最前線の子育て論byはやし浩司(2)

子育て最前線で活躍する、お父さん、お母さんのためのBLOG

Don't underestimate Aliens' Abilities(異星人からの警告)byはやし浩司

2012-12-21 15:13:09 | 日記
132 神々からの警告(不思議な世界+異星人の土木力)

Aliens' Engeering Ability and a Strange World
異星人の土木技術力と不思議な世界

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

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http://youtu.be/7pi2y_HQGuA

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

Here in this video, please enjoy a very strange world with me. I show some examples. These shown in this video are only some of the examples among hundreds of them. And I tried to prove that these are constructed by Aliens, taking an example of Yonaguni-jima, Japan. This island itself as a road sign to each important placese of the world. It is a matter of you whether you believe it or not, but these are facts. Why don't you open your mind and accept these facts with me. Then you cann see the more beautiful as well as strange world with me.

このビデオでは、どうか不思議な世界をお楽しみください。
いくつかの例......ほんの一部ですが、紹介します。
またこの中で、与那国島の不思議について話しますが、これを見てくださると、与那国島が人工造成島であることがわかります。
また人工造成島であるだけではなく、島全体が、いろいろな重要拠点への方向を示していることもわかってください。
信ずるか信じないかは、あなたの勝手ですが、しかし事実は事実。
どうかこれらの事実を受け入れてください。
そうすれば、あなたも、もっとすばらしい世界を見ることができますよ。
さあ、あなたも勇気を出して、私といっしょに、不思議な世界を楽しみませんか。
......というより、人間が支配者であるというような傲慢な考え方は、正しくありません。
もう少し人間も、謙虚になるべきではないでしょうか。
つまり自ら不完全であるjことを認め、謙虚になるべきではないでしょうか。

一連のビデオを通して、そのことを、強くみなさんに訴えます。
......つまり、一連の私のビデオは、その警告ととらえてください。

またそのときが来るまで、これらのビデオの転用、流用、盗用は、禁止です。
どうかご協力ください。

No one can use my ideas in any case without my personal permission.
Thank you for your cooperation.

Hiroshi Hayashi
Dec.,21st 2012

はやし浩司

Hiroshi Hayashi+++++++Dec. 2012++++++はやし浩司・林浩司


若さとは何か論byはやし浩司

2012-12-21 12:43:41 | 日記
【2012年12月21日】

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

明日、世界は終焉(しゅうえん)するそうだ。
が、明日は、明日。
何も起こらない。

あのノストラダムスの大予言のときも、そうだった。
何も起こらなかった。
が、その一方で、何十冊も本を書いた人がいる。
今回も、何十冊も本を書いた人がいる。

人がもつ、不安心理を巧みに利用して、金儲けにつなげる。
マヤの暦(こよみ)にしても、そうだ。
あの暦を作ったのは、けっして人間ではない。
「人間が作った」と言うのは、ピラミッドや仁徳陵を人間が作ったというのと同じくらい、バカげている。
そんなことは、私の書いている『謎の点と線』を一部でも読んでもらえば、わかるはず。
ピラミッドにしても、仁徳陵にしても、人間の英知をはるかに超えている。

もう謎でも何でもない。
明らかな事実である。

ともあれ、明日は、12月22日。
マヤ暦が、明日で終わる。
そう言えば、我が家のカレンダーも、もうすぐ終わる。
新しいカレンダーを買ってくる。
来年(2013年)も、どうか無事でありますように!

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【出雲大社の謎】

○出雲大社

 調べれば調べるほど、不思議な神社。
それが出雲大社ということになる。
今朝は、それについての、追加的ビデオを作った。
「謎の90度」。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

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http://www.youtube.com/watch?v=2g5PB-C1lmI&feature=share&list=UU2fHPR-NxuYGd1oMOGXLwFA

