最前線の子育て論byはやし浩司(2)

子育て最前線で活躍する、お父さん、お母さんのためのBLOG

●アクティブ・ラーニング(1)

2010-05-03 11:18:24 | 日記
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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2010年 5月 3日
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3月2日  第1168号になりました!

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メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【Active Learning & 考える教育(Positive Educat
ion】

●春休み

 春休みになって、ひとつ心がけていることがある。
「遊ぶ」こと。
思い立ったら、即、実行!

 ……ということで、昨日は、掛川にある「つま恋・リゾートセンター」で一泊した。
が、寝苦しかった。
夜中に何度も、目が覚めた。
このままだと、今日の昼までもたない。
家に帰ったら、そのまま昼寝。

●近況

 ……おととい、「ファミリス」(静岡県教育委員会発行雑誌)の原稿を書かせてもらった。
子育て相談に関する原稿。
そのあと、TK先生から、Active Learningについての資料がないか、
問い合わせのメールが入った。
Active Learning(アクティブ・ラーニング)。
はじめて聞く言葉だが、意味は、すぐわかった。
要するに「実体験を伴った教育」をいう。

YOUTUBEにひとつ、こんなパロディが載っていた。
子どもに「火」を教える。
そのとき子どもは、マッチを使い、何かを爆発させる。
子どもは火傷(やけど)を負う。
子どもは火(fire)の意味を知る。
「これがActive Learning」と。

 もちろんパロディである。
もちろん実際に、こんな教え方をしてはいけない。
が、これからの教育のひとつの方向性を示している。
具体的に、実体験をさせながら、ものごとを教えていく。
わかりやすく言えば、子どもを教室に閉じこめておくのではなく、教室から
子どもを外の世界へ連れ出し、そこでものを教えていく。

●考える教育

 ついでに、「考える教育」について。

 子どもによって、何か新しい問題を出したとき、大きく2つに分かれる。
ひとつは、自分の学習経験に照らし合わせて、「まだ習ってない」「できない」と逃げて
しまう子ども。
もうひとつは、「やってやる」「やらせて」と、食いついてくる子ども。
この(食いつき)を、私はそのまま「食いつき」と呼んでいる。

 「食いつき」のある子どもは、すばらしい。
「食いつきのない」子どもは、教えていても、つまらない。
学習態度が、万事、受動的。
つまりpassive(パッシブ)。
言われたことはやるが、そこまで。
発展性がない。
どこか自分勝手。
私は、そういう子どもを、「満腹児」と呼んでいる。
何もかも満たされているため、ガッツ(=野生味)がない。

 そこで重要なことは、いかにすれば、その「食いつきのある子ども」に
することができるかということ。
以前、「満腹児」について書いた原稿をさがしてみた。

++++++++++++++++

2006年の原稿より。

++++++++++++++++

●満腹児

 「こうであってほしい」と思う描く自分。しかしそこには、現実の自分がいる。この両
者のギャップが大きいとき、そこから「渇望感」が生まれる。

 この「渇望感」のでわかりやすいのが、性欲。フロイトも、リビドーという言葉を使っ
て、それを説明している。「性欲こそが、生きるためのすべてのエネルギーの根源である」
と。

 性欲が、ムラムラと起きてきたとき、そこに性のはけ口としての、相手がいれば、その
時点で、性欲は解消される。しかし相手がいないとき、相手をもとめられそうにないとき、
渇望感は、さらに強くなる。

 渇望感は、性欲だけには、かぎらない。しかしこの渇望感が、姿を変えて、外の世界に
向っては、「欲」となって現れる。

 名誉欲、金銭欲、支配欲、独占欲などなど。

 そういう意味で、「欲」があるからこそ、人は自分らしさを保つことができるのかもしれ
ない。食欲にたとえていうなら、空腹感という渇望感を満たす、食物のようなもの。欲が
あるから、人は生きられる。

 しかしこの渇望感を、悪と考えてはいけない。渇望感は、性欲にかぎらず、その人を動
かす原動力となる。子どもの世界にも、「満腹児」(この名称は、私がつけた)と呼ばれる
子どもがいる。

 あらゆる面で満たされているため、渇望感がない。そのため、いつも満足げで、おっと
しりしている。欲がないというというだけではなく、生活力もない。ハキもない。

 子どもをじょうずに伸ばすためには、子どものどこかに、この渇望感を用意するとよい。
実際、伸びる子どもというのは、あらゆる方向に触覚がのびていて、好奇心が旺盛である。

