最前線の子育て論byはやし浩司(2)

子育て最前線で活躍する、お父さん、お母さんのためのBLOG

●8月7日

2009-08-07 07:23:42 | 日記
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 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
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 子育て最前線の育児論byはやし浩司      8月   7日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(321)

●ああ、悲しき子どもの心

 虐待されても虐待されても、子どもは「親のそばがいい」と言う。その親しか知らない
からだ。中には親の虐待で明らかに精神そのものが虐待で萎縮してしまっている子どもも
いる。しかしそういう子どもでも、「お父さんやお母さんのそばにいたい」と言う。ある児
童相談所の相談員は、こう言った。「子どもの心は悲しいですね」と。

 J氏という今年50歳になる男性がいる。いつも母親の前ではオドオドし、ハキがない。
従順で静かだが、自分の意思すら母親の、異常なまでの過干渉と過関心でつぶされてしま
っている。何かあるたびに、「お母ちゃんが怒るから……」と言う。母親の意図に反したこ
とは何も言わない。何もできない。

その一方で、母親の指示がないと、何もしない。何もできない。そういうJ氏でありなが
ら、「お母ちゃん、お母ちゃん……」と、今年75歳になる母親のあとばかり追いかけてい
る。先日も通りで見かけると、J氏は、店先の窓ガラスをぞうきんで拭いていた。聞くと
ころによると、その母親は、自分ではまったく掃除すらしないという。手が汚れる仕事は
すべて、J氏の仕事。小さな店だが、店番はすべてJ氏に任せ、夫をなくしたあと、母親
は少なくともこの20年間は、遊んでばかりいる。

 そういうJ氏について、母親は、「あの子は生まれながらに自閉症です」と言う。「先天
的なもので、私の責任ではない」とか、「私はふつうだったが、Jをああいう子どもにした
のは父親だった」とか言う。しかし本当の原因は、その母親自身にあった。それはともか
く、母親自身が、自分の「非」に気づいていないこともさることながら、J氏自身も、そ
ういう母親しか知らないのは、まさに悲劇としか言いようがない。

J氏の弟は今、名古屋市に住んでいるが、J氏と母親を切り離そうと何度も試みた。それ
については母親が猛烈に反対したが、肝心のJ氏自身がそれに応じなかった。いつものよ
うに、「お母ちゃんが怒るから……」と。

 親だから子どもを愛しているはずと考えるのは、幻想以外の何ものでもない。さらに「親
という関係だけで、その人間関係を決めてかかるのも、危険なことである。親子とい
えども、基本的には人間どうしの人間関係で決まる。「親だから……」「子どもだ
から……」と、相手をしばるのは、まちがっている。親の立場でいうなら、「親だから
……」という立場に甘えて、子どもに何をしてもよいというわけではない。

子どもの心は、親が考えるよりはるかに「悲しい」。虐待されても虐待されても、子どもは
親を慕う。親は子どもを選べるが、子どもは親を選べないとはよく言われる。そういう子
どもの心に甘えて、好き勝手なことをする親というのは、もう親ではない。ケダモノだ。
いや、ケダモノでもそこまではしない。

 今日も、あちこちから虐待のレポートが届く。しかしそのたびに子どもの「悲しさ」が
私に伝わってくる。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(322)

●人格の分離

 日本人の子育て法で、最大の問題点は、親は親でひとかたまりの世界をつくり、子ども
の世界を、親の世界から切り離してしまうところにある。つまり子どもは子どもとして位
置づけてしまい、その返す刀で、子どもの人格を否定してしまう。

もっと言えば、子どもを、ちょうど動物のペットを育てるかのような育て方をする。その
結果、親にベタベタと甘える子どもを、かわいい子イコールよい子と位置づける。そうで
ない子どもを、「鬼っ子」として嫌う。

