最前線の子育て論byはやし浩司(2)

子育て最前線で活躍する、お父さん、お母さんのためのBLOG

●9月20日(3)

2009-09-20 06:46:01 | 日記


●糸の切れた凧(たこ)

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ただ勉強さえできれば、それで
いいと考えている親は、多い。

若い親たちは、ほとんどが、みな、
そうではないか。

しかし指針のない教育ほど、
恐ろしいものはない。それは
たとえて言うなら、糸の切れた
凧のようなもの。

風が吹くのに任せて、右往左往する
だけ。

やがて子どもは、ダメ人間に……。
親は親で、深い、絶望の谷底に
……。

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 もう20年以上も前のこと。あるとき1人の母親が私のところへきて、こう相談した。「う
ちの息子(5歳男児)が通っている英語教室の先生は、アイルランド人です。アイルラン
ドなまりの、へんな発音が身につくのではないかと、心配です」「だからどうしたらいいで
しょうか」と。

 この話は、ほんとうにあった話である。あちこちの本や雑誌にも、紹介させてもらった。

 たしかにアイルランド人は、やや独特の英語を話す。「W」の発音を、「ウォ~」と延ば
したりする。オーストラリアやアメリカには、アイルランド系の移住者も多い。

 しかしネイティブは別として、日本人で、アイルランド英語を、ほかの英語と区別でき
る人は、いったい、どれだけいるだろうか? 私はその相談を受けたとき、「そんな問題で
はないのだがなア」と思った。

 その子どもには、多動性に併せて、多弁性も見られた。きびしいしつけが日常化し、そ
れが原因と思われるチックと吃音(どもり)も見られた。幼児期はともかくも、小学校へ
入学したあと、伸び悩むことは、明白だった。が、その母親は、英語教室の先生の、なま
りを気にしていた!

 ……というような例は、多い。子育てイコール、(子どもが勉強ができるようにすること)
と考えている。もっとはっきり言えば、進学競争のため。ほとんどの親は、「うちの子は、
やればできるはず」「うちの子にかぎって、今より悪くなるはずはない」と信じている。つ
まり、前しか見ない。上しか見ない。

 が、子どもの世界には、うしろもある。下もある。幼児期の、あの穏やかさ、すなおさ
が、いつまでもつづくと考えるのは、幻想以外の何ものでもない。やがてつぎつぎと問題
が起こり、それが怒濤のように親を襲う。

 それには、理由がある。

 親の欲望には、際限がない。少し子どもができるようになると、「もっと」「もっと」と
言って、子どもを追いまくる。が、子どもとて、1人の人間。やがてその限界にやってく
る。よく家庭内暴力が問題になるが、子どもが暴力をふるうのは、何も、家庭だけではな
い。学校という場で、教師に向かって暴力をふるう子どもが、近年、急速にふえている。

 いつだったか、私は『子どもの心は風船玉』という格言を考えた。学校でしめつけられ
た子どもは、家庭で荒れる。反対に、家庭でしめつけられた子どもは、学校で荒れる。

 ふつうの荒れ方ではない。「テメエ、この野郎!」と言って、本気で足蹴りを入れてくる。
本気だ。しかも高校生や中学生ではない。まだあどけなさの残る、小学生。それも、小学
3、4年生。たいていは、女児である。

 が、親というのは、悲しい。子どもがそういう状態になっても、気がつかない。気がつ
かないフリをする。私がそれとなく指摘しても、「まさか……」「そんなはずは……」と、
それを否定してしまう。ことの深刻さが、理解できていない。

 この時点で、子どもの心は、粉々に破壊されている。やさしい心は消え、心は、とげと
げしくなる。ささいなことでキレやすくなり、暴れる。「勉強どころの話ではないのだが…
…」と私は思うのだが、親は親で、拍車をかけて、子どもの受験競争に狂奔する。症状も、
この程度ですめば、まだよいほう。さらに心をゆがめれば、行き着く先は、不登校、家庭
内暴力、陰湿ないじめなどなど。

 ……というような、その親子の未来像が、私には、手に取るようにわかる。40年近く
も幼児を見ていると、それがわかるようになる。が、それを口に出すことは、タブー。わ
かっていても、今度は、私の方が知らぬフリをする。冷酷なようだが、その人の子育てに
は、その人すべての哲学や人生観が集約されている。さらに、その人自身の過去が集約さ
れている。

