最前線の子育て論byはやし浩司(2)

子育て最前線で活躍する、お父さん、お母さんのためのBLOG

1/3沖縄旅行(12-1)マガジンより

2010-12-01 03:51:59 | 日記
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 子育て最前線の育児論byはやし浩司  2010年   12月   1日号
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        2010年12月1日現在、 1448号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【沖縄旅行】B777-300にて(後編、前回のつづき)

●夕食

 夕食は、息子を交えて、3人でとった。
国際通りの一角にある平和通り。
さらにそこから入ったところに、公設市場がある。
魚介類が生きたまま並べてある。
そこから自分の食べたい魚や貝、カニやエビを選ぶ。
それをその上の階の食堂で、料理してもらい、食べる。

 台湾や香港で、そういう店によく入ったことがある。
というか、売り場の女性をのぞいて、従業員は日本語が通じない人たちばかりだった。
私は店の女性と交渉して、3人前で6000円になるようにしてもらった。

 で、話を聞くと息子はこう言った。
「何も届いていない」と。

 私が書いたはがきも、メールも、何も届いていない、と。
???
息子は「住所がちがっていたのでは?」と数回、言った。

息子が、私のはがきやメールを無視したのではなかった。
音信が途絶えたのではなかった。
何かの理由で、行き違いになったらしい。
それを聞いて、半分、ほっとした。
心の中の塊が、スーッと消えていった。

●ロアジール・スパ・ホテル

 泊まったのは、ロアジール・スパ・ホテル。
沖縄でも最高級のホテルという。
知らなかった!
新館は2009年にオープン。
その新館。
あちこちのホテルや旅館に泊まり歩いてきたが、まあ、これほどまでに豪華な
ホテルを、私は知らない。

 昔はヒルトンホテルとか、帝国ホテルとか言った。
東京では、いつも、ホテル・ニュー・オータニに泊まった。
あのときはあのときで、すごいホテルと思った。
しかし今ではその程度のホテルなら、どこにでもある。
が、ロア・ジール・スパ・ホテルは、さらに格がちがった。
驚いた!

 チェックインも、ふつうのホテルとは、ちがった。
ロビーのソファに座りながらすます。
飲み物を口にしていると、若い女性が横にひざまづいて、横に座った。
そこで宿泊カードに記入。
それがチェックイン。

部屋に入ったとたん、ワイフはこう言った。
「こんなホテルなら、一週間でもいたい」と。

 人件費が安いのか、いたるところに職員を配置している。
そのこともあって、サービスは至れり尽くせり。
なお「ロア・ジール」というのは、フランス語で、「レジャー」という意味だそうだ。
温泉の入り口にいた、受付の女性が、そう教えてくれた。

●沖縄

 沖縄を直接目で見て、「ここが昔から日本」と思う人は、ぜったいに、いない。
首里城を見るまでもなく、沖縄はどこからどう見ても沖縄。
沖縄というより、台湾。
台湾の文化圏に入る。
もう少しワクを広げれば、中国の文化圏。
どうしてその沖縄が、日本なのか?
ふと油断すると、「ここは台湾か?」と思ってしまう。

 平たい屋根の家々。
平均月収は東京都の2分の1という。
町並みも、どこか貧しそう。

 現代の今ですら、そうなのだから、江戸時代にはもっと異国であったはず。
沖縄弁にしても、言葉はたしかに日本語だが、発音は中国語か韓国語に近い。
それについての研究は、すでにし尽くされているはず。
素人の私が言うのもおこがましいが、もちろん九州弁ともちがう。

●沖縄戦

 沖縄戦の悲惨さは、改めて書くまでもない。
つまり先の戦争では、沖縄が日本本土の防波堤として、日本の犠牲になった。
その思いが、先に書いた「反日」の底流になっている。
「ひめゆりの塔」が、その象徴ということになる。

 が、実際には、沖縄がアメリカ軍によって南北に二分されたとき、北側方面に
逃げた人たちは、ほとんどが助かったという。
南側方面に逃げた人たちは、ほとんどが犠牲になったという。
その原因の第一が、あの戦陣訓。
「生きて虜囚の……」という、アレである。
「恥の文化」を美化する人も多いが、何をもって恥というか。
まっとうな生き方をしている人に、「恥」はない。

で、有名な「バンザーイ・クリフ(バンザーイ崖)」というところも通った。
アメリカ軍に追いつめられた住民が、つぎつぎとその崖から海に身を投げた。
が、今は、木々が生い茂り、記録映画などの出てくる風景とはかなりちがう。
それをタクシーの運転手に言うと、運転手はこう教えてくれた。

「それ以前は緑豊かな土地でした。雨あられのような砲弾攻撃を受けて、このあたりは、
まったくの焼け野原になってしまったのです」と。

 戦争記念館には、不発弾の様子がそのまま展示してあった。
畳10畳ほどの範囲だけにも、不発弾が4~5発もあった。
うち一発は、250キログラム爆弾。

 不発弾というのは、そうそうあるものではない。
つまりそれだけ爆撃が激しかったことを意味する。
あるところには、こう書いてあった。

 爆破された塹壕をのぞいてみると、兵隊や女子学生のちぎれた肉体が、
岩の壁に紙のようになって張りついていた、と。

●国際通り

 国際通りを歩いて、驚いた。
店員という店員が、みな、若い。
20代前後。
活気があるといえば、それまでだが、同時にそれは若者たちの職場がないことを
意味する。
職場があれば、こんな街頭には立たない。
日本よ、日本企業よ、外国投資もよいが、少しでも愛国心が残っているなら、
沖縄に投資しろ!