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

○だるい

 昨夜(12月19日)の過労がたたった。
朝から、気(け)だるい。
頭も休眠状態。
ぼんやり。
眠い。

 簡単な計算を、何度もまちがえる。
数字を、書きまちがえる。

○ボケ

 ボケ症状?
で、中学生にこう聞いてみた。

私「最近、ぼく、バカになったと思わないか?」
中「……変わんない」
私「つまりね、以前とくらべて、バカになったと思わないか?」
中「……わかんない」と。

 ボケになる。
そのときのこと。
それを自分で気づくことはあるのか。
できるのか。
ボケたと、自分でわかるようなことはあるのか。
できるのか。

脳の中央演算装置が鈍るのだから、理論的には、答は「NO」。
それがわかるためには、かなりの自己評価能力が必要。
メタ認知能力。
つまり自分を客観的に見る目。 
それがあってはじめて、自分で自分がわかる。
ボケたことが、わかる。

○持続力

 その点、肉体の衰えは、わかりやすい。
昨年できたことが、今年はできなくなったりする。
同じ運動をしても、筋肉痛や疲れが、どっと出る。
そういうとき、肉体の衰えを強く感ずる。

 で、脳みそはどうか。

 私のばあい、最近、強く感ずるのは、集中力の減退。
とくに持続力が、なくなった。
2~3時間もすると、スーッと、気力がなえていく。
それが、自分でもよくわかる。

 ほかの部分はだいじょうぶ?
しかしそれとて、自分でそう思っているだけ?

○『謎の点と線』

 今夜は、二等辺三角形について調べてみる。
二等辺三角形である。

 出雲大社の周辺には、いくつかの二等辺三角形がある。
7~9か所の神社がある。
その神社をつなぐと、二等辺三角形が浮かびあがってくる。

同じように、伊勢神宮の周辺にもある。
が、どうして二等辺三角形なのか。

 謎のイチ。

 人間は、5~6キロ先の位置でも、正確に知ることはできない。
どこかの高台からながめれば、それも可能だろう。
しかしそれでも難しい。
いわんや、20キロ、30キロとなると、不可能。
不可能ということは、自分の生活に当てはめてみると、よくわかる。

 が、現実に、寸部ちがわないといってもよい二等辺三角形が存在する。
そこで謎のニ。

 何のために?
どうして?
そこまで謎を解いて、はじめて「解いた」という。

○方向

 考えられるのは、「方向」。
方向を示すために、点在する拠点を、二等辺三角形になるようにした。 

 で、常識的には、(あくまでも人間の常識だが)、頂点の部分が出発点(スタート・ライン)。
その頂点から、それぞれの辺に沿って、旅だった。
あるいは、その中間線に沿って、旅だった。
すでにいくつかの心あたりがある。
今夜は、それについて調べる。

○『テストの花道』

 月曜日(12月17日)に、NHK教育の、『テストの花道』という番組に出演した。
が、私自身は、見ていない。
ちょうど仕事中で、見ることができなかった。
かわりにワイフが、義兄の家で見てくれた。
いわく、「よかったわ」と。

 NHKの番組とは比較にならない。
が、私もこのところ、ビデオの編集で苦労している。
5分たらずのビデオを編集するのに、2~3時間もかかることもある。
簡単ではない。
それを知っているから、テレビ局の人たちには、頭がさがる。
つまり私の立場では、「出演する」。
が、出演するだけ。
簡単な仕事。

 ワイフはこう言った。
「うまく、まとめてあったわ」と。
バラバラな話をしたつもりだったが、番組としては、きちんとまとまっていた、と。

○反響

 反響は、すごかった。
どうすごかったかは、改めてここに書くまでもない。
「さすがテレビだなあ」と。
同時に、「さすがNHKだなあ」と。

 衰えたとはいえ、インターネットには、まだ勝てない。
そういう印象をもった。

○12月21日

 今日は、12月21日。
木曜日。
今日から、映画『ㇾエ・ミゼラブル』が始まった。
楽しみ。
この数日中に、観に行くつもり。

 ほかに大きな予定はない。
一度、葦嶽山(あしたけやま・広島県)に行ってみたい。
しかしこの寒さ。
雪が降るかもしれない。
しかしそうした山に登るのは、今ごろが、いちばんよい。
ハチや毒蛇は、目下、冬眠中。

○選挙

 選挙も終わり、再び、静かに。
今、大きな問題になっているのは、調整インフレ。
意図的にインフレを起こし、景気を刺激しようというもの。
が、古今東西、調整インフレが、うまくいったケースは、ひとつもない。
それが起爆剤になり、国家経済は、破綻に向かう。
「日本だけは、だいじょうぶ」と考えるのは、甘い。

