最前線の子育て論byはやし浩司(2)

子育て最前線で活躍する、お父さん、お母さんのためのBLOG

1/2 宗教とは何か(占いについて考える)

2012-01-03 06:19:24 | 日記
【占星術というカルト】

●「占いを信ずる」……「はい」(27・0%)!

++++++++++++++++++++

雑誌「MOM」にこんな調査結果が載っていた。

「占いは好きですか」……「はい」と答えた人(79・0%)

「占いを信じますか」……「はい」と答えた人(27・0%)
          ……「いいときだけ、信じる」と答えた人(57・1%)
           (以上の両者を合計すると、84・1%!)

「どんな占いが好きですか」……星座占い(51・8%)
             ……手相(17・9%)
             ……タロット・カード(11・8%)
              (以下、血液型、生年月日、姓名判断、四柱推命……とつづく)

++++++++++++++++++++

●雑誌「MOM」

 雑誌「MOM」は、雑誌名からして、女性向けのもの。
ここに出てきた数字は、女性、とくに育児まっさかりの母親を対象にしたものと考えられる。
が、それにしてもというか、私はここに出てきた、「27%」「星座占い」という数字と言葉に驚いた。
約3人に1人の女性(母親)が、占いを信じていることになる。
しかも「星座占い」という、訳の分からないものを信じている人が多いという。

●占星術

 占星術は、立派な宗教である。
とくに占星術とイスラム教の間には、密接な関係がある。
占星術イコール、イスラム教、イスラム教イコール、占星術と考えてよい。
それについては、以前、いろいろな原稿を書いてきた。
さがしてみる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●占星術

+++++++++++++++++

今、静かに、かつ密かに、
占星術なるものが、流行している。

街中の片隅で、あるいは、
どこか陰湿なビルの一室で、
あやしげな儀式がが、まこと、
しやかに、行われている。

占星術で占ってもらっているのは、
大半が、若い女性だが、男性もいる。
もちろんそれなりの年配者もいる。

+++++++++++++++++

 占星術としてよく知られているのが、ギリシャで発達した、「黄道十二宮(ホロスコープ)占星術」である。
今、日本でいうところの占星術は、この流れをくんだものと考えてよい。
しかし占星術は、何も、それだけではない。
星が見えるところ、すべての世界に、それがある。
興味深いのは、イスラムの世界にも、それがあるということ。

 で、占星術では、「万物は、神によって創造された。
ならば、その万物の構成要素から、神の意思を推し量ることができるはず」というのが、その基本になっている。
わかりやすく言えば、太陽も、星も、そして人間も、すべて神が創造したものである。
だからそれら万物は、一体となって、統一性と連続性をもって運行している、と。

 そこで天体の星の位置や動きを知ることで、神の意思を知る。
ついで、それらと一体として連動している、人間の運命を知る、と。

 しかし常識で考えても、いろいろ矛盾がある。

 たとえば黄道十二宮占星術では、その人の生年月日を基準にするが、母体から離れ出て誕生した日を生年月日というのも、よくよく考えてみれば、おかしなこと。
原理的には、男の精子が、母親の子宮に着床したときをもって、生年月日と言うべきではないのか。
例がないわけではない。

 中国では、年齢をいうとき、(数え年)で数える。
つまり生まれたとき、すでに1歳とするのは、生まれる前の1年間を、母親の母体内で過ごしていると考えるからである。
イスラムの世界でも、その人の星位は、受胎時の星位によって決まると考えられている。

 ならば私やあなたの誕生年月日は、母体から切り離されたときではなく、ここにも書いたように、受胎したそのときをもって、決まると考えるのが正しい。
少なくとも、占星術では、出産日ではなく、受胎日を基準にして、その人個人の運勢を占うべきである。

 年齢だけではない。占星術といっても、ここに書いた出生によって、その人の運命を判断する、「出生占星術」、太陽、月、星などの動きから、世界や国の動きを判断する、「全体占星術」、いつどのような形で行動を始めるかを占う、「開始行動占星術」、そのつど天体の動きを参考に、質問者の質問に答える、「質問占星術」などがある。

 が、何といっても多いのが、ここに書いた、個人の運勢や運命を占う、「運命占星術」。

 しかし仮に、万物が神の創造物であるにしても、それは人間という単位。
あるいは生物という単位で、ものを考えるべきではないのか。
たとえば公園の広場に住む、アリを考えてみればよい。
もしそこにすむアリたちに、何かの異変が起きるとしたら、公園の工事や、清掃作業によるもの。しかしこのばあいでも、一匹、一匹のアリがどうこうなるというわけではない。公園に住むアリ全体が、その影響を受ける……。

