最前線の子育て論byはやし浩司(2)

子育て最前線で活躍する、お父さん、お母さんのためのBLOG

●秋田にて

2009-12-13 21:30:04 | 日記
【沈黙の価値】

●おしゃべり

 どこの世界に行っても、おしゃべりの人はいる。
おしゃべりが悪いというのではない。
が、人に迷惑をかけるようなおしゃべりは、どうか。

 飛行機の中、バスの中、そして電車の中。

 昔から「日本人は騒音には、無頓着」とは、よく言われる。
たしかにそうだったし、今も、そうだ。
今、この文章を、東京から浜松へ向かう新幹線の中で書いている。
その新幹線の中でも、おしゃべり、またおしゃべり。
あちこちで、おしゃべり。
あたりかまわず、大声で話しているグループもいる。

 2~3列、席を飛び越えて話が聞こえてくる。
かなりプライベートな内容である。
会社の上司の悪口、批判、仕事への不満など。

 当然、そういった話は、私のような人間にも聞かれている。
そういうことを承知の上で、話している。
……ということは、私たちは、ただの石ころ。
川原の石ころ。
そういったおしゃべりをしている人は、私たちの存在を完全に無視している。

●意地悪

 こうした都会的ニヒリズムは、都会人独特のもの。
先日も何かの雑誌で読んだが、道端で倒れている人を見ても、都会人ほど、無視する
傾向が強いそうだ。
またそういうニヒリズムを身につけていないと、都会では生きていけない。
それこそ掃いて捨てるほど、人がいる。
いちいち気にしていたら、何もできない。
何も話せない。
それがこうしたおしゃべりの中にも見られる。

 ふつうならそんな話は、他人の前ではしない。
常識のある人なら、そんな話はしない。

そこでふと意地悪な気持ちが顔を出す。
そうした声を一度、何かに録音する。
その声を、その人たちの会社か、上司に聞かせる。
話の内容を組み立てれば、どこの会社か、特定できる。

 ……ということもありえるから、私なら、そういう話は、電車の中ではしない。

●マナー

 結局は、マナーの問題ということになる。
時刻は午後6時を回ったころ。
帰宅中のサラリーマンも多い。
居眠りしている人もいる。
そういうとき耳元で、ペチャペチャとやられたら、たまらない。
が、日本人というのは、忍耐強い。
しゃべるのも国民性なら、それに耐えるのも国民性。

 うるさいと言えば、観光バスのバスガイド。
客も、うるさい。
たいてい2~3組のおしゃべりグループが乗っていて、大声でペチャペチャとしゃべり
あっている。
オバチャンのほうが多いが、オジチャンもいる。

 08年ごろまでは、月に2~3回は、地元の観光バスを利用して旅を楽しんでいた。
しかし09年に入ってからは、数えるほどしかしていない。
最後に、ほかの客とトラブルになり、それがトラウマになってしまった。
それについては以前、別の原稿に書いたことがある。

 で、観光バスを利用した旅行は、やめた!

●スズメ

 まずもって、おしゃべりほど、無駄なものはないと心得る。
しゃべるほうも、無駄。
聞くほうも、無駄。
情報の交換ということになるが、価値そのものがない。
言うなれば、スズメのおしゃべりと同じ。
話した瞬間から、話を忘れ、聞いた瞬間から、話を忘れる。
記憶に残るとしても、数日。
長くて数週間。

 ただ、そのときの感情は残る。
たとえばだれかの悪口を話したとする。
悪口を聞いたときでもよい。
そういうときというのは、話した話の内容よりも、後味の悪さだけが残る。