 率としては、2%を考えているよう。
しかし2%で収まるわけがない。
経済というのは、そういうもの。
一度暴走を始めると、止めることができない。
火薬(国家債務が1000兆円)の前で、花火遊びをするようなもの。

 ……というような話は、もうやめよう。
私も年金族になった。
が、その年金では、2人で、東京を往復するのがやっと。
先日、孫たちにゲーム機器を2台、買ってやった。
それだけで、年金額を超えた。 

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

「はやし浩司 レ・ミゼラブル」で、検索をかけてみた。
1作だけ、原稿が見つかった。
ちょうど10年前の原稿だった。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●私の老後

 若いころ、50歳のくらいの人たちが、みな、老人に見えた。しかし私自身が、その50歳になったとき、私は、自分のことを、老人とは、とても思えなかった。この状態は、57歳になった今も、同じである。

 が、それだけではない。若いときは、いつもまわりに友だちがいて、ワイワイと騒いでいた。
が、歳をとるにつれて、友だちは減り、かわって、孤独が身を包むようになった。

 こういうときというのは、どうも、心がセンチメンタルになる。以前、書いた原稿を、読みなおす。

++++++++++++++++++

●マダム・バタフライ(再録)

 久しぶりに、「マダム・バタフライ」を聞いた。ジャコモ・プッチーニのオペラである。
私はあの曲が好きで、聞き出すと何度も、繰り返し聞く。

「♪ある晴れた日に、
  遠い海の向こうに一筋の煙が見え、
  やがて白い船が港に着く……
  あの人は私をさがすわ、
  でも、私は迎えに行かない
  こんなに私を待たせたから……」

 この曲を聞くと、何とも切ない気持ちになるのは、なぜか。
遠い昔、長崎からきた女性に恋をしたことがあるからか。
色の白い、美しい人だった。本当に美しい人だった。
その人が笑うと、一斉に太陽が輝き、一面に花が咲くようだった。
その人はいつも、春の陽光をあびて、まばゆいばかりに輝いていた。

 マダム・バタフライ、つまり蝶々夫人は、もともとは武士の娘だったが、幕末から明治にかけての混乱期に、芸者として長崎へやってくる。
そこで海軍士官のピンカートンと知り合い、結婚。
そして男児を出産。
が、ピンカートンは、アメリカへ帰る。
先の歌は、そのピンカートンを待つマダム・バタフライが歌うもの。
今さら説明など必要ないかもしれない。

 同じような悲恋物語だが、ウィリアム・シェークスピアの「ロメオとジュリエット」もすばらしい。
少しだが、若いころ、セリフを一生懸命暗記したこともある。ロメオとジュリエットがはじめてベッドで朝を迎えるとき、どちらかだったかは忘れたが、こう言う。

 「A jocund day stands tip-toe on a misty mountain-top」と。
「喜びの日が、モヤのかかった
山の頂上で、つま先で立っている」と。

本来なら喜びの朝となるはずだが、その朝、見ると山の頂上にモヤにかかっている。
モヤがそのあとの二人の運命を象徴しているわけだが、私はやはりそのシーンになると、たまらないほどの切なさを覚える。

そう、オリビア・ハッセーとレナード・ホワイティングが演ずる「ロメオとジュリエット」はすばらしい。
私はあの映画を何度も見た。
ビデオももっている。
サウンドトラック版のCDももっている。
その映画の中で、若い男が、こう歌う。
ロメオとジュリエットがはじめて顔をあわせたパーティで歌う歌だ。

 「♪若さって何?
   衝動的な炎。
乙女とは何? 
氷と欲望。
世界がその上でゆり動く……」
 
 この「ロメオとシュリエット」については、以前、「息子が恋をするとき」というエッセーを書いた
ので、このあとに添付しておく。

 最後にもう一つ映画の話になるが、「マジソン郡の橋」もすばらしい。短い曲だが、映画の最後のシーンに流れる、「Do Live」(生きて)は、何度聞いてもあきない。

いつか電撃に打たれるような恋をして、身を焼き尽くすような恋をしてみたいと思う。
かなわぬ夢だが、しかしそういうロマンスだけは忘れたくない。
いつか……。
(02-10-5)※

