最前線の子育て論byはやし浩司(2)

子育て最前線で活躍する、お父さん、お母さんのためのBLOG

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2010-12-01 03:50:41 | 日記

●2006年7月

 6月が終わる。今月の飛行回数、わずか5回。時間にすると6時間ジャスト。梅雨だけ
のせいではない。

 6月最後の今日の天気は曇り。梅雨前線は北上し、九州の北半分は朝から絶望的。午後
には南側にも前線の影響が出始めるという予報だったが、今日は何が何でも飛ぶ!とSぺ
ーと固く誓い合い、種子島へのログ(飛行計画)を組む。午前10時。

 午前11時30分。ブリーフィングの準備開始。種子島空港に電話して、スポット(駐
機場)の予約を入れる。何でも、自衛隊が14時20分までスポットを占有しているらし
く、それ以降でないと駐機できないとのこと。しかたなく14時40分からスポットを予
約。出発を遅らせるしかない。こっちが到着するころに、自衛隊機が一斉に飛び立ってい
くのが見られるかもしれない。

 正午過ぎ、整備のJAMCOさんがシップの尾翼のあたりを脚立を使ってなにやら調べ
ているのが気になる。ブリーフィングの準備は整い、教官が来るまでのわずかな間に、も
う一度イメージトレーニング。ランウェイは09。高度は8500ft。あの雲を超えら
れるかな・・・観天望気のため外に出て、空を見上げる。行けそうだ。行こう。飛ぼう。

 午後12時半、帯広で尾翼のVORアンテナが脱落したという報告が入る。宮崎のシッ
プもチェックしてみたら、アンテナにひびが入っていたものが3機ほど見つかる。他のシ
ップにもチェックが入るため、僕らのシップは試験を目前に控えた先輩に回されてしまう。

 完璧に準備されたブリーフィング卓の前で呆然とする3人。教官が入ってきて、「何かシ
ップないみたいよ~」と。拍子抜け。5~6分、立ちブリーフィング。あまり飛びたくな
いときに飛ばされて、ほんとうに飛びたいときに飛べない。その気持ちの切り替えが、パ
イロットに課せられた課題の一つなのだ。こういうこともある・・・。

 先週は別の故障でシップが2~3機足りず、キャンセルになっていたこともあった。シ
リンダーにクラックが見つかったとか、バードストライク(鳥と衝突)したとか。どうな
るんだろう、この学校・・・。でも、もうすぐ死ぬほど飛べる日々がやって来るんだろな。
地上気温、30度。8500ft上空、気温13度。とりあえずプール行こう。

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●2006年9月

前段。それは飛行機を、最初に空へ上げる人。誰よりも早く飛行機に乗り込む人。

 透き通った青い空のもとに置かれたピカピカの飛行機へ足早に向かう。目に映るのはボ
ナンザと、その向こうに広がる誘導路と滑走路、そしてそこを疾走してゆく大型旅客機だ
け。心地よい向かい風を肩で感じながら、次第に時間がゆっくりになっていくのを確かめ
る。一瞬一瞬が輝き始める。集中力が僕に呼びかける。そうだ、今日も飛ぶんだよ、と。

 どこから見ても本当に美しい機体。その表面を撫でて何かを確かめる。包み込まれるよ
うに優しく乗り込んで操縦桿を握ると、僕が飛行機の一部なのか、飛行機が僕の一部なの
かわからなくなる。そこから見える景色は、いつもと同じ景色でもあり、まったく違う景
色でもある。これは現実なのか、夢なのか。考えている間に手がひとりでに動き出す。流
れるようなプロシージャー。それはまさに音楽。飛行機が生まれ変わってゆく。

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●2006年9月

C'Kの1週間くらい前から、左目の目じりがずっと痙攣している。C'Kが終わった今でも、
それは続いていて、秋雨前線の雲に覆われたこのところの空のように、気分はどうもすっ
きりしない。

 C'K当日の朝も、空ははっきりしない雲に覆われていた。C'Kを実施するにはあまり好ま
しくない天気だが、とにかくこの日にC'Kを終わらせたかったので、最後の最後まで悩ん
だ挙句、行く決断をした。試験官との相性というものがあって、自分はI教官にぜひ見ても
らいたかった。この日以降、I教官は休みに入ってしまう予定だった。

