最前線の子育て論byはやし浩司(2)

子育て最前線で活躍する、お父さん、お母さんのためのBLOG

1/3 鎌倉にて 田丸謙二先生と夕食

2012-05-02 12:20:57 | 日記
【日本政府の放射線対策・論理の穴】

●乗馬

 朝起きると30分のウォーキングとランニング。
それがすんだら乗馬マシンで、運動。
その乗馬マシンに乗っていたら、ワイフが起きてきた。

私「ぼくは、今、馬に乗って牧場を見回っている」
ワ「あら、どこの牧場?」
私「ワイオミングの牧場……。広いんだよ。何百エイカーもある」
ワ「何を見回っているの?」
私「野菜と……境界……。あの山の向こうにはインディアンが住んでいる」
ワ「インディアン?」
私「そう、ときどきぼくの牧場を荒らすからね」

ワ「野菜って……ネギとレタス?」
私「そうだよ。それにトマトとキュウリ……」
ワ「本物の馬でなくて、残念ね」
私「ううん、本物だよ。こうして乗っていると、本物だよ」
ワ「楽しいわね」
私「そう、とっても楽しい」と。

 乗馬マシンは、庭のほうに向けてある。
ときどき「ハイヨー」と声をかける。
馬の名前は、「ハンナ」。
先日死んだ、犬のハナの名前をつけた。

 少し前まで、ウィンチェスターの銃をもっていた。
もちろんおもちゃだが、それをもって乗馬マシンに乗ると、さらに楽しい。

私「あのね、広い牧場も、ぼくの家の庭も、同じだよ。ともに光が織りなす無の世界」
ワ「……?」
私「広いと思えば、広い。空間というのは、そういうもの」
ワ「……?」
私「あのね、空間の広さはね、見えるものを基準にして考えてはだめということ」と。

 自分でも、何を言っているかわからなくなったので、この話はここまで。
大切なことは、運動をすること。
つづけること。
が、ただ運動しているだけでは、おもしろくない。
だから、何かの空想をする。
その空想が、単調な運動を楽しくする。

 さあ、今日も始まった。
がんばろう。

午後から、ワイフとドライブ。
今日は、隣町の豊橋まで行き、八丁味噌を使った、鍋料理を食べてくるつもり。


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司

●論理の帰結

●毒だんご

 ここに10個のだんごがある。
うち、1個には、毒が入っている。
そういうとき、あなたは、そのだんごを食べるだろうか。
あるいは、子どもに、それを食べさせるだろうか。
答は「NO!」。
これは論理の問題ではない。
常識。

 では、どうするか。

 まず一時的であるにせよ、だんごを食べるのを禁止する。
その上で、だんごを1個ずつ、調べる。
安全とわかったものだけを、食べる。
子どもに食べさせる。

これが論理(ロジック)である。
が、今、この日本では、その逆のことが起きている。

(1)部分的な検査(=サンプル検査)だけをする。
(2)放射性物質の値が基準値以下であれば、安全と宣言する。
(3)全国に出荷する。

 が、すべての食品を検査するわけではない。
あくまでも「サンプル」。
が、それだけではない。
中には、こうした検査を通さないで、出荷する人もいる。
こうして多くの、汚染された食品が、全国に出回る。

 「たまたま検査してみたら、放射性物質が見つかりました」と。

 この「たまたま」という部分が、恐ろしい。
先月は、愛知県の岡崎市でも、汚染されたシイタケが、見つかった。
幼稚園の給食に出されていたという※。
ある親が、たまたま検査してみたら、見つかったという。
そのシイタケは、東北のある県で栽培されたものだった。

●出荷停止

 論理的に考えてみよう。
まず毒が入っただんごがあったとする。
放射性物質に汚染された食品でもよい。
そういうときは、全量すべて、一時的であるにせよ、出荷停止にする。
そのうち、検査により安全と確認されたものだけを、出荷する。
これが論理(ロジック)である。

 が、これに対して、「検査が間に合わない」と主張する人がいる。
だったら、検査態勢を徹底すればよい。
間に合わないから、サンプル検査ですます……というのは、あまりにも危険。
危険というより、非ロジカル。