 ……という話を書くことすら、バカげている。

 星の位置といっても、宇宙という3次元の空間にある星々を、地球という一点から、二次元、つまり天空という平面で見ているにすぎない。
星々までの距離は、計算に入れていない。

 つまり星の位置といっても、実に自己中心的な視点で、それを見て言っているにすぎない。
サソリ座だの、何のと、真顔で、口にすること自体、バカげている。
宇宙船で、100光年も先へ行けば、星座の位置、形、すべてが変わる。
1000光年も先に行けば、もっと、変わる。
星位という概念すら、消えてなくなる。

もうひとつつけ加えるなら、占星術は、つねに数学と結びついて発達してきた。
占星術イコール、数学と考えてよい。

 その「数学」が何であるかもわからないような、そこらのオバチャンが、口八丁、手八丁で、占星術をするから、話がおかしくなる。

 こうした占いは、人々の心のスキマをついて、これからもなくなることはないだろう。しかしこれだけは言える。

 「生きることとは考えること」という人にとっては、占いを認めることは、その生きることを放棄することに等しい。占いに頼るということは、考えることを、自ら放棄するようなもの。それでもよいと言うのなら、それはそれでかまわない。
そのあとの判断は、それぞれの人の勝手。私の知ったことではない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 占星術 占い 黄道十二宮占星術 ホロスコープ占星術 はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 カルト 狂信)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

もう1作、見つかった。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●占星術(2)

 超自然的な絶対性。それが占いの基盤になっている。
占星術についても、例外ではない。
占星術も、もとはといえば、万物の創造主たる神の存在を、大前提にしている。
つまり占星術の世界では、この大宇宙も、そして地球上に住む、ありとあらゆる生物も、すべてが一体として、統一化され、かつ連動しているという考えを、基本とする。

 大宇宙は、そのまま私たちが住む小宇宙と、照応関係にあるとみる。

 これは何も占星術にかぎらないことだが、占星術も含めて、あらゆる占いには、宗教性がある。
事実、イスラム教の世界では、イスラム教は常に、占星術とともに、歩んできた。
とくに占星術については、占星術イコール、イスラム教と考えてよい。

 イスラム教の寺院の天井が、ドーム状になっているのも、そうした教えに基づく。
つまり、そのドームの形そのものが、大宇宙と連動する小宇宙を表現している。

 反対に、仮に、占いから、その宗教性を消してしまえば、占いは、占いとしての意味をなくす。
たとえばだれかがあなたの生年月日を聞いたあと、何やら意味のわからない計算盤を見つめながら、こう言ったとする。

 「あなたの寿命は、あと5年です。それを避けるためには、毎晩、床の北東の位置に、ローソクを立てて眠りなさい」と言ったとする。

 信ずるか、信じないかは、あなたの勝手。
……というより、それはあなたの宗教性による。
意識的であるにせよ、あるいは、ないにせよ、もしあなたが、不可思議なものにたいして、それを超えた(何か)を、感ずれば、あなたには、その宗教性があるということになる。
笑って無視すれば、あなたには、その宗教性がないということになる。

 その宗教性は、ふとしたきっかけで、信仰心に変身する。
信仰心といっても、おおざっぱに言えば、2種類ある。
ひとつは、教えを重要視するもの。
もうひとつは、超自然的なパワーを盲信するもの。
前者を、哲学主義というなら、後者は、神秘主義ということになる。

 もちろん、その中間もある。
色の濃さも、それぞれの宗教によって、ちがう。
宗派によっても、ちがう。
しかしたいていのばあい、宗教は、信者を問答無用式に黙らせるために、絶対的な存在を、信仰の中心に置く。
「イワシの頭も信心から」とは言うが、イワシの頭では、信者を黙らせることはできない。

 神や仏がよい。
あるいは太陽がよい、月がよい。さらには、星がよい、と。

 よく誤解されるが、宗教があるから、信者がいるのではない。
宗教を求める信者がいるから、宗教が生まれる。
そしてその宗教も、ビジネスの世界と同じように、需要と供給のバランス関係によって、発展したり、衰退したりする。

 たとえば、私が子どものころには、占星術なるものは、日本には、存在しなかった。
どこかには、あったのかもしれないが、少なくとも、私たちの目の届くところには、なかった。
ただ歴史的には、天空の異変を見ながら、その国の吉凶を占うということは、日本でも、中国でもあったようだ。