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●息子が恋をするとき(中日新聞投稿済み)

息子が恋をするとき

 栗の木の葉が、黄色く色づくころ、息子にガールフレンドができた。
メールで、「今までの人生の中で、一番楽しい」と書いてきた。
それを女房に見せると、女房は「へええ、あの子がねえ」と笑った。
その顔を見て、私もつられて笑った。

 私もちょうど同じころ、恋をした。
しかし長くは続かなかった。
しばらく交際していると、相手の女性の母親から私の母に電話があった。
そしてこう言った。

「うちの娘は、お宅のような家の息子とつきあうような娘ではない。
娘の結婚にキズがつくから、交際をやめさせほしい」と。

相手の女性の家は、従業員30名ほどの製紙工場を経営していた。
一方私の家は、自転車屋。
「格が違う」というのだ。
この電話に母は激怒したが、私も相手の女性も気にしなかった。
が、二人には、立ちふさがる障害を乗り越える力はなかった。
ちょっとしたつまずきが、そのまま別れになってしまった。

 「♪若さって何? 衝動的な炎。乙女とは何? 氷と欲望。世界がその上でゆり動く……」と。

オリビア・ハッセーとレナード・ホワイティングが演ずる「ロメオとジュリエット」の中で、若い男がそう歌う。
たわいもない恋の物語と言えばそれまでだが、なぜその戯曲が私たちの心を打つかと言えば、そこに二人の若者の「純粋さ」を感ずるからではないのか。

私たちおとなの世界は、あまりにも偽善と虚偽にあふれている。年俸が一億円も二億円もあるようなニュースキャスターが、「不況で生活がたいへんです」と顔をしかめてみせる。
一着数百万円もするような着物で身を飾ったタレントが、どこかの国の難民の募金を涙ながらに訴える。
暴力映画に出演し、暴言ばかり吐いているタレントが、東京都やF国政府から、日本を代表する文化人として表彰される。

もし人がもっとも人間らしくなるときがあるとすれば、電撃に打たれるような衝撃を受け、身も心も焼き尽くすような恋をするときでしかない。
それは人が人生の中で唯一つかむことができる、「真実」なのかもしれない。

そのときはじめて人は、もっとも人間らしくなれる。もしそれがまちがっているというのなら、生きていることがまちがっていることになる。
しかしそんなことはありえない。

ロメオとジュリエットは、自らの生命力に、ただただ打ちのめされる。
そしてそれを見る観客は、その二人に心を合わせ、身を焦がす。
涙をこぼす。
しかしそれは決して、他人の恋をいとおしむ涙ではない。
過ぎ去りし私たちの、その若さへの涙だ。
あの無限に広く見えた青春時代も、
過ぎ去ってみると、まるでうたかたの瞬間でしかない。
歌はこうつづく。

「♪バラは咲き、そして色あせる。若さも同じ。美しき乙女も、また同じ……」と。

 相手の女性が結婚する日。
私は一日中、自分の部屋で天井を見つめ、体をこわばらせて寝ていた。
六月のむし暑い日だった。
ほんの少しでも動けば、そのまま体が爆発して、こなごなになってしまいそうだった。
ジリジリと時間が過ぎていくのを感じながら、無力感と切なさで、何度も何度も私は歯をくいしばった。

しかし今から思うと、あのときほど自分が純粋で、美しかったことはない。
そしてそれが今、たまらなくなつかしい。
私は女房にこう言った。
「相手がどんな女性でも温かく迎えてやろうね」と。
それに答えて女房は、「当然でしょ」というような顔をして笑った。
私も、また笑った。

++++++++++++++++++++

 「人生は葉巻のようなもの」と言った人がいた。
人生は、葉巻と同じで、吸い始めのときだけが、うまい、と。

 しかし本当にそうだろうか?

