最前線の子育て論byはやし浩司(2)

子育て最前線で活躍する、お父さん、お母さんのためのBLOG

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2010-11-15 06:46:33 | 日記

●悪役

 『十三人の侍』は、民主主義のために闘ったのでもなければ、封建主義に
反対して闘ったのでもない。
狂った暴君を暗殺するために、闘った。
あえて言うなら、この部分が映画の前提として、弱い。
暴君ぶりを示すシーンはいくつかあったが、暴君独特のあの異常性を演ずるには
やや役不足。
演技力不足。
あれほどまでの暴君なら、たとえば『羊たちの沈黙』に出てくるような悪人に仕立てる。
そこまでしないと、観客は、映画の中に感情移入することができない。
その前で、立ち止まってしまう。

 その点、あの『七人の侍』は、わかりやすかった。
目の前で虐げられる農民たちを見、7人の侍が立ち上がった。
殺した相手も、悪党ばかり。
が、『十三人の侍』はちがう。
殺した相手は、言うなればサラリーマン侍。
みながみな、悪人というわけではない。
で、あとは意味のない、殺戮映画。

●出品作品?

 きびしい映画批評を書いてしまった。
しかし「ベネチア・コンベンション・出品作品」とは何か?
国内の選考委員会か何かがあって、そこを通過しているのだろうか。
あるいはただの飾り。
ハク付け?

 つまり私はこの飾りの中に、日本人独特のあの権威主義を見た。
よい映画だったら、賞はあとからついてくる。
観客も、そのあとからついてくる。
まず賞ありき。
そのための「出品作品」?

 とても残念だが、映画としては、星2つ。
さらに一言。

 13人の侍(実際には12人の侍)が、命を捨てて、暴君(将軍の
弟)の暗殺を企てる。
しかしそれは同時に、死を覚悟した暗殺劇を意味する。
江戸末期には、ここにも書いたように、武士もサラリーマン化していた。
そういう世の中で、命をかけてまで・・・という侍は、本当にいたのか?
その背景に、よほどの恨みでもないかぎり、そういった行動には出ない。
哲学でもよい。
とくに政治哲学。
封建主義という諸悪の根源と闘うというのなら、まだよい。
将軍の弟ではなく、将軍そのものを暗殺する。
が、それこそ革命。

●権威主義

 要するに、自分の主君から、「あいつ(=将軍の弟)は悪人だから、
暗殺せよ」という命令を受けて、その暗殺劇を実行しただけ。
「切って、切って、切りまくった」だけ。
そのシーンが映画としても、長すぎる。

 もし私が脚本家なら、もう一本、その間に複線を入れる。
暴君を替え玉にする。
埋蔵金をからませる。
家来の裏切りを挿入する。
あだ討ち劇を並行して進める、などなど。
ストーリーとしては、単純。
ハラハラ、ドキドキするシーンは、なかった。

 またまたきびしい批評を書いてしまった。
「もう二度と、この手の宣伝にはだまされないぞ」という思いで、
書いてしまった。
私はあの権威主義というのが、大嫌い。
侍というだけで、みなが頭をさげる。
そんな時代は、2度とごめん。

(補記)

●日本人のオメデタサ

 岐阜県の岐阜市へ行くと、『信長祭り』というのがある。
石川県の金沢市へ行くと、『百万石祭り』というのがある。
これは、藩祖前田利家公が天正11年(1583年)金沢城に入城したのを祝った祭りである。
もっとも祭りは祭り。
それほど重い意味はない。
中身は観光。
町おこし。

 が、私たちの先祖は、その95%以上が、武士とやらに虐げられた農民であったことを
忘れてはいけない。
血筋をたどっていけば、1人や2人、武家出身の人はいるかもしれないが、基本的には
「混血」はありえなかった。
その子孫である私たちが、どうして「信長祭り」をし、「百万石祭り」をするのか。

