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子育て最前線の育児論byはやし浩司 09年 11月 20日
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メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!
【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●子どもの識字能力テスト
+++++++++++++++++++++++
文字を読めない子どもがいる。
読んでも、文の内容を理解することができない。
文を文法的に分解できない。
そのため文が構造としてもつ意味を、論理的に
頭の中で組み立てることができない。
程度の差もあるが、全体の5%(20人に1人)は
いると言われている。
このタイプの子どもで悲劇的なのは、その子ども自身
がもつ問題もさることながら、まわりの人たちが
それに気づかず、その子どもに、無理をすること。
それがあるかぎり、その子どもはその苦痛と、ひとりで
闘わなければならない。
具体的には、小学2、3年になってから、算数の
文章題が読めないなどといった症状をともなって、
それとわかるようになる。
現在、識字能力障害をもつ子どもは、LD児(学習障害児)
として扱われることが多い。
しかし文章を読解できないということで、その影響は
ほかのすべての教科に影響を与える。
さらに、無理な学習、強制的な学習が日常化して
いるため、(文字嫌い)→(読み書きが苦手)→
(本嫌い)→(無理な学習、強制的な学習)→
(ますます文字嫌いになる)という悪循環がつづく。
そのため識字能力障害については、そういう子どもで
あると、できるだけ早い段階で発見し、適切な対処
が必要となる。
ただ残念なことに、現在、こと識字能力害者に
ついては、先にも書いたように、LD児として
取り上げられることが多く、またその範囲での
指導しかなされていない。
識字能力障害者対する適切な指導法は、まだ確立
されていない、
そこでまず診断法の確立ということになる。
筆者は、小学2年生(満8・0歳児)
を対象にした、テスト法を考案してみた。
+++++++++++++++++++++++
【識字能力障害・判別テスト法】(小学2年生(満8・0歳児)用)
【テスト方法】
●(重要)「口をしっかりと閉じて読んで、答えてください」と強く指示する。
無音であっても、口をモゴモゴさせる、口を開くなどの動作が見られたら、
強くそれを制止する。
「声を出さなければ、読解できない」と子どもが言っても、無視するか、
改めて、「口をしっかりと閉じて読んで、答えてください」とだけを繰り返す。
★読解判断力
【問】
おとといのよる、ぼくの お父さんが、「あした、みなで 海へ 行こう」と言いました。
お母さんも いっしょに行くと言いました。 それで みなで したくをして、つぎの日、
海へ行きました。 今日は 8月10日です。 海へ 行ったのは、なん月なん日ですか。
【答え】 ( 月 日)
★論理判断力
【問】
Aのスイッチを、おすと、Xのライトが、つきます。 Bのスイッチを おすと、Y
のライトがつきます。 しかしCのライトを おすと、Xのライトが ついているときは、
Xのライトは、きえます。はんたいに、Yのライトが きえているときは Yのライトが
つきます。 いま、わたしは、(A)→(B)→(C)の じゅんに スイッチを おしま
した。 いま、ついている ライトは、どれですか。
【答え】 ( )のライト
★文章理解力
【問】わたしは おかあさんと おかあさんの ともだちと 3人で ちかくの みせで
くだものと やさいを かいましたが、 かえりに おかあさんの ともだちの こども
に あったので、 おかあさんが そのこどもに かったばかりの バナナを 1ぽん
あげました。 こどもに バナナを あげたのは だれですか。
【答え】( )
★計数問題
【問】お父さんは、りんごを3こ、みかんを2こもっています。お母さんは、みかんを1
こと、ももを3こもっています。わたしはももを2こ、りんごを3こもっています。みん
ながもっている くだものを あわせると、いちばん おおいのは、なにですか。
【答え】( )
(注)調査結果は、後日、公表する予定。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi
