最前線の子育て論byはやし浩司(2)

子育て最前線で活躍する、お父さん、お母さんのためのBLOG

1/2 日本人の隷属性と民主主義

2011-02-20 23:59:02 | 日記
【日本人の隷属性について】(民主主義を完成させるために)

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日本人が民族的にもつ隷属性について。
たまたま今日、ある人と、それについて
議論した。
「何をもって、君は隷属性というか?」と。
その人は、そう言った。
私は、ひとつの例をあげた。

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●江戸時代から明治時代へ

 江戸時代には、徳川家康の悪口、批判は、タブー中のタブー。
悪口を言ったり、批判する人など、いなかった。
実際には、300年をかけて、徳川家康の都合の悪い事実は、徹底的かつ、
繰り返し、抹消された。
結果、今に見る、「徳川家康」が生まれた。

 が、それはそれでよい。
問題は、そのあと。
その徳川時代……徹底した独裁政治であったが、その時代が終わると、今度は、
明治時代。
徳川時代も、明治時代も似たようなものだった。
それはそれとして、そのとき日本人の意識は、どう変化したのか。
徳川家康を本当に信奉していた人も、いたはず。
が、そういう人たちは、どこへ消えたのか?
あるいはなぜ、明治政府に抵抗しなかったのか?
武士の話をしているのではない。
一般庶民の話をしている。

 同じように戦後。
軍国主義は、敗戦とともに、崩壊した。
が、とたん、今度は、アメリカ様々。

広島に原爆が落ちた同じ月。
8月の終わりには、アメリカ軍の調査団が、広島を訪れている。
そのときのこと。
アメリカ軍は、日本人によって、大歓待を受けている。
旅館で、アメリカ軍の調査団が、どのような待遇を受けたかについて、ちゃんとした
記録が残っている。
軍人の話をしているのではない。
一般庶民の話をしている。

 つまり日本人にしてみれば、「頭」など、だれでもよい。
徳川家だろうが、天皇家であろうが、はたまたアメリカであろうが、だれでもよい。
その「だれでもよい」という部分が、日本人が民族的にもつ隷属性ということになる。
「今日から、天皇です」と言えば、ハハア~と頭をさげる。
「今日から、アメリカです」と言えば、ハハア~と頭をさげる。
これが隷属性である。

●DVD「The Wave」(ドイツ映画)

 最近、私は映画「ウェイブ」(DVD・ドイツ映画)という映画を見た。
実際にあった話を基にしているという。
内容は、こうだ。

 ある高校で、「独裁主義」についての講義が開かれた。
その講師(指導教師)が、同載主義というのはどういうものか、それを実際に
体験させようとする。
生徒たちに白いシャツを着せ、あいさつの仕方を考える、など。
グループのマークまで作る。

 が、途中から、講義が講義でなくなってしまう。
集団化した高校生たちが、暴走し始める。
講師の制御がきかなくなる。
が、講師はそこに危険なものを感じ、講義を中止。
とたんそれに抗議して、2人の高校生が死ぬ。

 どの程度、「実際にあった話」なのか、私にはわからない。
が、それにたいへんよく似た事件に、「スタフォード大学の監獄実験」というのがある。
心理学の教科書にも載っている、有名な事件である。
それについて、2007年に書いた原稿があるので、そのまま紹介する。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【スタンフォード大学の監獄実験】

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今から、15年ほど前、アメリカの
スタンフォード大学で、興味ある
実験がなされた。

「スタンフォード監獄実験」というのが、
それである。

この実験を通して、改めて、人間のもつ
弱さというか、本来的な欠陥が明らかに
なった。

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 ウィキペディア百科事典から、直接、そのまま原稿を引用する。

【スタンフォード・監獄実験】

1971年8月14日から1971年8月20日まで、アメリカ・スタンフォード大学心理学部で、心理学者フィリップ・ジンバルドー(Philip Zimbardo)の指導の下に、刑務所を舞台にして、普通の人が特殊な肩書きや地位を与えられると、その役割に合わせて行動してしまう事を証明しようとした実験が行われた。模型の刑務所(実験監獄)はスタンフォード大学地下実験室を改造したもので、実験期間は2週間の予定だった。
新聞広告などで集めた普通の大学生などの70人から選ばれた被験者21人の内、11人を看守役に、10人を受刑者役にグループ分けし、それぞれの役割を実際の刑務所に近い設備を作って演じさせたところ、時間が経つに連れ、看守役の被験者はより看守らしく、受刑者役の被験者はより受刑者らしい行動をとるようになるという事が証明された。
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●実験の内容

