最前線の子育て論byはやし浩司(2)

子育て最前線で活躍する、お父さん、お母さんのためのBLOG

●マガジン(9-20)(2)

2010-09-20 11:14:24 | 日記


●残り3日間
 
 ……となると、「あと3日の命」と宣告されたら、私に残された道はただひとつ。
ワイフと静かなときを過ごす。
だれにもじゃまされず、だれにも会わず、だれとも連絡を取らず、ワイフとだけ、
静かなときを過ごす。
(ワイフはいやがるかもしれないが……。)

 もちろんワイフにも謝りたいことがある。

 私のワイフは、私と不本意な結婚をしてしまった。
私が強引に結婚してしまった。
だから深層心理の奥深くでは、私を恨んでいる。
嫌っている。
憎んでいる。
「この男は、私の人生を台無しにした」と、考えている。
それが私には、よくわかる。
ワイフはいつもそれを否定するが、私には、よくわかる。
 
 それがときどき顔を出して、私と衝突する。
今朝の状態がそうだった。
顔にタオルを当てたまま、口もきかなかった。

●いよいよ最期

 そうして3日目の朝になる。
夜でもよい。
「何を書くか」と聞かれれば、やはり別れの言葉か。
そのときまだ電子マガジン(BLOG)を発行していたら、あいさつを書く。
文面はまだ決めていないが、たぶん、「ありがとう。さよなら」と書くだろう。

 あとのことは、あとの人たちに任せればよい。
10年たって、私の書いた文章のうち、10%も残っていればうれしい。
墓石だって、10年もすれば苔が生える。
100年もすれば、ボロボロになって形さえ残らない。
私の文章も、また同じ。
またそれでよい。

 ……とまあ、本当に暗い話になってしまった。
暗い!
が、これではここまで読んでくれた人に申し訳ない。
気分一新!
少し視点を変えてみる。

●ひとつのアイデア

 現在、たとえばマガジンの発行をするとき、「予約」というのができる。
たとえば8月25日に、1か月先の9月25日のマガジンの発行予約ができる。
長いところで、1か月半程度。
つまり1か月半先までしか、発行予約ができない。
この期間を、1年とか2年、あるいは3年と延ばせないものか。
サービス会社にしてみれば大きな負担になるだろうから、有料でもよい。

 こうすれば、「インターネット墓地」というのも、可能になる。
これはあくまでも私の考えだが、あらかじめ、1年後、2年後、3年後の未来に
向けて文章を書いて残しておく。
それを発行予約という形で、残しておく。
形としては、ホームページ風でよい。
遺族の人たちは、命日になったら、それを開いて読む。

 こういう私の考えに対して、「それでは霊を供養することにはならない」と思う人も
いるかもしれない。
ならば逆に聞きたい。
「どうして遺骨なら、供養になるのか」と。

●脳のコピー

 いつかやがてその人の人格(脳みそ全体)がコピーされ、小さな記憶装置に収納される
時代がやってくる。
その記憶装置が、どこか一か所に、その人の「全記録」として格納される時代が
やってくる。
2050年ごろには、そのプロトタイプが生まれる。
2100年ごろには、ごくありふれた装置として、使われるようになる。
そういう時代を見越して、インターネット墓地を今から用意する。
うまくいけば、私の書いたものすべてが「はやし浩司の記録」として、どこかに残る
かもしれない。

 さらに……。

 私の書いたものをひとつの人工頭脳にインストールすれば、その人工頭脳と未来の
人たちが会話できるようになるだろう。

人「あなたはだれですか?」
コ「ワタシハ、ハヤシ浩司です」
人「あなたの人生観を語ってください」
コ「イイデショー……」と。

 人は死んだら、なぜ墓石を残すか?
それは残された人たちを、さみしくさせないため。
自分が生きてきた証(あかし)を残すため。
自分が得た知識や経験を、後世の人たちに伝えるため。
というふうに考えれば、私のアイデアは、たいへん有効ということになる。

●終わりに……

 先ほど、ワイフが車で迎えに来てくれた。
たった一言、「どうして携帯電話をもってこなかったの?」と。
それに答えて、私も一言。
「忘れた、ごめん!」と。

 本当は忘れたのではなく、だれにもじゃまされたくなかった。
徘徊というのは、そういうもの。
家出というのは、そういうもの。

 帰りにコンビニで、「プレイボーイ」という週刊誌を買う。
「日本の上空には、UFOがうようよ」という記事が気になった。
日本の上空には、UFOがいっぱい飛んでいるという内容。
それにアイスクリームとパソコン雑誌を一冊。
あとはいつもの日常。
たわいもない世間話をしながら、家に帰った。
口数は、いつもより少なかったが……。

(一言)

