最前線の子育て論byはやし浩司(2)

子育て最前線で活躍する、お父さん、お母さんのためのBLOG

2/2 昼神温泉にて

2010-11-28 11:16:54 | 日記
●模擬体験

 あなたならどうするだろうか。
あと3か月の命と宣告されたら……。
病院のベッドで静かにしていれば、3か月。
しかし無理をすれば、1か月。

 「命」をこうして茶化すのはよくない。
「死」を茶化すのは、さらによくない。
しかし多くの賢人は、異口同音にみな、こう言う。
「無益に100年生きるよりも、有益に1年を生きたほうがよい」と。

 その視点に立つなら、たとえ寿命が短くなっても、無理をして
生きたほうがよい。
「無理」というのは、やるべきことをやるという意味。
人には、寿命を縮めても、やるべきことがある。
長生きすれば、それでよいというものでもない。
人生の価値は、時計では計れない。

 ……というのは考えすぎか。
それにしても、この緊張感が楽しい(?)。
今朝見た、あの悪夢にどこか似ている。
心のどこかでハラハラしている。
しかしこんな気分では、よい文章など書けない。
が、これも実験。
心の実験。
はたして私は、どんな文章を書くのだろう。

●ハラハラドキドキ

 考えてみれば、私がもっているトラウマ、つまり強迫観念は、
今の心の状態に似ている。
どんどん減っていくバッテリー。
ハラハラドキドキ。
電車に乗り遅れるとき、降り遅れるとき、そんなときも、
ハラハラドキドキ。

 こうなったら、自分の強迫観念を解剖してみてやる。
私はなぜ、毎朝、悪夢に悩まされるのか。

●強迫観念

 具体的な記憶としては残っていない。
しかし私が強迫観念をもつようになったのには、母の育児方法に
原因があった。
それを10年ほど前に知った。

 晩年、母は手乗り文鳥を飼っていた。
そのときのこと。
母は手乗り文鳥を手なづけるために、わざと文鳥に不安にしていた。
「ホラホラ、行っちゃうよ」と。
そう言いながら母は、戸の向こうに隠れる。

 そのとき文鳥は、悲しそうな声で、ピーッ、ピーッと鳴く。
それを聞き届けて、母はおもむろに戸の陰から顔を出す。
「ホラホラ……」と。
文鳥はうれしそうに、母のほうに向かって飛んでいく……。

 それを見たとき、私は遠い記憶の中で、いつも、つまり日常的に
母にそうされていたのを思い出した。
「ホラホラ……」という言葉が、鮮明に記憶の中に残っている。
つまり母は、そういう形で、一度私を不安にさせ、手なづけていた。

 幼児教育ではぜったいにしてはならない手法である。
こんなことを繰り返していたら、親子の信頼関係は、粉々に崩れる。
そればかりか、私のような強迫観念をもつようになる。

 そう言えば、どこかのバカ教授が、こんなことを書いていた。
「親子の絆(きずな)を深めるためには、遊園地などで、子どもを
わざと迷子にさせてみるとよい」と。

 この話は本当の話である。
100万部を超えるベストセラーを書いた、TKという教授である。
私はその幼児教育論を読んだとき、体中がカッと熱くなるのを覚えた。

●仲よくつきあう

 こうした強迫観念は、一度もつと、それから解放されるということは、
まずない。
今の私が、そのサンプルということになる。
私はいつも、何かに追い立てられている。
そんな観念から抜けきることができない。
だから休みが1週間もつづいたりすると、かえって気が変になってしまう。

 そういう私をワイフは、「貧乏性」という。
しかし何もお金(マネー)だけの問題ではない。
今は、「時間」。
時間がほしい。
時間が足りない。
そして今は、バッテリーが足りない。

 だから今は、あきらめ、仲よくつきあうことにしている。
強迫観念にせよ、貧乏性にせよ、なおそうと思う必要はない。
仲よくつきあう。
それが「私」と居直って生きる。

 が、今朝もワイフにこう言った。
「一度くらい、安らかに目を覚ましてみたい」と。

●バッテリー

 夕食まで、あと30分。
バッテリーは、省電力設定にしたこともあり、残り3時間15分。
夕食後は、読書。
残りの2時間45分は、明日のために残しておく。
(実際にはバッテリーの残量が10%以下になると、パソコンは勝手に
シャットダウンしてしまう。)