 オーストラリアで、「提督祭り(イギリス総督府の提督)」など企画しようものなら、
それだけで袋叩きにあうだろう。
韓国で、「植民地祭り」を企画しても、同じ。

 が、悲しいかな日本人は一度とて、あの封建時代を清算していない。
明治維新にしても、英語では「王政復古」と翻訳されている。
その結果が今。
過去の暴君を美化し、それを祭りにまで仕上げている。
まずもって私たち日本人は、そのおかしさに、自ら気がつくべきではないのか。
あるいは福沢諭吉らが合流した「明六社」の精神に、一度は、心を通してみるべきでは
ないのか。

 ウィキペディア百科事典から、そのまま拾ってみる。

++++++++++以下、ウィキペディア百科事典より+++++++++++

1873年(明治6年)7月にアメリカから帰国した森有礼が、福澤諭吉・加藤弘之・
中村正直・西周(にしあまね)・西村茂樹・津田真道・箕作秋坪・杉亨二・
箕作麟祥らとともに同年秋に啓蒙活動を目的として結成。名称の由来は明治六年結成から
きている。会合は毎月1日と16日に開かれた。会員には旧幕府官僚で、開成所の関係者
と慶應義塾門下生の「官民調和」で構成された。また、学識者のみでなく旧大名、
浄土真宗本願寺派や
日本銀行、新聞社、勝海舟ら旧士族が入り乱れる日本の錚々たるメンバーが参加した。

1874年(明治7年)3月から機関誌『明六雑誌』(岩波文庫全3巻)を発行、開化期の
啓蒙に指導的役割を果たしたが、1875年(明治8年)、政府の讒謗律・新聞紙条例が施
行されたことで機関誌の発行は43号で中絶・廃刊に追い込まれ事実上解散となった。その
後、明六社は明六会となり、福澤諭吉を初代会長とする東京学士会院、帝国学士院を
経て、
日本学士院へと至る流れの先駆をなした。

++++++++++以上、ウィキペディア百科事典より+++++++++++

 明六社にかぎらず、こうした(動き)は、つぎつぎと弾圧、閉鎖されていった。
その結果が、「今」ということになる。
日本人の意識はそのまま。
今でも、「尊敬する人物は織田信長」(小沢一郎氏)と公言してはばからない政治家が、
後を絶たない。
それもそのため。

 私たちは一度、あの封建時代を、清算しなければならない。
もちろん歴史は歴史だから、評価すべき点があれば、評価する。
しかしけっして、美化してはいけない。
礼賛してはいけない。

 方法は簡単。
おかしいものは、おかしいと、みなが、声をあげればよい。
みなが声をあげれば、そこで歴史が変わる。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【虚栄論】(満63歳まで、あとxx日)

●見栄張(みえはる)君

+++++++++++++++++++

今日、車の中で、ワイフと「見栄」について
話しあった。
世間体、メンツ……総じて「虚栄」ともいう。
世の中には、見栄を張る人は多い。
「見栄張君」という。
「君」をつけるが、男性とはかぎらない。
女性にも多い。

+++++++++++++++++++

●グーグルアース 

 グーグルアースというサービスがある。
それを使うと、宇宙から見た地上の様子が、そのままわかる。
そんなことは、インターネットを楽しんでいる人には常識かもしれない。
しかし読者の中には、インターネットをしていない人もいる。
だからもう少し詳しく説明する。

 グーグルアースというサービスを立ち上げて、ボックスの中に住所を書き込む。
すると自動的にその住所の上空に、視点が移動する。
あとはマウスを使って写真を拡大する。
解像度によっては、数10メートル上空から地上を見ているような写真が浮かびあがって
くる。

 たとえば「浜松市西区入野町xxxx」と書き込む。
視点は私の家の上空に移動する。
私の家には、□のマークが表示される。
その状態で写真を拡大する。
私の家がそのまま見えてくる。
私の家の庭には、庭灯がある。
直径は20センチくらい。
そんなものまで、グーグルアースを使うと、識別できる。