(はやし浩司 渇望感 欲 欲望 欲望 満腹児 Active Learning 食いつき 子ども
の積極性 考える子ども 独立して考える) 

+++++++++++++++

●この日本では……

 この日本では、子どもを批判的に評価する方法は、一般化している。
つまり後ろ向き。
たとえばやる気を示さない子どもについては、「燃え尽き症候群」「荷下ろし症候群」
「無気力児」などなど。
そういったいわゆる診断名らしきものをつけたあと、教育を考える。

 一方欧米では、ものの考え方が前向き。
言うなれば(できる子ども)を、さらに伸ばすには、どうしたらよいかという観点で
教育を組み立てる。
つまり「勉強ができない子どもがいてもよいではないか。
そういった子どもは、別の方面で、別の才能を伸ばせばよい。
それよりも、できる子どもを、さらに伸ばしてやろう」と。
そういう発想が強い。

 一方、この日本では、伝統的に、「落ちこぼれ」を嫌う。
たとえば子どもがズルをして、学校を休んだとする。
すると学校(幼稚園)の先生は、「後(おく)れる」という言葉を平気で使う。
後れる?
つまり一定のワクの中に、子どもを押し込もうとする。
(もちろん、出る釘も叩くが……。)

 で、こうしたちがいが、大きく現われているのが、Active Learning
ということになる。
「能動指導」とでも訳すのか。

 私もTK先生に教えてもらったばかりだから、中身はよくわからない。
これからしばらく、この問題について考えてみたい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 アクティブ教育 能動教育 能動指導 active learning active
education)


Hiroshi Hayashi+教育評論++March.2010++幼児教育+はやし浩司
 
●IAP教育

+++++++++++++++++++++++++++

できない子どもを問題視してはいけない。
できる子どもは、さらにできるようにすればよい。
できない子どもについては、何かよい面を見つけ、それを伸
ばせばよい。
それがこれからの教育ということになる。

+++++++++++++++++++++++++++

 日本では、何かにつけて、(できない子ども)を問題視する。
しかしその一方で、(できる子ども)を伸ばすシステムもない。
むしろ「出る釘は叩く」式の教育が、平気でなされている。
これには日本人特有の、「型ワク意識」が、影響している。
明治以来の「もの言わぬ従順な民づくり」の亡霊と言ってもよい。

 一方、欧米では、できる子どもは、さらにできるようにする。
できない子どもについては、その子どもの才能を見つけ、それを伸ばすように
している。
私の想像ではない。

 メルボルンの郊外に、ジーロン・グラマー・スクールがある。
小学1年生から高校3年生までの一貫教育を施している。
(実際には、幼稚部も含まれている。)
あのチャールズ皇太子も1年間学んだことがある。
その学校では、子どもの能力と、方向性に応じて、自由にカリキュラムを
組んでいる。
自由にだぞ!
たとえば水泳の才能のある子どもは、毎日水泳の授業が受けられる。
木工が好きな子どもは、毎日木工の授業が受けられる。
何も、主要5教科(日本)だけが、教育ではない!
人間が学ばなければならない、知識と経験ではない!

 どうしてこの日本では、そういう教育を目指さないのか。
つまりそれが日本と欧米の、教育の基本的な姿勢のちがいということになる。

●自分で考える子ども
 
 TK先生は、かねてから、「Independent Thinker」という言葉をよく使う。
「自分で考える子ども」という意味である。
「これからは知識の時代ではない。
知識など、インターネットを使えば、その場で手に入る」と。

 そこでTK先生は、自身が東京R大の理学部長をしていたとき、独自の
入試方法を実施した。
それが今に見る、AO入試の原型となった。
で、今度はさらにそれを一歩進め、「Active Learning」という言葉を私に
教えてくれた。
意味はよくわからないが、直訳すれば、「行動的な学習」ということになる。
「教室の中だけではなく、外の世界に飛び出し、そこで能動的にものを
教え、学ぶ」ということか。
これから先、いろいろな情報が入ってくることと思う。

 で、「Active」があれば、当然、「Positive」もあるということになる。
つまり「積極的な学習」。
何でも前向きに、「やる!」「やりたい!」と、積極的に食いついてくる子どもを
育てる。

 で、これら3つを並べると、「Independent」「Active」「Positive」となり、
それらの3つの頭文字を取ると、「IAP」となる。
つまり「IAP教育」!

