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子育て最前線の育児論byはやし浩司 10月 23日号
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選ばれました!
【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
休みます
【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●決別
++++++++++++++++++++++++
すでに、5、6年前のこと。
すでに心に、そう決めていた。
私は、母が死に、兄が死に、実家を片づけたら、
古里のM町からは縁を切ろうと。
だから兄が死に、母が死んだときも、その一方で、
「あと少しのがまん」と、自分で、自分に言って聞かせた。
もちろんだからといって、兄や母の死を喜んだというわけではない。
待ち望んでいたというのでもない。
母や兄と言うよりは、「実家」。
つまり私にとって、実家は、それほどまでに重いものだった。
この60年間、1日とて、心の晴れた日はなかった。
そうでない人には、信じられないような話かもしれないが、
私には、そうだった。
が、昨年の8月、兄が他界した。
つづいて10月、母が他界した。
葬儀だ、法事だと、あわただしく日々が過ぎた。
が、それも一段落すると、私は、すぐ実家の売却を計画した。
そのときすでに空家になって、5年になっていた。
M町の中でも、一等地(?)にあるということで、税金の負担も大きかった。
といっても、私はその税金を、30年以上、払いつづけてきた。
今さら負担という負担ではなかったが、放っておいても、朽ちるだけ。
おまけに市の伝統的建造物に指定され、壊したり、改築することもできなかった。
私は、親類には、ハガキで、こう知らせた。
「母の一周忌前後には、実家を売却を予定します。あらかじめご了承ください」と。
母の四九日の法要の連絡のときのことである。
+++++++++++++++++++++++++
●心の整理
数年単位の、時間が必要である。
心の整理が必要である。
「今日決めたから、明日、売却」というわけにはいかない。
古い柱、一本一本に、思い出がしみ込んでいる。
一歩、外に出れば、街の人たちの顔もある。
みな、顔なじみ。
「縁を切る」というのは、そういう人たちとの決別も意味する。
●決別
こう書くと「決別まで……!」と驚く人も多いかもしれない。
しかしあの街には、私のゴミのようなものが、山のようにたまっている。
母の時代から、私は、あの街では、悪者だった。
「親を捨て、浜松の女性と結婚した」
「親の財産を、全部、自分のものにした」
「勝手に仏壇を、浜松に移した」
「親の葬儀を浜松でした」などなど。
先日も実家へ帰り、近くの店に宅配便を届けたときも、その店の女性にこう言われた。
「あなた、親類の断りもなく、仏壇を浜松へ移したんだってねエ……」と。
イヤミたっぷりの、不愉快な言い方だった。
その言葉を聞いたとき、M町への思いが、ふっ切れた。
●売却
実家の売却は、簡単なものだった。
買い主がお膳立てしてくれた銀行にみなが集まり、そこで書類に判を押して、それでおし
まい。
買い主の女性が、何度も「ありがとうございます」と頭をさげるほど、格安の価格だった。
が、価格など、問題ではない。
あの実家に貢いだ現金だけでも、その20倍以上はある。
が、それよりも、私の人生の大半は、あの実家のために犠牲になってしまった。
そうした(損害?)と比べたら、家の価格など、何でもない。
今さら、わずかな金額を手にして、それでどうなる?
私の心が、どう癒される?
私の人生が、どう戻ってくる?
