最前線の子育て論byはやし浩司(2)

子育て最前線で活躍する、お父さん、お母さんのためのBLOG

3/3感情のコントロール

2010-10-01 04:38:50 | 日記


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●9月5日(日曜日)

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朝の涼しさを感じて、少しほっとした。
寝心地はよくなかったが、ぐっすりと眠ることが
できた。
今週1週間は、まだきびしい残暑がつづくという。
それを知って、「あと1週間……」と、自分に
言い聞かせる。

9月5日、日曜日。
これから友人をJR浜松駅まで迎えに行く。

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●旅の終わりに

 人生を旅にたとえる人は、多い。
しかしそれは結果としてわかることであって、「今」が旅の途中とわかる人はいない。
それぞれがそれぞれの「今」を懸命に生きている。
まわりにあるはずの景色すら、目に入らない。

 が、古い友人に出会うと、それがよくわかる。
「あのときが、人生の出発点だった」と。
私はデニス君のビーチハウス(別荘)で、3か月を過ごした。
留学生活の終わりごろで、私はそこからメルボルンにある大学へ通った。
遠い昔のできごとであるにもかかわらず、思い出はまったく色あせていない。
静かに目を閉じれば、あの日のあの光景が、つい先頃のできごとのように目に
浮かんでくる。

●年年有魚(余)

 デニス君は、北京での学会のあと、日本へ立ち寄ってくれた。
そのこともあって、昨夜温泉へ行くとき、こんな話をした。
「ヒロシ、君は、『年年有魚』という言葉を知っているか?
『魚』と『余裕』の『余』は、同じ発音なんだ。
つまりね、年々、魚がふえる、つまり年々、余裕がふえるという意味なんだ」と。

 中国語には、ちがった文字を同じ発音で表わすことが多い。
これを「諧音語」という。
つまりありきたりの言葉の中に、別の意味を含ませて、縁起をかつぐ。

デ「ふつうは3匹の魚を丸で囲んで、それを表す」
私「3匹か?」
デ「3匹だ」
私「フーン、中国文化は、奥が深いからね」と。

●「諧音」

 私たち日本人にとっては、漢字は中国から来たものということになっている。
またその程度の敬意で、終わってしまう。
しかし当の中国人は、漢字はその向う……つまり超自然の世界から来たものと
思っている。
だから漢字に、超自然的な神秘性、つまり「縁起」をかつぐことが多い。
反対に言えば、縁起の悪い漢字を嫌う。

 日本でも正月に、「豆」を食べる習慣がある。
「豆(マメ)」には、「元気」という意味がある。
つまり「元気になるために、豆を食べる」。

で、中国では、たとえその漢字そのものの意味はよくても、「諧音語」で別の悪い意味
をもつ漢字とつながると、その漢字を避ける。
よく知られた例が、果物の「梨」と「離」。
梨と離は、「諧音語」。
だから「夫婦が2人で梨を分けて食べることは、縁起が悪い」とされる。

●縁起

 で、デニス君は、『年年有魚』を日本では、何というかと聞いた。
しかしいくら頭の中をさがしても、それに該当することわざが浮かんでこない。
あえて言うなら、「亀の甲より年の功(劫)かな」と。
「長年の経験には、それなりの価値がある」という意味である。
が、それともちがう。
言い忘れたが、『年年有魚(余)』というのは、毎年、魚がふえるように、生活に余裕が
生まれるという意味である。

 たいした意味ではないが、それが「縁起」ということになる。
中国人は、『年年有魚』と言いながら、縁起をかつぐ。

私「縁起というのは、日本では迷信ということになっている」
デ「……」
私「ただ中国人は、縁起をたいへん大切にする。漢字にこだわる」と。

●縁起

 先にも書いたように、漢字に対して、中国人は日本人とちがった感覚をもっている。
縁起のよい漢字を使えば、「福が来る」と信じている。
縁起の悪い漢字を使えば、「禍(災い)が来る」と信じている。
だから中国人とつきあうときは、漢字の使い方に注意しなければならない。
「ただの文字」と思ってはいけない。

 が、迷信は迷信。
「縁起」というのは、まさにそれに当たる。

デ「ヒロシは、迷信を信ずるか?」
私「まったく、信じない」
デ「……」
私「まったく信じないから、縁起というものを考えたことがない」と。

 もともと「縁起」というのは、仏教用語で、本来は「縁起生起」をいう。

「……一切の事物は固定的な実体をもたず、さまざまな原因や条件が寄り集まって
成立していること。仏教の根本思想。因縁、因果」
「社寺などの由来または霊験などの伝説。またそれを記したもの」
「吉凶の前兆(きざし)」(以上、Casio Ex-Word)とある。

 縁起イコール、迷信と考えて、頭から否定するのも、どうやらまちがっているようだ。

●会話

 学生のころは毎晩のようにデニスとこうして議論した。
彼は北京大学に留学したあと、中国人の女性(同じメルボルン大学の学生)と
結婚した。
以後、モナーシュ大学の図書館で司書をしながら、中国語の権威者としても知られている。
私とはまったくの畑違いの人物ということになるが、それだけに会話をしていても、
おもしろい。

 実のところ、『年年有魚』という言葉は、デニスに聞くまで、知らなかった。
よい勉強になった。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
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Hiroshi Hayashi++++++++Sep. 2010+++++++++はやし浩司

●親友の接待

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理由は、よくわからない。
わからないが、このところ、「私」自身が、
大きく変化している。
そんな感じがする。

ほんの数年前までは、友人が、2か月とか
3か月、私の家にホームステイしても、
どうということはなかった。
毎日の生活を、いつもと同じように繰り返す
ことができた。

が、今回は、少し感じがちがう。
自分でもそれがよくわかる。
気疲れしやすいというか、重い負担感を覚える。
40年来の友人である。
気心も、よくわかっている。
その間に、たがいに何度も行き来している。
が、それでもいつもと感じがちがう。
今日は午後になって、偏頭痛まで起きた。
なぜだろう?