Hayashi 林浩司 BW 子どもの識字能力 識字障害 読解力 文を読めない子供 識字
能力テスト 子供の障害)
【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
【書くことの意義】
●文章論
文字が発明された。
文字がつながり、文章となり、意思の伝達方法となった。
そのとき、人は、石器時代に終わりを告げた。
当時ですら、ある程度の言葉があり、声の届く範囲内では、それなりの意思の伝達はなさ
れたであろう。
しかし文字の発明により、その範囲は恐ろしく広がった。
空間的な広がりだけではない。
過去から未来へと、時間的にも広がった。
が、それだけではない。
論理的な思考は、文章を書くことによってのみ、可能である。
文と文をつなげるもの。
それが「論理」ということになる。
これについても、文章でなくても、論理的な思考は、ある程度は可能かもしれない。
しかしあくまでも、「ある程度」。
このことは、自分で文章を書いてみると、よくわかる。
文章を書くということは、思考の連続。
(考えながら書く)→(書きながら考える)。
この操作を絶え間なく、繰り返す。
が、そのとき、ひとつ大きな条件がある。
「人に読んでもらう」という条件である。
もちろん日記風に、プライベートな文章を書くということもある。
このばあいは、「人に読んでもらう」という目的はない。
が、それでも、文章にしたとたん、いつかはだれかに読まれることもあるだろうという思
いをぬぐい去ることはできない。
いつもどこかで、他人の目を意識する。
●読者の目
が、ほとんどの文章は、「人に読んでもらう」ために書く。
たとえば今、私がここに書いている文章にしても、人に読んでもらうために書く。
そうである以上、一応、文章を書くについては、いくつかの作法がある。
その作法の部分で、これまた(考えながら書く)→(書きながら考える)。
この操作を絶え間なく、繰り返す。
●読んでもらう
若いころ、ある雑誌社の編集長が、こう教えてくれた。
「文章というのは、まず、読んでもらわなければならない。
自分が書きたいことは、ぐいとがまんして、相手が読みたいことを書く。
『あなたは、すばらしい。あなたは、いい人だ』とね。
そしてその一部で、『こういう意見もありますよ』といって、自分の意見を入れる。
一部でも、入れられれば、御の字」と。
これは雑誌社の編集長の言葉である。
雑誌という本のもつ性質上、そうかもしれない。
雑誌というのは、読者に買ってもらわねばならない。
だからそこに書く文章も、それに応じて、読者が読みたい文章でなければならない。
読んだ人が、気持ちよくならなければならない。
楽しまねばならない。
が、こうした場で、私が書く文章について言えば、そこまで読者に媚(こび)る必要はな
い。
私は私。
しかし、あのときあの編集長が教えてくれた言葉は、今でも、私が文章を書くときの柱に
なっている。
まず読んでもらわなければならない。
そのためには、当然、読みやすい文章でなければならない。
読んで、読んだ人が、役に立つ文章でなければならない。
書くほうにしても、意味のない、ただの駄文など、時間つぶしにもならない。
つまり、時間の無駄。
そこでやはり、先の言葉に戻る。
(考えながら書く)→(書きながら考える)と。
●書くことの意味
考えることの重要性については、今さら、改めて書くまでもない。
人は文字の発明によって、石器時代から抜け出ることができた。
が、つぎに考えることによって、それぞれの個人が、ひとり立ちすることができるように
なった。
『考えるから、私は私』ということになる。
もし考えなければ、人は人の範囲の中で、とどまってしまう。
その範囲で、生まれ、死ぬことになる。
ちょうど北海道のスズメも、沖縄のスズメも、スズメはスズメであるように、人は人。
一見すると、みな個性的に見える。
それぞれがそれぞれに、好き勝手なことをしているように見える。
しかしその範囲を超えることはできない。
つまりその範囲を超えるために、私たちは考える。
その道具として、文字があり、文章がある。
●相対的次元
このことは、反対に、考えない人を見ればわかる。
あるいは文章を書かない人を見ればわかる。
……といっても、その(ちがい)は相対的なもので、上には上がいるし、反対に、下には
下がいる。
人はより深く考えることができるようになって、はじめて、それまでの自分が、つまら
ない人間であったことを知る。
しかしそこでその人の立場が、固定するわけではない。
さらに深く考えることができるようになると、さらにそれまでの自分が、つまらない人間