 仮に問題があったとしても、親自身がそれに気がつくのは、むずかしい。心理学の世界
にも、「メタ認知」という言葉がある。自分自身の思考プロセスを、意識化することをいう。
人間がもつ意識の中でも、最高度の意識といってもよい。

 「なぜ私は、子どもの受験競争に狂奔するのか」と。それが自分でわかる親は、まずい
ない。どの親も、もっと深い部分からの命令によって、動かされているだけ。それを認知
する力が、「メタ認知」ということになる。

 私はその母親と別れるとき、「道は遠いだろうな」と思った。その母親が、自分の愚かさ
(失礼!)に気がつくことはあるのだろうかとさえ、思った。と、同時に、そのときほど、
やる気をなくしたことはない。おかしな無力感だけが、いつまでも残ったのだけは、今で
もよく覚えている。

 学生時代、私のガールフレンドは、そのアイルランド移民だった。若くして白血病でな
くなってしまった。今でもアイルランド英語を耳にするたびに、切ない思いにかられる。
これは余談だが……。

(補記)【メタ認知】

 医学の世界にも、「病識」という言葉がある。精神疾患を病んだような人が、「自分はお
かしい」と認識することを、病識という。

 この病識がある、なしで、精神疾患の重大さを判断することができるという。「私はおか
しい」「私は狂っている」と、認識できる病人は、まだ症状が軽いという。

 しかし病状が進むと、それすら、わからなくなる。「私はどこもおかしくない」「私の精
神状態は健康だ」とがんばる病人ほど、症状が重いという。

 自分で自分の(おかしさ)に気づくことは、それほどまでに、むずかしい。同じように、
自分の思考プロセスを、意識化することは、むずかしい。たとえばDV(家庭内暴力)が
ある。たいていは夫が妻に暴力をふるうケースだが、なぜ暴力をふるうのか。その思考プ
ロセスを、夫自身が気がつくのは、むずかしい。

 とくに心のキズというのは、そういうもの。無意識の世界から、その人を操(あやつ)
り人形のように、操る。夫自身も、幼少時代、親に虐待されていたかもしれない。

 わかりやすく言えば、哲学の世界で、「今の自分を知る」ということが、心理学の世界で
は、「メタ認知」ということになる。

 まず手始めに、「なぜ、私はこうまで、子どもの受験競争にカリカリするのか」と、自問
してみるとよい。そこからメタ認知は、始まる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
メタ認知 思考過程 思考プロセス 無意識下の意識)


Hiroshi Hayashi++++++++Sep 07++++++++++はやし浩司※

●自分を知る

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ほとんどの人は、「私のことは
私がいちばんよく知っている」
と思っている。

しかしその実、自分のことは、
まったくわかっていない。そう、
自分で思いこんでいるだけ。

よい例が、「病識」。「私は病気で
ある」という意識があることを、
病識という。

精神疾患の世界でも、この病識
のあるなしで、病気の軽重が
決まるという。

同じように、心理学の世界には、
「メタ認知」という言葉がある。
自分の思考プロセスを客観的に
知り、それを意識化することをいう。

「なぜ、私はこう考えるのか」と。
考えている内容ではない。なぜ、
そのように考えるか、そのプロセスを
意識化することをいう。

さらに哲学の世界では、「汝自身を
知れ」が、究極の目標になっている。

精神医学、心理学、そして哲学の
世界で、それぞれ言っていることは、
みな、同じ。

つまり、「私を知ること」は、それほど
までにむずかしい。

……それでもあなたは、「私のことは
私がいちばんよく知っている」と、
言い張ることができるだろうか?

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 たとえば若い女性が、胸や太ももをあらわにした服を着たとする。その女性にしてみれ
ば、それが流行であり、そのほうが自分に似合うと思うから、そうする。

 そこでさらに、店にでかけ、あれこれ迷いながら、自分に合った(?)服を買おうとす
る。そういう女性に向かって、「どうしてそういう服を買うのですか」と質問しても、意味
はない。その女性はその女性なりに、懸命に考えながら、色やデザインを選んでいる。

 が、もしその女性が、こう考えたらどうだろうか。

 「私はフロイトが説いたところの、イド、つまり性的エネルギーに支配されているだけ」
と。

 そう、その女性は、無意識の世界からの命令によって動かされているだけ。そしてその
命令は、種の保存本能に根ざしている。胸や太ももをあらわにするのも、結局は、(男)と
いう異性をを意識しているからにほかならない。が、もちろんその女性には、その意識は
ない。