 「IPA教育」は、これからの日本の教育の(柱)とすべき理念ということになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
 BW はやし浩司 IAP教育 Independent Thinker Active Learning Positive
Learning Active Education Positive Student)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●掛川へ

++++++++++++++++++++++

今、掛川へ向っている。
電車の中。
今日は、YAMAHAリゾート・センター、「つま恋」で一泊するつもり。
軽く運動をし、温泉につかる。
そう、今日から春休み。

で、今日のお供は、TOSHIBAのダイナブック(MX33)。
純白のパソコン。
それにワイフと長男。

++++++++++++++++++++++

●日本破綻

 相向かいの席の男が、週刊誌を読んでいる。
「週刊現代」。
その表紙に、「日本破綻……2012」と並んで、「人生は60歳から」とある。
それを見て、「ありえるなあ」「何言ってるんだ」と思う。

 日本破綻については、たいへん(ありえる)。
へたをすれば、2012年度ではない。
2011年度の国家予算すら、あやうい。
組めなくなる。
しかし日本破綻は、日本だけの問題にとどまらない。
世界を巻き込む。
日本破綻イコール、世界破綻と考えてよい。
正確には、「日本発、世界破綻」。

もっともそれ以前に、世界にばらまいた(円)が、日本へ逆流し始める。
そうなったとたん、ハイパーインフレが、日本を襲う。
が、これはきわめて短期間のうちに起こる。
たとえば逆流が土曜日に始まったとする。
その2日後の月曜日には、日本の経済は破綻する。
リーマンショック、ドバイショックのときもそうだった。
「あぶないぞ」とうわさが出ている段階では、まだだいじょうぶ。
「まだ、だいじょうぶかな?」と思っているときが、あぶない。

「逆流」という言葉で思い出したが、私はときどき逆流性食道炎になる。
今朝、知り合いの漢方医(薬剤師)に、たまたま電話でそれについて相談したところ。
「水気(すいき)逆上だから、半夏(ハンゲ)……半夏写心湯かな?」と。
漢方医の彼は、そう言った。
半夏厚朴湯(ハンゲコウボウトウ)なら、毎晩、眠る前にのんでいる。
これはもともとは、胃腸薬。
女性の精神安定剤としても、効く。
量を多くして、しばらく半夏厚朴湯をのんでみることにした。

 つまり、言うなれば、日本経済が、逆流性食道炎状態になる。
あまりよいたとえではないかもしれないが、そういった状態になる。
が、ほんとうに心配なのは、中国経済。
バブル経済はバブル経済だが、そのバブル経済が狂乱じみてきた。
つい先週末も公定歩合(貸し出し金利)をあげたが、まさに焼け石に水。
猛烈な勢いで、元が、市中に流れ込んでいる。
ドドーッ、ドドーッ、と。
近く、何か恐ろしいことが起きるような気がする。

●人生は60歳から
 
 「人生は60歳から……」という言い方には、大きな違和感を覚える。
お世辞?
励まし?
慰め?

何も「60歳」という数字にこだわる必要はない。
あえて「60歳」にする必要もない。
「30歳」でもよい。
「40歳」でもよい。
「60歳」としたところに、意図的なイヤミを感ずる。
裏を返して言うと、つまり裏から解釈すると、「人生は60歳で終わる」となる。

また記事の内容など、読まなくても、おおよその推察がつく。
いろいろな人の老後の設計図を示しながら、60歳を過ぎても、こうして
がんばっている人もいるという内容。

 しかし実際には、私の年齢の人は、だれも「人生は60歳から……」とは思っていない。
この年齢になると、自分を支えるだけで、精一杯。
私も「人生は60歳から」と思いたいが、それ以上に強いパワーで、
容赦なく、押し戻されてしまう。

 ただこういうことは言える。
「人生の結論は、60歳で出る。
あとはその結論を、どう生かして生きるか」と。
その結論が、60歳以後の人生の内容を決める。

●論理

 論理学を使って、もう一度、「人生は60歳から……」を考えてみよう。
つぎのような問題がある。
あなたは、どう考えるだろうか。

【問】

 ここに4枚のカードがある。
表には、(△)か(□)が描いてある。
表が(△)のときは、裏には赤の(●)が、かならず描いてある。
このことが正しいことを証明するために、あなたはつぎの4枚のカードのうち、
どれをめくってみるか。

