひとまとめ
にして考えるのは、正しくないということになる。

 が、ひとつだけ、気になることがある。

 たとえばこうして書斎の中で、パソコンに向かって文字を叩いている。
叩いていると、居間でしなければならない仕事が、3つとか4つ、頭の中に浮かんでくる。
「あれと、あれは、しなければいけない」「あれは、カバンの中にあるから、あとで書斎に
もってこよう」とか、など。

 ところが実際、居間へおりていくと、1つや2つは、覚えているが、残りは忘れてしま
う。
そして再び、書斎に戻ったとき、「しまった、あれを忘れてた!」となる。

 こういう現象を、どう理解したらよいのか。
「拡散思考」という言葉があるのかどうかは、知らないが、その拡散思考力は、たしかに
低下する。
ひとつのことを考えていると、そのことだけで頭の中がいっぱいになってしまう。
そのため、ほかのことを忘れてしまう。

 このことも子どもたちと比較してみると、よくわかる。

 子どもたちは、何かひとつのことをしながらも、いつもそのつど、別のことを考えてい
る。
結局はそれが脳の柔軟性ということになる。
その柔軟性が、なくなる。

(3)

2010-02-19 10:21:20 | 日記


●寿命

 話を戻す。

 「がんで余命は、1年」と言われれば、ショック。
しかし「平均寿命まで、あと15年」と言われれば、そういったショックはない。
「ひょっとしたら、あと20年は生きられるかもしれない」という望みがある。

 が、まったくショックがないかと言われると、そうでもない。
このところ温泉につかっていても、その老人の年齢が、よく気になる。
「あの人は、何歳くらいだろうか」
「自分もやがて、ああなるのか」と。

 こればかりは、DNAの問題だから、どうしようもない。
仮に今、健康でも、私たちは確実に老人になる。
ヨボヨボになる。
避けようがない。

 で、私は最近、よくこう考える。
「これからの15年間が勝負だな」と。
つまり緊張感。
その緊張感が、日増しに強くなってきた。

 だからこう思う。
「しまった!」と。

 つまらないことで時間を無駄にしたようなとき、だ。
・・・話は、最初に戻ったので、このエッセーは、ここまで。
みなさん、おはようございます。

2010年1月15日(金曜日)。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hay
ashi 林浩司 BW はやし浩司 老人の心理 記憶力 池田英雄 還元 平均寿命 
健康寿命)


Hiroshi Hayashi++++++++Jan.2010+++++++++はやし浩司

●13時間!

+++++++++++++++++

今日は、土曜日。
パソコンと格闘して、13時間!
朝の6時から、夜の7時まで。
先ほど、やっと作業を終えた。

何をどうしたかについては、書いても意味はない。
いろいろあった。
で、やったことは、パソコンのCディスクを、
韓国製のものから、HITACHI製のものに交換しただけ。

もとからあったハードディスクが破損していて、
ハードディスクをそのままコピーできなかったこともある。
あれこれ確かめながら作業を進めた。
プラス、いろいろあった。
それで13時間。

ワイフが、「よくも、それだけの根気がつづくわね」と言って、笑った。
ホント!

が、楽しかった。
ハラハラ、ドキドキの13時間。
おかげでBIOS(バイオス)の設定のし方も、イチから理解できた。

・・・

夕方、暗くなってから、近くの回転寿司店で、回転寿司を食べた。
私が4皿、ワイフが4皿。
プラス、海草汁と茶碗蒸し。
ふと、うしろの席の人たちを見ると、父・母・子ども2人の計4人で、32皿も食べてい
た。
思わず皿の数を、数えてしまった。

返り際レジで、レジの女性に、「多い人は、どれくらい食べますか?」と聞くと、
「多い人で、この前、2人で、38皿、食べた人がいました」と。

38皿!

私の「17時間より、すごい」と、どういうわけか、思わずそんなことを考えてしまった。


Hiroshi Hayashi++++++++Jan.2010+++++++++はやし浩司

●「花火議員」(浮動票層が動いた!)