私「男を意識するから、そういう服を着るの?」
女「男なんて、関係ないわよ。ファッションよ」
私「ファッションって?」
女「自分に似合った服を選んで、身につけることよ」と。

 つまり精神疾患でいうところの「病識」が、その女性には、まったくないということに
なる。「私は正常だ」「ふつうだ」と思いこんでいる。しかし若い男性にとっては、そうで
はない。あらわになった胸や太ももを見ただけで、性的な情欲にかられる。女性には、そ
の意識はなくても、男性は、そうなる。

 「どんな服装をしようとも、女性の勝手」というわけにはいかない。

 もっとも、その女性が、性的エネルギーにすべて支配されていると考えるのも、まちが
いである。動機の原点に、性的エネルギーがあるとしても、そこから先は、(美の追求)と
いうことになる。ファッションショーに、その例を見るまでもない。

 しかしそのつど、もし私たちが、自分の思考プロセスを、客観的に認知することができ
るようになったら、またそういう習慣を身につけることができたら、自分の見方が大きく
変わるかもしれない。それを心理学の世界では、「メタ(高次)認知」という。

 たとえばこの私。毎日、ヒマさえあれば、こうしてパソコンのキーボードをたたいてい
る。実際には楽しいから、そうしている。頭の中の未知の世界を探索するのは、ほんとう
に楽しい。毎日、何か、新しいことを発見することができる。

 が、なぜ、そうするかというと、そこからが、「メタ認知」の領域ということになる。哲
学の世界でいう、「私自身を、知る」という世界ということになる。

 基本的には、大きな欲求不満があるのかもしれない。あるいは心のどこかで女性という
読者を意識しているのかもしれない。さらに言えば、(生)に対して、最後の戦いをいどん
でいるのかもしれない。フロイトは、「性的エネルギー」という言葉を使ったが、弟子のユ
ングは、「生的エネルギー」という言葉を使った。

 「性」も「生」の一部と考えるなら、私は、今の自分が、その生的エネルギーによって
支配されているということになる。

 その生的エネルギーが姿を変えて、私を動かしている。それを知るということが、つま
りは、メタ認知ということになる。「私自身を知る」ということになる。

(補記)

 子どもの世界をながめていると、メタ認知というものが、どういうものか、よくわかる。

 たとえば心理学の世界にも、「防衛機制」という言葉がある。自我が危機的な状況に置か
れると、子どもは、(おとなもそうだが)、その崩壊を防ぐために、さまざまな行動に出る
ことが知られている。

 たとえば学習面では目立たない子どもが、スポーツ面でがんばるなど。非行や暴力、つ
っぱりも、その一部として理解されている。

 が、当の本人たちには、その意識はない。「私は私」と思って、(思いこんで)、そういう
行動を繰りかえす。

 相手は子どもだから、ここでいうメタ認知を求めても、意味はない。心を知り尽くした
心理学者でもむずかしい。あのソクラテスですら、「汝自身を知れ」という言葉にぶつかっ
てはじめて、「無知の知」という言葉を導いた。

 しかしメタ認知は、同時に、他人をよく知る手助けにもなる。

 出世主義に邁進する人も、金儲けに血眼になっている人も、あるいはスポーツの世界で
華々しい成果をあげている人も、心のどこかで、何かによって動かされている。それが手
に取るように、よくわかるようになる。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
メタ認知 認識 病識 汝自身を知れ 汝自身を、知れ)


Hiroshi Hayashi++++++++AUG.09+++++++++はやし浩司

●空腹のメカニズム(メタ認識・メタ認知)

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昨夜、床につく前、猛烈な空腹感
に襲われた。

「パンでも食べようか……」と思ったが、
やめた。

そういうときの空腹感は、幻覚の
ようなもの。

朝、起きると、空腹感は消える。
今までの経験で、それがよくわかって
いる。

それに寝る前に食べると、肥満に
つながる。

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 人間の空腹感は、(ほ乳動物もみなそうだが)、2つの相反する作用によって決まるとい
うことがわかっている。「食べたい」という作用と、「食べたくない」という作用である。「食
べたい」という作用が、「食べたくない」という作用よりも強くなったとき、空腹感が起き
てくる。順に考えてみよう。