 またそれによって被害を被(こうむ)る人がいるなら、それは国が補償する。
つまり出荷停止により、産品を出荷できなくなった人に対しては、国が補償する。
それには、ちゃんとした理由がある。

(1)放射能被害には、「しきい値」なるものは存在しない。
(2)潜伏期間は、2~5年。放射線による被害が顕在化するのは、10~40年後。

●しきい値

 私も3・11大震災後、はじめてこの言葉を知った。
「しきい値」。
「閾値」と書く。

 たとえば毒物でも、薄めれば薬にもなるという。
若いころ、ブラジルの毒蛇研究所というところへ行ったとき、それを知った。
毒物は、ある一定以上の濃度になると、毒物になる。
それ以下では、害はない。
害がないどころか、薬にもなるという。

 その境目の値を、「しきい値」という。

 が、放射性物質には、それはない。
たとえば「500ベクレル以上は危険」とか、「500ベクレル以下だから、問題はない」とか、言う。
しかしこういう定め方そのものが、ナンセンス。
10ベクレルでも、1ベクレルでも危険。
たとえば放射性プルトニウウムのばあい、たった1粒(何十分の1ミリ)でも体内へ入れば、確実にがんを引き起こす。
遺伝子や染色体に影響を与えるから、たとえその人は無事だったとしても、子どもの代、孫の代に、症状が出ることもある。
「水で薄めれば安全」というような問題ではない。

●たまたま……

 こうして放射性物質は、ありとあらゆるものにしみ込み、全国に拡散する。
食品だけではない。
建設資材、木材、砂利などなど。
そのつど、みな、「たまたま……」という言葉を使う。
「たまたま見つかった」と。

 が、問題は、その(たまたま)以外のもの。
それがこの先、5年とか、10年をかけ、全国に拡散し、それぞれの場所で、人体に蓄積する。
一説によると、この先、100万人単位でがん患者が激増するだろうと言われている。
が、そうなったとき、過去を悔やんでも、始まらない。
「どうして、出荷を停止しなかったのか」と。

●論理の欠落

 東北の人たちですら、現地の農産物を食べていないという。
少し離れた千葉県の人たちですら、食べていないという。
どの家にも、ペットボトルの水が、山のように積んであるという。

 一方、東北地方で作られた産品は、全国に広がっている。
たとえば今年に入ってから、横浜市で、汚染シイタケが見つかった。
これも「たまたま」見つかった※。

 販売業者は、静岡県の藤沢市にある会社だった。
その会社は、東北のある県からシイタケを買い、袋詰めにし、横浜で売っていた。
グーグルアースで私が測定してみたら、なんと直線距離にして、800キロも移動していたことになる。
岡崎市で「たまたま」見つかったシイタケは、もっと長い距離を移動していた。
たかがシイタケが、800キロ!

 私はこの「800キロ」という距離の中に、作為的な悪意を覚えてしまう。
それともそれ以前から、シイタケというのは、そういう食品だったのか?

●危険な4号機

 前にも書いたが、危険なのは、4号機。
もし4号機に何らかの事故が起きれば、その被害は今まで程度ではすまない。
東京はもちろん、この浜松市あたりまで、人は住めなくなる。
4号機にだけでも、今までの核実験すべてで排出された放射性物質以上の、放射性物質が詰め込まれているという。
それがわかっただけでも、「安全宣言」など、とんでもないこと。

注※
『愛知県豊橋市保健所は5日(2012年4月5日)、改定前の国の暫定規制値(1キログラム当たり500ベクレル)の2・8倍に当たる1400ベクレルの放射性セシウムを検出した茨城県産干しシイタケが、愛知県岡崎市内の幼稚園の給食に使われたほか、豊橋市の店頭で販売されたと発表した』

注※(産経MSNニュースより)
『横浜市は9日(2012年2月9日)、港北区内のスーパーで販売されていた袋入り乾燥シイタケから、食品衛生法の定める暫定基準値1キロ当たり500ベクレルの4倍を超える同2077ベクレルの放射性セシウムを検出したと発表した。
すでに7袋が販売されており、市は出荷した加工業者のある静岡県に通報、販売したスーパーに回収を指示した。