(例1)ある女性(70歳くらい)は、孫(6歳くらい)に向かってこう言っていた。「オ
イチイネ(おいしいね)、オイチイネ(おいしいね)、このイチゴ、オイチイネ
(おいしいね)」と。子どもを完全に子ども扱いしていた。一見、ほほえましい
光景に見えるかもしれないが、もしあなたがその孫なら、何と言うだろうか。「子
ども、子どもと、バカにするな」と叫ぶかもしれない。

(例2)ある女性(70歳くらい)は、孫(10歳くらい)に電話をかけて、こう言っ
た。「おばあちゃんの家に遊びにおいでよ。お小遣いあげるよ。ほしいものを買
ってあげるよ」と。最近は、その孫がその女性にところに遊びにこなくなった
らしい。それでその女性は、モノやお金で子どもを釣ろうとした。が、しかし
もしあなたがその孫なら、何と言うだろうか。やはり「子ども、子どもと、バ
カにするな」と叫ぶかもしれない。 

 こういう子どもの人格を無視した子育て法が、この日本では、いまだに堂々とまかりと
おっている。そしてそれ以上に悲劇的なことに、こうした子育て法が当たり前の子育て法
として、だれも問題にしないでいる。とたえ幼児といっても、人権はある。人格もある。
未熟で未経験かもしれないが、それをのぞけばあなたとどこも違いはしない。そういう視
点が、日本人の子育て観にはない。

 子どもを子ども扱いするということは、一見、子どもを大切にしているかのように見え
るが、その実、子どもの人格や人権をふみにじっている。そしてその結果、全体として、
日本独特の子育て法をつくりあげている。その一つが、「依存心に無頓着な子育て法」とい
うことになるが、これについては別のところで考える。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(323)

●伸びる子ども

 あなたの子どもは、つぎのどのようだろうか。

( )何か新しいことができるようになるたびに、うれしそうにあなたに報告にくる。
( )平気であなたに言いたいことを言ったり、したりしている。態度も大きい。
( )あなたのいる前で平気で体を休めたり、心を休めたりしている。
( )したいこと、したくないことがはっきりしていて、それを口にしている。
( )喜怒哀楽の情がはっきりしていて、うれしいときには、全身でそれを表現する。
( )笑うときには、大声で笑い、はしゃぐときにも、大声ではしゃいだりしている。
( )やさしくしてあげたりすると、そのやさしさがスーッと心に入っていくのがわかる。
( )ひがんだり、いじけたり、つっぱったり、ひねくれたりすることがない。
( )叱っても、なごやかな雰囲気になる。そのときだけで終わり、あとへ尾を引かない。
( )甘え方が自然で、ときどきそれとなくスキンシップを求めてくる。
( )家族と一緒にいることを好み、何かにつけて親の仕事を手伝いたがる。
( )成長することを楽しみにし、「大きくなったら……」という話をよくする。
( )園や学校、友だちや先生の話を、いつも楽しそうに親に報告する。
( )園や学校からいつも、意気揚々と、何かをやりとげたという様子で帰ってくる。
( )ぬいぐるみを見せたりすると、さもいとおしいといった様子でそれを抱いたりする。
( )ものごとに挑戦的で、「やりたい!」と、おとなのすることを何でも自分でしたがる。
( )言いつけをよく守り、してはいけないことに、ブレーキをかけることができる。 
( )ひとりにさせても、あなたの愛情を疑うことなく、平気で遊ぶことができる。
( )あなたから見て、子どもの心の中の状態がつかみやすく、わかりやすい。
( )あなたから見て、あなたは自分の子どもはすばらしく見えるし、自信をもっている。

 以上、20問のうち、20問とも(○)であるのが、理想的な親子関係ということにな
る。もし○の数が少ないというのであれば、家庭のあり方をかなり反省したほうがよい。
あるいはもしあなたの子どもがまだ、0~2歳であれば、ここに書いたようなことを、3
~4歳にはできるように、子育ての目標にするとよい。5~6歳になったとき、全問(○)
というのであれば、あなたの子どもはその後、まちがいなく伸びる。すばらしい子どもに
なる。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●思考のループ【輪形彷徨】

