最前線の子育て論byはやし浩司(2)

子育て最前線で活躍する、お父さん、お母さんのためのBLOG

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2010-11-21 15:19:37 | 日記

●女性

 昨夜、布団の中で、こんな話をした。
ワイフという女性とこういう話をするのも、気が引けるが、
女性というのは、基本的には信じてはいけない。
二面性、三面性、さらには多面性がある。
それが悪いというのではない。
が、それだけに女性の心理は複雑。
よい例が、ホテルの接客係の女性。
愛想もよく、キビキビと働く。
何かを頼むと、明るい声で、即座に返事が答えてくれる。

 だからといって、そういう女性をすばらしい女性と思ってはいけない。
必ずその裏には、何かがある。
隠された意図がある。
だいたいそこらの若い女性に、高い人間性を求めても、無駄。
無理。
(失礼!)

 だから私はときどき男子高校生に、こう言う。
「君たちが将来、それなりの(人)になり、妻を選ぶようなときが
きたら、図書館や美術館へ行きなさい」と。
そういうところで時間を静かに過ごしている女性なら、まずまちがいない。
すばらしい女性を選ぶことができる。
ただし「自分もそれなりの(人)になっていなければならない」とも。
それなりの(人)でなければ、相手にされないだろう。

●妊娠線

 こんな話を聞いた。
ある息子が婚約した。
で、その息子の家に、婚約者が泊まった。
そのときのこと。
母親がタオルを脱衣所に届けると、その婚約者がそこに立っていた。
見ると、腰から下に、妊娠線が走っていた。
妊娠した経験のある女性に現れる、白い細い線である。
肌に割れたようにヒビが走り、その部分がかすかに白く光る。

 母親は何かの見間違いと、何度も自分に言って聞かせた。
しかしそれはまぎれもなく、妊娠線だった。
が、息子は、それを知らない。
妊娠線のもつ意味すら、知らない。
 
 母親はその話を、夫にも話さなかった。
「2人が幸福になれば、それでいい」と。
ただそのあと、結婚式のときも、嫁の両親は、自分の娘について、
こう言ったという。
「箱入り娘のようにして育ててきました」と。
「結婚するまで、子どものように門限を守らせてきました」とも。

 それを聞いてその母親は、こう思ったという。
「知らぬは親ばかり」と。

●幸福

 欲望を満足させることが、幸福につながるというわけではない。
むしろ、逆。
若い夫婦を見れば、それがよくわかる。
彼らはその欲望が頂点に達したとき、結婚する。
言い換えると、結婚とは、欲望がひとつの「形」に昇華したもの。
だからその幸福感は、底が浅く、はかない。
欲望の切れ目が縁の切れ目ということになる。

 が、当の本人たちには、それがわからない。
わからないまま、それが価値ある「愛」と信じる。

 しかし「愛」とは、あくまでも原点。
出発点。
その先には、長くて苦しい道がつづいている。

●帰宅

 昼頃、自宅に戻る。
軽い昼食を食べたところで、睡魔。
「昼寝しようか」とワイフに声をかけると、「うん」と。

 そのまま昼寝。

私「やはり、自分の家の布団がいちばんだね」
ワ「今度は、もっとしっかりと調べてから行こうね」と。

 SKホテル……久々に、ハズレのホテルだった。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 はやし浩司 2010-11-21 富士市 焼津)
   

Hiroshi Hayashi+++++++NOV. 2010++++++はやし浩司・林浩司

●結婚(フェニルエチルアミン効果)

 結婚というのは、人生最大のくじ引き。
当たりもあれば、ハズレもある。
当たりと思って結婚しても、ハズレということもある。
ハズレと思っても、やがて当たりということもある。

 が、若い人には、それがわからない。
そのときの感情……というよりは、脳内ホルモンのまま行動し、
結婚する。
が、結婚してみたら……?、ということになる。
脳内ホルモンの賞味期限は、2年と言われている。
恋愛を繰り返せば繰り返すほど、賞味期限は短くなる。