 独自に調査した市民からの通報を受け市が9日に検査した。
高濃度のセシウムが検出されたのはスーパーチェーン「BY」の綱島樽町店が販売していた賞味期限が来年1月10日の乾燥シイタケの袋詰め「小粒どんこ」。
静岡県藤枝市の「Oフード」が80グラムずつ袋詰めして出荷した同スーパーの専売品。
加工業者によると、乾燥シイタケの産地は主にI県という。
 スーパーによると、綱島樽町店では20袋を入荷し、うち7袋を販売。
ほか2店でも店頭に並んだが、購入者はいないという』(以上MSNニュースより)と。

【付記】

●アーニー・ガンダーセン

 アーニー・ガンダーセンは、週刊朝日誌へのインタビューで、こう述べている。

『……(アーニー・ガンダーセンの)著書では、「4号機のプールで火災が起きたら、日本を脱出せよ」と警告していますね。
(ガンダーセン、アメリカ原子力技術者)「4号機の核燃料プールは、今も日本列島を物理的に分断するほどの力をもっています。
震災時、このプールには炉心数個分もの使用済み核燃料が入っていたのです。
大気圏内で行われた過去の核実験で放出された総量に匹敵するほどの、放射性セシウムが眠っています』(以上、週刊朝日誌より)と。

 4号機の事故は、日本だけの問題ではない。
また日本だけの問題ではすまない。
だから今、世界中の科学者たちが、4号機を問題にしている。

●終わりに

 今の段階で、原発賛成とか、反対とか、そういう段階の議論をしても、意味がない。
まず5年、待つべき!
10年でもよい。
その結果を見て、賛成、反対を論ずればよい。
何ごともなければ、それでよし。
私もそう願うが、もしそうでなければ、そうでない。

 あのチェルノブイリでは、半径600キロあたりで境界線が引かれている。
(ちなみに、福島第一原発から、この浜松市まで、直線距離にして、420キロ!)
そして今の今も、(25年もたった今の今も)、被害者たちは、その後遺症で苦しんでいる。
もし今、そのチェルノブイリ周辺で、原発賛成か反対かを聞けば、恐らく、「お前、アホか」と笑われるだろう。
が、それはそのまま、この日本の近未来図と考えてよい。


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【鎌倉へ】(田丸謙二先生に会う)(死刑廃止論・国歌論・愛国心byはやし浩司)

●3月30日(金曜日)自宅にて

(1)
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(2)
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Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 昼前に、山荘に到着。
その前に、ショッピングセンターに寄り、野菜の苗を仕入れる。
ナス、トマト、それにキュウリ。
それぞれ2苗ずつ。

山荘では、雑草を刈ろうと思ったが、あいにくの強風。
空が白くかすむほど、杉の花粉が舞っていた。

 ワイフは、苦しそうだった。
私も、そのうち鼻と喉が、痛くなりだした。
やることもなく、(何もできなく)、そのまま1~2時間を、過ごす。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●畑仕事

 自宅に帰り、畑に苗を植える。
1つずつ、ていねいに植える。
まわりを風よけでおおう。
これが結構、重労働。
下半身には自信がある。
しかし上半身は、めったに使わない。
20~30分も畑を耕していると、全身に汗がにじみ出てきた。

 これで6畝(うね)、作ったことになる。
ネギが、2畝。
レタスが、2畝。
ワケギが、1畝。
それに今回の野菜が、1畝。

 小さな畑だが、これで夏の終わりまで、いろいろな作物を収穫することができる。

●モクレン

 山荘のほうでは、モクレンが満開だった。
桜と花桃の花は、4分咲きといったところ。
4月に入ったら、一斉に咲き出すはず。

 そうそう、今日も、ハッサクの収穫をした。
全部で、50個ほど、収穫した。
これからが山荘の季節。
4月の終わりになると、ホトトギスが鳴きだす。
野生のジャスミンが、山荘のまわりを、甘い香りで包む。
野イチゴも、そのころ収穫できる。

 1週ごとに、山荘の様子は、大きく変わる。
楽しいというより、それがうれしい。

●義兄

 今夜は、義兄の家で、夜を過ごした。
先ほど、自宅に戻った。
時計をみると、午後10時を少し回っていた。

 その義兄が、こんな話をした。
「浜松でも、下町の土地が、売れないそうだ。
反対に、高台の土地に、売り物がないそうだ」と。

 少し説明しよう。

 浜松市という町は、下町と高台に分かれている。
太平洋沿いからつづき、海抜数メートル地帯を、「下町」という。
そこからなだらかな坂になり、北に向かって、山の手へとつづく。
山の手になる地帯を、「高台」という。
その高台は複雑に入り組んでいて、やがて三方原台地へとつづく。