1枚目……(△) 
2枚目……(□) 
3枚目……赤の(●) 
4枚目……青の(●)

 単純に考えれば、1枚目と3枚目をめくればよいということになる。
1枚目をめくってみて、赤の(●)。
3枚目をめくってみて、(△)。

 しかしこれでは先の命題を、正しいと証明したことにはならない。
1枚目をめくったとき、裏に赤の(●)があれば、命題の条件に合致する。
3枚目の赤の(●)をめくってみたときも、そうだ。
表に(△)があれば、命題の条件に合致する。
が、これでは十分ではない。
だからといって、「(△)のカードの裏は、赤の(●)」ということが、証明された
わけではない。
つまり先の命題が、正しいことを証明したことにはならない。

 この命題が正しいと証明するためには、この命題はまちがっていない
ことを明らかにしなければならない。
が、その前に書いておかねばならない。
3枚目は、めくっても意味はない。 
仮に3枚目をめくったとき、表に(△)が描いてなくても、(つまり(□)で
あったとしても)、この命題の証明には、影響を与えない。

 では、どれをめくればよいのか。

 1枚目をめくって、赤の(●)が出てくることは、命題の証明には必要。
しかし十分ではない。
そこでこの命題はまちがっていないことを証明しなければならない。
それを決定するのは、4枚目のカードということになる。
4枚目は青の(●)。
もしこのカードをめくってみて、(△)が出てこなければ、この命題はまちがって
いることになる。
そこで4枚目をめくってみる。
表に(△)が出てくる。
この段階ではじめて、命題は、まちがっていないということになる。

 これが「論理」である。

●言葉の遊び

 話を戻す。
「人生は60歳から」というのは、一応正しいと仮定しよう。
「一応正しい」というのは、一応必要な条件を満たしているということ。
しかしこの命題が正しいというためには、「ほかの年齢からは人生は始まらない」という
ことを証明しなければならない。

「人生は、30歳からではない」
「人生は、40歳からではない」
「人生は、50歳からではない」と。
 それを証明しなければ、十分とは言えない。

 しかし人生は何も、60歳だけから始まるわけではない。
さらに言えば、「人生は70歳から」と言っても、何もおかしくない。
「人生は80歳から」と言っても、何もおかしくない。

 つまり「人生は60歳から」というのは、論理学的には、きわめて非論理的な
言い方ということになる。
わかりやすく言えば、ただの言葉の遊び。
人目を引くための、ただのキャッチフレーズ。

●掛川駅

 あっという間に、電車は掛川駅に着いた。
私のばあい、こうしてパソコンのキーボードを叩いていると、あっという間に時間が
過ぎていく。
電車に乗っているときは、とくにそうだ。
そういう意味では、退屈しのぎには、よい。

 そうそう、あえて言われなくても、60歳台の人たちは、みながんばっている。
「人生はこれからだ」と、自分をだましながら、がんばっている。
が、実際には、どうにもならない。
あっちを見ても、壁。
こっちを見ても、壁。
壁、壁、壁……。
それだけではない。

電話番号を聞いても、「覚えておられるだろうか?」という不安が、頭の中を、
ふと横切る。
「本当は人生は、終わっている」と、だれもが心のどこかで、感じている。
が、それを認めるのは、敗北。
だから、「まだまだ……」と。

 最後に、私はこう思った。
「あの原稿を書いた人は、本当に60歳なのだろうか」と。
本当に60歳なら、ラッキーな人だと思う。
私も、もうすぐ63歳になるが、とてもおこがましくて、そういう言葉は出てこない。
私がラッキーであるとするなら、よけいに、そうでない人たちに申し訳なくて、
そういう言葉は出てこない。
それはたまたま健康な人が、病気の人たちを前に、「健康は大切ですよ」と言うに
似ている。
励まされているというよりは、先にも書いたように、どこかイヤミに感ずる。

 もうひとつの「日本破綻……2012」というほうの記事は読んでみたい。
が、「人生は60歳から」という記事のほうは、読みたくない。
読む前から内容がわかる。
そんなことを考えながら、そそくさと電車を下りた。

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