 その国際通り。
そこには、本土では見たこともないような商品が、ズラズラと並んでいた。
ワイフは「外国みたい」と、子どものようにはしゃいでいた。
 
●ホテルへ

 息子とは国際通りで別れた。
私とワイフはそこからタクシーに乗り、ホテルに戻った。

 温泉に入り、息抜き。
そのころから私に異変が置き始めた。
飛行機恐怖症という異変である。
体が固まり始めた。
ザワザワとした緊張感。
同時に孤独感と、虚無感。

 外国ではよく経験する。
しかしここは「日本」。
「心配ない」と、何度も自分に言い聞かせる。

●孤独

 不安と孤独は、いつもペアでやってくる。
こういう離れた土地へやってくると、私はいつも、そうなる。
不安感が孤独を呼ぶのか。
孤独が不安を呼ぶのか。
横にワイフがいるはずなのに、心の中をスースーと隙間風が吹く。
なぜだろう?
どうしてだろう?
老齢のせいだけではない。
私は若いころから、そうだった。

 横を見ると、ワイフは寝息を立てて、もう眠っていた。

●10月30日

 午前中、再び国際通りを歩いてみた。
昨夜、カメラをもってくるのを忘れた。
それで再び、国際通りへ。

 「やはり夜景のほうがよかった」と私。
昼間の国際通りも悪くはないが、異国風という点では、夜景のほうがよい。
私は国際通りを歩きながら、片っ端からデジタルカメラで写真を撮った。

●虹の川

 沖縄へ向かうときも恐ろしかった。
しかし帰るときは、もっと恐ろしかった。
ちょうどその時刻。
台風14号は、羽田にもっと接近していた。

 飛行機は大きく揺れた。
が、息子のアナウンスが、私たちを安心させた。

「落ち着いた声で、ゆっくりと話せ」と、昨夜、父親らしく(?)、指導した。
「あのな、ぼくのように飛行機恐怖症の人も多いはず。そういう人たちに安心感を
与えるような言い方をしなければいけない。若造の声で、ぺらぺらとしゃべられると、
かえって不安になる」と。

その効はあったよう。
息子は、昨日より、ずっとじょうずにアナウンスした。
静かで、落ち着いた声だった。

 ……帰る途中、私たちはこんな景色を見た。
雲海が鏡のように平らになったところへやってきた。
静かな海のようにも見えた。
そのときのこと。
その中央に、縦に虹の川が現われた。
虹の川だ。
7色の帯になった川だ。
それはこの世のものとは思われぬ光彩を放っていた。
「ほら!」と声をかけると、ワイフがワーッと歓声をあげた。
あげたまま黙ってしまった。
時間にすれば10分ほどだっただろうか。
私たちはそれが消えるまで、窓に顔をつけてそれを見守った。

 「きっと天国というのは、あんなところにちがいない」と、何度もそう思った。
「あるいは墜落する前に、神様が天国を見せてくれたのかもしれない」とも。
私は夢中で、デジタルカメラのシャッターを切った……。
(写真は、この原稿をマガジンで発表するとき、添付します。)
 
 飛行機は何度か大きく揺れたが、無事、羽田空港に着陸した。
さすがB777-300。
安定感がちがう。
それ以上に、操縦がうまかった。

●品川から浜松へ
 
 品川から京急線で、18分。
羽田がぐんと便利になった。
しかしこんなことは、40年前にしておくべきだった。
おかしなところに国際空港を作ったから、日本の航空会社は、世界の航空会社に
遅れをとってしまった。
アジアで今、ハブ空港といえば、韓国の仁川か、シンガポールのチャンギ。

 成田空港がいかに不便なところにあるかは、外国から成田空港に降り立ってみると
よくわかる。
がんばれ、羽田!
往年の栄華は無理としても、少しは取り返せるはず。

●帰宅

 無事、帰宅。
あまり楽しい旅行ではなかった。
息子に会ったときも、さみしかった。
別れたときは、もっとさみしかった。

 ワイフに、「これからは2人ぼっちだね」と言うと、「うん」と言って笑った。

「健康だ、仕事がある、家族がいるといくら自分に言って聞かせても、健康も
このところあやしくなってきた。仕事も年々、低下傾向。今では家族もバラバラ」と。
電車の中でそんな話をすると、ワイフは、こう言った。

 「だからね、あなた、私たちはね、これからは自分のしたいことをするのよ」と。

 ワイフのよい点。
いつも楽天的。
ノー天気。
ものごとを深く考えない。
「この人はいいなあ」と、すっかりバーさん顔になったワイフを横から見ながら、
そう思った。

 以上、沖縄旅行記。
おしまい。

はやし浩司 2010-10ー31記

(補記)

【息子のBLOGより】2006-10ー27

●三男のBLOGより

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三男が、仙台の分校に移った。
パイロットとしての、最終訓練に移った。

操縦しているのは、あのキングエアー。

MSのフライト・シミュレーターにも、
その飛行機が収録されている。

文の末尾に、キングエアーの機長席に座る
友人を紹介しながら、
「このコクピットに、ようやくたどり着きました」と
ある。

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