であったことを知る。
この繰り返し。
文章についても、そうである。
つまりこうして人は、そのつどものを書き、ものを考えながら、より高い次元へと到達し
ていく。
●思考の敵
ところで、考えることには、いくつかの(敵)がある。
その第一が、思考のループ。
その第二が、思考の欠落。
思考のループというのは、10年、あるいは20年一律のごとく、同じことを考え、同
じ言葉を繰り返すことをいう。
先日も、ある男性(66歳)と話していたら、何を勘違いしたのか、私にこう言った。
「あんたも男だろがア!」と。
久々に、聞いた言葉である。
「……だからそれがどうしたの?」と言いそうになったが、やめた。
私が相手にしなければならないような人ではない。
で、そのあと、こう思った。
「この人は、この40年以上、思考が停止している」と。
今どき、こんな論理をふりかざす人は、少ない。
また「思考の欠落」というのは、思考力はもちろんのこと、せっかく考えることで得た
知識にしても、日がたつと、脳みその中から欠落してしまうことをいう。
ちょうどモノが欠けるように、ポロッと欠落してしまう。
さらに恐ろしいことに、それが加齢とともに、はげしくなる。
加速する。
たった1か月前のことですら、忘れてしまうということも珍しくない。
●気がつかないまま……
思考のループにせよ、思考の欠落にせよ、なお悪いことに、そういう状態にありながら
も、それに気づかないということがある。
たとえば何も書かず、何も考えず、ついでに何も読まず、ボーッと、1か月を過ごしたと
する。
その1か月の間、思考はループ状態のまま、同じところをクルクルと回っている。
回っているだけならまだしも、思考の欠落によって、その半径が、どんどんと小さくなっ
ていく。
が、当の本人が、それに気づくことはない。
「私は私」と思っている。
あるいは、「今の私は、1か月前の私と同じ」と思っている。
しかし実際には、思考は欠落している。
●マイナスの一次曲線
私はこのことを、ある特別擁護老人ホームに出入りしたときに知った。
要介護度4とか5になってくると、(当時は5段階だった)、大半の老人は認知症を併発し、
家族とですら、満足な会話ができなくなる。
一日中、大声で、「飯(めし)は、まだかア!」と叫んでいる女性もいた。
が、そうした老人たちにしても、ある日、突然、そうなるのではない。
ある時期から、徐々に、少しずつ、時間をかけてそうなる。
もしその変化を、マイナスの一時曲線で表示できるとするなら、それはひょっとしたら、
満50歳くらいから始まるのではないか。
このころから、知力、気力、思考力などが、下り坂に向かい始める。
その間に、思考はループ状態になり、思考の欠落が、つぎつぎと始まる。
話し方がぶっきらぼうになったり、かったるくなったりする人もいる。
気がついたときには、脳みそは半減し、さらに4分の1になる(?)。
●恐怖
考えることの重要性は、何度も書いてきた。
が、(考える)ための方法は、ひとつではない。
ほかにもある。
しかし論理的にものを考えていくとなると、(書くこと)以外に、方法はない。
……と断言するのは、危険なことかもしれないが、私は、そのほかの方法を知らない。
たとえば先週、私は4~5日の間だったが、スランプ状態に陥ってしまった。
頭の中がモヤモヤとするだけで、何も書けなくなってしまった。
その前に何も考えることができなくなってしまった。
そのときのこと。
私は本当に、自分が、バカになってしまったように感じた。
「いよいよ認知症が始まったか」とさえ思った。
何かこまかい問題が起きても、それを頭の中で整理することすらできなくなってしまった。
同じことをクルクルと、何度も考えているだけで、前に進まない。
とたん、あの特別擁護老人ホームで見た老人たちの姿が、頭の中に思い浮かんできた。
私にとっては、それは恐怖以外の何ものでもなかった。
●終わりに……
こんな文章を書きながらも、その一方で、論理的な矛盾はないか。
文章に一貫性はあるか。
さらに読者の人に読んでもらって、それに耐えうる文章であるか。
そんなことに、気を配る。
つっこみは甘くないか。
文章に無理はないか。
他人を不愉快にするようなことはないか。
さらに私の書きたいこと、つまり読者のみなさんに伝えたいことが、的確に書けているか。
そんなことを、心配する。
……つまりこうした一連の操作が、(考える)ということになる。
(考えながら書く)→(書きながら考える)を繰り返す。