(脳内には、フィードバックという作用がある。
あるホルモンが分泌されると、それを打ち消すためのホルモンが
同時に分泌される。
脳はこうして脳内をいつもクリーンな状態に保とうとする。
それを「フィードバック」という。
が、恋を司るホルモンだけは、脳内にしばらくの間、とどまる。
甘い陶酔感で満たす。
それを「賞味期限」という。)

●定年離婚

 2年が過ぎたらどうなるか……。
そこからが結婚の始まり。
そう考えてよい。
そのころたいていの夫婦は、子どもをもうける。
が、それだけでは、夫婦を夫婦としてつなぎとめることはできない。
一般論として、夫婦でいっしょに、同じ仕事をしている夫婦は、仲がよい。
たとえば農家や自営業など。
あぶないのは、サラリーマン。
近くの新聞社の支局長をしていた、K氏はこう言った。
「新聞記者というのはね、家庭を犠牲にして生きているような
もんですよ」と。

 しかし総じてみれば、ほとんどのサラリーマンがそうではないか。
そのことは、夫の定年退職時になると、はっきりしてくる。
「定年離婚」という言葉もある。
が、その一歩手前で踏ん張っている夫婦となると、ほとんどが
そうではないか。

●同居他人

 そう、一時は、定年離婚というのがはやった。
しかし妻側が、いろいろな面で不利ということがわかり、最近は少なく
なった(?)。
それに替わって、「夫は夫、妻は妻」という生き方をする夫婦が
ふえてきた。
つまり同居他人。

 たがいにやるべきことはやる。
しかしそこまで。
あとはたがいに自由、と。

 近くに住むTさん夫婦(ともに65歳)もそうだ。
奥さんは1年単位で、外国を回っている。
日本舞踊の紹介をしている。
だから夫婦がいっしょに生活するとしても、ときどき……
ということになる。

 しかし見た目には、仲がよい。
いっしょに住んでいるときは、自宅で、日本画や染物の個展を
開いたりしている。
言い換えると、Tさん夫婦が、老後の夫婦のあり方を示唆している。
若いときのように、ベタベタというわけにはいかない。
それぞれに独立した、一個の人間として認め合う。

●私たち

 私たち夫婦も、何度か、危機的状況になった。
「離婚してやる!」「離婚しましょう!」と。
しかしかろうじて私たちをつないだのは、息子たちがいたこと。
それに仕事。
ここ5年ほど、ワイフが積極的に仕事を手伝ってくれるようになった。
それがよいほうに作用している。
最近では、「今日は、来なくていい」と私が言っても、先に職場に
来ている。
「今日は、Sさんが来るから……」と。

 中に孫そっくりの子ども(生徒)がいる。
ワイフになついた子どももいる。
実のところ、ワイフは、子どもたちの間でも人気者。
私より人気がある。

 だからいくら険悪な関係になっていても、生徒たちの
前では、喧嘩はできない。
たがいに作り笑いをしているうちに、もとに戻ってしまう。

●束縛

 だからときどきこう思う。
「結婚」というワクに縛られる必要はないのではないか、と。
日本では、結婚というと、どうしてもそこに「家」をからませる。
家制度が、いまでも心のどこかに残っている。
一方、オーストラリアなどでは、「試験結婚」のようなものを通して、
ある程度、たがいを知り合ったあと結婚するというケースが多い。
あるいは日本でいう同棲状態のまま、という夫婦(?)も多い。

 つまりこれは「結婚」の問題というよりは、「意識」の問題という
ことになる。
どういう意識をもって、1人の異性と人生を共にするか。
その結果として「結婚」という言葉がある。

