●仮面(ペルソナ)をかぶる女性
ある母親は、近所の人たちの間では、親切でやさしい女性で通っていた。言い方も、お
だやかで、だれかに何かを頼まれると、それにていねいに応じていたりした。
しかし素性は、それほど、よくなかった。嫉妬深く、計算高く、その心の奥底では、醜
い欲望が、いつもウズを巻いていた。そのため、他人の不幸話を聞くのが、何よりも、好
きだった。
こうしてその女性には、その女性のシャドウができた。その女性は、自分の醜い部分を、
そのシャドウの中に、押しこめることによって、一応は、人前では、善人ぶることができ
た。
が、問題は、やがて、その娘に現れた。……といっても、この話は、20年や30年単
位の話ではない。世代単位の話である。
その母親は、10数年前に他界。その娘も、今年、70歳を超えた。
●子に世代連鎖するシャドウ
その娘について、近所の人は、「あんな恐ろしい人はいない」と言う。一度その娘にねた
まれると、とことん、意地悪をされるという。人をだますのは、平気。親類の人たちのみ
ならず、自分の夫や、子どもまで、だますという。
その娘について、その娘の弟(現在67歳)は、こう教えてくれた。
「姉を見ていると、昔の母そっくりなので、驚きます」と。
話を聞くと、こうだ。
「私の母は、他人の前では、善人ぶっていましたが、母が善人でないことは、よく知っ
ていました。家へ帰ってくると、別人のように、大声をあげて、『あのヤロウ!』と、口汚
く、その人をののしっていたのを、よく見かけました。ほとんど、毎日が、そうではなか
ったかと思います。母には、そういう2面性がありました。私の姉は、その悪いほうの一
面を、そっくりそのまま受け継いでしまったのです」と。
この弟氏の話してくれたことは、まさに、シャドウ論で説明がつく。つまり、これがシ
ャドウのもつ、本当のおそろしさである。
●こわい仮面
そこで重要なことは、こうしたシャドウをつくらないこと。その前に、仮面をかぶらな
いこと。といっても、私たちは、いつも、その仮面をかぶって生きている。教師としての
仮面。店員としての仮面。営業マンとしての仮面。
そういう仮面をかぶるならかぶるで、かぶっていることを忘れてはいけない。家に帰っ
て家族を前にしたら、そういう仮面は、はずす。はずして、もとの自分にもどる。
仮面をとりはずすのを忘れると、自分がだれであるかがわからなくなってしまう。が、
それだけではない。こうしてできたシャドウは、そのままそっくり、あなたの子どもに受
けつがれてしまう。
(はやし浩司 仮面 ペルソナ シャドウ)
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少し前に書いた、「シャドウ論」を、
もう一度、ここに添付しておきます。
内容を少し手なおしして、お届けします。
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●仮面とシャドウ
だれしも、いろいろな仮面(ペルソナ)をかぶる。親としての仮面、隣人としての仮面、
夫としての仮面など。もちろん、商売には、仮面はつきもの。商売では、いくら客に怒鳴
られても、にこやかな顔をして、頭をさげる。
しかし仮面をかぶれば、かぶるほど、その向こうには、もうひとりの自分が生まれる。
これを「シャドウ(影)」という。本来の自分というよりは、邪悪な自分と考えたほうがよ
い。ねたみ、うらみ、怒り、不満、悲しみ……そういったものが、そのシャドウの部分で、
ウズを巻く。
世間をさわがすような大事件が起きる。陰湿きわまりない、殺人事件など。そういう事
件を起こす子どもの生まれ育った環境を調べてみると、それほど、劣悪な環境ではないこ
とがわかる。むしろ、ふつうの家庭よりも、よい家庭であることが多い。
●凶悪事件の裏に
夫は、大企業に勤める中堅サラリーマン。妻は、大卒のエリート。都会の立派なマンシ
ョンに住み、それなりにリッチな生活を営んでいる。知的レベルも高い。子どもの教育に
も熱心。
が、そういう家庭環境に育った子どもが、大事件を引き起こす。
実は、ここに(仮面とシャドウの問題)が隠されている。
たとえば親が、子どもに向かって、「勉強しなさい」「いい大学へ入りなさい」と言った