●夕食

 夕食は可もなく不可もなく……といったもの。
ほどよい食材で、ほどよく仕上げたという印象をもった。
(私は料理には詳しくない。
それなりにおいしければ、満足する。)
星は3つの、★★★。
あとは予算。
つまり料金で決まる。
私たちは1泊、1万5000円のコースを選んだ。

 それを食べながら、ワイフがはじめて、こう言った。
「こういう料理を食べられるなんて、感謝しているわ」と。

私「お前がそんなことを言うとは。はじめて聞いた」
ワ「そんなことないわよ。いつも感謝しているわ」
私「酔っぱらったからではないのか」
ワ「酔っぱらってないわよ」と。

 が、私はうれしかった。
最後に、梨のジュースで作ったアイスクリームを食べて、おしまい。
おいしかった。

●UFO

 どこかのバラエティ番組で、UFOの目撃番組を流していた。
中国や日本で、最近、目撃情報が相次いでいる。
その中のいくつかを紹介していた(テレビ信州「不可思議探偵団」)。

 誤解してはいけない。
UFOは現象ではなく、科学である。
霊とか魂とか、そういう類のものではなく、もっと科学的な見地から
まじめに検証すべきテーマである。
今夜紹介されたUFOは、どれも信憑(しんぴょう)性の高いものばかり。
「そういうものは存在しない」という前提ではなく、まず虚心坦懐に心を
開き、こうしたビデオの分析をしてほしい。

 私とワイフも、ある夜、巨大なUFOを目撃している。
あれを飛行機というのなら、私は自分の文筆生命をかけて、その言葉と闘う。
あれはぜったいに、飛行機ではなかった。

 ……できれば死ぬまでに、あれは何だったのか、本当のことを知りたい。

●静かな夜
  
 各部屋が広いせいか、この旅館は静か。
エアコンのかすかな風音をのぞけば、物音ひとつしない。
ワイフは、すでに横になって目を閉じている。
私は電気を消し、床の間の明かりで、パソコンを叩いている。

 満腹になったせいか、脳みその働きが鈍くなった。
そんな感じがする。
いつもならつぎつぎと書きたいテーマが浮かんでくる。
が、今はそれがない。
ぼんやりと床の間に目をやる。
銅の置物と、和紙を使ったランタンが目にとまる。
それなりに価値のあるものらしい。
気温は25度。
エアコンの設定温度である。

 ふと、明日のことを考える。
朝市は朝6時から、とか。
風呂は24時間入れる、とか。
朝食は、朝8時に設定してもらった、などなど。

 たった今、精神安定剤のSを半分に割ってのんだところ。
睡眠薬がわりにのんでいる。
そのうち眠くなるだろう。

●感謝

 こういう旅館に泊まれる。
おいしい料理が食べられる。
考えてみれば、こんな幸運なことはない。
そんな私が、不平不満ばかり、口にしている。
どうしてだろう。

 振り返っても、私は幸運だった。
健康にも恵まれた。
仕事も順調だった。
いつだったか田丸謙二先生が、こう言った。
「日本はいい国じゃ、ありませんか」と。
この年齢になって、はじめて、その意味がわかった。
日本はよい国だった。
今もよい国だ。
私は戦争を経験することもなく、今まで生きてこられた。
たいしたぜいたくはできなかったが、お金に困ったこともなかった。
私のような人間が感謝しなくて、だれが感謝する。

 「感謝」というのは、充足感をかみしめ、それに満足すること。
が、それだけでは足りない。
その満足感を、別のだれかに還元していく。
その気持ちをもって、はじめて「感謝」となる。

●就寝

 さて眠る時刻になった。
午後9時10分。
二男はアメリカで元気にやっているだろうか。
三男は東京で元気にやっているだろうか。
年々、疎遠になっていくばかり。
つまり私たちは、こうしてあの世へ行く準備を重ねる。
いつ死んでも、息子たちを悲しませることがないよう、息子たちの
脳の中から、私の記憶を消していく。
それが「準備」。
「パパは死んだよ」「ああ、そう」と。
それでよい。

 何となくセンチメンタルな話になってしまった。
こういう文章は、私らしくない。
これもこうした旅館に泊まっているせいかもしれない。
静かな夜は、心も静かになる。
同時に見えないものまで、見えてくる。

 穏やかな心。
やすらいだ心。
ザワザワとした雑音も消え、そこはまさに静寂の世界。
昔なら、山奥の、そのまた山奥の温泉卿。
その温泉のひとつで、私は今日という一日を過ごした。