●離婚問題

静岡県の教育委員会が発行している雑誌に、『ファミリス』というのが
ある。
その雑誌に、先日、こんな相談が届いた。
それをそのまま紹介する。

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Q:子どもがまだ幼児のころに離婚したのですが、離婚したことを子どもに話すタイミングはいつがいいのか悩んでいます。
「離婚は、あなたが原因ではないよ」ということを伝えたくて、それとなく話すこともあるのですが、具体的なことを話すのは、子どもがはっきり聞いてくるまで待つのがいいか、早い時期に話しておく方がいいのか、どちらがいいのでしょう。

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 この相談の中に流れる、「罪悪感」を、あなたは感ずることが
できるだろうか。
相談の母親は、深い罪悪感に苦しんでいる。
しかし今どき、離婚など、珍しくも何ともない。
話題にもならない。
が、罪悪感をもつ人は、多い。
自らに「ダメ人間」のレッテルを張ってしまう。
つまりこれも「離婚」の問題ではなく、「意識」の問題という
ことになる。

 その意識は、どこまでいっても、個人的なもの。
他人が介入する余地など、どこにもない。
他人の目を気にする必要もない。
冒頭に書いたように、結婚は、まさに宝くじ。
当たれば、それはそれでよい。
しかしハズレたからといって、それはそれ。
あとは明るくさわやかに別れ、それでおしまいにすればよい。

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2005年の10月に、こんな原稿を
書いた。

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●恋愛の寿命

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心ときめかす、恋心。しかしその恋心
にも、寿命がある。

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 その人のことを思うと、心がときめく。すべてが華やいで見える。体まで宙に浮いたようになる……。恋をすると、人は、そうなる。

 こうした現象は、脳内で分泌される、フェニルエチルアミンという物質の作用によるものだということが、最近の研究で、わかってきた。恋をしたときに感ずる、あの身を焦がすような甘い陶酔感は、そのフェニルエチルアミンの作用によるもの、というのだ。

その陶酔感は、麻薬を得たときの陶酔感に似ているという人もいる。(私自身は、もちろん、麻薬の作用がどういうものか、知らない。)しかしこのフェニルエチルアミン効果の寿命は、それほど長くはない。短い。

 ふつう脳内で何らかの物質が分泌されると、フィードバックといって、しばらくすると今度は、それを打ち消す物質によって、その効果は、打ち消される。この打ち消す物質が分泌されるからこそ、脳の中は、しばらくすると、再び、カラの状態になる。体が、その物質に慣れてしまったら、つぎから、その物質が分泌されても、その効果が、なくなってしまうからである。

しかしフェニルエチルアミンは、それが分泌されても、それを打ち消す物質は、分泌されない。脳内に残ったままの状態になる。こうしてフェニルエチルアミン効果は、比較的長くつづくことになる。が、いつまでも、つづくというわけではない。やがて脳のほうが、それに慣れてしまう。

 つまりフェニルエチルアミン効果は、「比較的長くつづく」といっても、限度がある。もって、3年とか4年。あるいはそれ以下。当初の恋愛の度合にもよる。「死んでも悔いはない」というような、猛烈な恋愛であれば、4年くらい(?)。適当に、好きになったというような恋愛であれば、半年くらい(?)。

 その3年から4年が、恋愛の寿命ということにもなる。言いかえると、どんな熱烈な恋愛をしても、3年から4年もすると、心のときめきも消え、あれほど華やいで見えた世界も、やがて色あせて見えるようになる。もちろん、ウキウキした気分も消える。

 ……と考えると、では、結婚生活も、4年程度が限度かというと、それは正しくない。恋愛と、結婚生活は、別。その4年の間に、その2人は、熱烈な恋愛を繰りかえし、つぎのステップへ進むための、心の準備を始める。

 それが出産であり、育児ということになる。一連のこうした変化をとおして、今度は、別の新しい人間関係をつくりあげていく。それが結婚生活へとつながっていく。

 が、中には、そのフェニルエチルアミン効果による、甘い陶酔感が忘れられず、繰りかえし、恋愛関係を結ぶ人もいる。たとえばそれが原因かどうかは別にして、よく4~5年ごとに、離婚、再婚を繰りかえす人がいる。