 もし今、ここで神様か何かが、私に、「もう一度、お前を、青春時代に戻してやる」と言っても、たぶん、私は、それを断るだろうと思う。
それはウナ丼を二度、つづけて食べる気分に似ている。
一度でたくさん。
こりごり。

 ただ悔やまれるのは、私は、20代、30代のころ、愚にもつかない仕事を仕事と思いこみ、時間をムダにしたこと。
教材制作が、それである。

 私はある時期、毎週のように、ある出版社に顔を出し、教材制作の手伝いをしていた。
結構、お金にはなったが、結局は、何も残らなかった。
利用されただけ。
そんな感じさえする。

 それはそれとして、では青春時代が、今よりまさっているかと言えば、そうとは言えない。
老齢期を迎え、そしてその先に「死」を感ずるようになった今のほうが、若いときより、ずっと、時間を大切にしている。
生きる、密度そのものが、ちがう。

 ヒントを得るために、梶山健氏編集の「世界名言辞典」(明治書院)に目を通す。

★「若い時代に数千の帆柱を押し立てて船出したその港へ、老いさらばえて、救いのボートに助けられ、ひと知れず帰ってくる」(シラー「実現と期待」)

★「老人になって耐えがたいのは、肉体や精神の衰えではなく、記憶の重さに耐えかねることである」(モーム「人間の絆」)

★「しわとともに、品位が備わると、敬愛される。幸せな老年には、言い知れない黎明(れいめい)がさす」(ユー・ゴー「レ・ミゼラブル」)

 大切なことは、最後の最後の、そのときまで、前向きに生きるということか。
人は、歳をとってはじめて入ることができる世界に入る。
いわば、老齢は、その世界への入場資格ということになる。

 たとえば若いときというのは、がむしゃらに生きることはできても、その生きることか生まれる「美しさ」までは、わからない。
さらに「生きることのすばらしさ」までは、わからない。

 しかし老齢というチケットを手にして、その世界に入ると、あたかも劇場で映画を見るかのように、自分の過去を見る。
そしてその生きることの美しさや、すばらしさを知ることができる。

 先の「人生は葉巻のようなもの」という言葉に、一言、つけ加えるなら、葉巻のうまさが、本当に理解できるようになるのは、老齢になってからということになる。

 刻々と過ぎゆく人生。たまたま今は、たそがれどき。冬の冷たい曇天が、窓の外を暗くおおい始めている。
こういう時の流れの中に身を置くからこそ、生きることの尊さや価値がわかってくる。

 わかりやすく言えば、人生を味わうのは、これからということ。
これからが、人生の本番ということ。
それにくらべると、今までの人生というのは、まるでカスカスのフ菓子のようなもの。

 まあ、一つだけ願いがかなうとしたら、老齢は老齢として、できるだけ長く、今の状態がつづいてほしいということ。
今のところ、頭も、それほどボケていないようだし、(自分でそう思っているだけかもしれないが……)、そこそこに健康である。
成人病とも無縁。

 もう少しだけ長く、真理の追求をしてみたい。
追求させてほしい。

 で、もし、それでもボケてしまったり、大病にかかってしまったとしたら……。
昨夜も、寝るとき、ワイフにこう言った。

 「ぼくは、そのときがきたら、いさぎよく、死ぬよ。ジタバタしない。みんなに迷惑をかけたくない。だから今、悔いが残らないように、懸命に生きるよ」と。

 本当にそのときがきたら、さみしいと思うが、少しずつだが、その覚悟はできつつあるように思う。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●さみしさ

 ある女性に、幼児の心理について、少し意見を書いたら、こう返事が届いた。

 「そういうことが書いてある本を紹介していただけますか?」と。

 何かのことで、子どもの教育にかかわっている女性である。

 私は、そのメールをもらって、何とも言えないさみしさに包まれた。「私の意見では、だめなのか?」と。

 で、そのさみしい気持ちをこらえながら、「こうした知識は、私が、自分の35年という幼児教育の経験の中からつかんだものです」と、返事を書いた。

 もちろんその人に、悪気があったわけではない。文面やHPから察するに、善良な女性らしい。
それに教育熱心というか、知識欲が旺盛というか……。

 本来なら、つまりもう少しアカデミックな生き方をするなら、公的な場所で論文を発表しながら、自分の主張を通すのがよい。
それがこの世界では、正当な道ということになっている。
今では、数多くの、幼児教育学会がある。