それがタイトルにあげたように、【書くことの意義】ということになる。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi
Hayashi 林浩司 BW 書くことの意義 思考のループ 思考の欠落 文章と思考)
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●子どもの識字能力テスト
+++++++++++++++++++++++
文字を読めない子どもがいる。
読んでも、文の内容を理解することができない。
文を文法的に分解できない。
そのため文が構造としてもつ意味を、論理的に
頭の中で組み立てることができない。
程度の差もあるが、全体の5%(20人に1人)は
いると言われている。
このタイプの子どもで悲劇的なのは、その子ども自身
がもつ問題もさることながら、まわりの人たちが
それに気づかず、その子どもに、無理をすること。
それがあるかぎり、その子どもはその苦痛と、ひとりで
闘わなければならない。
具体的には、小学2、3年になってから、算数の
文章題が読めないなどといった症状をともなって、
それとわかるようになる。
現在、識字能力障害をもつ子どもは、LD児(学習障害児)
として扱われることが多い。
しかし文章を読解できないということで、その影響は
ほかのすべての教科に影響を与える。
さらに、無理な学習、強制的な学習が日常化して
いるため、(文字嫌い)→(読み書きが苦手)→
(本嫌い)→(無理な学習、強制的な学習)→
(ますます文字嫌いになる)という悪循環がつづく。
そのため識字能力障害については、そういう子どもで
あると、できるだけ早い段階で発見し、適切な対処
が必要となる。
ただ残念なことに、現在、こと識字能力害者に
ついては、先にも書いたように、LD児として
取り上げられることが多く、またその範囲での
指導しかなされていない。
識字能力障害者対する適切な指導法は、まだ確立
されていない、
そこでまず診断法の確立ということになる。
筆者は、小学2年生(満8・0歳児)
を対象にした、テスト法を考案してみた。
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【識字能力障害・判別テスト法】(小学2年生(満8・0歳児)用)
【テスト方法】
●(重要)「口をしっかりと閉じて読んで、答えてください」と強く指示する。
無音であっても、口をモゴモゴさせる、口を開くなどの動作が見られたら、
強くそれを制止する。
「声を出さなければ、読解できない」と子どもが言っても、無視するか、
改めて、「口をしっかりと閉じて読んで、答えてください」とだけを繰り返す。
★読解判断力
【問】
おとといのよる、ぼくの お父さんが、「あした、みなで 海へ 行こう」と言いました。
お母さんも いっしょに行くと言いました。 それで みなで したくをして、つぎの日、
海へ行きました。 今日は 8月10日です。 海へ 行ったのは、なん月なん日ですか。
【答え】 ( 月 日)
★論理判断力
【問】
Aのスイッチを、おすと、Xのライトが、つきます。 Bのスイッチを おすと、Y
のライトがつきます。 しかしCのライトを おすと、Xのライトが ついているときは、
Xのライトは、きえます。はんたいに、Yのライトが きえているときは Yのライトが
つきます。 いま、わたしは、(A)→(B)→(C)の じゅんに スイッチを おしま
した。 いま、ついている ライトは、どれですか。
【答え】 ( )のライト
★文章理解力
【問】わたしは おかあさんと おかあさんの ともだちと 3人で ちかくの みせで
くだものと やさいを かいましたが、 かえりに おかあさんの ともだちの こども
に あったので、 おかあさんが そのこどもに かったばかりの バナナを 1ぽん
あげました。 こどもに バナナを あげたのは だれですか。
【答え】( )
★計数問題
【問】お父さんは、りんごを3こ、みかんを2こもっています。お母さんは、みかんを1
こと、ももを3こもっています。わたしはももを2こ、りんごを3こもっています。みん
ながもっている くだものを あわせると、いちばん おおいのは、なにですか。
【答え】( )
(注)調査結果は、後日、公表する予定。
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Hayashi 林浩司 BW 子どもの識字能力 識字障害 読解力 文を読めない子供 識字
能力テスト 子供の障害)