 もともとおしゃべりというのは、そういうもの。
人間もスズメも、基本的には、同じ。

●沈黙の価値

 ……と書くだけなら、だれにでもできる。
そこで考える。
ではどうすれば、価値あるおしゃべりができるか、と。
情報の価値を高めるためには、どうすればいいか、と。

 そこで出てくるのが、(考える力)ということになる。
聞いて考え、考えてしゃべる。
が、それだけでは足りない。
それよりも大切なことは、沈黙を守ること。
考えては黙り、また考えては黙る。
英語国では、『沈黙の価値のわからぬ者は、しゃべるな』という。

 言葉を口にするのは、そのあとでよい。

●沈黙は文化

 私はさらに一歩進んで、「沈黙は文化」と考えている。
そのことは、ここ半世紀の変化を見ただけでもわかる。

 私が20代のころには、観光バスというと、カラオケが定番だった。
自己紹介も定番だった。
おしゃべりどころではない。
ワイワイ・ガヤガヤ……。
それが定番だった。
で、やっと静かになったと思ったら、こんどはビデオ。

 で、子どもたち(中学生)とこんな会話をした。
私が「ぼくたちが子どものころは、観光バスの中でも、みなで歌を歌っていたよ」と
話すと、「ホント?」と言って、子どもたちは驚いた。
一方、オーストラリアにも観光バスに似たようなバスサービスはあるそうだ。
が、ガイドはいない。
運転手がときどき、そのあたりの名所を説明することはあるそうだが、その程度。
で、オーストラリアの友人に聞いた。
そのときオーストラリアの友人と、バスで長野県のほうに旅行をしていた。
彼はこう言った。

「オーストラリアで、ああいうガイドを見つけたら、みな、『黙って座れ』と言う
だろうね」と。

 陽気な人たちだが、一方的な話には、寛大ではない。

 文化と騒音。
これは反比例の関係にある。
文化が高ければ高いほど、騒音は少ない。
結果として少なくなる。
というのも、文化の程度は、その国の国民が、いかに深く考えることができるかで決まる。
……と書くのは、言い過ぎ。
しかしこれだけは言える。

 静かに考えながら旅を楽しむ人も多い。
だから乗り物の中でのおしゃべりは、するとしても、まわりの人たちに迷惑を
かけないように、してほしい。


Hiroshi Hayashi++++++++Dec.09+++++++++はやし浩司

【秋田】09年12月12日

●秋田へ向かう

 浜松から東京へ。
ワイフと2人旅。
東京から仙台、盛岡を経て、秋田へ。
窓の外は、大地まで足を伸ばした雨雲が、低く垂れている。
それが電車の窓より低いところにある。
幾重にも重なった、暗い雲。
灰色の雲。
その向こうには、白い雲が、細く尾を引くように流れている。

寒々とした景色が、心を重くする。
電車は、もうすぐ盛岡に着くはず。
そんなことを考えながら、窓に手を当てる。

思ったより暖かい。
東京も、そうだった。
仙台も、そうだった。
20~30年前なら、このあたりは一面、雪景色。
盛岡を出たあたりから、小雨が降り始めた。
車窓から見る道路は、黒く、雨で光っていた。

●東北

 日本に62年も住みながら、秋田県へ行くのは、これがはじめて。
楽しみ。
プラス、少し不安。

学生時代の友人に、A君という人がいた。
親友の親友だったが、私とは、ほとんど縁がなかった。
そのAZ君は、秋田県出身で、秋田県庁に勤めていた。
僧籍をもっていた人だから、今ごろはどこかの寺で、僧侶でもしているかもしれない。
背の高い、かっこいい人だった。

 それよりも「秋田」と聞くと、どういうわけか、別の男を思い出す。
金沢大学を受験するとき、たまたま同じ旅館に泊まった。
たしかその旅館には、3泊した。
その間に、親しくなった。
その男が、秋田県の秋田高校から来ていた。

 自分が大学に入学したあと、その男をさがした。
が、その男は見つからなかった。
その当時は、名前も顔もよく覚えていた。
「合格したら、会おう」と何度も約束した。
が、今では名前も顔も浮かんでこない。

