最前線の子育て論byはやし浩司(2)

子育て最前線で活躍する、お父さん、お母さんのためのBLOG

●7月29日号(2)

2009-07-29 04:33:01 | 日記





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(353)

●心を開く

 何でも言いたいことを言い、したいことをする。悲しいときは悲しいと言う、うれしい
ときはうれしいと言う。泣きたいときは、思いっきり泣くことができる。自分の心をその
ままぶつけることができる。そういう状態を、「心が開いている状態」という。

 昔、ある文士たちが集まる集会で、一人の男性(七〇歳)がいきなり私にこう聞いた。「林
君、君のワイフは、君の前で『おなら』を出すかね?」と。驚いて私が、「うちの女房はそ
ういうことはしないです……」とあわてて答えると、そばにいた人たちまで一斉に、「そり
ゃあ、かわいそうだ。君の奥さんはかわいそうだ」と言った。

 子どもでも、親に向かって、「クソじじい」とか、「お前はバカだ」と言う子どもがいる。
子どもが悪い言葉を使うのを容認せよというわけではないが、しかしそういう言葉が使え
ないほどまでに、子どもを追いつめてはいけない。一応はたしなめながらも、一方で、「う
ちの子どもは私に心を開いているのだ」と、それを許す余裕が必要である。子どもの側か
らみて、「自分はどんなことをしても、またどんなことを言っても許されるのだ」という絶
対的な安心感が、子どもの心を豊かにする。

 そこで大切なことは、心というのは、相手に対して「開く心」と、もう一方で、それを
受け止める「開いた心」がないと、かよいあわないということ。子どもが心を開いたら、
同じように親のほうも心を開く。それはちょうどまさに「開いた心の窓」のようなものだ。
どちらか一方が、心の窓を閉じていたのでは、心を通いあわせることはできない。R氏(四
五歳)はこう言う。

「私の母(六五歳)は、今でも私にウソを言います。親のメンツにこだわって、あれこれ
世間体をとりつくろいます。私はいつも本音でぶつかろうとするのですが、いつもその本
音が母の心のカベにぶつかって、そこではね返されてしまいます。私もさみしいですが、
母もかわいそうな人です」と。

 そこで問題なのは、あなたの子どもはあなたに対して、心を開いているかということ。
そして同じように、あなたはあなたの子どものそういう心を、心を開いて受け止めている
かということ。もしあなたの子どもがあなたの前で、よい子ぶったり、あるいは心を隠し
たり、ウソをついたり、さらには仮面をかぶっているようなら、子どもを責めるのではな
く、あなた自身のことを反省する。相手の心を開こうと考えるなら、まずあなた自身が心
を開いて、相手の心をそのまま受け入れなければならない。またそれでこそ、親子であり、
家族ということになる。

 さてその文士の集まりから帰った夜、私は恐る恐る女房にこう言った。「おまえはあまり
ぼくの前でおならを出さないけど、出していいよ」と。が、数日後、女房はそれに答えて
こう言った。「それは心を開いているとかいないとかいう問題ではなく、たしなみの問題だ
と思うわ」と。まあ、世の中にはいろいろな考え方がある。





ホップ・ステップ・子育てジャンプbyはやし浩司(354)

●心を開く(2)

 心を開くということは、相手に対しては自分のあるがままをさらけだすこと。一方、相
手に対しては、相手のすべてを受け入れるということ。少しきわどい話になって恐縮だが、
『おなら』がある。ふつう自分のおならは、気にならない。小学生に聞いても、全員が例
外なく、「自分のは、いいにおいだ」と言う。しかし問題は、自分以外の人のおならだ。

 もちろん見知らぬ人のおならは、不愉快だ。いかに相手が美人であり、美男子であって
も、それは関係ない。しかしそれが親や兄弟のとなると、多少、感じ方が変わってくる。
さらに親しい友人や、尊敬する人になると変ってくる。昔、恩師のM先生(女性)がこう
話してくれた。

「私は女学生のとき、好きな先生がいた。好きで好きでたまらなかった。が、その先生が
ある日、私のノートを上からのぞいたとき、ポタリと鼻くそを私の机の上の落した。私は
その鼻くそを見たとき、どういうわけかうれしくてならなかった」と。相手を受け入れる
といういことは、そういうことをいう?

 そこで今度は家族について。あなたは自分の夫や妻、さらには子どもをどこまで受け入
れているだろうか。またまた『おなら』の話で恐縮なのだが、あなたはあなたの夫や妻が
おならを出したとき、それをどこまで受け入れることができるだろうか。自分のおならの
ように、「いいにおい」と思うだろうか。それとも他人のおならのように、不愉快だろうか。
実のところ、私も女房のおならが許せるようになったのは、結婚してから二〇年近くもた
ってからだ。自分のにおいのように感ずることができるようになったのは、ごく最近にな
ってからだ。

女房はめったに私の前ではしないが、眠ってしまったあと、ふとんの中でそれを出す。で、
若いころはふとんの中でそれされると、鼻先だけふとんの中から外へ出し、口で息をした
り、ときには窓を開け放って、ガスを追い出したりしていた。今も「平気」とまではいか
ないが、「またやったな」という思いながらも、そのまま眠ることができる。

 問題はあなたと子ども、である。あなたは子どものすべてを受け入れているだろうか。
こういうとき「べき」という言い方はしたくないが、しかしこれだけは言える。親に受け
入れてもらえない子どもほど、不幸な子どもはいないということ。言いかえると、親にす
ら心を開いてもらえない子どもは、自分自身も心を開くことができなくなる。そういう意
味で、子どもは心の冷たい子どもになる。