義「6メートル程度の津波が来たら、下町は全滅だよ」
私「新幹線の線路が、防波堤になってくれると言っている人もいます」
義「あんなのは、簡単に乗り越えるよ」と。

 道理で……というか、この1年、不動産屋が、よく我が家へ来る。
DMもよく届く。
「売り土地はありませんか?」と。

私「下町の土地の価格は、さがっているんですか?」
義「そう、同じ面積なら、2分の1程度にまで、なっている」
私「2分の1?」
義「R町の人が土地を売り、浜北区のほうへ引っ越した。売ったお金で、土地を買ったら、土地の広さが2分の1になったと、こぼしていたよ」
私「じゃあ、高台のほうは、価格があがっているんですか?」
義「それほどあがっていない。が、何しろ、売る人がいない」と。

 3・11大震災の影響は、こんなところにまで及んでいる。

●日は替わって、今日は、3月31日(土曜日)

 今日は、これから鎌倉に向かう。
田丸謙二先生に、会いに行ってくる。
約束の時刻は、3時。

 朝起きると、雨がはげしくガラス窓を叩いていた。
「まずいな……」と思った。
が、予定を変えるわけにはいかない。

 そのあと今夜は、平塚のホテルに一泊(予定)。
鎌倉から、江ノ電沿線上のどこかに……と思っていたが、あいにく、どこも満員。
春休みの土曜日。
今ごろの鎌倉は、足の踏み場もないほど、混雑しているはず。
ということで、平塚になった。

●高台

 私は岐阜県の山の中、育ち。
それもあって(?)、平地にある土地は、どうも落ち着かない。
また道路と同じ高さの家も、落ち着かない。
……ということで、現在住んでいる土地を買い求めた。

 入野町の中でも、西のはずれにある高台。
さらに家を建てるとき、40センチ~150センチほど、土地を盛りあげた。
盛りあげたのには、理由がある。

 私の実家は、道路と同じ高さの平坦地にあった。
いつ自動車が飛び込んできても、おかしくない。
そんな敷地だった。
それが、私には、こわかった。
角にある一本の柱が折れただけで、私の家は、そのまま崩れてしまう。

 だから私は土地を盛りあげた。
が、ワイフにはそれが理解できなかったよう。
当時、さかんに、私にこう聞いた。
「どうして、盛りあげるの?」と。

 ワイフは、平地にある家に生まれ育った。
つまり感覚というのは、そういうもの。
平地が好きな人もいれば、山の手が好きな人もいる。
人や車の出入りがしやすいから……という理由で、平地が好きな人もいれば、私のように、わざわざ土地を盛りあげる人もいる。

 人は、それぞれの思いをもって、家を建てる。
こういうばあい、「人間だから……」という共通項は、ない。
人、それぞれ。

●スピアマンの2因子説

 そう言えば、知能にも、「2因子説」がある。
「因子」という言葉(概念)を最初に使ったのは、スピアマンという学者だが、こういうこと。

 1つは、生まれながらにもっている(g因子)。
もうひとつは、後天的に身につける(s因子)。
人間(子ども)の知能は、この2つの因子で、構成される、と。

わかりやすく言えば、(g因子)というのは、遺伝的に受け継いだ因子、(s因子)というのは、環境要因によって決定される因子ということになる。

 が、何もこれは、知能因子だけの話ではない。

 だれしも、「静かで、落ち着いた場所に、家を建てたい」と思っている。
これは、(g意識)ということになる。
が、そのあと、人は、自分の経験に応じて、それぞれが自分の家を思い描く。
これは、(s意識)ということになる。

 マンション風の家がよいと思う人もいれば、一戸建ての家のほうがよいと思う人もいる。
平地にある家のほうがよいと思う人もいれば、高台にある家のほうがよいと思う人もいる。
つまり、人それぞれ。
言い換えると、人間(子ども)の知能も、人、それぞれ。