●U氏

 たまたま今夜、夕食のあと、グーグルアースを立ち上げてみた。
アメリカに住む二男の家をさがしてみた。
が、そのあとのこと。
ふと、若いころからの知人のU氏のことを思い出した。
かなりの人物らしい。
U氏は、自分ではいつもそう言っている。

 「隣人は、医師とか弁護士ばかりでね。
高級外車がずらりと並んでいるよ」と。
「芦屋(あしや)でもx丁目といえば、そういうところで、よくテレビの取材
なんかも来るよ。うるさくて、たまらないよ」とも。

 関西でも芦屋と言えば、高級住宅地。
それは私もよく知っている。
その中でも一等地に住んでいるということだった。
で、私は彼の住所をボックスの中に、打ち込んでみた。
軽い好奇心だった。

●自己嫌悪

 私もときどき見栄を張る。
こうしてもっともらしいエッセーを書くのも、そのひとつ?
実力以上の自分を、演出する。
寛大なフリをしたり、金持ちのフリをしたりする。
大物ぶることもある。
時にウソを混ぜることもある。
しかしそこには一定の限度がある。
あとで自分を追い込むようなことはしたくない。
どうせバレるような見栄は、張らない。
また見栄を張るにも、相手を選ぶ。

 が、見栄を張るというのは、疲れる。
神経をすり減らす。
が、それ以上に、そのあとやってくる自己嫌悪感には、相当なものがある。
そのときの自分を消し去りたいような衝動にかられることもある。
だから……。
私は見栄を張らない。
努めて張らないようにしている。
ありのままをそのままさらけ出して生きる。
そのほうが、ずっと気が楽。

●路地

 知人の家は、すぐわかった。
その家をズームアップ。
その家を中心に、5、6軒の家が並んでいた。
が、私は住所をまちがえたのではないかと思った。
が、再三住所を確かめてみたが、まちがいなかった。
そこに見たのは、狭い路地。
道幅は、車一台分くらいしかない。
しかも畑につづく袋小路。
知人の家は、その袋小路の奥の家から、2軒目の家だった。

 私が頭の中に描いていたイメージとは、あまりにもちがった。
高級住宅地?
医師や弁護士の家?
高級外車?

 私はその映像をワイフに見せた。
ワイフも驚いた。
「この家が、あの人の家?」と。
「そう、これがあの人の家……」
「でもあの人、退職したら、市長になるって言っていたわよ」
「あのとき、お前もいたのか?」
「横で聞いていたわ」と。

●自我の同一性 

 人はなぜ見栄を張るか。
先に書いたことを、もう少し深く考えてみる。
が、これについては、ワイフが単純な答を用意した。
「自分がないからよ」と。

 自我の同一性といっても、若いころだけの問題ではない。
人は、老後を迎えるまで、自我の同一性をめざす。
もがく。
「こうでありたい」という自分と、現実の自分を、一致させようとする。
自分と闘う。

 しかしそれは簡単なことではない。
ありのままに生きるためには、自分をさらけ出さなければならない。
さらけ出すためには、さらけ出しても、それに耐えうる自分を用意しなければ
ならない。
「恥」という言葉は好きではないが、つまりは「さらけ出しても恥ずかしくない」
自分を用意しなければならない。

 その構築に失敗すると、人は自分を飾るようになる。
それがやがて見栄、世間体、メンツへとつながっていく。

●快感

 が、それだけではない。
人は見栄を張ることで、相手を自分の支配下に置こうとする。
支配欲のひとつと考えてよい。
「私はあなたより、すばらしい人間だ。私の言うことを聞け」と。

 といっても、実利がそれほどあるわけではない。
自己優越感を満足させるだけ。
あるいは自分の居場所の居心地をよくするだけ。

しかし見栄を張る人は、それだけではない。
そうすることによって、快感を覚える。
「快感」には、当然、中毒性がある。
見栄を張りながら、さらに見栄を張る。
それが加齢とともに、エスカレートする。