 私は徘徊(家出)するとき、いつもパソコンだけは忘れない。
パソコンさえあれば、ものを書いて、さみしさを癒すことができる。
退屈をしのぐことができる。
これもパソコンのひとつの使い方ではないか。


Hiroshi Hayashi+++++++Aug. 2010++++++はやし浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●もう一人の私

+++++++++++++++

心の状態と表情の一致している
人を、すなおな人という。
そうでない人を、そうでないという。

+++++++++++++++

 情意(心)と、表情が遊離してくると、人間性そのものが、バラバラになる。

わかりやすく言うと、本心と外ヅラを使い分け、表ヅラばかりとりつくろっていると、
本当の自分がわからなくなってしまう。つまりこうして、自分の中に、もう一人の、自
分でない自分が生まれてくる。

 こうした二面性は、その立場にある人に、よく見られる。ある程度は、しかたのないこ
とかもしれないが、そういう立場の中でも、もっともその危険性の高いのが、実は、教師
ということになる。

心理学の世界にも、「反動形成」という言葉がある。みなから、「あなたは先生だ」と言
われているうちに、「そうであってはいけない、ニセの自分」を、その反動として、作っ
てしまう。

 たとえば牧師という職業がある。聖職者ということで、「セックス(性)」の話を、こ
とさら、嫌ってみせたりする。本当にそうなのかもしれないが、中には、自分をつくって
しまう人がいる。

 まあ、どんな職業にも、仮面というものが、ある。みんな、それぞれ何らかの仮面をか
ぶりながら、仕事をしている。「コノヤロー」「バカヤロー」と思っても、顔では、にこ
やかに笑いながら、その人と応対する。

 実は、教育の世界には、それが多い。教育というよりは、教師という職業は、もともと
そういうもの。反対に、もし教師が、親や生徒に本音でぶつかっていたら、それこそ、た
いへんなことになってしまう。

 たとえば私は、幼児教育にたいへん興味がある。しかし「幼児が好きか?」と聞かれれ
ば、その質問には、答えようがない。医者が、「病人が好きか」と聞かれるようなもので
はないか。あるいは、仕事を離れては、幼児の姿を見たくない。それはたとえて言うなら、
外科医が、焼肉を嫌うのと似ている。(焼肉の好きな外科医もいるが……。)あるいは、
ウナギの蒲焼き屋のおやじが、ウナ丼を食べないのに、似ている?

 しかし一度、幼児に、仕事として接すれば、幼児教育家モードになる。子ども、とくに
幼児の世界は、底なしに深い。奥が、深い。そういうおもしろさに、ハマる。私にとって
の幼児教育というのは、そういうものである。

 ただ、もう一つ、誤解してほしくないのは、同じ教育の中でも、幼児教育は、特殊であ
るということ。いくら人間対人間の仕事といっても、相手は、幼児。いわゆる、ふつうの
世界でいうところの人間関係というのは、育たない。

 話が少し脱線したが、私が、自分の中に、こうした二面性があるのを知ったのは、30
歳くらいのことではなかったか。

 自分の息子たちに対する態度と、他人の子どもたちに対する態度が、かなりちがってい
たからだ。ときには、冒頭にも書いたように、自分の人間性が、バラバラになっているよ
うに感じたこともある。「コノヤロー」「バカヤロー」と言いたくても、顔では、ニッコ
リと笑って、別のことを言う。毎日が、その連続だった。

 しかし脳ミソというのは、それほど、器用にはできていない。二つの自分が、たがいに
頭の中で衝突するようになると、疲れるなどというものではない。情緒不安、精神不安、
おまけに偏頭痛などなど。まさにいいことなしの状態になる。

 だから、結局は、(ありのままの自分)にもどることになる。

 が、これとて、簡単なことではなかった。それこそ数年単位の努力が、必要だった。私
は、まさに反動形成でつくられた(自分)を演じていただけだった。高邁で、高徳で、人
格者の教師を、である。

 しかし本当の私は、まあ、何というか、薄汚い、インチキ男……とまでは、いかないが、
それに近かったのでは……。

 そこで(ありのままの自分)を出すことにしたが、悲しいかな、(ありのままの自分)
は、とても外に出せるようなものではなかった! そこで私は、(ありのままの自分)を
出すために、別の意味で、(自分)づくりをしなければならなかった。

 今も、その過程の途中にあるということになる。

 で、その今も、もう1人の私が、私の中に同居している。いやな「私」だ。できれば早
く別れたいと思っている。ときどき、「出て行け」と叫びたくなる。そんな「私」だ。妙
に善人ぶって、自分を飾っている。

 どこかのインチキ牧師みたいで、ああ、いやだ! ホント!

 ……ということで、本当の自分を知ることを、むずかしい。この文章を読んでいる、み
なさんは、はたして、どうだろうか? ありのままの自分で、生きているだろうか?


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 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
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