●新幹線の中で

 新幹線に乗ると、電光ニュースに、こんなニュースが流れてきた。
「死刑存廃について、有識者の会議を……」と。

 死刑制度など、廃止すればよい。
それが文明国の常識。

もともと「刑」には、2つの意味がある。
ひとつは、本人に対する懲罰としての刑。
もうひとつは、世間一般に対する、見せしめとしての刑。
その両面から考えても、死刑には、それを支持するだけの根拠がない。

 で、もうひとつの残された問題。
それが被害者遺族に対する、心のケアと補償の問題。
それは国家的施策として、対処する。

 以前、書いた、私の死刑廃止論をここに掲載する。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
 
+++++++++++++++++

●死刑廃止論(2007年9月記)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

死刑制度に、死刑制度としての
意味があるかどうかというと、
それは疑わしい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●犯罪性の認識

 たとえば死刑に値するような犯罪を犯している最中に、その犯罪者は、「死刑」という刑罰の重大性を認識しているかどうかというと、答はNO。
ふつうの状態であれば、「こんなことをすれば死刑になるかもしれない」という思いが、犯罪行為に走るのを、思いとどまらせる。

 しかしふつうの状態でないから、ふつうでないことをしてしまう。
それが「犯罪」。

言うまでもなく、刑罰には、2面性がある。

ひとつは、本人に対する、罰としての「刑」。Aという悪いことをしたら、A罪。Bという悪いことをしたら、B罪というように、あらかじめ決めておく。
わかりやすく言えば、「これこれ、こういう悪いことをしたら、それなりの責任を取ってもらいますよ」という意味。

 もうひとつは、世間一般に対する、見せしめとしての「刑」。
これによって、犯罪の発生を予防する。
わかりやすく言えば、世間一般に対して、「これこれ、こういう悪いことをしたら、こうなりますよと教える」という意味。

死刑には、見せしめとしての意味はあっても、当の本人(=主体)を抹殺してしまうという点で、罰とての「刑」の意味はない。
罰を与えたとたん、その犯罪者は、この世から消えていなくなってしまう。

 そこで改めて、この問題の原点について考えてみる。

「公」としての組織体、つまり「国」に、見せしめとして、1人の人間を抹殺する権限はあるのか。

わかりやすい例で考えてみよう。

 ひとりの男が、窃盗をしたとする。
その男に対して、「窃盗は悪いことだ」「その窃盗をしたのは、右手」ということで、右手を切断したとする。
そうした行為が、果たして刑罰として、許されるものかどうかということ。

このばあいは、(1)罰としての刑と、(2)見せしめとしての刑の、双方がまだ成り立つ。
本人は、右手を切られて、何かと不自由することだろう。
また多くの人は、右手を切り取られた人を見て、「窃盗するということは恐ろしいことだ」と知る。

 しかし死刑のばあいは、脳みそも含めて、体そのものを(切り取る)行為に等しい。
右手を切り取るという行為自体、ほとんどの人は、残酷な行為と考える。「いくらなんでも、それはひどい」と。
だったら、肉体全体は、どうなのかということになる。

 そこで最高裁は、ひとつの基準をもうけた。
最高裁が83年に定めた「永山基準」というのが、それ。
それによれば、つぎのようにある。

(1) 犯罪の罪質
(2) 動機
(3) 殺害の手段方法の執拗性、連続性
(4) 結果の重大性、ことに殺害された被害者の数
(5) 遺族の被害感情
(6) 社会的影響
(7) 犯人の年齢
(8) 前科
(9) 犯行後の情状

 これらの「情状を併せ考察したとき、その罪責が誠に重大で、罪刑の均衡の見地からも、一般予防の見地からも、極刑がやむをえないと認められるばあいは、死刑の選択も許される」(永山基準)と。

 が、最近の傾向としては、この基準が拡大解釈、つまり、基準がゆるやかに適応されるようになってきている。
つまり死刑判決が、乱発される傾向にある。
犯罪そのものが凶悪化しているという理由もある。

 しかし繰りかえすが、罰すべき(主体)を残しておいてこそ、刑罰は刑罰としての意味をもつ。
罰すべき(主体)を消してしまったのでは、刑罰は刑罰としての意味を失ってしまう。