 出題されたコースは、南回りで鹿児島。鹿児島は苦手意識が強く、できれば行きたくな
かった空港だ。C'Kの神様は本当によく見ている。大島、枕崎、鹿児島city、鹿児島空港、
坊ノ岬、都井岬、白浜。

 上がってみると、案の定コース上は雲だらけ。計画をどんどん変更し、上がっては下が
り、右に避けては左に戻り、視程の悪い中、必死に目標を探す。岬だの、駅だの、石油コ
ンビナートだの。鹿屋空港上空を通過後、エンジンフェイル(シミュレート)。『鹿屋空港
に緊急着陸します!』でケースクローズ(課題終了)。枕崎変針後、雲は一段と低く、多く
なってきて、鹿児島cityまでに2000ft、スパイラルで降下(螺旋降下)。鹿児島離陸
後は雲の袋小路に入り込み、管制圏すれすれを迷走。帰りの鹿屋上空で大雨。もうめちゃ
くちゃだった。泣きそうだった。何度ももう止めたいと思った。

 でも、頑張った。

 天気の悪い日は出来る限り飛ばないほうがいい。でも、得るものが多いのも、自信がつ
くのも、天気の悪い日だ。最後のVFRナビゲーションで今までで1、2を争う天気の悪さ
の中を飛んで、無事合格して、大きな大きな自信が身についた気がする。できればもう一
度、飛びたいと思った。

 学歴は大学中退、これといった資格のなかった僕が、事業用操縦士になった。つまり、
飛行機を操縦することによりお金を稼ぐことができるようになったということだ。総飛行
時間145時間、総着陸回数324回。短いようで、長い長い1年間だった。

 今の僕は、JISマーク付きのイスみたいなものだ。一定の安全基準を上回っただけの操縦
士。ちょっと行儀の悪い子供が座ったり、ゴツゴツしたところに設置されたりすると、ボ
キっといってしまう、まだひ弱なイスだ。『ミニマムのプロ』。I教官の講評。そう。ここが、
新しいスタートだ。

 協力してくれた同期のみんな、応援してくれたみんな、どうもありがとう。Finalも頑張
ります。

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●2006年11月

 仙台課程では、取得しなければならない資格が2つあり、それに加えエアラインへの就
職活動も並行して行われる。これが、仙台課程が大変だといわれる所以である。

 航大生だからといって、卒業後、自動的に各エアラインに就職できるわけではない。航
大のためだけの特別なスケジュールは確保されるものの、他の一般就活者と同じように、
まず4社に履歴書を送り、会社説明会に参加し、SPIや心理適性検査、そして身体検査
を受け、一般面接、役員面接を経て、ようやく内定という手はずを踏まなくてはいけない
のだ。第一志望の会社に受かる者もいれば、当然、どの会社にも縁をいただけない者もい
る。後者は、卒業後、他の航空会社に独自にアプローチをかけていかねばならない。

 つい先日、僕らの一つ上の先輩の一次内定者の発表があった。いくらパイロットの大量
退職という追い風があったとしても、やはりまだまだ思うようにいかないのが現実である
ようだ。それにしても、エアラインがいったいどういう人材を欲しているのか、いまいち
掴みにくいのが僕らの悩みどころである。

 航大の場合、最終内定前に就職がうまくいっていることを確認できる段階が、3つほど
ある。

 就職活動はまず履歴書を書くことから始まる。その後身体検査と面接が行われ、しばら
くすると何人かに再検査の通知が来る。身体検査にはお金がかかるので、再検査が来ると
いうことは、面接では合格したものと見込んでいいのだそうだ。

もちろん、身体にまったく異常がなければ、来ない場合あるが。とにかく、これが第一段
階。第二段階は、オブザーブだ。オブザーブというのは、会社が学生を何人か指名し、そ
の学生のフライトを、その会社の機長が後席から観察するというもの。当然、会社が見た
いと思う学生はほしいと思っている学生なので、オブザーブが来るということは期待して
いい証拠なのだそうだ。しかし、これはかなり緊張するらしい。

 第三段階は一次発表。これはほぼ内定と見込んでもいいらしい。その後大手2社以外の
身体検査、及び役員面接を経て、最終内定の発表となる。

 先輩を見ていて、少しずつ希望が輝いていく人と、翳っていく人がいる。その表情の違
いに、果たして3ヵ月後、自分はこのプレッシャーに耐えられるだろうかという緊張感を
覚える。夢が現実になる瞬間が近づいている。

 僕らはというと、既に履歴書は提出済み。来週はいよいよ、一週間かけての会社訪問&
身体検査に臨む。大鳥居のホテルに8連泊。航大至上初の、一人部屋である。身体検査に
向け、各自様々な取り組みをしているようだが、僕も仙台に来て約2ヶ月間、ずっと運動
を続け、結果減量に成功した。目標まで、あと少し!