●田沢湖へ

 東北は、やはり米どころ。
窓の外は、田んぼにつづく、田んぼ。
乗った電車も、「こまち」。
「こまち17号」。
停車駅が少ないのには、驚いた。
東京のつぎが上野、大宮。
つぎが仙台。
仙台のつぎが田沢湖。
私たちは大曲(おおまがり)で降りることになっている。

 冬景色ということもあるのかもしれない。
時折見られる農家も、どこか……というか、まったく元気がない。
トタン屋根の、質素な作りの家が並ぶ。
浜松の家々より、全体に、平屋が多い。
3~4割の家が平屋といったふう。
このあたりは日本でも有数の豪雪地帯。

 ……と書いていたら、列車はいつの間にか、雪の中を走っていた。
山を越えているのか、速度も、70~80キロ?
私はカメラを取り出すと、何枚か、写真を撮った。

 しばらく走ると、今度はトンネルにつづくトンネル。
それを抜けるたびに、外の景色が暗くなっていくように感ずる。
と、同時に窓の下に見える川の流れが、逆になった。
峠を越えたらしい。
時計を見ると、まだ午後2時50分。

●学生時代

 田沢湖を出ると、つぎは……。
先ほど社内アナウンスがあったが、忘れた。
大曲には、15時22分着ということになっている。
新幹線というよりは、ローカル特急といったふう。
動きが止まったような景色が、ゆるやかにつづく。

 私は、こういう冬景色が苦手。
見ているだけで、憂うつになる。
ワイフが横にいるからよいようなものの、これがひとり旅だったら……。
何度も学生時代を思い出す。
列車に乗って、米原を過ぎて、北陸線に入ったとたん、雪景色。
そのたびに、憂うつな気分になった。

 何回か、ワイフの手を握る。
そのたびに子どもでもあやすかのように、ワイフは、私の手をパタパタと叩いた。

「旅館では、秋田名物のきりたんぽが出るそうだ」
「楽しみね」と。
実のところ「きりたんぽ」という名前は知っていたが、それがどんなものか、私は
まったく知らなかった。

●秋田美人

 横手市に着いて、最初にしたこと。
それは「秋田美人」をさがすこと。

 ところが、である。
若い女性たちが、美しい。
本当に美しい。
それには、驚いた。
みな色白で、スラッとして、おまけに彫りが深い。

 一方、30、40代過ぎの女性たちは、みなごくふつうの女性。
「????」。
理由はわからないが、若いときは秋田美人。
しかし歳を取ると、大和民族?

 これは新発見!
ダーウィンの進化論をくつがえすほどの新発見。
つまり胎児は、母親の胎内で、進化の過程を一度、すべて繰り返す。
同じように、秋田の女性は、生まれたあと、進化の過程を、同じように繰り返す(?)。
そういう論文は、ないのか?
(これはジョーク。)

しかし美しい人が多いのには、本当に驚いた。
電車の中でも、駅の売店でも、そして泊まることになった旅館のフロントでも……。

●YP旅館

 私たちは横手駅前の、YP旅館に泊まった。
ネットで予約したこともあり、ちょっと選択ミスをしたかな(?)という旅館だった。
残念!
(悪口を書くので、YP旅館と伏字にする。)

 露天風呂があるということだったが、外来の客たちと重なり、混んでいた。
湯も汚かった。
地元の銭湯としても使われていた。
そんな感じだった、

おまけにトイレも汚かった。
トイレのフタに、薄茶色の汚れが、模様のようについていた。
ゾーッ!