 中には、「死という恐怖感を味あわせること自体、社会が与えることができる最大の罰である」と説く人がいる。

 しかしほんとうに、そうか。
反対に、「死ねば、楽になる」と考える人だっているかもしれない。
たとえば今の私にしても、若いころとはずいぶんと、「死」に対する考え方が変わってきた。
「疲れ」を感じたようなとき、「このまま死ねば楽になるのだろうか」と、ふと思うことがある。
ヨボヨボになって、みなに、迷惑をかけるようになったら、それ以上に長生きをしたいとは思わない。

 反対に生きているから、刑が軽いということにもならない。
死刑に値する凶悪犯であるならなおさら、生かしながら、罪の重さで苦しませる。
刑罰としては、そちらのほうがずっと重い。

 さらに中には、短絡的に、「悪いヤツは、生かしておいてもしかたない」と考える人もいるかもしれない。
しかしそれこそまさに、幼稚的発想。
思考力がまだじゅうぶん発達していない子どもが、ゲームの中で使う言葉である。

 が、もうひとつ、死刑には、重大な問題がある。

 K国のような独裁国家、言いかえると、国民がすべての権限をひとりの独裁者に付託したような国なら、いざ知らず。
日本のような民主主義国家において、「公」としての組織体、つまり「国」に、見せしめとして、1人の人間を抹殺する権限はあるのかということ。

 独裁国家では、死刑にするのは、独裁者個人である。
しかし民主主義国家では、死刑にするのは、国民1人ひとりである。
つまり私たち自身が、その人を殺すことになる。
私や、あなたが、だ。
もしあなたが「国のやることだから、私には関係ない」と考えているなら、それこそ、民主主義の放棄ということになる。

 こうして考えていくと、死刑を肯定する理由が、どこからも浮かんでこない。
ゆいいつ残るとすれば、(5)の遺族の被害感情である。

 その犯罪者によって、人生そのものが、大きく狂ってしまうこともある。
愛する人を奪われ、深い悲しみのどん底にたたき落とされる人もいる。
犯罪者を殺したいほど憎く思うこともあるだろう。
あるいは「国が殺してくれなければ、私が殺す」と思う人もいるかもしれない。

 そうした被害者の救済は、どうするかという問題は残る。
が、それこそ国が考えるべき問題ではないだろうか。
金銭的な被害はもちろんのこと、精神的苦痛、悲しみ、怒り、そうした心情を、私たちみなが、力を合わせて、救済していく。
それとも犯罪者を抹殺したところで、その人は、救済されるとでもいうのだろうか。

 さらに言えば、これは暴論に聞こえるかもしれないが、犯罪者といっても、ふつうの人と、紙一重のちがいでしかない。
どこかで人生の歯車が狂い、狂ったまま、自分の意思とは無関係に、深みにはまってしまう。
私たちが生きているこの社会では、善と悪の間に、明確な一線を入れることすら、むずかしい。

 ……長い間、私なりに死刑について考えてきたが、このあたりが、私の結論ということになる。

つまり死刑について、これからは、明確にその廃止を訴えていきたい。

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Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●同窓会

 高校の同窓会に出させてもらう。
コースは、その前日に、郡上八幡に行く。
市内の吉田屋で一泊。
朝、郡上八幡を出る。
午後の同窓会にださせてもらったあと、岐路につく。

 吉田屋は、一度は泊まってみたいと思っていた旅館。
郡上八幡へ行く機会は、ときどきあった。
そのたびにそう思った。
が、泊まる機会がなかった。

●郡上八幡

 ……ということで、郡上八幡には、思い出が多い。
郷里の美濃市からは、車でも1時間ほど。
今は高速道路ができたから、もっと早く行ける。
その郡上八幡。
郡上八幡といえば、盆踊り。
『♪かわさき(郡上踊り)』は、とくに名を知られている。
『♪郡上のなア~、八幡~ン』と歌う、あの歌である。

 今でも、つまり故郷を離れて46年になるが、郡上踊りを聞くたびに、ジンとあのころの自分が戻ってくる。
飾り気のない素朴な民謡だが、名曲中の名曲。
一応、私も岐阜県人。
人並みには、郡上踊りを歌うことができる。