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●2007年1月

 再検査、と聞くと、何だかあまりいい印象を受けないと思うが、ここ航大の就職活動に
おいては、比較的縁起のいいものとして扱われている。なぜなら、見込みのない学生に、
お金のかかる再検査をわざわざやらないだろう、というのが定説だからだ。身体検査→面
接→再検査という順番を考えれば、再検査が来たということは、少なくとも面接ではOK
だったんだなと思っても、大きな間違いではないだろう。

もちろん、身体検査が一発で受かっていれば、そもそも再検査など来ないのだけれども。
幸い、と言うべきか、僕はJ社、A社の両方から再検査の通知が来た。

 J社では心エコー検査というものを受けた。心臓にエコー(音波)を照射して、反射して
きたものを映像化する装置で、いろんな角度からぐりぐり見られた。自分の心臓を見たの
は生まれて初めてだったので、興味津々で画面を見つめていた。どこかで勉強した通り、
心室や心房、またその間の弁まではっきり見えて、僕も同じ人間なんだなぁと当たり前の
ことをしみじみ感じていた。

しばらく無言で作業を続けるドクター。心配したが、最後に『うん、いい心臓だ』と言っ
てくれたので安心した。『まぁ大丈夫でしょう』と。って、そんなこと言っていいんですか
先生。身体検査は通常、結果は本人に知らされない決まりになっている。

 それ以外にも、J社では検尿、A社では腹部エコーと採血の検査があり、これらについて
は結果は知らされなかったので、どうなっているか不安だ。でも今は、そんなことを心配
するよりもフライトに集中しなくては。2日間で両社回ったのだが、滞在時間はそれぞれ
15分くらい。それ以外はほぼホテルでくねくねしていただけなので、ゆっくり休むこと
ができた。今週末も金曜・土曜と連続ALL DAY。頑張るぞ!

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興味のある方は、どうか、息子のBLOGをつづけて読んでください。

http://xxxxx

です。

では、よろしくお願いします。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●航空大学校

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日本には、ひとつだけだが、国立の航空大学校が
ある。今は、独立行政法人になっているが……。

テレビのトレンディドラマの影響もあって、
入試倍率は、毎年、60倍前後。

これに合格すると、2年間の合宿生活を通して、
パイロットとしての訓練を受ける。衣食住を
ともにするわけである。

が、訓練のきびしさは、ふつうではない。

そのつど技能試験、ペーパーテストがあって、
それに不合格になると、そのまま退学。留年と
いうのはない。

パイロットといっても、単発機の免許、
双発機の免許、計器飛行の免許、事業用の
免許などなどほか、飛行機ごとに免許の種類が
ちがう。

ライン機ともなると、飛行機ごとに免許の
種類がちがう。もっとも、JALやANAの
ようなライン機のパイロットになれるのは、
その中でも、10~15人に、1人とか。

健康診断でも、脳みその奥の奥まで、徹底的に
チェックされる。

で、あるとき「きびしい大学だな」と私が
言うと、息子は、こう言って笑った。

「燃料費だけでも、30分あたり、
5万円もかかるから、しかたないよ」と。
10時間も飛べば、それだけで100万円!
 
チェック試験に合格できず、退学になった
仲間もいたそうだ。ほんの少し、飛行機の
中でふざけただけで、それで退学になった仲間も
いたそうだ。

無数のドラマを残して、息子が、もうすぐ
その大学を卒業する。今は、就職試験のときだ
そうだが、どうなることやら?

結果はともあれ、息子よ、よくがんばった。
よくやった。
空が好きで好きで、たまらないらしい。


Hiroshi Hayashi++++++++以上、JAN.07++++++++++はやし浩司

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 沖縄旅行記 息子の初フライト 黄色い旗 はやし浩司 黄色い旗 
浜松上空 はやし浩司 2010-10ー31 林英市 林 英市)


Hiroshi Hayashi+++++++Oct. 2010++++++はやし浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

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 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
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