部屋だけは、14畳あり、まずまず。
あとは料理だが、私たちは、小食派。
たいした料理は、いらない。
ぜいたくばかり言っていてはいけない。
グチは言いたくない。
だからこの話は、ここまで。

 ……たった今、フロントに電話をした。
ていねいに、穏やかに……。
しかし、こうお願いした。
言い方をまちがえると、清掃係の人が、クビになってしまう。
それはかわいそう。

「トイレのフタに便の汚れがついていますが……。
生理的に、どうも気分が悪いので、消毒薬か何かをかけて、拭いてもらえませんか」と。
フロントの女性は、「すみません。ただ今……」と言った。

●トイレの汚れ

 旅館のサービスの第一は、清潔感。
つぎに料理。
そのほかのことは、客の責任。
(自分で選んで、自分で予約するのだから……。)

 ……とまあ、生意気なことを言って、ごめん。
みんな一生懸命、やっている。
トイレの掃除まで、手が回らないのかもしれない。

 ……たった今、1人の女性が清掃に来てくれた。
ほっとした。
ていねいに礼を言った。
で、これから食事。

 明日はここから車で20分ほどのところで、講師をすることになっている。
同じ横田市だが、HK地区というところ。

このあたりでは、当然のことながら、私の知名度はゼロ。
だから聞きに来てくれる人も少ないだろう。
わかっている。

 ……が、私は、手を抜かない。
聴衆が100人でも、500人でも、同じ。
来てくれた人が、「来てよかった」と喜んでくれるような話を、しっかりとしたい。

(2009年12月12日節句)

(後記)

 12月13日。
13時03分発の電車で、横田市を立つ。
大曲からは秋田新幹線に。
その新幹線に乗ると、猛烈な睡魔が私を襲った。
……というわけで、田沢湖から仙台に着くころまで、ぐっすりと眠った。
昨夜はじゅうぶん眠ったはずなのに……。

 久々に気持ちのよい講演をさせてもらった。
話しやすかった。
男の人も何人かいたが、話すたびに、「そうだ」「そうだ」と首を縦に振ってくれた。

主催者の方たちや、聴衆の方たちの、暖かい温もりを直接肌で感ずることができた。
会場によっては、高い山の上から天に向かってしゃべるような感じになることがある。
しかし今日は、ちがった。
それに……。
地元で講演するときとちがって、「もう2度と会うことはないだろうな」という思いが、
話している最中に、ときどき頭の中に、浮かんでは消えた。
会場を主催者の方の車で帰るとき、さみしかった。
こんな気分になったのは、今日がはじめて。

 ……そのとき、仙台の町が、ぼんやりと見えてきた。
大きな町だ。
私は雑誌を開いて、それを読み始めた。

HK地区のみなさん、ありがとうございました!
「秋田こまち(米)」を食べるたびに、これからは、みなさんのことを思い出します。

(091213記)


Hiroshi Hayashi++++++++Dec.09+++++++++はやし浩司

●破綻する日本経済

 2009年度の日本の国家税収が、大幅に減った。
ひところは44~5兆円と言われていたが、2009年度は、38兆円。
「38兆円」といえば、「公務員の人件費の総額」に等しい。
「土木建設費の総額」に等しい。

 つまり公務員の人件費と土木建設費だけで、計76兆円。
わかりやすく言うと、月収38万円の人が、自分の家で働いている従業員に、38万円の
給料を払い、毎月38万円をかけて、家の増改築をしているようなもの。
あとは国債という「借金」。

 こんなバカげた経済運営をしている国が、どこにある?

 この静岡県だけを見ても、立派なのは、道路と公共施設だけ。
Eサッカー場にしても、S空港にしても、目の玉が飛び出るほど立派。
が、問題は、それにつづく維持費。
この先、毎年、何10億円、何100億円という維持費を、私たち県民が負担
しなければならない。

 こうした施設は、建てたときは、それなりに潤う。
(潤うといっても、大半は都会のゼネコン。
地元の中小の建設会社は、そのおこぼれをもらうだけ。)

が、それが終わると、今度は、その維持費がズシンと、のしかかってくる。

●唯一の救い

 唯一救われるのは、日本という国は、外国には借金をしていないということ。
国債にしても、外人の持ち比率は、4~5%前後と言われている。
言うなれば、身内の借金。
一家のおやじが、家族に借金している。
わかりやすく言えば、そういうこと。
おやじの借金を取り立てる息子は、いない。