 中国における古代天文学は、そうした視点から発達した。

 しかしそれが個人レベルの占星術、つまり運勢占星術として、日本で定着し始めたのは、私の記憶によれば、1970年代以後のことではなかったか。
こと「星」について言えば、日本人は、元来、無頓着な民族と言える。
星座、それにつづく天文学については、それについて研究したという史料は、ほとんどといってよいほど、残っていない。
(これは多分に、私の認識不足によるものかもしれないが……。)

 占星術も、その後、需要と供給のバランスの中で、発展した。
(発達したのではなく、発展した。誤解のないように。)
もっと端的に言えば、心にスキマのある人たちが、より、もっともらしい(占い)に飛びついた。
占星術は、そういう意味で、日本人の需要に、うまく答えたということになる。

 それ以前には、手相、姓名判断、八卦(はっけ)などが、占いとして、日本人の心のスキマを埋めていた。
私の実家では、毎年正月に、近くの神社から配られる、運勢判断を見ながら、その年の計画を立てる慣わしになっていた。

一方、占星術は、こうした旧来型の占いとちがい、どこか数学的であるという点と、「星」そのものがもつロマンチックな雰囲気が、若者の心をとらえた。
そして今に見る、占星術、全盛期を迎えるにいたった。

 書店でもコンビニでも、その種の本がズラリと並ぶ。
占星術師なる人物が、テレビに顔を出さない日は、ない。

 しかしこうした現象が、子どもにとって望ましい現象かどうかということになると、それは疑わしい。
占いそのものがもつ非論理性もさることながら、ここにも書いたように、占いは、神秘主義と結びつきやすく、それがそのまま宗教性へとつながっていく可能性が高い。
あの忌まわしいO真理教による、地下鉄サリン事件以来、カルトと呼ばれる狂信的宗教団体は、表向きは、なりを潜めている。
が、しかし今の今も、社会の水面下で、その勢力を拡大していることを忘れてはならない。

 こうした子どものもつ宗教性が、いつなんどき、そうしたカルトによって利用されるか、わかったものではない。
忘れてならないのは、占いは、立派な、信仰である。
しかもその信仰は、神秘主義そのものである。

 何の批判もなく、何の制約もなく、占星術なるものが、大手を振ってこの日本を闊歩(かっぽ)している。
それは子どもたちの未来にとっては、たいへん危険なことと考えてよい。

 ペルシャの散文家、ニザーミイー・アルーズィーは、こう書いている。

 「占星術師は、魂も性格も清く、人に好かれる人物でなければならない。
また外見上、いくらかの精神錯乱、狂気、預言めいたことを言うのが、この術の必須条件である」と。
つまり「異常な霊感こそが重要」(学研「イスラム教の本」)と。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 占星術 子供の世界 占い 神秘主義 神秘主義的傾向 はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 イスラム教と占星術 狂気性)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●思考力をなくした人々

 宗教性と理性は、常に対立関係にある。
とくに注意したいのが、宗教がもつ神秘性。
この神秘性に毒されると、理性そのものが破壊される。

このあたりで、もう一度、しっかりと結論を出しておきたい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●宗教とは何か(カルトについて考える)

【宗教VSカルト論】BYはやし浩司

●インチキ予言

 「2011年の5月21日に、世界はを終末を迎える」。
そんな予言をした宗教団体があった。
が、5月21日には、何も起こらなかった。

そこでその宗教団体の「長」は、計算ミスとし、
今度は10月21日に、終末を迎えると言い出した。
が、その10月21日にも、世界は終末を迎えることはなかった。
終末を迎えたのは、皮肉なことに、リビアのカダフィ大佐だった。
 その宗教団体は、「カダフィ教」を信奉する宗教団体だったのか。
ロイター・NEWSは、つぎのように伝える。

『今月21日を「世界の終末の日」と予言してメディアの注目を集めた米国のキリスト教徒ハロルド・キャンピング氏(90)が、「審判の日」を前に沈黙を守っている。

 ラジオ局「ファミリー・ステーション」を主宰するキャンピング氏は今年、5月21日を「最後の審判の日」と予言して一躍話題の人となった。
その後、当日に何も起こらなかったのは計算ミスだと釈明し、新たに10月21日を世界の終末の日と予言し直した』(以上、ロイター)と。

●終末論

 キリスト系のカルト教団体は、よく「終末」という言葉を口にする。
英語で「apocalypticism(終末論)」と書くことからもわかるように、それが「ーism(主義)」になることもある。

