最前線の子育て論byはやし浩司(2)

子育て最前線で活躍する、お父さん、お母さんのためのBLOG

●マガジン(3)

2009-09-14 07:51:26 | 日記
 

●TOSHIBAのダイナブック(TX)

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昨日、TOSHIBAのダイナブック(TX)を買ってきた。
使い勝手は、たいへんよい。
国内メーカーのノートブックを買ったのは、5、6年ぶり。
その間に、この世界も、格段の進化を遂げていた。

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で、その印象。

まず国内メーカーのパソコンは、値段が割高であるという誤解。
実際、今度買ってみて、こんなことに気がついた。

(1)サービスがよい。
(2)こまかいところにまで、配慮がゆき届いている。

 それまでは、ミニノートのパソコンを3台使っていたが、
正直言って、使い勝手がたいへん悪い。
とくに、M社(台湾)の、WNは、たいへん悪い。

 タッチパッドの感度がよすぎて、指が近付いただけで、勝手に
反応してしまう。
そのためワードを使って作業をしているようなときなど、文字が
あちこちに飛んだり、カーソルが勝手にどこかへ行って
しまったりする。

 メーカーに相談しても、打つ手なし。
販売店の店員に相談すると、「紙でも張って使ってください」と。
タッチパッドに紙を張れ?
実に中国の製品らしい?

 ダイナブックでも同じ現象が起きた。
そこで電話をすると、即座につながり、問題は解決した。
方法はこうだ。

(コントロールパネル・クラシック表示)→(マウス)→(拡張)→(拡張機能の設定)
→(ポインタ速度とタッピングの設定)→(タッピングの設定)→(キー入力時の
タッピングを無効にする)

 それ以後は、イライラもなく、こうして作業ができる。
サクサクと文字が打てる快感は、なにものにも代えがたい。
気持よい。

 ついでながら、ミニノートや、安いパソコンには、こうした調整機能はついていない。
だからこう思った。
「値段が高いだけのことはあるなア」と。

 見直したぞ、TOSHIBAさん。
すばらしいパソコンを作ってくれて、ありがとう!


●パソコン

 結論から先に言えば、持ち運び用ということでないなら、
パソコンは、大きければ大きいほど、よい。
キーピッチは、19ミリ。
これをフルサイズという。
それ以上あっても、しかたない。

が、画面(モニター)は、大きければ大きいほど、よい。
12インチより、14インチ、14インチより、16インチ・・・というように。
私は今、それを実感しつつある。

 あとは目的に応じて、スペクを考えればよい。
私のばあいは、こうして文章を書くのが目的だから、それほど高い性能でなくてもよい。
ハードディスクにしても、400GBもあれば、じゅうぶん。
ゲームはしないので、グラフィックボードは、必要ない、など。

 そうそう、キーボードは、自分で実際、叩いてみること。
指の感触が重要。
私のばあい、(ENTER・キー)の右に、ページUP、DOWNのキー、さらには
テン・キーがついているのは、買わない。
打ちミスがどうしても多くなる。
そのため、気になってしかたない。

ついでに言えば、日本語ワープロとして使うときは、ENTER・キーは、大きければ
大きいほど、よい。
そのほかのキーは、めったに使わない。

 あとは相性の問題。
それは男と女の関係に似ている。
たいへんよく似ている。

 
Hiroshi Hayashi++++++++AUG.09+++++++++はやし浩司

●熟年・離縁

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ワイフからこんな話を聞いた。
ワイフの友人(今年、60歳、女性)が、
父親の三周忌を機に、親族と離縁する
という。
称して、「熟年離婚」ならぬ、「熟年・離縁」。

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●Yさんのケース

 ことの発端は、やはり父親の介護。
いろいろあったらしい。
その女性を、Yさんとしておく。
Yさんには、2人の兄と、1人の妹がいる。
父親の世話(?)をしていたのは、長男氏だったが、その長男氏は、毎月のように、
Yさんに、介護費用を請求してきたという。
(あとの兄弟たちにも、同じように請求していたらしい。)

 Yさんの夫は、外車販売を手掛けている。
日々に扱う金額も多い。
他人には、リッチに見える。

 Yさんは、こう言った。

「兄弟たちは、みな、私のお金をアテにしていました。
兄には、毎年、数10万円程度を渡していました。
が、それでも足りないというのです。
で、あるとき、何度も自問してみました。
『私が困ったとき、兄弟たちは助けてくれるか』とです。
が、兄弟たちはみな、口がうまいだけ。
そのつど『何も助けてくれない』と、確信しました。

 が、それでも・・・と思って、つまり自分がまちがっているのではないかと
思い、兄弟たちを観察してみました。
が、結論は、やはり同じでした。

 で、父は2年前に死に、50坪足らずの土地と、古い家を残しました。
それについて兄(長男)が、『親のめんどうをみたのは私だ』といって、
すべて自分のものにしてしまいました。