【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
【書くことの意義】
●文章論
文字が発明された。
文字がつながり、文章となり、意思の伝達方法となった。
そのとき、人は、石器時代に終わりを告げた。
当時ですら、ある程度の言葉があり、声の届く範囲内では、それなりの意思の伝達はなさ
れたであろう。
しかし文字の発明により、その範囲は恐ろしく広がった。
空間的な広がりだけではない。
過去から未来へと、時間的にも広がった。
が、それだけではない。
論理的な思考は、文章を書くことによってのみ、可能である。
文と文をつなげるもの。
それが「論理」ということになる。
これについても、文章でなくても、論理的な思考は、ある程度は可能かもしれない。
しかしあくまでも、「ある程度」。
このことは、自分で文章を書いてみると、よくわかる。
文章を書くということは、思考の連続。
(考えながら書く)→(書きながら考える)。
この操作を絶え間なく、繰り返す。
が、そのとき、ひとつ大きな条件がある。
「人に読んでもらう」という条件である。
もちろん日記風に、プライベートな文章を書くということもある。
このばあいは、「人に読んでもらう」という目的はない。
が、それでも、文章にしたとたん、いつかはだれかに読まれることもあるだろうという思
いをぬぐい去ることはできない。
いつもどこかで、他人の目を意識する。
●読者の目
が、ほとんどの文章は、「人に読んでもらう」ために書く。
たとえば今、私がここに書いている文章にしても、人に読んでもらうために書く。
そうである以上、一応、文章を書くについては、いくつかの作法がある。
その作法の部分で、これまた(考えながら書く)→(書きながら考える)。
この操作を絶え間なく、繰り返す。
●読んでもらう
若いころ、ある雑誌社の編集長が、こう教えてくれた。
「文章というのは、まず、読んでもらわなければならない。
自分が書きたいことは、ぐいとがまんして、相手が読みたいことを書く。
『あなたは、すばらしい。あなたは、いい人だ』とね。
そしてその一部で、『こういう意見もありますよ』といって、自分の意見を入れる。
一部でも、入れられれば、御の字」と。
これは雑誌社の編集長の言葉である。
雑誌という本のもつ性質上、そうかもしれない。
雑誌というのは、読者に買ってもらわねばならない。
だからそこに書く文章も、それに応じて、読者が読みたい文章でなければならない。
読んだ人が、気持ちよくならなければならない。
楽しまねばならない。
が、こうした場で、私が書く文章について言えば、そこまで読者に媚(こび)る必要はな
い。
私は私。
しかし、あのときあの編集長が教えてくれた言葉は、今でも、私が文章を書くときの柱に
なっている。
まず読んでもらわなければならない。
そのためには、当然、読みやすい文章でなければならない。
読んで、読んだ人が、役に立つ文章でなければならない。
書くほうにしても、意味のない、ただの駄文など、時間つぶしにもならない。
つまり、時間の無駄。
そこでやはり、先の言葉に戻る。
(考えながら書く)→(書きながら考える)と。
●書くことの意味
考えることの重要性については、今さら、改めて書くまでもない。
人は文字の発明によって、石器時代から抜け出ることができた。
が、つぎに考えることによって、それぞれの個人が、ひとり立ちすることができるように
なった。
『考えるから、私は私』ということになる。
もし考えなければ、人は人の範囲の中で、とどまってしまう。
その範囲で、生まれ、死ぬことになる。
ちょうど北海道のスズメも、沖縄のスズメも、スズメはスズメであるように、人は人。
一見すると、みな個性的に見える。
それぞれがそれぞれに、好き勝手なことをしているように見える。
しかしその範囲を超えることはできない。
つまりその範囲を超えるために、私たちは考える。
その道具として、文字があり、文章がある。
●相対的次元
このことは、反対に、考えない人を見ればわかる。
あるいは文章を書かない人を見ればわかる。
……といっても、その(ちがい)は相対的なもので、上には上がいるし、反対に、下には
下がいる。
人はより深く考えることができるようになって、はじめて、それまでの自分が、つまら
ない人間であったことを知る。
しかしそこでその人の立場が、固定するわけではない。
さらに深く考えることができるようになると、さらにそれまでの自分が、つまらない人間
であったことを知る。
この繰り返し。
文章についても、そうである。