つまり教えの「柱」。
「世界はやがて終末を迎える」という大前提で、教義を組み立てる。

 が、カルトがカルトと呼ばれる所以(ゆえん)は、ここにある。
不安と希望、バチと利益(りやく)、終末と救済を、いつもペアにし、信者を獲得し、誘導する。

 とくに終末論は、ユダヤ教のお家芸。
ユダヤ人は、紀元前1000年の昔から、そのつど歴史の中で迫害されてきた。
そのつどユダヤ教では、終末論を唱えた。
つまりそういう暗い歴史の中で、「終末論」は、「ーism」として、独立した。

●思い込み

 現在、人間はいろいろな問題をかかえている。
国際経済は、ガタガタ。
アジアに目をやれば、タイの大洪水。
この日本も、原発問題で右往左往。
 が、それら十把ひとからげにして、「終末」は、ない。
いわんやそれを預言し、日時まで特定する。

人にはそれぞれ(思い込み)というのはある。
が、それにも程度というものがある。
その程度を組織的に越えたとき、それを私たちは「カルト」と呼ぶ。
つまり「狂信」。

 アメリカだけの話ではない。
この種のインチキ預言は、世界中のいたるところで発生している。
もちろんこの日本でもある。

4~5年前だったか、「北朝鮮が攻めてくる」と預言した仏教系の宗教団体があった。
13世紀に起きた蒙古襲来になぞらえ、それを預言した。
各新聞の1面を借り切って、それを預言した。
が、その日には何も起こらなかった。

●エアーポケット

 不安や心配が重なると、心に穴が開く。
スキができる。
スキができると、合理的な判断力が低下する。
そのとき、人は、とんでもないことを信ずるようになる。
ふつうの状態なら、一笑に付すようなことでも、信ずるようになる。
私はこれを「心のエアーポケット」と呼んでいる。

 が、この心のエアーポケットは、だれにでもある。
私にもあるし、あなたにもある。

たとえば「家庭内宗教戦争」。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●家庭内宗教戦争(2004年3月の原稿より)

 こういう時代なのかもしれない。
今、人知れず、家庭内で、宗教戦争を繰りかえしている人は多い。
夫婦の間で、そして親子の間で。

 たいていは、ある日突然、妻や子どもが、何かの宗教に走るというケースが多い。
いや、本当は、その下地は、かなり前からできているのだが、夫や親が、それを見逃してしまう。
そして気がついたときには、もうどうにもならない状態になっている。

 ある夫(43歳)は、ある日、突然、妻にこう叫んだ。

 「お前は、いったい、だれの女房だア!」と。

 明けても暮れても、妻が、その教団のD教導の話ばかりするようになったからである。
そして夫の言うことを、ことごとく否定するようになったからである。

 家庭内宗教戦争のこわいところは、ここにある。
価値観そのものが、ズレるため、日ごろの、どうでもよい部分については、それなりにうまくいく。
しかし基本的な部分では、わかりあえなくなる。

 その妻は、夫にこう言った。
 「私とあんたとは、前世の因縁では結ばれていなかったのよ。
それがかろうじて、こうして何とか、夫婦の体裁を保つことができているのは、私の信仰のおかげよ。
それがわからないのオ!」と。

 そこでその夫は、その教団の資料をあちこちから集めてきて、それを妻に見せた。
彼らが言うところの「週刊誌情報」というのだが、夫には、それしか思い浮かばなかった。

 が、妻はこう言った。「あのね、週刊誌というのは、売らんがためのウソばかり書くのよ。そんなの見たくもない!」と。

 こうした隔離性、閉鎖性は、まさにカルト教団の特徴でもある。ほかの情報を遮断(しゃだん)することによって、その信者を、洗脳しやすくする。信者自身が、自ら遮断するように、しむける。

だからたいていの、……というより、ほとんどのカルト教団では、ほかの宗派、宗教はもちろんのこと、その批判勢力を、ことごとく否定する。
「接するだけでも、バチが当たる」と教えているところもある。

●ある親子のケース

 富山県U市に住む男性、72歳から相談を受けたのは、99年の暮れごろである。
あと少しで、2000年というときだった。

 U市で、農業を営むかたわら、その男性は、従業員20人ほどの町工場を経営していた。
その一人息子が、仏教系の中でもとくに過激と言われる、SS教に入信してしまったという。