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思考のループほど、恐ろしいものはない。
ループ状態に入ったとたん、思考は停止し、
その分だけ、時間を無駄にする。

私たちにとって重要なことは、歩きつづけること。
先へ行けば行くほど、さらにその先に、「先」が
現れてくる。
だからますます先に進みたくなる。
が、ループ状態に入ると、「進んでいる」と
錯覚したまま、そこで停滞してしまう。
それは思想的には、「死」を意味する。
「魂の死」と言い換えてもよい。

何も肉体の「死」だけが死ではない。

++++++++++++++++++++

●輪形彷徨(りんけいほうこう)

 思想がループ状態に入ることを、「輪形彷徨」という。
ちょうど輪のように、同じところをグルグルと回るところから、そう言う。

もちろんその半径は、それぞれの人によって、みな、ちがう。
ある人は、1日単位で、ループ状態を繰り返す。
またある人は、1年単位で、ループ状態を繰り返す。
繰り返しながら、自分では、それがわからない。
自分では、前に向かって進んでいると錯覚する。
が、実のところ、一歩も前に進んでいない。

 このことは、あなたの周辺から、何人かの人を選んで、
その人を観察してみれば、わかる。
中には、10年1律のごとく、同じことしか言わない人がいる。
(さらにひどくなると、月単位、週単位で、同じことしか言わない人がいる。)

が、その一方で、そのつど新しい視点で、新しいことを言う人もいる。
話題も豊富で、そのつど話の内容が深く、濃くなっている。

10年1律のごとく、同じことしか言わない人は、その程度の人と見てよい。
思想的には、死んだも同然。
いくら派手な言動を繰り返しても、死んだも同然。
そういう人を、「思想的死者」と呼ぶ。

●思想的死者

 輪形彷徨がこわいのは、それを繰り返しているうちに、思想がどんどんと
浅くなっていくこと。
視野もせまくなる。
それしか目に入らなくなる。

 このことは、私の母の晩年の日記を読んでいて気がついた。
私の母は、毎日その日の終わりに日記をつけていた。
が、晩年になればなるほど、毎日書いていることが同じになっている。

 「今日は雨(晴れ、うす曇り、曇り)で始まり、「~~さんが来た」「~~さんと
会った」「~~さんと話をした」という話につながる。
そしてしめくくりはいつも、「明日は晴れますように(涼しくなりますように)」と。

 私なりに母の気持ちをくみ取りたいと思ったが、日記を読む範囲では、それが
できなかった。
当時年齢も90歳に近かったから、それもしかたのないことかもしれない。
が、母にかぎらず、人は、一度、この輪形彷徨に入ると、そのワクから抜け出られなく
なる。
そしてあとはその悪循環の中で、自分の住む世界を、どんどんと小さくしてしまう。

●では、どうすればよいか

 私たちも、ふと油断すると、そのつど思考がループ状態になるのを知る。
そこで私のばあい、努めて、毎回、ちがったことを書くことにしている。
子どもたちを教えるときも、そうで、同じ年長児のクラスでも、切り口を変えるよう
にしている。
内容そのものも、変えることがある。
こうして自分の思考が、ループ状態に入るのを防ぐ。

 が、このところ、ときどき恐ろしい経験をする。
「このテーマは初めて……」と思って書いている原稿でも、検索してみると、
同じようなことを、数年前に書いたのを知るときがある。
しかも数年前に書いた原稿のほうが、内容が深い!