ジンバルドーは役割を与えられた者達に自ら与えられた役割をよりリアルに演じさせるため、逮捕から始まり、囚人役に対して指紋をとり、シラミ駆除剤を拭きつけ、屈辱感を与えるために下着を着用させず、トイレへ行くときは目隠しをさせ、看守役には表情が読まれないようサングラスを着用させたり、午前2時半などに囚人役を起こさせたりした。

次第に、看守役は誰かに指示されるわけでもなく、自ら囚人役に罰則を与え始める。反抗した囚人の主犯格は、独房へ見立てた倉庫へ監禁し、その囚人役のグループにはバケツへ排便するように強制され、耐えかねた囚人役の一人は実験の中止を求めるが、ジンバルドーはリアリティを追求し、「仮釈放の審査」を囚人役に受けさせ、そのまま実験は継続された。

精神を錯乱させた囚人役が、1人実験から離脱。さらに、精神的に追い詰められたもう1人の囚人役を、看守役は独房に見立てた倉庫へうつし、他の囚人役にその囚人に対しての非難を強制し、まもなく離脱。

離脱した囚人役が、仲間を連れて襲撃するという情報が入り、一度地下1階の実験室から5階へ移動されるが、実験中の囚人役のただの願望だったと判明。

●実験の中止

ジンバルドーは、実際の監獄でカウンセリングをしている牧師に、監獄実験の囚人役を診てもらい、監獄実験と実際の監獄を比較させた。牧師は、監獄へいれられた囚人の初期症状と全く同じで、実験にしては出来すぎていると非難。

看守役は、囚人役にさらに屈辱感を与えるため、素手でトイレ掃除(実際にはトイレットペーパの切れ端だけ)や靴磨きをさせ、ついには禁止されていた暴力が開始された。

ジンバルドーは、それを止めるどころか実験のリアリティに飲まれ実験を続行するが、牧師がこの危険な状況を家族へ連絡、家族たちは弁護士を連れて中止を訴え協議のすえ6日間で中止された。しかし看守役は「話が違う」と続行を希望したという。

後のジンバルドーの会見で、自分自身がその状況に飲まれてしまい、危険な状態であると認識できなかったと説明した。ジンバルドーは、実験終了から約10年間、それぞれの被験者をカウンセリングし続け、今は後遺症が残っている者はいない。

●実験の結果

権力への服従
強い権力を与えられた人間と力を持たない人間が、狭い空間で常に一緒にいると、次第に理性の歯止めが利かなくなり、暴走してしまうのである。

非個人化
しかも、元々の性格とは関係なく、役割を与えられただけでそのような状態に陥ってしまう。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●心の盲点

 以上が、「スタンフォード大学の監獄実験」のあらましである。
この話と、暴徒にあげた映画「ウェイブ」は、よく似ている。
「ウェイブ」については、DVDが出回っているので、どうか自分で観てほしい。
映画としては退屈なものだが、人間の心理を知るには、たいへん参考になる。
映画の中でも、最初は遊びや演技のつもりだったが、それがある時点から、暴走し始める。
が、その底流にあるものは何かといえば、……つまり共通した部分は何かといえば、
それが「隷属性」ということになる。

 実際、だれかに隷属するというのは、甘美な世界である。
自分では、何も考えなくてもよい。
ただその人が喜ぶようなことだけを、すればよい。
カルト教団の信者たちを見れば、それがわかる。
ああしたカルト教団内部では、信者同士が兄弟以上の兄弟、親子以上の親子になる。
固い団結で結ばれ、共通の利害をもち、集団で行動する。

 なぜ人間は、そうなるかということを論じても意味はない。
心には、そういう盲点がある。
その盲点に、何かのきっかけで、スポッと入りこんでしまう。
私はそれを「心のエアーポケット」と呼んでいる。
ごくふつうの、良識のあるような人でも、入りこんでしまう。
そしてあとはお決まりの信者となり、上層部に操られるまま、ロボット化する。

 江戸時代には、徳川家のロボット。
戦時中は、天皇家のロボット。
そして今は、アメリカのロボット?