もう少し正確には、自分の心を防衛するようになり、そのためさまざまな「ゆがみ」を見
せるようになる。ひがむ、いじける、ねたむ、すねるなど。心のすなおさそのものが、消
える。へんに愛想がよくなることもある。そういう意味で、もしあなたがあなたの子ども
に心を閉じているなら、それは「あるべき」親の姿勢ではない。「努力して」というほど簡
単な問題ではないかもしれないが、しかしあなたの子どものためにも努力する。

 方法としては、まず子どもを友として受け入れる。つぎにあとは「許して忘れる」。これ
を日常的に繰り返す。時間はかかるが、やがてあなたは心を開くことができるようになる。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●実家を売る

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郷里の知り合いに頼んでおいたら、私の
実家が、売れた。
伝統的建造物にもなっている古い家である。
「どうしたらいいか?」と悩んでいたら、
何と、その知り合いの方が、「買ってもいい」と
申し出てくれた。

値段は相場の半額程度とは思うが、私は満足。
できるだけ早く、あのM町とは、縁を切りたい。
すっきりしたい。
お金の問題ではない。

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 私にとっては、実家は、重荷以外の何物でもなかった。
心の内側にペッタリと張り付いた重荷だった。
そのため暗くて、ゆううつな60年間だった。

 「依存性」という言葉がある。
依存する方は、それだけ楽かもしれないが、依存される方はそうでない。
保護と依存の関係も、感謝されるのは、最初だけ。
やがて当たり前になり、さらに進むと、依存する方が、それを請求してくるようになる。
が、こうなると、その関係を切ることはできない。

 依存される側は、その重圧感で、悶々と苦しむようになる。
お金の問題ではない。

 まったく生活力のない兄と母。
それを見て、「親のめんどうをみるのは、息子の役目」とせまってくる周囲の人たち。
無言の圧力。
たとえばこういうような言い方をする。

 「私は、あなたの母さんのことは、何も心配してないよ。あなたがいるからね」とか。
あるいは「あなたの母さんは、幸福だね。親孝行のいい息子をもって……」とか。
さらには、「○○さんところの息子は、親孝行の感心な息子だ。今度、家の横に離れを
親のために建ててやったそうだ」とか、など。

 こういう言い方をしながら、真綿で首を絞めるように、ジワジワと迫ってくる。

 ……こうして60年間。
その重圧感から、やっと解放される。
そんな日が、あと数日に迫った。
多少のさみしさはあるが、だれしも一度や二度は乗り越えなければならない道。
感傷にひたっている暇はない。

 ところで話は変わるが、「行動力」という言葉がある。
この行動力は、加齢とともに、急速に減退する。
が、若いうちは、それがわからない。
行動力があるのが当たり前。
また行動力は、死ぬまでつづくものと、思っている。
私もそうだった。
しかし50歳を過ぎると、その行動力そのものが、減退する。
何をするにも、おっくうになる。
つまり決断力を要するようなことをするとき、強く、それを感ずる。

 だからこうした決断は、すみやかに、したほうがよい。

「買いたいです」「はい、わかりました。その値段で結構です」と。

 あとは事務手続きのみ。
そして忘れる。

 親子三代にわたってつづいた自転車屋だったが、ちょうど100年の歴史を、
終える。
祖父も、父も、そして兄も、何をどう思って、あの家を守ったのか?
今、ふと、そんなことを考える。


Hiroshi Hayashi++++++++July.09+++++++++はやし浩司

●映画『レイチェルの結婚』

シアリアス感(深刻さ)を強調するためか、
それとも素人ぽさを、演出するためか。
画面が、常時、手ぶれでガタガタ揺れた。
言うなれば、「手ぶれ映画」。
制作するほうは、それでよいとしても、
観るほうはたまらない。
劇場のような大画面で、観るならなおさら。
私は観ているうちに、船酔いならぬ、映画酔いを
起こしてしまった。

アカデミショー賞候補とか何とか歌ってはいるが、
私はあんな映画に、星はつけない。
薬物中毒だった女性が、ギャーギャーと騒いだだけ。
星は1個にもならない、★(-)。

もっとも深刻な社会勉強をしたいと思う人は
観に行ったらよい。
子どもの工場見学のようなもの。
おもしろくも、何ともない。

劇場へなぜ私たちが足を運ぶかといえば、娯楽のため。
その娯楽性なくして、だれが劇場までわざわざ足を運んで映画など、
観るものか。

そんなわけで途中で、ギブアップ。
吐き気、頭痛が同時に襲ってきた。
劇場を出て、通路にあったソファで、半時間ほど、気分を収めた。

お金を出して、気分を悪くしただけ。
私にとって、『レイチェルの結婚』という映画は、そういう映画だった。
ネットの映画案内には、何人かの知名人が、「すばらしい」「感動した」
と書いていた。

??????

こういうばあい、だれが責任を取ってくれるのか?
「警告:この映画は、劇場の大画面で観ると、映画酔いを起こす可能性
があります」くらいのことは、これからは告知してほしい。


Hiroshi Hayashi++++++++JULY 09++++++++はやし浩司

●堪忍袋の緒が切れた! (麻生首相よ、いい加減にしろ!)

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何を言っても驚かない。
怒らない。
しかし今度だけは、別!
堪忍袋の緒が切れた。
怒った!
私は、怒った!
もともとモヤモヤしていたところに、火がついた!
爆発した!

まず、つぎの記事を読んでほしい。
これを読んで、怒らない人(高齢者)はいないと思う。
とくに私の年代で、自分の体にムチ打ってがんばっている人ほど、
そうではないか。

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