最前線の子育て論byはやし浩司(2)

子育て最前線で活躍する、お父さん、お母さんのためのBLOG

●幼児にとって、自己主張とは何か(自立期の幼児)

2011-11-13 16:00:55 | 日記
●時間という砂時計

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ワイフの老眼鏡が、合わなくなった。
老眼の度が進んでいるという。
眼科医で調べてもらうと、ドクターがそう言ったという。
そこで近くのメガネ屋へ。

大通りに出て右に曲がると、やがて橋を越える。
橋全体が高くなっていて、一瞬だが、見晴らしがよくなる。
川幅は50メートル前後はあるだろうか。
近くの佐鳴湖から浜名湖へ流れる、人工の用水である。

時は晩秋。
明るい日差しを浴びて、川面が光っていた。
が、見ると、ちょうど釣り人が、ルアーを川に投げ込むところだった。
カラフルな服を着ていた。

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●人それぞれ……

 生き様は人、それぞれ。
私は私、あなたはあなた。
人は人。
しかしそれを見た瞬間、私はこう思った。
「ぼくには、できないな」と。

 ……こう書くからといって、魚釣りが、どうこう言うのではない。
また釣り人が、どうこう言うのではない。
先にも書いたように、人、それぞれ。
が、私にはできない。
そうでなくても、時間が足りない。
「忙しい」というのではない。
「時間が足りない」。

●レジュメ

 午前中は、今度浜北区の文化センターで講演をすることになった。
その資料をまとめた。
浜松市内では、今年度最後の講演会である。
総まとめ。
その日に向け、テンションを高めていく。
昨日から少しずつだが、運動量もふやした。

 そのため、つまり資料の整理のために、1~2時間ほどつぶした。
で、そのあと、もう一度、自動車G会の原稿に目を通す。
英文で要約説明文も、書かねばならない。
巻頭言で6ページ。
全世界で発行されるという。
それぞれの国の言語に翻訳されるという。
いろいろな原稿を書いてきたが、これほどまでの依頼は、はじめて。
気合いが入る。

●田丸謙二先生

 田丸謙二先生が、いかに偉大な人物であるかは、いまさらここに書くまでもない。
肩書(経歴)を並べたら、とても1枚の紙には収まらない。
その田丸謙二先生が、先日、ドイツで行われた「ハーバー記念講演会」に講師として招かれた。
全世界から1000人近い、科学者が集まったという。
ノーベル賞受賞者も多数、いたという。

 が、何よりも驚くのは、今年、田丸謙二先生が、88歳であるということ。
常識的に見れば、ヨボヨボの老人ということになる。
その田丸先生に、自動車G会の原稿を送った。

●裸で勝負

 「田丸謙二先生へ、
今度自動車G会のために書いた原稿を送ります。
年1回発行され、全世界で配布されます。

 先生にお会いしたのが、1970年。
そのとき私は心に誓いました。
『この先生と、裸で勝負してやる』と。
先生は東大で、30代で教授になったとか。
東大でも最年少で教授になったと、先生は自慢していました。

 で、以来、42年。
先生から見れば、ヒヨコみたいかもしれませんが、いっさいの組織に属することもなく、いっさいの肩書もなく、ここまでがんばってきました。
ぼくも、88歳までがんばってみます」と。

●魚釣り

 先にも書いたように、「とにかく時間がない」。
今の私は、その一言に尽きる。

 知りたいことは、山のようにある。
知らないことも、これまた山のようにある。
1冊の週刊誌を読んだだけでも、頭の中でバチバチと火花が飛ぶ。
だからといって、私の生き様が正しいとか、また人もそうであるべきとか、そんなふうに考えているわけではない。
私は私。
人は人。

 が、今の私には、仮に100歩譲っても、魚釣りはできない。
食べ物に困って、その食材にということであるなら、話は別。
しかしすぐ、こう考えてしまう。
「……だから、それがどうしたの?」と。
つまり「魚を釣ったからといって、それがどうしたの?」と。

 私に当てはめてみると、その答が返ってこない。
どうしても返ってこない。

●健康余命まで、あと4年

 命は砂時計のようなもの。
「……ようなもの」ではなく、「命は砂時計」と断言してもよい。
刻一刻と、命は短くなっていく。
その心境は大病で、死を宣告された患者と同じ。
「あなたはがんです。余命はあと半年です」と宣告されれば、だれだって慌てる。
が、「あなたの寿命は、あと14年です」と言われても、慌てる人はいない。
が、どうして?

 たったの14年だぞ!
私は現在、64歳。
日本人の平均余命(男性)は、79歳前後。
もっともそれまで元気なら、まだよいほう。
その前、平均して10年間ほど、病魔と闘わねばならない。
(平均余命)から10年を引いた年齢。
これを「健康余命」という。
つまり健康でこうしてがんばれるのも、あと4年。
たったの4年だぞ!

 それを思ったら、とても魚を釣って時間をつぶす余裕などない。
少なくとも、私にはない。

●だからそれがどうしたの?

 私はよく自分に問いかける。
「だから、それがどうしたの?」と。

 そのときズシリとした答が返ってくるときもあれば、そうでないときもある。
その答がないとき、私は深い悔恨の念にとらわれる。
「時間を無駄にした」と。

 先に『命は砂時計』と書いた。
命は、砂時計の砂のように、刻一刻と、下へ落ちていく。
「砂」といっても、ただの砂ではない。
それがわからなければ、「金」に置き換えてもよい。

 若い人にしても、そうだ。
時間給はそれぞれちがうだろう。
しかし同時に、命は、1時間ごとに減っていく。
金銭で置き換えることはできない。
しかしまさに「金(ゴールド)」。
あるいは、はるかにそれ以上。

●定年退職者?