 たとえば「思考のループ」にしても、実は、それについて書くのは、今回が
初めてではない。

(ここで、ヤフーの検索機能をつかって、検索してみた。)

「はやし浩司 思考のループ」で検索してみたら、ナント、204件もヒットした。
それも、だ。
最新の原稿は、08年11月付けとなっている!
私は6か月前に、同じことを考えていたことになる。
以下、かなりの長文になるが、それをそのまま、ここに掲載する。

Hiroshi Hayashi++++++++July.09+++++++++はやし浩司

●思考のループ

++++++++++++++++++
うつ状態になると、ものごとに対する
(こだわり)が強くなる。

(うつ)と(こだわり)は、紙でいえば、
表と裏のような関係と考えてよいのでは?
そのことだけを、悶々と悩むようになる。
そこで最近、こんなことに気がついた。
若いときは、うつ状態になっても、脳の
中の情報は、割とそのまま維持される。
しかし加齢とともに、うつ状態になると、
脳の中の情報が、こぼれ落ちるように、
消えていく。

特定のことにこだわるあまり、ほかの
情報が入ってこなくなる。
つまりうつ状態が長くつづくと、脳みそ
全体が、ボケていく。
だから一般的には、こう言われている。
「ボケからうつ病になることもあるし、
うつ病からボケになることもある。
その見分けは、むずかしい」と。
つまり今度は、(うつ)と(ボケ)が、
紙で言えば、表と裏の関係と考えて
よいのでは?、ということになる。

+++++++++++++++++

●60代

自分が60代になってみて、恐ろしいと感じたことが、ひとつある。
それは急速に、過去の知識や経験が、脳みそから消えていくということ。
記憶にしても、記銘力、維持力、想起力が、同時に弱くなった。
つまり私たちは、それに気がつかないまま、どんどんとバカになっているということ。
そこで大切なことは、歳をとればとるほど、脳みそをさまざまな角度から、
刺激していかねばならない。
肉体の健康にたとえるまでもない。

が、ここで思わぬ伏兵が現れてきた。
たとえば心がうつ状態になったとする。
(うつ)の第一の特徴は、(こだわり)である。
ある特定のことがらに、悶々と悩んだりする。
それが短期間なものであれば、問題はない。
しかしそれが長期間つづくと、その間に、ほかの部分にあった知識や経験が、
どんどんと脳みそから消え、結果として、頭がボケていく。
そのため総合的な判断が、できにくくなる。

ただ本人自身は、ここにも書いたように、自分でそれに気づくことはない。
そういう状態になりながらも、「私は、まとも」と思う。
このズレが、いろいろな場面で、トラブルの原因となることもある。
先日も、私がその女性(65歳くらい)に、「私は、そんなバカではないと
思います」と言ったときのこと、その女性は何を勘違いしたのか、こう言って
叫んだ。

「私だって、そんなバカではありません!」と。
私はその女性に、認知症の初期症状をいくつか感じ取っていた。
自分勝手でわがまま。
繊細な会話ができない。
話す内容も一方的で、その繰り返し。
が、それはそのまま私自身の問題でもある。

私もよく(うつ状態)になる。
何かのことでそれにこだわると、それについて、悶々と悩んだりする。
毎日、そのことばかりを考えるようになる。
考えるといっても、堂々めぐり。
思考そのものが、ループ状態になる。
とたん、ほかの情報が脳みその中に、入ってこなくなる。
肉体の健康にたとえるなら、これは腕の運動ばかりしていて、体全体の運動を
忘れるようなもの。

うつ状態が長期になればなるほど、そのため、頭はボケていく。
だから……、といっても、もう結論は出ているが、うつ状態は、ボケの敵。
50歳を過ぎたら、とくに注意したほうがよい。

(付記)
認知症から(うつ状態)になる人もいれば、(うつ状態)から認知症になる人も
いる。
その見分けは、専門家でもたいへんむずかしいという。
が、こう考えてはどうだろうか。
どちらであるにせよ、脳の一部しか機能しなくなるために、そうなる、と。
とくに50代以上になると、それまでの知識や経験が、穴のあいたバケツから
水がこぼれ出るように、外へと漏れ出ていく。
そうでなくても補充しなければいけないときに、特定のことにこだわり、
それについて悶々と悩むのは、それだけでバカになっていく。
それが認知症につながっていくということも、じゅうぶん考えられる。
少し前まで、「損得論」についていろいろ考えてきたが、損か得かという
ことになれば、脳みその機能が悪くなることほど、損なことはない。
まさに「私」の一部を、失うことになる。

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