とする。「この世の中は、何といっても、学歴よ。学歴があれば、苦労もなく、一生、安泰
よ」と。
そのとき、親は、仮面をかぶる。いや、本心からそう思って、つまり子どものことを思
って、そう言うなら、まだ話がわかる。しかしたいていのばあい、そこには、シャドウが
つきまとう。
親のメンツ、見栄、体裁、世間体など。日ごろ、他人の価値を、その職業や学歴で判断
している人ほど、そうだ。このH市でも、その人の価値を、出身高校でみるようなところ
がある。「あの人はSS高校ですってねえ」「あの人は、CC高校しか出てないんですって
ねえ」と。
悪しき、封建時代の身分制度の亡霊が、いまだに、のさばっている。身分制度が、その
まま学歴制度になり、さらにそれが、出身高校へと結びついていった(?)。街道筋の宿場
町であったがために、余計に、そういう風潮が生まれたのかもしれない。その人を判断す
る基準が、出身高校へと結びついていった(?)。
この学歴で人を判断するという部分が、シャドウになる。
●ドロドロとした人間関係
そして子どもは、親の仮面を見破り、その向こうにあるシャドウを、そのまま引きつい
でしまう。実は、これがこわい。「親は、自分のメンツのために、オレをSS高校へ入れよ
うとしている」と。そしてそうした思いは、そのまま、ドロドロとした人間関係をつくる
基盤となってしまう。
よくシャドウ論で話題になるのが、今村昌平が監督した映画、『復讐するは我にあり』で
ある。佐木隆三の同名フィクション小説を映画化したものである。名優、緒方拳が、みご
とな演技をしている。
あの映画の主人公の榎津厳は、5人を殺し、全国を逃げ歩く。が、その榎津厳もさるこ
とながら、この小説の中には、もう1本の柱がある。それが三國連太郎が演ずる、父親、
榎津鎮雄との、葛藤(かっとう)である。榎津厳自身が、「あいつ(妻)は、おやじにほれ
とるけん」と言う。そんなセリフさえ出てくる。
父親の榎津鎮雄は、倍賞美津子が演ずる、榎津厳の嫁と、不倫関係に陥る。映画を見た
人なら知っていると思うが、風呂場でのあのなまめかしいシーンは、見る人に、強烈な印
象を与える。嫁は、義理の父親の背中を洗いながら、その手をもって、自分の乳房を握ら
せる。
つまり父親の榎津鎮雄は、厳格なクリスチャン。それを仮面とするなら、息子の嫁と不
倫関係になる部分が、シャドウということになる。主人公の榎津厳は、そのシャドウを、
そっくりそのまま引き継いでしまった。そしてそれが榎津厳をして、犯罪者に仕立てあげ
る原動力になった。
●いつのありのままの自分で
子育てをしていて、こわいところは、実は、ここにある。
親は仮面をかぶり、子どもをだましきったつもりでいるかもしれないが、子どもは、そ
の仮面を通して、そのうしろにあるシャドウまで見抜いてしまうということ。見抜くだけ
ならまだしも、そのシャドウをそのまま受けついでしまう。
だからどうしたらよいかということまでは、ここには書けない。しかしこれだけは言え
る。
子どもの前では、仮面をかぶらない。ついでにシャドウもつくらない。いつもありのま
まの自分を見せる。シャドウのある人間関係よりは、未熟で未完成な人間関係のほうが、
まし。もっと言えば、シャドウのある親よりは、バカで、アホで、ドジな親のほうが、子
どもにとっては、好ましいということになる。
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やし浩司 シャドウ 仮面 ペルソナ 結晶 はやし浩司 復讐するは我にあり シャド
ウ論 参考文献 河出書房新社「精神分析がわかる本」)
Hiroshi Hayashi+++++++July. 2010++++++はやし浩司※
【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
相談(1)小学2年生の父から
小学2年生の息子に「目標に向かってがんばれる力をつけたい」という思いから、小3
の誕生日までにクリアできそうな課題を設けてがんばらせようかと思っています。課題を
クリアできれば、ごほうびは何でも欲しい物を買ってあげるつもりです。
でも妻から、「ごほうびがないとやる気が出ない子にならない?」と言われて、止めた
方がいいかと迷っています。こういうやり方は、いけないのでしょうか?