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●柔軟性(フレキシビリティ)

 ここ1、2年、急速に柔軟性が失われていくのを感ずる。
臨機応変にその場に対処できない。
ひとつの計画を立てると、それに固執するようになった。
つまり以前は、もう少しいいかげんな人間だった。
その場、その場で、平気で計画を変更した。
が、今は、それができない?
これも脳の老化現象のひとつ?

 友人は日本へ来てから、別棟の部屋に寝泊まりしている。
とくに世話がかかるわけではない。
もともと独立心の旺盛な友人で、ひとりであちこちに出かけたりする。
彼なりにここでの生活を楽しんでいる。
が、それでも気疲れを起こす。
「食事はどうしよう?」「どこへ連れていけばいいのか?」「洗濯はしているだろうか?」
などなど。
いつもそのことが頭から離れない。

●気疲れ
 
 今までとちがう点がひとつある。
それは今度の出会いが、最後になるかもしれないという閉そく感である。
手術はうまくいったとは言っているが、友人は今年、大病を患った。
だからよけいに私は、気を遣ってしまう。
今までのような気楽さが、ない。
それから生まれる気負いが、私を疲れさせる。

「おいしいものを食べさせてやろう」とか、「楽しい思いをさせてやろう」とか、
そんなことばかりを、考える。
友人は友人で、それが反対にわかるのか、どこか他人行儀な態度を見せる。
欧米人を家に迎えるときには、やりたいようにさせてやる。
それが最善の接待方法である。
よくわかっているが、今回は、どうしてもあれこれと干渉してしまう。

 それにもうひとつの理由は、この暑さ。
体の方がバテてしまっている。
ときどき軽いめまいがする。
何かにつけ、疲れやすい。
慢性的な睡眠不足症状もつづいている。
その友人がどうこうというのではなく、そういう状態のとき、人を接待するのも、
たいへん。
本来なら、仕事以外のときは、家の中でゴロゴロしている。
いや、今日は、仕事中に、ウトウトと眠ってしまった。
体力も、気力も、たしかに弱くなっている。

●接待の限界

 ワイフはこう言った。
「これからは無理かもね」と。
つまり会うとしても、長くて半日。
あるいは数時間。
どこかのレストランか、ホテルで会う。
宿泊までしてもらうというのには、無理がある。

 このことは反対に、私たちがだれかの家を訪問するときも、そうだ。
会うとしても、長くて半日。
あるいは数時間。
それ以上は、相手に大きな負担を与えるので、遠慮する。
若いときならともかくも、相手が60歳を過ぎていたら、遠慮する。
夫はともかくも、妻の方が、たいへん。
寝食の世話からすべて、いっさいがっさい、気を遣わなければならない。
相手が欧米人なら、まだよい。
あれこれ、家事を負担してくれる。
が、相手が日本人だと、そうはいかない。

●日本人

 「客人」とし来た日本人は、何もしない。
本当に何もしない。
つまり何も手伝ってくれない。
いつもどこかでデンと座っているだけ。
「上げ膳、据え膳」という言葉があるが、それだけではすまない。
風呂の世話から、寝具の世話などなど。
動き回るのは、私と妻。

 私も山荘をもったころは、毎週のようにいろいろな友人を呼んだ。
しかしそのうち、疲れるようになった。
せっかくの土日なのだが、それが終わるころには、ヘトヘトになってしまった。
ということで、今は、客人を、ほとんど招待しない。
……というか、体力的な限界もあって、招待できない。
内心では申し訳ないと思いつつ、駅前のレストランで会って、それで別れるように
している。

●やはり暑さのせい?

 これもひとつの変化かもしれない。
老後になればなるほど、交際の範囲が、狭く、淡白になっていく。
これは息子や娘たちとの交際についても、言える。
私のばあい、息子たちには、ほとんど気を遣わない。
しかし嫁となると、そうはいかない。
気を遣う。
孫がいれば、なおさら。

 最初から同居していれば、こういうこともないのだろう。
またこれは「慣れ」の問題。
毎週のように行き来していれば、それなりの対処もできる。
しかし私たちのようなばあい、やはり疲れる。
で、そのことをワイフに問うと、ワイフも同じようなことを言った。
「これからは、どこかのホテルに泊まってもらうようにしたら」と。

 実のところ、泊めてもらう側の私にしても、同じことが言える。
あれこれ気を遣うよりは、どこかのホテルに泊まったほうがよい。
好きな時刻に寝て、好きな時刻に起きる。
好きな料理を食べる。
どこか心さみしい感じがしないわけでもないが、つまりそれだけ心のほうが、
柔軟性(フレキシビリティ)を失っていることを意味する。

 ……いや、やはりこれは暑さのせいかもしれない。
もう少し気候のよいときだったら、こうも疲れないはず。
このところの暑さは異常!
本当に暑い!
心身が、二重、三重にバテてしまっている。
だからよけいに柔軟性を失ってしまった……ようだ。


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