 しかし私は、そういう世界には、若いときから、ほとんど関心がなかった。
「幼児教育は母親教育」と、自分に言って聞かせて活動したこともある。
目が上ばかり向いている人もいるにはいるが、しかし私の目は、いつも下ばかりを向いていた。

 それで、35年になった。

 で、あるときから、私は心に、こう決めた。
「これからは、私を理解してくれる人のために原稿を書こう」と。
名誉や地位などというものには、ハナから興味はなかったし、いわんや権威などというものは、私がもっとも嫌いなもの。

 しかし私ほど、最前線で、しかも下っ端で、幼児と接した教育者もいないだろうということ。
今でもときどき、自分のしていることに自信をなくすことがある。
そういうときでも、私は自分にこう言って聞かせて、自分を励ます。

 「経験の数では、私の右に出るものはいない」と。

 それが私の意見になった。

 だからその女性には、「いい本があったら、また紹介しますよ」と返事は書いたものの、実のところ、そんな本は知らない。
読んだこともない。
ずいぶんといいかげんな返事だなと思いつつ、その女性のことは忘れることにした。(ごめんなさい!)

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

2年ほど前に書いた原稿を、
もう一度、ここに載せておきます。

+++++++++++++++++

『朝(あした)に道を聞かば、夕べに死すとも可なり』

●密度の濃い人生

 時間はみな、平等に与えられる。
しかしその時間をどう、使うかは、個人の問題。使い方によっては、濃い人生にも、薄い人生にもなる。

 濃い人生とは、前向きに、いつも新しい分野に挑戦し、ほどよい緊張感のある人生をいう。
薄い人生というのは、毎日無難に、同じことを繰り返しながら、ただその日を生きているだけという人生をいう。
人生が濃ければ濃いほど、記憶に残り、そしてその人に充実感を与える。

 そういう意味で、懸命に、無我夢中で生きている人は、それだけで美しい。
しかし生きる目的も希望もなく、自分のささいな過去にぶらさがり、なくすことだけを恐れて悶々と生きている人は、それだけで見苦しい。こんな人がいる。

 先日、30年ぶりに会ったのだが、しばらく話してみると、私は「?」と思ってしまった。
同じように30年間を生きてきたはずなのに、私の心を打つものが何もない。
話を聞くと、仕事から帰ってくると、毎日見るのは、テレビの野球中継だけ。
休みはたいてい魚釣りかランニング。

「雨の日は?」と聞くと、「パチンコ屋で一日過ごす」と。
「静かに考えることはあるの?」と聞くと、「何、それ?」と。
そういう人生からは、何も生まれない。

 一方、80歳を過ぎても、乳幼児の医療費の無料化運動をすすめている女性がいる。
「あなたをそこまで動かしているものは何ですか」と聞くと、その女性は恥ずかしそうに笑いながら、こう言った。
「ずっと、保育士をしていましたから。乳幼児を守るのは、私の役目です」と。
そういう女性は美しい。輝いている。

 前向きに挑戦するということは、いつも新しい分野を開拓するということ。
同じことを同じように繰り返し、心のどこかでマンネリを感じたら、そのときは自分を変えるとき。
あのマーク・トーウェン(「トム・ソーヤ」の著者、1835~1910)も、こう書いている。「人と同じことをしていると感じたら、自分が変わるとき」と。

 ここまでの話なら、ひょっとしたら、今では常識のようなもの。
そこでここではもう一歩、話を進める。

●どうすればよいのか

 ここで「前向きに挑戦していく」と書いた。
問題は、何に向かって挑戦していくか、だ。
私は「無我夢中で」と書いたが、大切なのは、その中味。

私もある時期、無我夢中で、お金儲けに没頭したときがある。
しかしそういう時代というのは、今、思い返しても、何も残っていない。
私はたしかに新しい分野に挑戦しながら、朝から夜まで、仕事をした。しかし何も残っていない。

 それとは対照的に、私は学生時代、奨学金を得て、オーストラリアへ渡った。あの人口300万人のメルボルン市ですら、日本人の留学生は私一人だけという時代だった。
そんなある日、だれにだったかは忘れたが、私はこんな手紙を書いたことがある。

