最前線の子育て論byはやし浩司(2)

子育て最前線で活躍する、お父さん、お母さんのためのBLOG

●7月13日・マガジン

2009-07-13 07:08:58 | 日記
☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
.  mQQQm            
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……   
.QQ ∩ ∩ QQ         
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ      
.  /~~~\  ⌒ ⌒      
. みなさん、   o o β       
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  
.        =∞=  // 
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   09年 7月 13日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版★★★
HTML(カラー・写真版)を用意しました。
どうか、お楽しみください。(↓をクリックしてみてください。)
************************

http://bwhayashi2.fc2web.com/page008.html

メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●善なる存在(goodness in your Mind)

++++++++++++++++++++++++

心の中に、「善」を作る。
作るのがむずかしかったら、想像するだけでよい。
その「善」に、自分の心を集中させる。

信仰者であれば、そこに「神」や「仏」を置くかもしれない。
しかし私のような凡人には、それができない。
だから(善なる存在)ということになる。
それを心の中心に置く。

++++++++++++++++++++++++

●性善説

 もう何度も書いてきたことだが、人間は、基本的には、(善なる存在)である。
人間の心の中には、(善)と(悪)の、その両方が共存している。
が、それでも(善なる存在)である。
少なくとも、(善)のほうが(悪)より、優勢である。
私たちが、今、ここに存在するというのが、その証拠である。
もし私たち人間が、(悪なる存在)なら、人類は、とっくの昔に、絶滅していたはず。
20数万年という長い年月を、生き残ることはできなかったはず。

 その善と悪は、どこでどのようにして決まるか。
最近の大脳生理学の進歩には、ものすごいものがある。
脳の働きを、リアルタイムで把握できる装置もある。
そういう装置を使ったからわかったのかどうかは知らないが、人間の善悪の感覚を
司っているのが、辺縁系の中にある扁桃核(扁桃体)というところらしいということ
までわかってきた。

 たとえば人に親切にしたりすると、その信号は、大脳の連合野から、扁桃核に
伝えられる。
そこで扁桃核は、エンドロフィン系、エンケファリン系のホルモンを分泌する。
モルヒネに似た物質である。
これが脳内を甘い陶酔感で満たす。
「いいことをすると気持ちいい」というのは、そういうメカニズムによる。

●心が壊れた子ども

 これはあくまでも私の仮説だが、何らかの強烈なショックが加わると、
ショックの強弱、内容にもよるが、脳は大きな影響を受ける。
部分的に、たとえば虚血状態になったりして、機能を停止することもある(仮説)。
たとえば短期記憶などは、同じ辺縁系の中にある海馬という組織が担当する。
強烈なショックなどが原因で、その短期記憶に障害が出ることは、よく知られている。

 同じように、扁桃核も影響を受けることがあると考えられる(仮説)。
仮に昨日が停止するということになれば、「いいことをしても、気持ちいい」という
ことがなくなる(仮説)。
ばあいによっては、無感動、無表情、無感覚になることもある(仮説)。

 子どもでも、はげしい家庭騒動を経験したような子どもは、こうした症状を示すことが
ある。
長く飼っていたペットが死んでも、無表情のまま、涙ひとつこぼさないなど。

 で、一度、そうした症状が出たら、以後、その子どもが人間らしい(?)心を
取り戻すのは、容易なことではない。
一度壊れた心は、もとにはもどらない。
そう考えてよい(仮説)。

●年中児から高校3年生まで

私は若いころ、一日というサイクルの中で、幼稚園の年中児から高校3年生まで
教えた経験がある。
午前中は幼稚園で教え、午後は学習塾、夕方からは進学塾、そして夜になって
家庭教師、と。
学習塾や進学塾では、小学1年生から高校3年生までを教えた。

 それだけではない。
30代のころは、(問題のある子ども)にたいへん、興味をもった。
今で言う「AD・HD児」や、「LD児」を、求めて教えたこともある。
「~~障害児」と呼ばれる子どもも、求めて教えたことがある。
当時の私は、「教育万能」を信じていた。
子どもにどんな問題があるにせよ、(教える)という力によって、治す(?)
ことができると信じていた。
(結果的に、これはまちがいだったことを知ったが……。)

 そういう流れの中で、子どもたちが、受験期を迎えると、大きく変化することを
知った。

●壊れる子どもの心

 子どもが受験期を迎えるようになると、ほとんど例外なく、子どもの心は大きく
変化する。
当時、この浜松市では、中学2年生から中学3年生が、その時期に相当した。
この時期になると、つぎのような症状が現われる。