●Gさん(50歳)

 ワイフの知人に、Gさんという女性がいる。
今年、50歳になるという。
そのGさんが、見栄張君と、ワイフは言う。

 自分では「学習院大学卒」と言っているが、本当は名古屋市にある高校を
出ただけ。
「夫は、ソフト会社の社長」と言っているが、大型電気店の店員をしているだけ、
などなど。
何も高卒がどうとか、店員がどうとか書いているのではない。
高卒でもよいではないか。
店員でもよいではないか。
ついでにいえば、路地裏の家でも構わないではないか。
が、Gさんのばあいは、少しちがう。
わざと人前で、こう言うという。

「今度、学習院大学の同窓会がありましてね」とか、
「社長業も楽じゃありませんのよ。人づき合いがたいへんで」とか、など。
それとなく、自分の会話の中に、そうした言葉を混ぜる。
つまり相手をだます。

 が、その一方で、こうも言う。
「近所に、独居老人の人がいましてね。私、毎週、一度は訪問をし、声を
かけたり、食事を分けてあげたりしていますの」と。
 
●統合性

 さらに老齢期を迎えると、今度は統合性の問題が起きてくる。
知人のIK氏(藤沢市在住は)は、「還元」という言葉をよく使う。
自分の生きてきた人生を、つぎの世代の人たちに還元していくという意味で、
そう言う。
「統合性」とは、つまるところ、「還元」の問題ということになる。

 「人間として最後にやるべきことを求め、そこに自分を統合させていく」。
それが統合性ということになる。
が、その最大の障害物が、見栄ということになる。
つまり見栄を張るようになると、統合性の構築ができなくなる。
言うまでもなく、統合性は、無私、無欲でなければならない。
ほんのわずかでも、功利、打算が混入すれば、統合性の確立は霧散する。
それだけではない。

統合性の確立には、長い時間と、準備が必要。
「退職しました。明日からゴビの砂漠で、ヤナギの木を植えてきます」という
わけにはいかない。
またそんなことをしても、長つづきしない。

●ありのまま生きる

 先にも書いたように、私も見栄を張ることがある。
大物ぶってみせることがある。
そういう自分の弱さをよく知っている。
だからこそ、いつも、……ほとんどいつも、自分にこう言って聞かせている。
「ありのままをさらけ出そう」と。

 一方、自分の息子のことを書くのも気が引けるが、それを私は二男から学んだ。
現在、アメリカに住んでいる。
インディアナ大学で、コンピューター技師をしている。
CERN(スイス)のスパコンを通信衛星を介してつなぎ、それをさらに世界中の
コンピューターとつないでいる。
何でもCERNからあがってくるデータは、ぼう大なものらしい。
そこらのスパコン程度では、役に立たないという。
それで世界中の科学者のもつ中型コンピューターとつなぎ、データを解析している。
何やら、とんでもないことをしているらしい。

 その二男が、日本へ帰ってきたときのこと。
地元の中学校から、講演会の講師に招かれた。
そのときのこと。
二男は穴のあいたTシャツとジーパン姿で、講演会に出かけていった。
「もう少し、ましな服を着ていけ」と私が言うと、二男はこう言った。
「ぼくは、いつもこのままだよ」と。

 どうしてそういう生き様を身につけたのかは、私にはわからない。
しかし私はそういう二男に、畏敬の念すら、覚えた。

●あとxx日

 さて私のこと。
今日は日曜日。
いろいろある。
で、心に決めた。
「今日1日だけでも、ありのままをさらけ出して生きよう」と。
これが今日の目標。

2010年10月17日。
私の満63歳の誕生日まで、あとxx日。 
62歳をどう生きたか。
その日までに、結論を出さなければならない。


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