 みなさん、ありがとう。
そしておやすみ。
(はやし浩司 2010-11-15)

●午前2時46分

 昨夜遅く、ワイフが食べたものを吐いてしまった。
「ビールを飲みすぎた」と。
若いころは、私よりずっと酒に強かった。
そのワイフが吐いてしまった。

 しばらくトイレの中で、うずくまっていた。
が、出てくると、「もうだいじょうぶ」と。
そう言いながら、気がつくと、もうふとんをかぶって眠っていた。
ワイフがものを吐いたのは、何年ぶりのことか。
たった今、ワイフが体を動かしたので、声をかけた。
やはり「もう、だいじょうぶ」と言った。

 時計を見ると、午前2時46分だった。

●18%

 1秒も休んでおられない。
バッテリーは、18%、1時間8分を切った。
このTOSHIBAのMXは、バッテリーを満タンにすれば、
10時間以上はもつ。
おかげで何とか今まで、こうして文章を書くことができた。
しかしもう長くは、もたない。
あと1時間。
その1時間で、何を書くか。
無駄なことは書きたくない。

●寿命

 もしあなたの命は、あと1時間しかないと言われたら、あなたは
何を書くだろうか。
あと1時間で、船が沈む。
あるいは宇宙船が爆発する。
そんなとき、何を書くだろうか。

 内容はどうしても遺書めいたものになるだろう。
みんな、ありがとうとか、さようならとか。
しかし何を書き残すかととなると、話は別。
頭の中が混乱していて、どうも考えがまとまらない。

 が、何も今の状況で、うしろ向きになることはない。
前向きに考えればよい。
これからの抱負でもよい。
そう、抱負がよい。

 夢や希望がないわけではない。
たとえば昨日、ヤフーで、「“はやし浩司”」を検索してみた。
「“」「”」ではさむと、「はやし浩司」のみを検索できる。
はさまないと、「はやし」でも、「浩司」でも、さらに「浩」
だけでも検索されてしまう。

 で、「“はやし浩司”」で検索してみたら、20万件を超えていた。
(「はやし浩司」だけで検索すると、50万件近くもあった。)
つまりそれだけ多くの人たちが、何らかの形で、私の文章に
興味をもってくれているということ。
もちろんみながみな、好意的な人とはかぎらない。
中には、興味本位、あるいは悪印象をもっている人も多いはず。
このところ辛辣(しんらつ)な批評も、届くようになった。

 そう、私はあえて肩書きを捨てて生きてきた。
ネットの世界では、肩書きをもっていると、検索数が多くなる。
しかし私は丸裸。
あえて丸裸。
若いころから、肩書きには背を向けて生きてきた。
今は、さらに興味がない。

 肩書きを取り去ったとき、その人はその人になる。

 先日もワイフがこう言った。
「あなたは人生のはじめに、それを知ったから、損をしたのよ」と。

●田丸謙二先生

 田丸謙二先生に学生時代に会うことができたのは、私は生涯の幸運と確信して
いる。
その田丸謙二先生はすでにそのとき、いくつかの肩書き(地位、名誉)をもって
いた。
それを知ったとき、「この先生には、かなわない」「だったら、ぼくは一生、肩書き
なしで生きてやろう」と。
そう自分に誓った。
その結果が今。

「むしろ自ら、たいへんな道を選んでしまったのよ」と、ワイフはよく言う。
そうかもしれない。
しかし今にしてみると、丸裸でよかった。
私を飾るものは、何もない。
私を飾るのは、どこまでいっても、私のみ。

 地位や名誉などといったものは、順送りにバトンタッチされる。
あなたがいなければ、べつのだれかが「あなた」になる。
肩書きについては、さらにそうだ。
私は私の人生を生きることができた。
言い換えると、私に命令できる人は、だれもいない。
たとえば今の仕事(?)にしても、私を解雇できる人は、だれもいない。
不安定で、おぼつかない人生だったが、航海にたとえるなら、大海原を
小さなヨットで横切ったようなもの。

 航跡は細くて小さいが、それはまぎれもなく私の航跡ということになる。
それに今さらそうした人生を変えることはできない。
このまま、私は死ぬまで、生きていく。
結果は気にしない。
おそらく死ぬと同時に、私はこの世界から消える。
今、こうして書いている文章にしても、死後1年はもたないだろう。
この世界は、「金の切れ目は縁の切れ目」。
プロバイダーへの送金が止まれば、HPも廃止される。
無料のHPサービスにしても、「3か月以上~~」という条件を
つけているところが多い。
電子マガジンにしても、「3か月以上発行していないときは、廃刊する」と
ある(規約)。