 夫の扱っている金額からすれば、車1~2台分のささいな遺産です。
それをほかの兄弟たちと、喧嘩もんかで、取り合っている・・・。
あさましいというか、情けないというか・・・。

 さらに父の死後も、兄は、私の夫に借金を申し込んできました。
私たちの財産を、まだアテにしているのですね。
それで覚悟を決めました。
三周忌を機に、兄弟たちとは、縁を切る、と。
ついでに親戚づきあいも、やめる、と。

●身辺の整理

 『遠くの親類より、近くの友』という。
それはそのとおりで、兄弟、姉妹の縁というのも、時の流れの中で、薄れていく。
子どもの世界でも、弟や妹に、はげしい憎悪の念をもっている兄や姉は多い。
「兄弟だから仲がいいはず」と考えるのは、幻想以外のなにものでもない。
みんなそのフリをしているだけ。
(もちろん仲がよい兄弟、姉妹も、多いが・・・。)

 私のばあいも、親戚づきあいをしながら、「ここまでしなければならないのか?」と
思うことがたびたび、あった。
人づきあいは大切だが、自分の主義主張、さらには哲学を捻じ曲げてまでつきあう
必要はない。
そういうことをするのも、疲れた。
「時間の無駄」と思うようになった。

 たとえば近く、実兄と実母の一周忌の法要をする。
私自身は、内々で、質素にすませたいと願っている。
が、前回の四九日法要のときもそうだったが、たがいに連絡を取り合い、
結構派手なものになってしまった。
またそういうことをすれば、この(私)が喜ぶとでも思っているのかも
しれない。

 しかし私には、意味がない。
だからといって、死者を軽んじているわけではないが、カルトもよいところ。
あるいはこれをカルト(迷信と言ってもよいが)と言わずして、なんという。

 あえて擁護するなら、「家」制度のあった江戸時代には、それなりの意味が
あったのかもしれない。
親類が「家」を中心の結束し、自分の社会的立場を、固定した。
そのために、一周忌があり、三周忌があった。
あるいはそれをうまく、利用した。
だから私が子どものころには、こうした法要は、どこかの料亭を借りて、
派手にやるのが、ひとつの習わしになっていた。

 しかし今は、時代が変わった。
冠婚葬祭という(儀式)に、疑問を感ずる人が、より多くなった。
またその流れは加速しつつある。

●再び、Yさん

 私はYさんの生きざまに、興味をもった。
私と同じ年齢ということもある。

私「そういうのを熟年・離縁というよ」
ワ「だれが言い出したの?」
私「このぼくだよ」
ワ「フ~~ン?」

私「Yさんの兄は、黙っていないだろうね」
ワ「それも覚悟の上みたいよ。
介護費用を負担していたという話にしても、Yさんの兄は、だれにも
話していなかったみたい」
私「それはずるいね」
ワ「でしょ。だから縁を切ると決めたらしいわ」と。

 熟年離婚もこわいが、熟年・離縁もこわい。
兄弟、姉妹といっても、基本的には、人間と人間のつきあい。
壊れるときには、壊れる。
幻想にしがみつくのは、よくない。
幻想にしばられるのは、もっとよくない。
だから結論は、こうなる。

『遠くの親類より、近くの友』と。

 そうそうYさんは、こういう言葉を使ったという。
「腐れ縁」と。
「腐れ縁ですから」と。
兄弟、姉妹、親戚づきあいも、その仕方によっては、「腐れ縁」になるということらしい。

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(補記)

 このYさんの話には、つづきがある。

 最近、Yさんの長男氏からYさんに、電話がかかってきたという。
(Yさんは、この浜松市に住んでいる。
長男氏は、富山市の郊外の町に住んでいる。)

 「私が怒っているのを百も承知の上で、『元気か?』といって電話をかけてくるのね。
兄の(とぼけ)には、もううんざりです」と。

 この話を聞いて、私は私の兄のことを思い出していた。
私の兄も、とぼけがうまかった。
兄は、グループホームへ入る前、3か月間、私の家にいた。
その兄は、ワイフがひとりで風呂に入っていたりすると、風呂のドアをあけて、いつも
こう言った。
「トイレは、こっちやったかなも(=こちらでしたか)」と。

 認知症にもなっていたが、あちらのほうだけは、達者だった。
私がそれを叱ると、「まちがえただけや」と、いつも弁解していた。
今となってみると、それも笑い話のひとつになっているが・・・。

 そこに不幸な家庭があるなら、そっとしておいてやろう。
あれこれ詮索したり、内情をさぐるような、醜い行為はやめよう。
もちろん相手が助けを求めてきたら、そのときは、ていねいに応えてやればよい。

 それぞれの人は、それぞれの立場で、懸命にがんばっている。
その(懸命さ)を、少しでも感じたら、そっとしておいてやろう。
不必要な介入をしたり、説教したりするのは、もってのほか。
あなたがどんな立場にあっても、それはしてはいけない。
それはこの世を生きている人間が守るべき、最低限のマナーと考えてよい。


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 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
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