 その身内の資産が、1500兆円ほどある。
だからだいじょうぶ……と言いたいが、ここへきて、借金の総額がその
1500兆円を超え始めた。

 これはたいへんなことになったと言ってよい。
1500兆円を超えれば、つぎに日本政府は、外国から、お金を借りなければならない。
しかし今の金利では、だれも貸してくれない。
(つまり国債を引き受けてくれない。)
となると、金利をあげるしかない。

 が、金利をあげたとたん、日本経済は、大爆発を起こす。
ドカーン!、と。
それでおしまい。
終わり。
破綻。

●バカげた経済構造

 しかしそれにしても、バカげた経済構造を作ってしまったものだ。
今さら「公共事業を減らします」とは、とても言えない。
公共事業にぶらさがって生きている人が、あまりにも多すぎる。
またそういう人たちは、ほかに働く場所がない。
ほかの仕事ができない。
「道路工事の仕事がなくなりましたから、明日からコンピュータの技師をします」
というわけにはいかない。
土木作業というのは、そういうもの。

 本来なら、労働者の質を高め、先端工業の分野で、人を生かし、育てるしくみを
作らねばならなかった。
が、日本政府は、そういう努力を怠った。
そのかわり、必要もないような橋を作ったり、道路を作ったり、大型施設を作ったり、
そんなことばかりしていた。

 その結果が今である。

●個人の問題

 こうなったら、それぞれの日本人が、個人的に、自分の資産を守るしかない。
わかりきったことだが、お金という「札」は、急速に価値をなくす。
今の円高が終わるころ、つぎにやってくるのは、ハイパーインフレ。
ラーメンいっぱいが、2000円とか3000円とかになる。
あるいは5000円になるかもしれない。
1万円になっても、私は驚かない。

 物価が10倍になるということは、私たちのもっている(札)の価値が、10分の1
になることを意味する。
残りの10分の9は、政府に奪われるのと同じ。

どうやって資産を守るかということについては、私の立場では書けない。
方法はいろいろあるが、確実なものはない。
(札)のもつ価値を、別のものに移し換えていく。
それが何であるかは、私にもわからない。

ともかくも、それは時間の問題。
ひょっとしたら、2010年の間くらいは、だいじょうぶかもしれない。
しかし2015年まで、今の状態をもちこたえるとは、だれも思っていない。

 ただここで言えることは、早ければ早いほど、よいということ。
あとになればなるほど、破綻したあとの傷口が深くなる。

●消費税

 私が若いころは、「日本は、間接税の国」と知らされていた。
「だから消費税は、ない」と。
しかし今は、「間接税+直接税」の国になってしまった。
つまり両取られ!

 ……というわけで、今すぐというわけにはいかないだろう。
しかしこの先、少しずつ、軌道修正していく。
たとえば「景気が悪くなったから、即、公共事業」という発想はやめる。
ブレーキをかける。
それにもう一言。

 これだけ社会福祉にお金を注ぎながら、実際には、多くの老人たちは、
介護施設にさえ入れないでいる。
浜松でも、「150人待ち」「2年待ち」というのが当たり前。
なぜか?

施設は立派だが、絶対数が足りない。
先日、オーストラリアへ行ってきたが、オーストラリアでは、古いビルや事務所を
改造して、介護施設にあてている。
日本では、どうしてそういうことをしないのか?

 「あとは消費税をあげるだけ」という発想が、ひとり歩きし始めている。
今の今ですら、あげざるをえない状況にある。
しかし同時に、今、やるべきことは山のようにある。
「予算が足りないから、消費税」という発想では、早晩、再び日本の国家経済は
立ち行かなくなる。
「構造」を変えないかぎり、そうなる。

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