●離縁
「縁を切るというのは、こういうことだね」と、ワイフに話した。
心の中を、からっぽにする。
未練を残さない。
あっても、きれいさっぱり、それを忘れる。
掃除をして、心の外に掃き出す。
私はその日、家の中に残っていた家財道具を、道路に並べた。
ビニールシートを敷き、その上に並べた。
花瓶、火鉢、食器類、掛け軸、棚、電気製品、家具などなど。
本うるしの漆器も数百個あったが、それも並べた。
で、ゆっくりと張り紙をした。
「長い間、お世話になりました。
使っていただけるものがあれば、どうぞ、使ってください。
ご自由に、お持ち帰りください」と。
やがてすぐ、何10人もの人たちが集まり、それぞれが、それぞれを家にもって帰った。
中には、漆器類を、袋につめて帰る人もいた。
●未練
少しおおげさな言い方になるかもしれないが、人は、死ぬときも、そうではないか。
つまり心の整理をする。
未練を消す。
心がきれいさっぱりしたところで、この世に別れを告げる。
「告げる」といっても、相手はいない。
自分の心に告げる。
一方、「私」にこだわっているかぎり、平安な日々はやってこない。
「私の財産」「私の地位」「私の名誉」と。
そういうものをすべて捨てる。
捨てて、身のまわりから、何もかも消す。
そのとき人は、さばさばとした気持ちで、「死」を、迎え入れることができる。
●9月3日
翌朝、長良川のほとりにある緑風荘という旅館で一泊したあと、そのまま浜松へ帰って
きた。
一度、実家に立ち寄り、「最後に……」と思って、外から実家をながめた。
実家は、そのままそこにあった。
父が手作りで書いた看板だけが、強く印象に残った。
「林自転車店」と、それにはあった。
「家は残るとしても、看板はどうなるんだろう?」とふと、そんなことを考えた。
が、長くはつづかなかった。
私とワイフは、ほとんど立ち止まることなく、そのまま駅の方に向かって歩き出した。
ゆるい坂道だった。
白い朝日が、まぶしかった。
私「二度と、この町に来ることはないね」
ワ「二度と……?」
私「何か、特別な用事でもないかぎりね……。でも、もう来ないよ」と。
すべてが終わった。
本当に、すべてが終わった。
2009年9月3日のことだった。
【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●ルーム・ウォーカー
毎日、40~50分は、ルーム、ウォーカーで、歩いている。
当初は、10分とか、1キロに設定していたが、
最近は、20分とか、2キロに設定している。
(使用時間か、距離数で設定できるようになっている。)
それはそれでよいのだが、……というか、やはり
20分はしないと、汗は出てこない。
有酸素運動ということになれば、20分以上は、したほうがよい。
10月からは、1回につき、30分に挑戦してみる。
ところが、である。
予期しなかった現象が出てきた。
伏兵というのである。
実は、昨日、道路を歩いていて、2度もころびそうになった。
一度は、階段を上がるとき。
もう一度は、何と、深々としたジュータンの上を歩くとき。
理由はやはり、ルーム・ウォーカーにあることがわかった。
ルーム・ウォーカーでは、歩くとき、膝をほとんどあげないで歩く。
(いざり歩き)というか、足裏をベルトにほとんどこすりつけるようにして歩く。
それがクセになり、そのままの歩き方で、道路を歩く。
ちょっとしたことで、つまずくようになった(?)。
そこで私は考えた。
ルーム・ウォーカーに、ハードル競技のような、小さなハードルをとりつけることにした。
足でひっかけてもよいように、厚紙のようなものでつくればよい。
まだ実行していないが、このあと朝食が終わったら、さっそく、やってみよう。
そうすれば歩くのに合わせて、膝をあげるようになる。
うまくいけばよいのだが……。
ところでその分だけ、このところサイクリングをする回数が減っている。
居間でいつでも運動ができる……という思いが、サイクリングを減らす理由になっている。
便利なことはよいのだが、ルーム・ウォーカーにも、いろいろ問題があるようだ。
●ミニパソコン
ミニパソコンを、現在、3台使っている。
HP社のもの、MSI社のもの、それにACER社のもの。
それぞれに一長一短があって、どれがよいということにはならない。
が、今の私には、ACER社のものが、いちばん使い勝手がよい。
「ASPIRE ONE」という機種である。
ただし画面が8インチしかない。
で、現在、10インチのものに交換しようしている。
が、どこの店も、「下取りはしません」とのこと。
しかたないので、ネットで、新しいのを注文しようと考えている。
価格は、どんどんさがって、今では、3万4000円前後。
最初に買ったときの、約半額!
どうしようか?
●芝生
秋になったせいなのか、芝生の一部が枯れ始めた。
水不足かもしれない。
この数か月間で、まとまった雨が降ったのは、2回だけ。
これでは芝生も、根を張ることさえできない。
で、昨日、近くの店で、肥料を買ってきた。
全体にまいて、その上にたっぷりと水をかけてやった。
今は、その芝生の先端に、無数の種らしきものができている。
そのため芝刈り機で、芝を刈ることもできない。
今しばらく様子を見て、……つまりもう少し芝が伸びるのを見届けてから、芝を刈るつも
り。
●ハトの巣
居間の前の栗の木に、ドバトが巣を作り始めた。
が、今朝見たら、巣は、からっぽ!