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 ……今、高校時代の友人の三輪政則君(実名)を思い出した。
その三輪政則君がはじめて運転免許を手にしたとき、いっしょに郡上八幡までドライブをした。
そのとき彼は、早稲田大学に通っていた。
中学時代は、よきライバルで、2年間、学年の1位、2位を争った。

 ライバルといっても、親友だった。
期末試験などでは、休み時間を利用し、よく解答の交換をした。
(私も結構、ワルだった。)
三輪君が学年1位になると私が喜び、私が学年1位になると、三輪君が喜んだ。
そういう仲だった。

 で、その郡上八幡へ行く途中、私が少し運転した。
暗い夜道だった。
が、しばらく走ると、後ろから、回転ライトをつけた車が近づいてきた。
私はあわてて車を、泥脇に止めた。
パトカーと思った。
が、それは工事用の車だった。

 ほっとしたのも束の間、見ると車は、崖すれすれのところに停車していた。
ガードレールはなかった。
あのまま崖から落ちていれば、今の私は、い・な・い。

 ……それが今でも、大きなトラウマになっている。
悪夢の中にも、よく出てくる。
以来、車の運転ができなくなってしまった。
今でも、運転免許証はもっていない。
そのときが、私にとって、最初で最後の運転だった。

 その三輪政則君、今、この原稿を読んだら、一度、連絡してほしい。
郷里へ帰るたびに、また今でもあちこちをさがしてみるが、見当たらない。
元気か?

●藤沢

 小田原から在来線に乗り換え、藤沢に向かう。
その藤沢には、こんな奇怪な思い出がある。
事実をそのまま話す。

 G社(出版社)に、TZさんという女性の編集者がいた。
その少し前、TZさんは、G社を退職し、そのときは、独立して、出版の手伝いをしていた。
で、何かのことで、私は、そのTZさんに仕事を依頼した。

 そのときのこと。
2、3度、藤沢のマンションで、TZさんに会った。
TZさんは、本の出版について、快く承諾してくれた。
原稿も送った。

 が、そんなある日。
日にちは確かではないが、12月に入って間もないころのことだった。
突然、TZさんから電話があった。
いつもと変わらない、元気な声だった。
こう言った。
「はやしさん、悪いんだけど、仕事を引き受けられなくなったわ。
少し、体を悪くして……」と。

 ていねいな言い方だった。
私は、それに納得し、電話を切った。

 が、それから2、3か月後の、春先のころのこと。
TZさんは、大腸がんで亡くなった。
突然の訃報だった。

 で、その葬儀の席でのこと。
TZさんの無二の同僚だったNN氏に、そのことを話すと、NN氏は、吐き捨てるようにこう言った。
「はやしさん、そんなこと、ありえませんよ」と。

 NN氏は、こう言った。
「そのときすでにNNさんは、昏睡状態で、電話などかけられるような状態ではなかった」と。

 私は驚いた。
NN氏も、驚いた。
しかしたしかに電話はあった。
いつもと変わらない元気な声だった。

 で、私とワイフの結論は、こうだ。

 そういう状態だったが、たまたまそのとき意識を取り戻した。
そのとき、電話をかけてくれたのでは、と。

TZさん……辻村房子さん。(実名、「つじ」は、「土・ハ・土」に、「しんにょう」の「逵」。)
NN氏……中野満月氏。(実名)

●田丸謙二先生

 現在、扇が谷(鎌倉)の家は、改築中。
その間だけということで、田丸謙二先生は、鎌倉市の近くの、(住所は鎌倉市xxx)、Sという有料老人ホームに身を寄せている。

 午後3時、ちょうどにそこに着いた。

 元気そうだった。
うれしかった。
ビデオカメラを机の上に置いたが、田丸謙二先生は気にすることもなく、あれこれ話してくれた。

 そのときの様子は、YOUTUBEにそのままUPしておく。
私は田丸謙二先生の一言半句、聞き漏らすまいと、懸命に耳を傾けた。
田丸謙二先生は、私の人生の先輩であると同時に、恩師でもある。
この42年間、いつも私は、田丸謙二先生のあとを見ながら、ひよこのように、追いかけてきた。

 その田丸謙二先生が、そこにいた。

 夕食は、老人ホームの食堂で、みなといっしょに食べた。
薄味の卵丼ぶりだった。
おいしかった。

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