(1)ものの考え方が合理的でドライになる。(自分の利益しか考えない。)
(2)自己中心性が肥大化する。(自分勝手でわがままになる。)
(3)点数主義が支配的になる。(それによって人間の価値を決める。)
(4)心のゆとりがなくなる。(ささいなことで、攻撃的になったりする。)
(5)豊かな情感が消える。(人間的に冷たくなる。)
(6)功利的、打算的になる。(「親の恩も遺産しだい」というように考える。)

 こうした現象は、受験期特有のものなのか、それとも思春期特有のものなのか。
当時はその判断に迷った。
が、受験競争を経験しない子どもは、そのままの状態で、思春期を通り過ぎる。
このことは、オーストラリアの学生と比較しても、それがわかる。
たとえばオーストラリアの学生たちは、日本でいう受験競争というのを、
ほとんど経験しない。
そのため、オーストラリアの学生やおとなたちは、日本人にない(温かさ)をもち
あわせている。

 受験競争、とくにはげしい受験競争を経験した子どもほど、心が破壊される。
先に並べた特徴にしても、こんなことは常識で、それを疑う教師はいない。
いないが、日本人全体がそうであるため、たいていの人は、「それが日本人の国民性」
というような形で、そのまま片づけてしまう。

 いろいろなケースがある。

●S君のケース

 とくに印象に残っている子どもに、S君というのがいた。
今で言うLD児(学習障害児)だった。
私はその子どもを、小学1年生のときから、中学3年生までの9年間、教えた。

 母親は教育熱心な人で、S君がはじめて私の教室へ来たときには、かばんの中に、
難解なワークブックがぎっしりと詰まっていた。
S君の能力をはるかに超えたものばかりだった。
が、母親はこう信じていた。
「幼児期からしっかり勉強させれば、東大だって入れるはず」と。
今からもう30年近くの前のことである。
学校神話や学歴信仰が、色濃く残っていた。

 そのS君は、心のやさしい子どもだった。
記憶によれば、少なくとも中学校へ入るまでは、そうだった。
が、中学校に入るころから、様子が一変した。
母親がさらに猛烈に、S君に、勉強を強いるようになった。
入学当時、そこそこの成績を収めたのが、かえってまずかった。
母親は、「うちの子は、やればできるはず」と、それだけを狂信的なまでに
信じていた。

 が、S君には、そうした母親の威圧をやり返すだけの(生命力)をもっていなかった。
母親の前では、借りてきた猫の子のように、従順で、おとなしかった。
が、やがてすぐ問題が起きた。
S君が学校で、いじめの対象になった。
このタイプの子どもは、いじめのターゲットになりやすい。
 
●陰湿ないじめ

 それまで私は、S君は、こころの温かい、やさしい子どもと思っていた。
実際、小学生のときは、そうだった。
みなにバカにされても、「いいんだよ」と言って、笑っていた。
が、学習障害児的な(遅れ)は、いかんともしがたかった。
それゆえに、私はS君を、不憫(ふびん)に思った。
私なりにS君を懸命に守った。

 が、そうした努力が、音を立てて崩れる日がやってきた。

 そのとき私はS君と、数人のほかの生徒とともに、教えていた。
学習の遅れがますます目立ってきた。
私は責任を感じ、月謝を半分から4分の1以下にしていた。
が、母親はそれをよいことに、レッスンの回数を、それまでの週1回から、
週4回へとふやした。
私もかなりの負担を感ずるようになっていた。
が、回数がふえた分だけ、S君にも過負担になった。
授業中も、ぼんやりとした様子で、時間をつぶすことが多くなった。

そこで私は、親にはわからない方法で、2~3年、下の学年の子どもたちの間に、
S君を入れた。
教室といっても、S君を含めて、4人前後のクラスだった。

 そんなある日のこと。
私がトイレから帰ってきて、教室へ入ったときのこと。
が、そこで私は信じられないような光景を見てしまった。

そのS君が、なんと、ほかの子どもいじめていたのである。
ふつうのいじめ方ではない。
執拗に、かつ陰湿なやり方だった。
ぞっとするような冷たさを、S君の中に、私は感じた。
私はその様子を、うしろから黙ったまま見ていた。

 ショックだった!
本当にショックだった!
学校でいじめのターゲットにされているから、そうした(いじめ)に対しては、
「ぼくはしない」という、抵抗力があるのではないかと考えていた。
が、現実は、逆だった。
それをまじまじと見せつけられたとき、S君を教えたいという気持ちが、プツンと
消えた。

 もちろんS君がそうなったのは、すべて受験競争が原因だったとは思わない。
しかしそうでなかったとは、もっと思えない。
S君は、とくに母親の異常なまでの(熱心さ)の中で、心をゆがめてしまった。
ほかにもいろいろ考えられたが、そのときはそれが、私の結論だった。