 ……というのは書き過ぎかもしれない。
しかし考えてみれば、この隷属性こそが、他方で民主主義の敵ということになる。
この日本では、何も考えず、盲目的に為政者に従う人たちが、あまりにも多すぎる。
民主主義といっても、名ばかり。
「酒を一杯おごられたから、恩義がある」という、どうでもよい理由をこじつけて、
その候補者に一票を入れる。

●16人の忠臣蔵

 どうしてその「ある人」と、日本人の隷属性についての議論が始まったか?
実は、その前に、私たちは民主党の話をしていた。
今回、民主党は内部分裂してしまった。

小沢一郎に近い「小沢派」が、民主党に反旗を翻した。
その数、16名。
私はそれをさして、「平成の忠臣蔵」と呼んだ。
けっして称えて、そう呼んだのではない。
「バカげている」という意味で、そう呼んだ。

 が、西洋だったら、逆の現象が起きていただろう。
自分たちを裏切った小沢一郎に、文句を言うことはあっても、忠義を尽くすということは
ありえない。
「私はあなたを信頼して、政治家になった。どうしてその信頼を裏切ったのだ!」と。

 このことは、40年前、私自身が、経験している。
つまりこの日本と、西洋のちがい。
それを経験している。
それについても原稿を書いたことがある。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●忠臣蔵

 浅野さん(浅野内匠頭)が、吉良さん(吉良上野介)に、どんな恨みがあったかは知らないが、ナイフ(刀)で切りかかった。
傷害事件である。が、ただの傷害事件でなかったのは、何といても、場所が悪かった。
浅野さんが吉良さんに切りかかったのは、もっとも権威のある場所とされる松之大廊下。
今風に言えば、国会の中の廊下のようなところだった。
浅野さんは、即刻、守衛に取り押さえられ、逮捕、拘束。

 ここから問題である。
浅野さんは、そのあと死刑(切腹)。
「たかが傷害事件で死刑とは!」と、今の人ならそう思うかもしれない。
しかし三〇〇年前(元禄一四年、一七〇一年)の法律では、そうなっていた。

が、ここで注意しなければならないのは、浅野さんを死刑にしたのは、吉良さんではない。
浅野さんを死刑にしたのは、当時の幕府である。
そしてその結果、浅野家は閉鎖(城地召しあげ)。
今風に言えば、法人組織の解散ということになり、その結果、四二九人(藩士)の失業者が出た。
自治体の首長が死刑にあたいするような犯罪を犯したため、その自治体がつぶれた。
もともと何かと問題のある自治体だった。

わかりやすく言えばそういうことだが、なぜ首長の交代だけですませなかったのか? 少なくとも自治体の職員たちにまで責任をとらされることはなかった。……と、考えるのはヤボなこと。
当時の主従関係は、下の者が上の者に徹底的な忠誠を誓うことで成りたっていた。
今でもその片鱗はヤクザの世界に残っている。親分だけを取り替えるなどということは、制度的にもありえなかった。

 で、いよいよ核心部分。
浅野さんの子分たちは、どういうわけか吉良さんに復讐を誓い、最終的には吉良さんを暗殺した。
「吉良さんが浅野さんをいじめたから、浅野さんはやむにやまれず刀を抜いたのだ」というのが、その根拠になっている(「仮名手本忠臣蔵」)。そうでもしなければ、話のつじつまが合わないからだ。

なぜなら繰り返すが、浅野さんを処刑にしたのは、吉良さんではない。幕府である。
だったら、なぜ浅野さんの子分たちは、幕府に文句を言わなかったのかということになる。
「死刑というのは重過ぎる」とか、「吉良が悪いのだ」とか。もっとも当時は封建時代。幕府にたてつくということは、制度そのもの否定につながる。
自分たちが武士という超特権階級にいながら、その幕府を批判するなどということはありえない。そこで、その矛先を、吉良さんに向けた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

もう一作。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

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