最前線の子育て論byはやし浩司(2)

子育て最前線で活躍する、お父さん、お母さんのためのBLOG

●夫婦の確執(3)

2010-05-23 10:37:55 | 日記


●実家に寄りつかない、K氏(40歳)

 K氏の実家は、M村(現在は浜松市に編入)にある。
近くに、いとこたちが、数人、住んでいる。
そのK氏だが、何かにつけて、実家のあるM村にはよく帰る。
が、M村に行っても、いとこたちに会うだけで、実家には立ち寄らない。
立ち寄らないまま、そのまままたこの浜松市に帰ってくる。

 理由は、「親父(=K氏の父親)と、顔を合わせたくない」。

 それを知った、父親の弟(叔父)が、K氏にこう言って諭した。
「父親に会いたくない気持ちはわかるが、お前の母さん(=K氏の実母)は、さみしい思
いをしている。親父に会いたくなくても、母さんには、会ってやれ」と。

 しかしK氏は、母親にも会わない。
またそういう状態になって、すでに20年近くになる。

●確執

 こういう話は、合理的に判断するのは、むずかしい。
「確執」というのは、そういうもの。
いろいろな(思い)が、複雑に交錯し、それが糸のようにからんでいる。
その叔父にすれば、「親子ではないか!」ということになる。
「父親と母親は別」と。

 しかし親を捨てる子どもは、同時に、父親と母親を捨てる。
つまりそれほどまでに、確執が深い。
またそこまでしないと、自分の心を割り切ることができない。

 子どもを捨てる親にしてもそうだ。
子どもを捨てるときには、子どもの配偶者(義理の息子、嫁)、さらには、孫まで捨てる。
またそこまでしないと、自分の心を割り切ることができない。
「孫はかわいいが、息子とは顔を合わせたくない」というわけいにはいかない。

 ……という例は多い。

 そこで私はこう考える。

●親子でるという幻想

 幻想は幻想。
「親子という幻想に、しがみつくな」と。
つまり壊れるものは、壊れる。
こんな例もある。

 Y氏(60歳)の息子は、ウソつきだった。
ウソをウソとも思わない。
口がうまく、女性を口説くのもうまかった。
そこで毎年のように、新しい女性を連れて、Y氏のところにやってきた。
ときに1週間前後、いっしょに泊まることもあったという。

 が、それでもY氏は、息子を信じていた。
「私という親だけは、だまさない」と。

 しかし息子は、就職してからも、Y氏をだましつづけた。
「何かの資格試験に必要だ。給料だけでは、払えない」とか言って、そのつど、Y氏から
30万円、20万円という金をせびった。
車を買うときもそうだった。

●親をだます子

 が、その息子が、Y氏をだました。
息子は、嫁の両親を連れて、温泉旅行に行った。
そのとき息子は、Y氏に、「仕事で、北海道へ行くから、法事(Y氏の母親の3周忌)には、
帰れない」と言った。
他人から見れば、ささいなウソだったかもしれない。
しかしY氏にしてみれば、ちがった。
ショックは強烈だった。
はげしい絶望感を覚えた。
それまでのいきさつが、そこで一気に爆発した。

 が、相手は実の子。
で、Y氏は、はげしい自己嫌悪に陥り、ついで自分を責めた。
Y氏は、息子と絶縁した。
やがて孫(女児)が生まれた。
しかしY氏は、会いに行かなかった。
会いたくもなかった。

 この話を、先に掲載した、NEさんの話と重ね合わせてみる。
もちろんここに書いたY氏というのは、NEさんの親のことではない。
ないが、「一方的な意見を聞いて、判断するのはむずかしい」という意味が、これでわかっ
てもらえたと思う。

●理想論

 「親だから、子どもの幸福を願っているはず」「子どもが幸福になるのだから、親は、文
句がないはず」と子どもの側は、考えやすい。
しかし親には、親の立場がある。
それまでの(思い)が累積されている。
そういう(思い)を、ときとして子どもは、理想論だけで、片づけやすい。
しかし親とて、生身の人間。
それこそ学費を作るために、爪に火をともしながら、苦労する。
苦労に苦労を重ねる。
自分の食費すら、削る。
が、子どものほうは、大学を卒業すると同時に、「はい、さようなら!」。
いくら理解のある親でも、これでは浮かばれない。
「子どもが幸せになればそれでいい」と、割り切ることはできない。

●無私の愛?