 のどかな風景。
どこにでも見られる風景。
このところ、プラス気になるのは、私の年代層の人たちが、急にふえてきたということ。
見た感じでは、定年退職者?
本当に魚釣りを楽しんでいるというよりは、暇つぶし?

 こう書くとたいへん失礼ということは、よくわかっている。
あるいは本当は、そういう人たちでも、こう叫びたいのかもしれない。
「もっと仕事をしたい」「もっと意味のあることをしたい」と。

 書き忘れたが、用水といっても、全国でも汚染度ナンバー5前後を争っている。
そんな湖から流れ出てくる用水の魚を釣って、食べる人はいない。
だとするなら、なおさら、「……だから、それがどうしたの?」となる。

●老後は孫の世話?

 が、たぶん、若い人たちはこう考えるにちがいない。
「人生も終わったのだから、ゆっくり休んだらどう?」と。

 私も若いころは、老人たちを見て、そう考えていた。
「老後は、庭いじりと孫の世話」と。

 しかし私のその年齢になった。
なってみて、こんなことがわかった。
青い空は、やはり青い空。
白い雲は、やはり白い雲。
老人組に入ったからといって、色があせてくるわけではない。
自分の髪の毛の白さにしても、顔のシワにしても、自分では見えない。
つまり心は、若いときと、何も変わっていない。

 若い人たちが、「庭いじりと孫の世話はできない」と思うのと同じように、私たちだって、本音を言えば、それだけで時間をつぶすことはできない。
が、それよりも恐ろしいことが起きるようになる。

●底に穴のあいたバケツ

 これは推測でも何でもない。
医学的に証明された事実でもない。
しかし実感として、老人組に入ると、それがよくわかる。
つまり脳みその底に穴があいたような状態になる。
それがよくわかる。
その穴から、知識や経験、技術や能力が、どんどんと外へこぼれ出ていく。

 ほんの数か月前まで知っていたことが、消えてしまったり、ほんの数週間前までできたことができなくなったりする。
そんなことが連続して起きるようになる。

 ど忘れなど、日常茶飯事。
 
 それは恐怖以外の何物でもない。
が、闘う方法がないわけではない。
先に書いた田丸謙二先生は、50歳を過ぎて中国語を独学し、60歳のころ、中国の科学院(もっとも権威のある学会)で、記念講演をしている。
もちろん中国語、で!

 そういう先生を鏡にすると、一瞬一秒、無駄にできる時間はない。
が、もしここで今、現在の状態の上にアグラをかいてしまったら……。
それこそ死の待合室にまっしぐら。
たわいもない世間話か、兄弟親類のゴシップ話。
そんな話に花を咲かせるようになる。
しかも繰り返し、繰り返し、同じ話をするようになる。

●終わりに

 だからといって、繰り返すが、魚釣りがどうのとか、それを楽しんでいる人がどうのとか、そんなことを書いているのではない。
私は私。
あなたはあなた。
人は人。

 それぞれの人が、それぞれの人生を歩む。
大切なことは、それぞれの人がそれぞれの人の人生を認めあうこと。

わかっている!

 このエッセーを読んで、こう思っている人もいるにちがいない。
「はやし浩司もかわいそうな男だ」と。
「人生を楽しむことも知らない、あわれな男だ」と。

 しかし誤解しないでほしい。
今の私には、今の私が楽しい。
こうして日々に新しい発見をしていくことが、私には楽しい。

 ……こうして私に好き勝手なことをさせてくれるワイフに感謝しながら……。

(はやし浩司 2011―11―13日記)


Hiroshi Hayashi+++++++Nov. 2011++++++はやし浩司・林 浩司

【自己主張する幼児】(年長5~6歳児)

●自己主張

 まずつぎのYOUTUBEを観てほしい。
前半は、ややかったるいレッスンがつづくが、やがて子どもたち(年長児)が造反し始める。
ワイワイと私に抵抗をし始める。
このYOUTUBEを観ていただければ、子どもの自己主張というものがどういうもか、よくわかってもらえる。

 ただ残念なことに、この日本では、子どもを判断する基準が昔と違ってきた。
国際的にも、かなり違う。
こうして自己主張を繰り返す子どもを、この日本ではむしろできの悪い子どもと位置づける。
が、それは世界の常識ではない。
とくにアメリカでは、「シャイな子ども」を、問題児と位置づけている。
小児うつ病の診断基準のひとつにもなっている。
それもあってアメリカでは、はげしく自己主張する子どもほど、できのよい子どもと考える。
またそういう子どもにするために、教育をする。
「教え育てワクに入れる」のではなく、「子どもの能力をエデュース(educe=引き出す)する」ために、教育をする。

 この違いは大きい。
その結果、日本人は、成人になるころには、キバを抜かれてしまう。
ハキのない、草食系人間になってしまう。
日本国内ではそれでよいとしても、このタイプの人間は、世界では通用しない。
日本を一歩外に出れば、そこは海千山千の世界。
盗賊と海賊が、食うか食われるか、血みどろの戦いをしている。

 ともあれ、子どもの自己主張がどういうものであるか、一度、このYOUTUBEを観てほしい。
年長児(5~6歳児)の子どもたちである。

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(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 幼児の自己主張 幼児期後期の子どもたち 幼児期後期 自立期の子ども 2011/11/13記)


Hiroshi Hayashi++++++Nov. 2011++++++はやし浩司・林浩司

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