●ちがい

 もし私の書いていることについて、疑問をもつ人がいたら、あなたの周囲の人たちを
ほんの少しでもよいから、観察してみたらよい。
いろいろな人がいる。
そういう人の中でも、はげしい受験競争を経験した人ほど、独特の雰囲気をもっている。
総じて言えば、ツンとした器械的な冷たさを感ずる。
受験競争を経験しなかった人ほど、人間的な温もりをもっている。
相手を包み込むような温もりである。

 あるいは、あなた自身はどうか。
もしあなた自身も、はげしい受験競争を経験したことがあるなら、一度静かに自分の
心の中をさぐってみたらよい。
あるいは受験競争を経験しなかった人たちと、自分の心を比較してみるのもよい。
何かがちがうはずである。

 これは私自身のことだが、私もはげしい受験競争を経験している。
そのため先に書いた、6つの特徴を、みなもちあわせていた。
20代、30代のころは、そうだった。
今でも、その亡霊のようなものは残っている。
そのせいもあって、ときどき自分で自分がわからなくなるときがある。
で、結論として、こう思う。

 その結果、私は、(学歴)という切符を手にすることができた。
しかし同時に、今、私はそうでない人なら感じないはずの孤独と闘わねばならない。
一度壊れた心を修復するのは、容易なことではない。
不可能と言ってもよいかもしれない。
しかし全体としてみると、私はあのはげしい受験競争で得たものよりも、失った
もののほうが多いのではないか。

 今にしてみると、それがよくわかる。
だから……。
この先のことは、あなた自身の頭で考えてみてほしい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
子どもと受験競争 受験競争 受験勉強 破壊される子どもの心)


Hiroshi Hayashi++++++++June.09+++++++++はやし浩司

●離別体験

うつ病の患者を調べてみたら、こんなことがわかったという。
そのうち、39%の人たちが、10歳以前に、親との死別体験、分離体験、
もしくは喪失体験をしていることがわかったという。

そうでない人は、9%しかいなかった。
(以上、社会精神医学7:114~118)。

同じような報告は、イギリスのバーミンガム病院でも報告されている
(精神医学28:387~393、1986)。

しかもこれらの報告で興味深いのは、「異性の親との離別体験をもった子ども
ほど、有意な差が見られた」という点である。

(1)死別体験
ただし死別体験は、「家族歴の有無と有意の関連性を示さなかった」という。
離別といっても、子どもの心に影響を与えるのは、その過程で生ずる(騒動)
である。
死別のばあい、家族は深い悲しみに包まれるが、騒動につながることはない。
「有意の関連性を示さなかった」というのは、そういう理由からではないか。

(2)分離体験(離別体験)
何かの理由により、親のもとを離れることをいう。
この場合、「異性親である際に、強いものであった」という。
父親と離別すれば、娘のほうが大きな影響を受ける。
母親と離別すれば、息子のほうが大きな影響を受ける。
どうもそういうことらしい。

(3)喪失体験(離別体験)
親の離婚などにより、親から切り離されることをいう。
とくに注意したいのが、愛情の喪失。
子どもというのは、環境の変化には、強い抵抗力を示す。
ばあいによっては、よい影響を与えることもある。
よく「転勤族の子どもは、頭がいい」と言う。
それは、そういう理由による。

が、子どもというのは、愛情の変化には敏感に反応する。
とくに愛情の糸が切れたようなとき、あるいはそれを子どもが感じ取ったとき、
子どもの心には決定的とも言えるほど、大きな影響を与える。
年少であればあるほど、大きな影響を与える。

また異性親からの離別を体験したものを調べてみたところ、
家族歴、つまり両親のどちらかに精神疾患をもっているケースでは、
20人のうち、7人(35%)が、抑うつ症状を示したという。
それに対して、家族歴のないばあいは、19人中、ゼロであったという(同)。

以上のことから、北村俊則氏は、「うつ病発症に関与していると考えられる幼少期
の離別体験は、一部には家族員の精神疾患から発生したものである
可能性が示された」と結論づけている。

わかりやすく言えば、うつ病の多くは、世代連鎖性をともなっているということ。
親が離婚するにしても、「明るくさわやかに」ということになる。
繰り返すが、離婚が子どもの心に影響を与えるのではない。
離婚に至る、ドタバタ劇が、子どもの心に影響を与える。
言い換えると、離婚しなくても、ドタバタ劇があれば、子どもの心に影響を
与えることになるということにもなる。

父親が酒乱で、数日おきに暴れたりすれば、その影響は確実に子どもに及ぶ。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
離別体験 死別体験 分離体験 喪失体験 離婚騒動 離婚劇 騒動と子ども心
子供と離婚)

コメントを投稿