Hiroshi Hayashi+++++++July. 2010++++++はやし浩司
A:完全に的はずれです(失礼!)。動機付けの三悪に、無理、比較、条件があります。
「課題をクリアできれば…」は、この中の条件ということになります。よくあるのは、「1
00点を取ったら、小遣いをあげる」というもの。
条件のこわいところは、年齢とともにエスカレートしやすいこと。小学生のときは、1
000円のほうびでも、高校生になると、10万円になります。
さらに進むと、条件なしでは、何もしなくなります。物欲と結びつくと、さらにやっか
いなことになります。それが必要だから、それを求めるのではなく、物欲を満足させるた
めに、それを求めるようになります。脳の中で、ニコチン中毒と同じようなメカニズムが
働くようになります。
で、問題は「課題」の中身ということになります。もしそれが個人的なものであれば、「自
分のためにする」を徹します。勉強であれば、なおさらです。「勉強は自分のために、自
分でするもの」と。
大切なのは、達成感です。「できた!」という実感が、子どもを前向きに引っ張ってい
きます。
「何でも欲しい物を買ってあげる」? 愚かな育児観は捨てなさい(失礼!)。あのバー
トランド・ラッセルは、こう書いています。『限度をわきまえた親のみが、真の家族の喜
びを与えられる』と。
Hiroshi Hayashi+++++++July. 2010++++++はやし浩司
相談(2)小学4年生の父から
小学4年生の長男のことで相談します。
私の仕事が忙しく、なかなか相手をしてやれないまま過ごしてしまったのがいけなかっ
たのか、遊びといえばひとりでゲームばかり、友達と遊んだり外に遊びに行ったりしませ
ん。
先日、「外で遊ばないの?」と聞いたところ、「外で何して遊べばいいの?」と返され
て、がく然としました。このまま、集団で遊ぶ経験もなく成長すると、どんな子になって
しまうか不安です。今からできることは、何かないでしょうか?
A:(相手をしてやらなかった)から(ゲームばかりする)と、短絡的に結びつけて考え
る必要はありません。あなたは父親として、じゅうぶん、その責任を果たしています。た
しかに最近の子どもは、集団で遊ぶということをしません。が、こうした傾向はすでに2
0年以上も前から始まっていることです。
で、どんな子どもになるかですが、すでにあなたの子どもは大きな流れの中にいます。
その流れの中で、子どもたちはつぎの世界を創りあげていきます。その流れに対しては、
私もあなたも、無力でしかありません。あえて言うなら、つぎの格言が役に立つでしょう。
『子どもを産み育てるのは母親の役目。狩の仕方を教えるのは父親の役目』(イギリスの
教育格言)と。
つまり社会性の養成と、母子関係の是正。この2つがこの時期の父親に与えられた重要
な使命と考えてください。
なおゲームについてですが、韓国や中国では、ゲーム中毒が問題にならない日がありま
せん。そのための矯正プログラムや矯正施設もできています。が、この日本では、野放し。
ゲームを批判しただけで、猛烈な抗議の嵐にさらされます。私自身も経験しています。
ゲームを許すにしても、ある程度の自制は必要です。時間を決めてさせるとか、ゲーム
の内容を決めるとかなど。
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よろしくお願いします。 はやし浩司
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