「どうしたんだろ?」とワイフに話しかけたら、ワイフが、「リスよ」と。
リスが出没するようになって、もう10年近くになる。
当初は、餌まで買ってきて歓迎したが、それはまちがいだった。
リスのおかげで、野鳥が巣を作らなくなってしまった。
前にも書いたが、リスは、地上のネズミ。
長いシッポの生えた、ネズミ。
あんなリスを見て、「あら、かわいい」と喜んでいる人の気がしれない。
(今日は9月27日、日曜日)
Hiroshi Hayashi++++++++Sep.09+++++++++はやし浩司
●エネルギー
++++++++++++++++++
大学時代の友人のこと。
数か月前、その友人が、
交通事故訴訟で、やっと結審を迎えた。
長い裁判だった。
4~5年もかかった。
本来なら、もっと早く片づくべき裁判
だった。
が、保険会社がごねた。
この不況下ということもある。
保険会社は、支払い保険金をできるだけ安く
すませようする(?)。
そこで結果的には、裁判は、東京高裁にまで
もちこまれた。
しかし裁判をつづけるにも、それなりの
エネルギーがいる。
長くて、苦しい闘いがつづく。
いくら「勝つ」とわかっている裁判でも、
「裁判をする」ということ自体、不愉快。
裁判所へ足を運ぶということだけでも、
たいへん。
気が滅入る。
膨大なエネルギーを消耗する。
その日が来るたびに、重苦しい気分に
包まれる。
++++++++++++++++++
●不正の追及
正義を貫くには、それほどの努力はいらない。
それなりに自分を守れば、それですむ。
たいへんはたいへんだが、しかし悪の追及と比べたら、何でもない。
とくに力関係に差があるときは、そうである。
たとえば(個人)と(組織)。
個人が、組織の悪と対峙したようなばあいを考えてみよう。
個人のもつ財力、人脈には限界がある。
一方、組織には、財力も人脈もある。
冒頭に書いた友人の交通事故裁判にしても、そうだ。
訴えるのは、個人。
相手は巨大組織。
地裁という下級審においても、3~4年の歳月を要した。
裁判をつづけながら、友人は、その一方で、週に3~4回、病院へ通わねばならなかった。
「首の骨のズレは、交通事故によるものではない。老化によるもの」というのが、保険会
社の言い分だった。
ほかにもいろいろある。
いろいろあって、そのつど難ぐせをつけ、保険会社は、保険金の支払いをしぶった。
保険会社という大企業にとっては、裁判といっても、事務手続きのひとつにすぎない。
しかし被害者である個人にとっては、そうではない。
そうでないことは、裁判を経験したことがある人なら、みな、知っている。
裁判でなくても、家庭裁判所の調停でもよい。
あのイヤ~ナ気分には、独特のものがある。
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●決別
++++++++++++++++++++++++
すでに、5、6年前のこと。
すでに心に、そう決めていた。
私は、母が死に、兄が死に、実家を片づけたら、
古里のM町からは縁を切ろうと。
だから兄が死に、母が死んだときも、その一方で、
「あと少しのがまん」と、自分で、自分に言って聞かせた。
もちろんだからといって、兄や母の死を喜んだというわけではない。
待ち望んでいたというのでもない。
母や兄と言うよりは、「実家」。
つまり私にとって、実家は、それほどまでに重いものだった。
この60年間、1日とて、心の晴れた日はなかった。
そうでない人には、信じられないような話かもしれないが、
私には、そうだった。
が、昨年の8月、兄が他界した。
つづいて10月、母が他界した。
葬儀だ、法事だと、あわただしく日々が過ぎた。
が、それも一段落すると、私は、すぐ実家の売却を計画した。
そのときすでに空家になって、5年になっていた。
M町の中でも、一等地(?)にあるということで、税金の負担も大きかった。
といっても、私はその税金を、30年以上、払いつづけてきた。
今さら負担という負担ではなかったが、放っておいても、朽ちるだけ。
おまけに市の伝統的建造物に指定され、壊したり、改築することもできなかった。
私は、親類には、ハガキで、こう知らせた。
「母の一周忌前後には、実家を売却を予定します。あらかじめご了承ください」と。
母の四九日の法要の連絡のときのことである。
+++++++++++++++++++++++++
●心の整理
数年単位の、時間が必要である。
心の整理が必要である。
「今日決めたから、明日、売却」というわけにはいかない。
古い柱、一本一本に、思い出がしみ込んでいる。
一歩、外に出れば、街の人たちの顔もある。
みな、顔なじみ。
「縁を切る」というのは、そういう人たちとの決別も意味する。
●決別
こう書くと「決別まで……!」と驚く人も多いかもしれない。
しかしあの街には、私のゴミのようなものが、山のようにたまっている。
母の時代から、私は、あの街では、悪者だった。
「親を捨て、浜松の女性と結婚した」
「親の財産を、全部、自分のものにした」
「勝手に仏壇を、浜松に移した」
「親の葬儀を浜松でした」などなど。
先日も実家へ帰り、近くの店に宅配便を届けたときも、その店の女性にこう言われた。
「あなた、親類の断りもなく、仏壇を浜松へ移したんだってねエ……」と。
イヤミたっぷりの、不愉快な言い方だった。
その言葉を聞いたとき、M町への思いが、ふっ切れた。
●売却
実家の売却は、簡単なものだった。
買い主がお膳立てしてくれた銀行にみなが集まり、そこで書類に判を押して、それでおし
まい。
買い主の女性が、何度も「ありがとうございます」と頭をさげるほど、格安の価格だった。
が、価格など、問題ではない。
あの実家に貢いだ現金だけでも、その20倍以上はある。
が、それよりも、私の人生の大半は、あの実家のために犠牲になってしまった。
そうした(損害?)と比べたら、家の価格など、何でもない。
今さら、わずかな金額を手にして、それでどうなる?