 「無私の愛」「無条件の愛」は、子育ての基本だが、だからといって、それを逆手に取っ
て、「あなたという親もそうであれ」「そうでなければあなたという親、失格」と言われる
と、「待て!」と言いたくもなる。
それが親子の確執につながる。
そしてそれから生まれる絶望感が大きければ大きいほど、たがいの間の溝も深くなる。

 10年前に私だったら、NEさんの話を聞いたら、NEさんの親を責めただろう。
しかし今は、ちがう。
私はNEさんの親の気持ちも、よく理解できる。
NEさんの親は、NEさんにこう言っている。

「孫は無条件にかわいいだろうなんて、馬鹿にしないで! もう孫の写真なんか送ってこ
なくていいから」
「偽善者ぶって母の日に花なんかよこさないで!」と。

 私には、そう言った、NEさんの親の気持ちも、親という立場で、よく理解できる。
つまりこの問題だけは、一筋縄ではいかない。

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BW はやし浩司 親子の確執 溝 断絶 亀裂 親子の断絶 断絶する親子 憎み合う親
子 親子の憎しみ 嫉妬 絶縁 親と縁を切る 子どもと縁を切る)


Hiroshi Hayashi+教育評論++April.2010++幼児教育+はやし浩司

(4月17日)(日記)

●携帯電話

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今日、W社の携帯端末機から、A社の
携帯電話に、機種を変更した。
かなりの「後退」ということになる。
世は携帯端末機時代。
つい最近も、D社から、「XPERIA」
なるものが、発売になったばかり。
ものすごい人気だそうだ。
が、私はあえて、それに背を向けた。
背を向けて、携帯端末機をやめ、携帯電話にした。
それには理由がある。

(1)携帯電話は携帯電話だけに使う。
つまり電話機として、特化する。
(2)ネット用には、無線モデムを
使用し、携帯電話としては、使用しない。

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●分厚い説明書

 A社の携帯電話にした。
カメラ機能がついただけの(?)、簡単な機種である。
それでもマニュアルは、1センチ強の厚さがある。
ズシリと重量感がある。
この2年で、またまたこの世界は、大きく進歩した。
それはそれでよいのだが、その分だけ、使い勝手が悪くなった。
複雑になった。
つまりわかりにくくなった。

 A社の携帯電話のばあい、初期メニュー画面だけでも、3種類ある。
カラーバリが3種類あって、それぞれにメニュー画面がちがう。
そこまでの説明は、マニュアルに書いてある。
(機種の色によって、初期メニュー画面がちがう!)
が、それぞれの初期メニュー画面への変更方法が書いてない!
どうすればよいのだ!、と、あちこちをいじってみた。
携帯電話といっても、バカにしてはいけない。
……というような操作を繰り返した。
が、こういうときが、いちばん楽しい。

●「白」

 ところで今、私にはおもしろい現象が起きている。
理由はわからないが、何を買うにも、「白いもの」を選ぶ。
昨日は、白い旅行用バッグを買った。
今日は白い携帯電話を買った。
近く車を買い換える。
その車も、今度は、白にするつもり。
どうしてだろう?