つまりこうして人は、そのつどものを書き、ものを考えながら、より高い次元へと到達し
ていく。
●思考の敵
ところで、考えることには、いくつかの(敵)がある。
その第一が、思考のループ。
その第二が、思考の欠落。
思考のループというのは、10年、あるいは20年一律のごとく、同じことを考え、同
じ言葉を繰り返すことをいう。
先日も、ある男性(66歳)と話していたら、何を勘違いしたのか、私にこう言った。
「あんたも男だろがア!」と。
久々に、聞いた言葉である。
「……だからそれがどうしたの?」と言いそうになったが、やめた。
私が相手にしなければならないような人ではない。
で、そのあと、こう思った。
「この人は、この40年以上、思考が停止している」と。
今どき、こんな論理をふりかざす人は、少ない。
また「思考の欠落」というのは、思考力はもちろんのこと、せっかく考えることで得た
知識にしても、日がたつと、脳みその中から欠落してしまうことをいう。
ちょうどモノが欠けるように、ポロッと欠落してしまう。
さらに恐ろしいことに、それが加齢とともに、はげしくなる。
加速する。
たった1か月前のことですら、忘れてしまうということも珍しくない。
●気がつかないまま……
思考のループにせよ、思考の欠落にせよ、なお悪いことに、そういう状態にありながら
も、それに気づかないということがある。
たとえば何も書かず、何も考えず、ついでに何も読まず、ボーッと、1か月を過ごしたと
する。
その1か月の間、思考はループ状態のまま、同じところをクルクルと回っている。
回っているだけならまだしも、思考の欠落によって、その半径が、どんどんと小さくなっ
ていく。
が、当の本人が、それに気づくことはない。
「私は私」と思っている。
あるいは、「今の私は、1か月前の私と同じ」と思っている。
しかし実際には、思考は欠落している。
●マイナスの一次曲線
私はこのことを、ある特別擁護老人ホームに出入りしたときに知った。
要介護度4とか5になってくると、(当時は5段階だった)、大半の老人は認知症を併発し、
家族とですら、満足な会話ができなくなる。
一日中、大声で、「飯(めし)は、まだかア!」と叫んでいる女性もいた。
が、そうした老人たちにしても、ある日、突然、そうなるのではない。
ある時期から、徐々に、少しずつ、時間をかけてそうなる。
もしその変化を、マイナスの一時曲線で表示できるとするなら、それはひょっとしたら、
満50歳くらいから始まるのではないか。
このころから、知力、気力、思考力などが、下り坂に向かい始める。
その間に、思考はループ状態になり、思考の欠落が、つぎつぎと始まる。
話し方がぶっきらぼうになったり、かったるくなったりする人もいる。
気がついたときには、脳みそは半減し、さらに4分の1になる(?)。
●恐怖
考えることの重要性は、何度も書いてきた。
が、(考える)ための方法は、ひとつではない。
ほかにもある。
しかし論理的にものを考えていくとなると、(書くこと)以外に、方法はない。
……と断言するのは、危険なことかもしれないが、私は、そのほかの方法を知らない。
たとえば先週、私は4~5日の間だったが、スランプ状態に陥ってしまった。
頭の中がモヤモヤとするだけで、何も書けなくなってしまった。
その前に何も考えることができなくなってしまった。
そのときのこと。
私は本当に、自分が、バカになってしまったように感じた。
「いよいよ認知症が始まったか」とさえ思った。
何かこまかい問題が起きても、それを頭の中で整理することすらできなくなってしまった。
同じことをクルクルと、何度も考えているだけで、前に進まない。
とたん、あの特別擁護老人ホームで見た老人たちの姿が、頭の中に思い浮かんできた。
私にとっては、それは恐怖以外の何ものでもなかった。
●終わりに……
こんな文章を書きながらも、その一方で、論理的な矛盾はないか。
文章に一貫性はあるか。
さらに読者の人に読んでもらって、それに耐えうる文章であるか。
そんなことに、気を配る。
つっこみは甘くないか。
文章に無理はないか。
他人を不愉快にするようなことはないか。
さらに私の書きたいこと、つまり読者のみなさんに伝えたいことが、的確に書けているか。
そんなことを、心配する。
……つまりこうした一連の操作が、(考える)ということになる。
(考えながら書く)→(書きながら考える)を繰り返す。
それがタイトルにあげたように、【書くことの意義】ということになる。
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