 が、だからといって、「本」という書籍がよいというのではない。
これからは電子書籍の時代。
何らかの形で、死後も文章として生き残る方法はないものか。

●墓石

 ひとつの希望は、二男にその一部を依頼すること。
二男はコンピューター・プログラマーをしている。
コンピューターのプロ。
現在はアメリカのIU(インディアナ大学)で、コンピューター
技師をしている。
自分で個人のプロバイダーを運営していたこともある。
二男に頼めば、道が開けるかもしれない。
あとでこの原稿を送ってみる。

 つまりそれが私の墓石ということになる。
死んだあと、息子たちに残す、墓石ということになる。

●13%、59分

 バッテリーがいよいよ13%を切った。
人生をこのパソコンにたとえるなら、平均寿命を80歳として、
63歳という年齢は、63÷80で、約0・8=80%ということになる。
つまり私はすでに80%の人生を終えた。
残り20%。

 が、実際には最後の10%は、病魔との闘い。
だから13%というのは、私の残りの健康寿命と同じ。
ハラハラドキドキ。
そのうちこのパソコンはこう表示するはず。
「バッテリーの残量が10%を切りました。
ファイルを保存して、シャットアウトしてください」と。

 年齢にたとえると、72歳くらいか。
「人生の総まとめをして、死への準備をしてください」と。
「13%」という数字は、そういう数字。

 が、意外と同年齢の友人たちは、のんびりと構えている。
そういう切迫性を感じさせない。
「バッテリーが13%を切った」と聞けば、だれだってあせる。
が、「人生が13%を切った」と聞いて、あせる人はいない。
どうしてだろう?

●あの世

 何度も書くが、あの世などというものは、存在しない。
釈迦だって、一言もそんなことを言っていない(法句経)。
それを言い出したのは、つまり当時それを主張していたのは、
バラモン教の連中。
仏教はやがてヒンズー教の中に組み入れられていく。
輪廻転生思想は、まさにヒンズー教のそれ。

 その上さらに、中国、日本へと伝わるうちに、偽経典が積み重ねられた。
盆供養にしても、もとはと言えば、アフガニスタンの「ウラバン」という
祭りに由来する。
それが中国に入り、「盂蘭盆会(うらぼんえ)」となった。

 日本でも偽経典が作られた。
私たちが現在、「法事」と呼んでいるものは、そのほとんどが
偽経をもとに作られた。
もちろん寺の経営的な収入をふやすために、である。
(とうとう今、表示された。「残り10%」と。)

 話はそれたが、あの世はない。
あるとも、ないとも断言できないが、少なくとも私は「ない」という
前提で生きている。
死んでみて、あればもうけもの。
宝くじと同じ。
当たるかもしれない。
しかし当たらない確立のほうが、はるかに高い。
その宝くじが当たるのを前提に、土地を買ったり、家を
建てたりする人はいない。

 同じようにあるかないかわからないものをアテにして、今を
生きる人はいない。
それにもしあの世があるなら、この世で生きている意味を失う。
だから私はよく生徒たちに冗談ぽく、こう言う。

 「あの世があるなら、ぼくは早く行きたいよ。
あの世では働かなくてもいいし、それに食事もしなくていい。
空を自由に舞うことだってできる」と。

●「もうこりごり」

 そんなわけで、人生は一回ぽっきりの、一回勝負。
二度目はない。
この先、どうなるかわからない。
しかし一回で、じゅうぶん。
一回で、たくさん。
「こりごり」とまでは言わないが、それに近い。
「同じ人生を2度生きろ」と言われても、私にはできない。

 たとえば定年退職をした人に、こう聞いてみるとよい。
「あなたはもう一度、会社に入って、出世してみたいと思いますか」と。
ほとんどの人は、「NO!」と答えるはず。
あるいは、「会社人間はもうこりごり」と言うかもしれない。

●別れ

 たださみしいのは、今のワイフと別れること。
息子たちと別れること。
友人たちと別れること。
ひとりぼっちになること。
 
 そのうち足腰も弱り、満足に歩けなくなるかもしれない。
そうなったら、私はどう生きていけばよいのか。
それを支えるだけの気力は、たぶん、私にはない。
だったら今、生きて生きて、生き抜く。
今の私には、それしかない。

 さあ、もうすぐこのパソコンの寿命は切れる。
何度もコントロールキーと「S」キーを押す。
文章を保存する。
いよいよ晩年になったら、私は同じようなことをするだろう。
ていねいに保存を繰り返しながら、やがて「死」を迎える。

(今、電源メーターをのぞいたら、「8%、45分」と表示された。)

 あと45分!