私の心が、どう癒される?
私の人生が、どう戻ってくる?
●離縁
「縁を切るというのは、こういうことだね」と、ワイフに話した。
心の中を、からっぽにする。
未練を残さない。
あっても、きれいさっぱり、それを忘れる。
掃除をして、心の外に掃き出す。
私はその日、家の中に残っていた家財道具を、道路に並べた。
ビニールシートを敷き、その上に並べた。
花瓶、火鉢、食器類、掛け軸、棚、電気製品、家具などなど。
本うるしの漆器も数百個あったが、それも並べた。
で、ゆっくりと張り紙をした。
「長い間、お世話になりました。
使っていただけるものがあれば、どうぞ、使ってください。
ご自由に、お持ち帰りください」と。
やがてすぐ、何10人もの人たちが集まり、それぞれが、それぞれを家にもって帰った。
中には、漆器類を、袋につめて帰る人もいた。
●未練
少しおおげさな言い方になるかもしれないが、人は、死ぬときも、そうではないか。
つまり心の整理をする。
未練を消す。
心がきれいさっぱりしたところで、この世に別れを告げる。
「告げる」といっても、相手はいない。
自分の心に告げる。
一方、「私」にこだわっているかぎり、平安な日々はやってこない。
「私の財産」「私の地位」「私の名誉」と。
そういうものをすべて捨てる。
捨てて、身のまわりから、何もかも消す。
そのとき人は、さばさばとした気持ちで、「死」を、迎え入れることができる。
●9月3日
翌朝、長良川のほとりにある緑風荘という旅館で一泊したあと、そのまま浜松へ帰って
きた。
一度、実家に立ち寄り、「最後に……」と思って、外から実家をながめた。
実家は、そのままそこにあった。
父が手作りで書いた看板だけが、強く印象に残った。
「林自転車店」と、それにはあった。
「家は残るとしても、看板はどうなるんだろう?」とふと、そんなことを考えた。
が、長くはつづかなかった。
私とワイフは、ほとんど立ち止まることなく、そのまま駅の方に向かって歩き出した。
ゆるい坂道だった。
白い朝日が、まぶしかった。
私「二度と、この町に来ることはないね」
ワ「二度と……?」
私「何か、特別な用事でもないかぎりね……。でも、もう来ないよ」と。
すべてが終わった。
本当に、すべてが終わった。
2009年9月3日のことだった。
【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●ルーム・ウォーカー
毎日、40~50分は、ルーム、ウォーカーで、歩いている。
当初は、10分とか、1キロに設定していたが、
最近は、20分とか、2キロに設定している。
(使用時間か、距離数で設定できるようになっている。)
それはそれでよいのだが、……というか、やはり
20分はしないと、汗は出てこない。
有酸素運動ということになれば、20分以上は、したほうがよい。
10月からは、1回につき、30分に挑戦してみる。
ところが、である。
予期しなかった現象が出てきた。
伏兵というのである。
実は、昨日、道路を歩いていて、2度もころびそうになった。
一度は、階段を上がるとき。
もう一度は、何と、深々としたジュータンの上を歩くとき。
理由はやはり、ルーム・ウォーカーにあることがわかった。
ルーム・ウォーカーでは、歩くとき、膝をほとんどあげないで歩く。
(いざり歩き)というか、足裏をベルトにほとんどこすりつけるようにして歩く。
それがクセになり、そのままの歩き方で、道路を歩く。
ちょっとしたことで、つまずくようになった(?)。
そこで私は考えた。
ルーム・ウォーカーに、ハードル競技のような、小さなハードルをとりつけることにした。
足でひっかけてもよいように、厚紙のようなものでつくればよい。
まだ実行していないが、このあと朝食が終わったら、さっそく、やってみよう。
そうすれば歩くのに合わせて、膝をあげるようになる。
うまくいけばよいのだが……。
ところでその分だけ、このところサイクリングをする回数が減っている。
居間でいつでも運動ができる……という思いが、サイクリングを減らす理由になっている。
便利なことはよいのだが、ルーム・ウォーカーにも、いろいろ問題があるようだ。
●ミニパソコン