 そういう人は、相手をかえることによって、そのつど甘い陶酔感を楽しんでいるのかもしれない。

 ただここで注意しなければならないのは、このフェニルエチルアミンには、先にも書いたように麻薬性があるということ。繰りかえせば繰りかえすほど、その効果は鈍麻し、ますますはげしい刺激を求めるようになる。

 男と女の関係について言うなら、ますますはげしい恋愛をもとめて、さ迷い歩くということにもなりかねない。あるいは、体がそれに慣れるまでの期間が、より短くなる。はじめての恋のときは、フェニルエチルアミン効果が、4年間、つづいたとしても、2度目の恋のときは、1年間。3度目の恋のときは、数か月……というようになる。

 まあ、そんなわけで、恋愛は、ふつうは、若いときの一時期だけで、じゅうぶん。しかも、はげしければはげしいほど、よい。二度も、三度も、恋愛を経験する必要はない。回を重ねれ重ねるほど、恋も色あせてくる。

が、中には、「死ぬまで恋を繰りかえしたい」と言う人もいるが、そういう人は、このフェニルエチルアミン中毒にかかっている人とも考えられる。あるいはフェニルエチルアミンという麻薬様の物質の虜(とりこ)になっているだけ。

 このことを私のワイフに説明すると、ワイフは、こう言った。

 「私なんか、半年くらいで、フェニルエチルアミン効果は消えたわ」と。私はそれを横で聞きながら、「フ~ン、そんなものか」と思った。さて、みなさんは、どうか?
(はやし浩司 恋愛 恋愛の寿命 フェニルエチルアミン ドーパミン効果 麻薬性)

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 つまり、恋愛にも寿命があるということ。今風に言えば、賞味期限があるということ。しかもそれを繰りかえせば繰りかえすほど、賞味期間は、短くなる。

 だから……というわけでもないが、不倫は不倫として、あるいは浮気は浮気として、さらにそれから恋愛感情が生まれたとしても、決して、急いで結論を出してはいけない。どうせ、冷める。時間がくれば、冷める。人間の脳ミソというのは、もともと、そうできている。

 知人のケースでいうなら、こうした不倫は、静かに見守るしかない。へたに反対すれば、恋心というのは、かえって燃えあがってしまう。しかし時間がくれば、冷める。長くても、それは4年以内。だから私は、こう言った。「放っておけばいい。そのうち、熱も冷める。バレたときは、奥さんにぶん殴られればいい。それですむ」と。

 しかし不倫や浮気ができる人は、それなりに幸福な人かもしれない。いや、不幸な人なのかもしれない。よくわからないが、私の知らない世界を、そういう人たちは、知っている。ただこういうことは言える。

 「真剣にその人を愛してしまい、命がけということになったら、それは、もう、不倫でも、浮気でもない」と。夫や妻の間で、それこそ死ぬほどの苦しみを味わうことになるかもしれないが、そのときは、そうした恋愛を、だれも責めることはできない。人間が人間であるがゆえの、恋愛ということになる。

 どうせ不倫や浮気をするなら、そういう不倫や浮気をすればよい。そうでないなら、夫婦の信頼関係を守るためにも、不倫や浮気など、しないほうがよい。いわんやセックスだけの関係ほど、味気なく、つまらないものはない。(……と思う。)それで得るものより、失うもののほうが、はるかに多い。(……と思う。)

 いらぬお節介だが……。

 昔、今東光という作家は、私が、東京の築地にある、がんセンターを見舞うと、こう話してくれた。

 「所詮、性(セックス)なんて、無だよ」と。私も、そう思う。しかしその「無」にどうして人は、こうまで振り回されるのだろう。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 恋の寿命 恋愛の賞味期限 恋愛の寿命 フェニルエチルアミン効果


Hiroshi Hayashi+++++++NOV. 2010++++++はやし浩司・林浩司

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