 全国で、15万人ほどの信者を集めている宗教団体である。
もともとは、さらに大きな母体団体から分離した団体だと聞いている。
わかりやすく言えば、その母体団体の中の、過激派と呼ばれる信者たちだけが、別のSS教をつくって独立した。
それがSS教ということになる。

 教義の内容も過激だったが、布教方法も過激であった。毎朝、6時にはその所属する会館に集まり、彼らが言うところの、「勤行」を始める。
それが約1時間。それが終わると、集会、勉強会。そして布教活動。

 相談してきた男性は、こう言った。

 「ひとり息子で、工場のほうを任せていたのですが、このところ、ほとんど工場には、姿を見せなくなりました。
週のうちの3日は、まるまるその教団のために働いているようなものです。
 それに困ったのは、最近では、従業員はもちろんのこと、やってくる取り引き先の人にまで、勧誘を始めたことです。
 何とか、やめさせたいのですが、どうしたらいいですか」と。

 部外者がこういう話を聞くと、「信仰の自由がある」「息子がどんな宗教を信じようが、息子の勝手ではないか」と思うかもしれない。
しかし当事者たちは、そうではない。その深刻さは、想像を絶するものである。

 「本人は、楽しいと言っていますが、目つきは、もう死んだ魚のようです。
今は、どんなことを言っても、受けつけません。
親子の縁を切ってもいいとまで言い出しています」とも。

●カルトの下地

 よく誤解されるが、カルト教団があるから、信者がいるのではない。
それを求める信者がいるから、カルト教団は生まれ、そして成長する。

 だから自分の家族が、何かのカルト教団に入信したとしても、そのカルト教団を責めても意味はない。
原因のほとんどは、その信者自身にある。
もっと言えば、そういう教団に身を寄せねばならない、何かの事情が、その人自身に、あったとみる。

 冒頭に書いた、ある夫(43歳)の例も、そうだ。妻の立場で、考えてみよう。

 どこか夫は、権威主義的。男尊女卑思想。
仕事だけしていれば、男はそれでよいと考えているよう。
その一方で、女は育児と家庭という押しつけくる。そういう生活の中で、日々、窒息しそうになってしまう。

 何のための人生?
 なぜ生きているのか?
 どこへ向えばよいのか? 生きがいはどこにある?
 どこに求めればよいのか?
 何もできないむなしさ。

力なさ。
そして無力感。

 しかし不安。世相は混乱するばかり。
社会も不安。心も乱れ、つかみどろこがない。
何のために、どう生きたらよいのか。
心配ごともつきない。
自分のことだけならともかくも、子どもはどうなるのか?

 国際情勢は?
 環境問題は?

 そんなことをつぎつぎと考えていくと、自分がわからなくなる。
いくら「私は私だ」と叫んでも、その私はどこにいるのか?
 生きる目的は何か?
 それを教えてくれる人は、どこにいるのか?
 どこにどう救いを求めたらよいのか?

 ……そういう状態になると、心に、ポッカリと穴があく。
その穴のあいたところに、ちょうどカギ穴にカギが入るかのように、カルト教団が入ってくる。
 それは恐ろしく甘美な世界といってもよい。
彼らがいうとところの神や仏を受け入れたとたん、それまでの殺伐(さつばつ)とした空虚感が、いやされる。暖かいぬくもりに包まれる。

 信者どうしは、家族以上の家族となり、兄弟以上の兄弟となる。
とたん、孤独感も消える。すばらしい思想を満たされたという満足感が、自分の心を強固にする。

 しかし……。
 それは錯覚。
幻想。
幻覚。
亡霊。

 一度、こういう状態になると、あとは、指導者の言いなり。
思想を注入してもらうかわりに、自らの思考力をなくす。
だから、とんでもないことを信じ、それを行動に移す。

 少し前だが、死んでミイラ化した人を、「まだ生きている」とがんばった信者がいた。
あるいは教祖の髪の毛を煎じてのむと、超能力が身につくと信じた信者がいた。
さらに足の裏を診断してもらっただけで、100万円、500万円、さらには1000万円単位のお金を教団に寄付した信者もいた。

 常識では考えられない行為だが、そういう行為を平気でするようになる。

 が、だれが、そういう信者を笑うことができるだろうか。
そういう信者でも、会って話をしてみると、私やあなたとどこも違わない、ごくふつうの人である。
「どこかおかしのか?」と思ってみるが、どこもちがわない。

 だれにでも、心の中にエアーポケットをもっている。脳ミソ自体の欠陥と言ってもよい。その欠陥のない人は、いない。

●どうすればよいか?