ミニパソコンを、現在、3台使っている。
HP社のもの、MSI社のもの、それにACER社のもの。
それぞれに一長一短があって、どれがよいということにはならない。
が、今の私には、ACER社のものが、いちばん使い勝手がよい。
「ASPIRE ONE」という機種である。
ただし画面が8インチしかない。
で、現在、10インチのものに交換しようしている。
が、どこの店も、「下取りはしません」とのこと。
しかたないので、ネットで、新しいのを注文しようと考えている。
価格は、どんどんさがって、今では、3万4000円前後。
最初に買ったときの、約半額!
どうしようか?
●芝生
秋になったせいなのか、芝生の一部が枯れ始めた。
水不足かもしれない。
この数か月間で、まとまった雨が降ったのは、2回だけ。
これでは芝生も、根を張ることさえできない。
で、昨日、近くの店で、肥料を買ってきた。
全体にまいて、その上にたっぷりと水をかけてやった。
今は、その芝生の先端に、無数の種らしきものができている。
そのため芝刈り機で、芝を刈ることもできない。
今しばらく様子を見て、……つまりもう少し芝が伸びるのを見届けてから、芝を刈るつも
り。
●ハトの巣
居間の前の栗の木に、ドバトが巣を作り始めた。
が、今朝見たら、巣は、からっぽ!
「どうしたんだろ?」とワイフに話しかけたら、ワイフが、「リスよ」と。
リスが出没するようになって、もう10年近くになる。
当初は、餌まで買ってきて歓迎したが、それはまちがいだった。
リスのおかげで、野鳥が巣を作らなくなってしまった。
前にも書いたが、リスは、地上のネズミ。
長いシッポの生えた、ネズミ。
あんなリスを見て、「あら、かわいい」と喜んでいる人の気がしれない。
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大学時代の友人のこと。
数か月前、その友人が、
交通事故訴訟で、やっと結審を迎えた。
長い裁判だった。
4~5年もかかった。
本来なら、もっと早く片づくべき裁判
だった。
が、保険会社がごねた。
この不況下ということもある。
保険会社は、支払い保険金をできるだけ安く
すませようする(?)。
そこで結果的には、裁判は、東京高裁にまで
もちこまれた。
しかし裁判をつづけるにも、それなりの
エネルギーがいる。
長くて、苦しい闘いがつづく。
いくら「勝つ」とわかっている裁判でも、
「裁判をする」ということ自体、不愉快。
裁判所へ足を運ぶということだけでも、
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その日が来るたびに、重苦しい気分に
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正義を貫くには、それほどの努力はいらない。
それなりに自分を守れば、それですむ。
たいへんはたいへんだが、しかし悪の追及と比べたら、何でもない。
とくに力関係に差があるときは、そうである。
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個人が、組織の悪と対峙したようなばあいを考えてみよう。
個人のもつ財力、人脈には限界がある。
一方、組織には、財力も人脈もある。
冒頭に書いた友人の交通事故裁判にしても、そうだ。
訴えるのは、個人。
相手は巨大組織。
地裁という下級審においても、3~4年の歳月を要した。
裁判をつづけながら、友人は、その一方で、週に3~4回、病院へ通わねばならなかった。
「首の骨のズレは、交通事故によるものではない。老化によるもの」というのが、保険会
社の言い分だった。
ほかにもいろいろある。
いろいろあって、そのつど難ぐせをつけ、保険会社は、保険金の支払いをしぶった。
保険会社という大企業にとっては、裁判といっても、事務手続きのひとつにすぎない。
しかし被害者である個人にとっては、そうではない。
そうでないことは、裁判を経験したことがある人なら、みな、知っている。
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