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民主党の若手議員たちよ、
あなたたちは、所詮、花火議員でしかない。

++++++++++++++++

民主党の小沢幹事長、あなたは、我ら、浮動票層をとうとう怒らせた!
あなたが浮かべる不遜な笑みを見て、不愉快に思っていない人はいない。

問題は、どう金が使われたかではない。
その金が、どこから、どのような経路を経て、何のために出てきたか、だ。
小細工を重ねて、問題をすり替えないでほしい。

思い出してほしい。
我ら浮動票層は、民主党を支持したから、民主党に票を入れたのではない。
「麻生首相だけには勝たせたくない」という思いが、一丸となり、民主党に向かった。
ふつうなら、ここでブレーキが働いたはず。
一方の党だけをベタ勝ちにさせるのは、我ら浮動票層のやり方ではない。
そのブレーキが、そのため働かなかった。

が、選挙に勝った(?)とたん、あなたは「支持された」と、はしゃいだ。
奥から出てきて、傲慢になった。
鳩山総理大臣ですら、「支持されたから、その責任を果たす」などというようなことを言っ
ている。
それはどうか?

 いきなり対米追従外交反対を唱え、親中路線。
アメリカをはずして、東アジア何とかという、大風呂敷。
そのうしろで、小沢幹事長は、総勢300人もの国会議員などを従えて、中国へ大名旅行。

 我ら浮動票層は、息を潜めて、小沢幹事長の言動を見守ってきた。
しかし、もう、がまんならない。
醜悪というより、醜悪さという点では、麻生前首相よりひどい。
我々はとんでもない党に、一票を入れてしまった。
バカだった。
後悔しているが、ここからが浮動票層の根性。
ただの(怒り)では、すませない。
もちろんだからといって、自民党に、と考えているわけではない。
しかしそれも醜悪さの程度による。

 それだけではない。
それよりもソラ恐ろしいのは、民主党議員たちの隷属根性。
小沢幹事長は、民主党内では批判も許さない、独裁者?
日本という民主主義国家にありながら、また「民主党」という名前を標榜しながら、その
中身は、K国と、どこもちがわない。
若手の議員たちは、「議員にしてもらった」という(恩義)だけで、黙っている。
そこが恐ろしい。
なぜ今日に至るまで、「民主党に失望した」と言って、民主党を離れる議員がいないのか?
ダンマリを決め込んでいるのか?
それほどまでに、権力の果実は、おいしいのか?

 麻生前総理大臣が、「辞職しない」とがんばったとき、それをいちばん喜んだのは、民主
党だったはず。
しかし今度、小沢幹事長が「東京地検と全面対決」とがんばればがんばるほど、それをい
ちばん喜ぶのが、自民党。
そんなこともわからない政治家に、どうして我ら浮動票層は、国際政治を任すことができ
るか。
まさに音痴政治。
専制政治。
現在の民主党は、国民の総意から、完全にはずれてしまっている。
現在、民主党の支持率はおおむね、50%強。
鳩山内閣の支持率は、10%前後。
小沢幹事長ががんばればがんばるほど、民主党の支持率はさがる。

 小沢幹事長に国会議員にしてもらった、若手の議員のみなさん。
あなたがたにつける名称は、「一夜の夢で終わる、花火議員」。
今回、一期だけの「花火議員」。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 民主党 花火議員 小沢幹事長 汚職 浮動票層の動き)

【補記】

 現在の民主党議員たちを見ていると、江戸時代さながらの封建意識を感ずる。
「忠義」という言葉に代表される、封建意識である。

 西洋では、主従関係と言っても、「契約説」に基づく。
ギブ&テイクの関係である。
親分がまちがいを犯せば、子分たちは、さっさとその場を去っていく。
別の親分と契約を交わして、新しい主従関係を作っていく。

一方、この日本では、あのドロドロしい隷属意識が、いまだに生き残っている。
そこはまさに「忠臣蔵」の世界。
義理と人情の世界。

 親分がいくら狂っても、それにたてつくことすら、許されない。
親分に責任を問うこともない。
「忠臣蔵」でも、悪の張本人は、浅野内匠頭自身ではないのか。
松の廊下での軽率な行為で、家来たちの人生をみな、狂わせてしまった。
本来なら、小沢幹事長自身が、子分たちを追い詰めないよう、自ら身を引くべき。
しかし権力と金に狂った、あの親分に、それは期待できない。
どこまでも醜悪。
ゲボが出そうなほど、醜悪。
いちばんの犠牲者は、若手の議員たちということになる。
一夜の夢だけを見させてもらい、あとは、ポイ捨て!
(2010年1月17日記)


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