 大脳の視床下部に、血糖値を感知するセンサーがある。一般的には、血糖値がさがると、
そのセンサーが機能し、空腹感をもたらすと考えられている。

 しかし空腹感のメカニズムは、そんな単純なものではない。私の例で、考えてみよう。

 たとえば昨夜、私は寝る前に、猛烈な空腹感に襲われた。人間には、(ほ乳動物はみなそ
うだが)、ホメオスタシス効果というのがある。「ホメオスタシス」というのは、人間内部
の生理的環境を一定に保とうとする機能を総称したもの(付記、参照)。

 もっともわかりやすい例が、食欲である。体内のエネルギーが不足してくると、生理的
バランスを一定に保つために、ホメオスタシス効果が機能し始める。それが食欲につなが
る。

 猛烈な空腹感に襲われたのは、血中の血糖値がさがったため。それを大脳の視床下部の
センサーが感知した。それが猛烈な空腹感へとつながった。

 しかしならば、朝になると、どうしてその空腹感が消えるのか? 血糖値は、昨夜のま
まのはず。あるいは睡眠中に、ホメオスタシス効果が機能して、血糖値を調整したのか。
その可能性は、ある。あるが、どうも合点がいかない。血糖値だけで、食欲の有無は、決
まるのか?

 この謎を解くカギが、拒食症や過食症の患者にある。

 食欲……正確には、「摂食行動」というが、その摂食行動は、2つの相反する作用によっ
て、決まるという。ネズミの実験だが、ネズミの視床下部の外側野に電気刺激を与えると、
摂食行動が活発化し、反対にその部分を破壊すると、摂食行動が停止するという(春木豊
氏「心理学の基礎」)。

 が、反対に、その視床下部の外側野に隣接した、腹内側核を刺激すると、摂食行動が起
きなくなり、反対にその部分を破壊すると、摂食行動が止まらなくなり、ネズミは過食し
始めるという(同)。

 わかりやすく言えば、視床下部の外側野と、それに隣接する腹内側核が、たがいに相反
した機能をもちながら、人間の食欲を調整しているということになる。以上の話を、もう
一度、まとめると、こうなる。

(1)視床下部の外側野……(刺激すると)→(摂食行動が起きる)
               (破壊すると)→(摂食行動が停止する)

(2)視床下部に隣接する腹内側核……(刺激すると)→(摂食行動が起きなくなる)
                    (破壊すると)→(過食が始まる)   

 脳の機能も外部からの刺激で、変調しやすい。ここに書いたマウスの実験では、脳の一
部を破壊することによって、摂食行動の変化を確かめたが、機能が変調しても、同じこと
が起きると考えるのは、ごく自然なことである。 

 たとえば拒食症の人は、視床下部の外側野の機能が、低下した人ということになる。一
方、過食症の人は、腹内側核の機能が、低下した人ということになる。(かなり乱暴な書き
方で、ごめん!)

 で、私のばあいは、どうか?

 昨夜、猛烈な空腹感が、私を襲った。原因として考えられるのは、夕食を、一気に食べ
たこと。つまり短時間で食べた。

 短時間で食べたため、血糖値が、急激に上昇した。それと並行して、(ややタイムラグ=
時間的なズレはあるが)、インシュリンが分泌された。昨夜は、それがやや多めに分泌され
たらしい。

 結果、血糖値はさがったが、インシュリンは、血中に残って、さらに血糖値をさげつづ
けた。そのため寝る前に、私は、低血糖の状態になった。それを大脳の視床下部にあるセ
ンサーが感知した。そしてその信号を、視床下部の外側野に伝えた。

 私は猛烈な空腹感に襲われた。

 しかし私は、それをがまんした。一連のメカニズムがわかっていると、がまんするのも、
それほどつらいことではない。「この空腹感は、幻覚」と自分で自分に、言って聞かせるこ
とができる。

 眠っている間に、ホメオスタシス効果が機能した。体内の生理的バランスを調整した。
結果として、朝起きたとき、空腹感は消えていた。

 ……というように、自分の欲望や行動を、客観的に意識化することを、「メタ認知」とい
う。人間がもつ認知力の中でも、最高度のものである。少し前、ワイフが、「それ(=メタ
認知)ができたからといって、それがどうなの?」と聞いた。私は、それに答えて、「メタ
認知ができるようになれば、さらに自分がよくわかる。自分で自分をコントロールできる
ようになる」と答えた。

 以上、「空腹のメカニズム」。おしまい!
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
空腹のメカニズム 過食症 拒食症 ホメオスタシス メタ認知 視床下部 外側野 腹
内側核 はやし浩司 メタ認識)

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