 妻にせよ、子どもにせよ、どこかのカルト教団に身を寄せたとしたら、その段階で、その関係は、すでに破壊されたとみてよい。
夫婦について言うなら、離婚以上の離婚という状態になったと考えてよい。
親子について言うなら、もうすでに親子の状態ではないとみる。
親はともかくも、子どものほうは、もう親を親とも思っていない。

 しかしおかしなことだが、あるキリスト系の教団では、カルト教団であるにもかかわらず、離婚を禁止している。
またある仏教系の教団では、カルト教団であるのもかかわらず、先祖の供養を第一に考えている。
 そして家族からの抵抗があると、「それこそ、この宗教が本物である」「悪魔が、抵抗を始めた」「真の信仰者になる第一歩だ」と教える。

 こうなったら、もう方法は、三つしかない。

(1)断絶する。夫婦であれば、離婚する。
(2)家族も、いっしょに入信する。
(3)無視して、まったく相手にしないでおく。

 私は、第3番目の方法をすすめている。
富山県U市に住む男性(72歳)のときも、こう言った。

 「息子さんには、こう言いなさい。『ようし、お前の信仰が正しいかどうか、おまえ自身が証明してみろ。お前が、幸福になったら、お前の信仰を認めてやろう。ワシも入信してやろう。どうだ!』と。

 つまり息子さん自身に、選択と行動を任せればよいのです。
会社の経営者としては、すでに適格性を欠いていますので、クビにするか、会社をつぶすかの、どちらかを覚悟しなさい。
夫婦でいえば、すでに離婚したも同然と考えます。

 そしてこう言うのです。『これは、たがいの命をかけた、幸福合戦だ』とです。そしてあとは、ひたすら無視。また無視です。

 この問題だけは、あせってもダメ。
無理をしても、ダメ。
それこそ5年、10年単位の時間が必要です。
頭から否定すると、反対に、あなたの存在そのものが、否定されてしまいます。

 あなたは親子の関係を修復しようと考えていますが、すでにその関係は、こわれています。
今の息子さんの信仰は、あくまでもその結果でしかありません」と。

●常識の力を大切に!

 今の今も、こうしたカルト教団は、恐ろしい勢いで勢力を伸ばしている。
信者数もふえている。
つまりそれだけ心の問題をかかえた人がふえているということ。

 では、それに対して抵抗する私たちは、どうすればよいのか。
どう自分たちを守ればよいのか。

 私は、常識論をあげる。
常識をみがき、その常識に従って行動すればよい、と。

 むずかしいことではない。
おかしいものは、おかしいと思えばよい。たったそれだけのことが、あなたの心を守る。

 家族、妻や子どもに向かっては、いつもこう言う。
「おかしいものは、おかしいと思おうではないか。
それはとても大切なことだ」と。

 そしてそのために、常日ごろから、自分の常識をみがく。
これも方法は、簡単。ごくふつうの人として、ふつうの生活をすればよい。
ふつうの本を読み、ふつうの音楽を聞き、ふつうの散歩をする。
もちろんその(おかしなもの)を遠ざける努力だけは、怠ってはいけない。
(おかしなもの)には、近づかない。近寄らない。近寄らせない。

 あとは、自ら考えるクセを大切にする。
習慣といってもよい。
何を見ても、ふと考えるクセをつける。
そういうクセが、あなたの心を守る。

 さあ、今日も、はやし浩司は戦うぞ!
 みなさんといっしょに、戦うぞ!
 世の正義のため、平和のため、平等のために!

 ……と少し力んだところで、このつづきは、またの機会に!

(はやし浩司 カルト カルト信仰)
(040328)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●信者がいるから宗教団体は生まれる

 先の原稿を書いてからだけでも、もう7年になる。
実はこの問題については、私が30歳ぐらいのときから書き始めているので、30年以上になる。

 が、今でもこのタイプのインチキ教団は、跡を絶たない。
モグラ叩きのモグラのように、叩いても叩いても、顔を出す。
それもそのはず。

 宗教団体があるから、信者がいるのではない。
それを求める信者がいるから、宗教団体が生まれる。
たとえばあの終戦直後。
今で言う「新興宗教」が、それこそ雨後の竹の子ように生まれた。
中には「信心すれば金持ちになれる」と説き、急成長した宗教団体もある。
たぶんにカルト的だったが、その日の食べ物に困る人たちにとっては、そんな判断力はない。
「金持ちになれるなら……」と、多くの人が、その宗教に飛びついていった。


コメントを投稿