●シャットダウン

 楽しい(?)旅行記を書くつもりだった。
が、電源コードを忘れてしまった。
今までの旅行の中でも、最高のドジ。
またまたウィンドウが現れ、「もうすぐシャットダウンします」と
表示された。

 死を迎えるときも、こんな気分か。
数分後か。
40分も、ほんとうにもつのか。
何もわからないまま、生きている。

 もっとも、電源が切れたら、朝風呂に入ってくる。
この温泉は、24時間営業。
言うなれば、そこが私の極楽浄土。

 私は善人ではない。
しかし悪人でもない。
死んだら、地獄へ行くことはないだろう。
だったら、極楽?

 親戚の連中の中には、私が三回忌をきちんとしていないから、
「浩司は地獄へ落ちる」と騒いでいるのがいる。
しかし本当のバカはどちらか。
仏教徒のくせに、経典を読んだことすらない。
儀式だけしていれば、それでよいと考えている。
少しは自分の脳みそで、ものを考えろ!

 どちらにせよ、電源が切れたら、私は温泉につかってくる。
そのあと、8時まで再び眠る。
朝市もあるということだが、今の体調では無理。
なお朝食は、いちばん遅い、8時からにしてもらった。
これは正解だった。
またチェックアウトは、10時。
バスの発車時刻は、午後2時30分。
浜松まで直行する。

 ……これで書きたいことはすべて書いた。
あとはバッテリーが切れるのを待つだけ。
寿命が尽きるのを待つだけ。

 ここの旅館は、ほんとうによい旅館だ。
料金にもよるが、この昼神温泉では、イチオシ。
なお「昼神」というのは、もともと「ヒル(虫のヒル)に
かまれた場所」ということで、「ヒル・カミ」となったそうだ。
が、それでは、どうもネーミングが悪い。
それで「昼神」になったとか。
部屋にある由来書には、そう書いてある。

 「ヒルにかまれたから、ヒル・ガミ」。
だったら、思い切って、「死神」にしてはどうか。
そのほうが今の若い人たちには受けるかもしれない。
が、これは冗談。

 まだ天気の様子はわからないが、今日は、すばらしい紅葉を
見られるはず。
カメラの用意はできている。
電子マガジンの読者のみなさんは、どうかお楽しみに。
(すでにこのことは、前にも書いた。)

●まだ……?

 どこまで書けるか。
こうなると、最後の闘い。
どこまで生き延びることができるか。
ベッドの上で、点滴を受けながら、死を待つ心境。
(おおげさかな?)

 もうすぐ電源が切れるはず。
一文書いては、保存をかける。
一文書いては、保存をかける。
この繰り返し。
何だか、悪夢を見ているような感じ。
またあのいやな気分がもどってきた。
ハラハラドキドキ。
悪夢を見ているような気分。

 考えてみれば、私の人生は、そのハラハラドキドキの連続だった。
その象徴が、今朝の今の気分。
ワイフは、「あなたは平均的な人の何倍も生きたわ」と言う。
もちろん私にはその実感はない。
あるわけがない。
私の人生は、私の人生。
そうではなく、反対に、時間が足りない。
時間がほしい。

 しかし今、ここで電源アダプターが手にはいったら、どうなる。
この緊張感が

●後記(家に帰ってから)

 先のところで画面が消えた。
今、そのつづきを、家で書く。

 ……この緊張感が、人生を濃密にする。
あの世があるということになると、その緊張感が消える。
つまり「死という限界」があるから、私たちはがんばる。

 ……ということを書きたかった。

 ほかにもいろいろ書きたいことがあるが、それはまたの機会に!
みなさん、おやすみなさい。
今日は疲れました。

 11月16日、夜、8時ごろ、長野県昼神温泉郷から帰る。


(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 長野県 中信 昼神温泉郷 阿智川ホテル 湯本ホテル阿智川にて
はやし浩司 2010-11ー16 日誌)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                      
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m~= ○
.       ○ ~~~\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================

コメントを投稿