 パソコンのみならず、関連機器も、みな、そうである。
キーボードも白、スピーカーも白……。
「カメラ類は、赤」と決めていたが、たぶん、つぎに買うのは、白。
店でながめる機種は、どれも白。
どうしてこうなったのか。
何か心理的な影響が作用しているのか。

 ひとつには、「白」と決めておけば、こと色については、迷わずにすむ。
それに白ほど、飽きない色はない。
もともと「色」でないこともある。
(白や黒は、明暗を示す。色ではない。)
だから飽きない。

 心理的には、純粋なものを求める志向性が強くなったためとも考えられる。
無駄なものをどんどんと省いていくと、形にしても、シンプルなものになる。
思想や文章にしても、そうだ。
色もそうだ。
無駄な色をどんどんと省いていくと、残るのは白。
ここしばらくは、「白もの」が、私の周辺では多くなるはず。
そうそうシャツも、このところ白を着ることが多くなった。
白が、いちばん、落ち着く。

●時事問題

 韓国の哨戒艇が、爆破された。
魚雷によって、爆破された。
で、やったのは、あの国。
わかりすぎるほど、わかっている。
が、当のあの国は、こう言っている。
「K国のしわざに見せかけた、アメリカと韓国の陰謀」と。
そして昨日は、5億円もかけて、P市で花火大会を開いたとか(韓国紙)。
そう言えば、昔、似たようなシーンを、映画で見たことがある。
『ゴッド・ファーザー』という映画だった。

 一方で大量殺戮をしておきながら、それをカモフラージュするために、自分は盛大なパ
ーティを開いて見せる。
「私は関係ありません」と。
身近な事件では、毒入りカレーを作ったHMという女性がいた。
あの女性も、その夜、家族とともに、近くのスナックで、カラオケを楽しんでいた。

 心に余裕がないから、わざとその(余裕)を演出して見せる。
ワルの考えることには、どこか共通性がある。

●韓国の経済バブル

 韓国の経済バブルが、臨界点に達しつつある。
「好景気」「好景気」とはしゃいでいるが、それはどうか?
ソウルの土地にしても、この数年で、価格が7~8倍になったという。
さらに日本でも有名な映画俳優が、33億円近い邸宅を購入したという話も伝わってきて
いる。
これをバブルと言わずして、何と言う?
08年末のリーマンショックで、一時、冷や水をかぶせられたが、ここにきて、またまた
バブルが過熱してきた。

 どうなるか?

●金バブル

 「バブル」と言えば、金(ゴールド)バブルもある。
先週は、1グラムが、3600円以上(田中貴金属)になった。
中、長期的に見れば、金価格は上昇する。
これだけ世界が、市中に札をばらまけば、上昇するに決まっている。
しかし短期的にはどうか?

 一度、この金バブルは、はじける。
私の予想では、(あくまでも私の予想だが……)、一般庶民がババを引く形で、一度、はじ
ける。
一般論として、そこらのオバチャンやオジチャン(失礼!)が、血相を変えて動くように
なったときが、あぶない。
今が、そのとき。
「国家破綻」というタイトルの本が、売れに売れている。
要旨は明快。
要するに、「金に投資せよ」というもの。
今、日本中が、そのかけ声に踊らされている。
だからあぶない。

 その本がそうというわけではないが、金を動かすトレーダーたちにしてみれば、そこら
のオバチャンやオジチャンを動かすことなど、朝飯前。
本や雑誌に、それらしい記事を載せればよい。
金をもらって、つごうのよいことを書くライターは、いくらでもいる。
つまりこうして一般庶民にババを引かせたあと、自分たちは市場から逃げる。

 私の古い友人がそういう仕事をしていたから、私はその手口をよく知っている。
みなさん、気をつけろ!

●外出せず

 今日、4月17日(土曜日)は、ほとんど家の中にいた。
朝から、頭痛。
ときどき薬をのんで、昼寝を繰り返した。
夕方、買い物に行ったついでに、携帯電話を買った。
これはかなりの衝動買い。
それだけ。
今も少し頭が重い。
偏頭痛のようでもあるが、偏頭痛とも様子がちがう。

 やりたいことは、いっぱいある。
が、どれから手をつけたらよいのか、わからない。
借金に追われる多重債務者のよう。

 明日は、気分一新。
朝からダッシュするつもり。
だらけた今日の分を、明日、取り返す。
そんなわけで、今日の成果は、ほとんどゼロ。
新しい発見もなし。
ということで、今日の日記は、ここまで。
おやすみなさい!

2010年4月17日(土曜日)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

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