「ここでの一日は、金沢で学生だったときの一年のように長く感ずる」と。
決してオーバーなことを書いたのではない。
私は本当にそう感じたから、そう書いた。
そういう時期というのは、今、振り返っても、私にとっては、たいへん密度の濃い時代だったということになる。

 となると、密度の濃さを決めるのは、何かということになる。
これについては、私はまだ結論を出せないが、あくまでもひとつの仮説として、こんなことを考えてみた。

(1)懸命に、目標に向かって生きる。無我夢中で没頭する。これは必要条件。
(2)いかに自分らしく生きるかということ。自分をしっかりとつかみながら生きる。
(3)「考える」こと。自分を離れたところに、価値を見出しても意味がない。自分の中に、広い世界を求め、自分の中の未開拓の分野に挑戦していく。

 とくに(3)の部分が重要。
派手な活動や、パフォーマンスをするからといって、密度が濃いということにはならない。
密度の濃い、薄いはあくまでも「心の中」という内面世界の問題。
他人が認めるとか、認めないとかいうことは、関係ない。
認められないからといって、落胆することもないし、認められたからといって、ヌカ喜びをしてはいけない。
あくまでも「私は私」。
そういう生き方を前向きに貫くことこそ、自分の人生を濃くすることになる。

 ここに書いたように、これはまだ仮説。
この問題はテーマとして心の中に残し、これから先、ゆっくりと考え、自分なりの結論を出してみたい。
(02-10-5)

(追記)

 もしあなたが今の人生の密度を、2倍にすれば、あなたはほかの人より、2倍の人生を生きることができる。
10倍にすれば、10倍の人生を生きることができる。
仮にあと1年の人生と宣告されても、その密度を100倍にすれば、ほかのひとの100年分を生きることができる。

極端な例だが、論語の中にも、こんな言葉がある。『朝(あした)に道を聞かば、夕べに死すとも可なり』と。
朝に、人生の真髄を把握したならば、その日の夕方に死んでも、悔いはないということ。
私がここに書いた、「人生の密度」という言葉には、そういう意味も含まれる。

+++++++++++++++++ 

●密度の濃い人生(2)

 私の家の近くに、小さな空き地があって、そこは近くの老人たちの、かっこうの集会場になっている。
風のないうららかな日には、どこからやってくるのかは知らないが、いつも七~八人の老人がいる。

 が、こうした老人を観察してみると、おもしろいことに気づく。
その空き地の一角には、小さな畑があるが、その畑の世話や、ゴミを集めたりしているのは、女性たちのみ。
男性たちはいつも、イスに座って、何やら話し込んでいるだけ。

私はいつもその前を通って仕事に行くが、いまだかって、男性たちが何かの仕事をしている姿をみかけたことがない。
悪しき文化的性差(ジェンダー)が、こんなところにも生きている!

 その老人たちを見ると、つまりはそれは私の近未来の姿でもあるわけだが、「のどかだな」と思う部分と、「これでいいのかな」と思う部分が、複雑に交錯する。
「のどかだな」と思う部分は、「私もそうしていたい」と思う部分だ。
しかし「これでいいのかな」と思う部分は、「私は老人になっても、ああはなりたくない」と思う部分だ。私はこう考える。

 人生の密度ということを考えるなら、毎日、のんびりと、同じことを繰り返しているだけなら、それは「薄い人生」ということになる。
言葉は悪いが、ただ死を待つだけの人生。そういう人生だったら、10年生きても、20年生きても、へたをすれば、たった1日を生きたくらいの価値にしかならない。

しかし「濃い人生」を送れば、1日を、ほかの人の何倍も長く生きることができる。
仮に密度を10倍にすれば、たった1年を、10年分にして生きることができる。
人生の長さというのは、「時間の長さ」では決まらない。

 そういう視点で、あの老人たちのことを考えると、あの老人たちは、何と自分の時間をムダにしていることか、ということになる。

私は今、満55歳になるところだが、そんな私でも、つまらないことで時間をムダにしたりすると、「しまった!」と思うことがある。
いわんや、70歳や80歳の老人たちをや! 
私にはまだ知りたいことが山のようにある。
いや、本当のところ、その「山」があるのかないのかということもわからない。が、
あるらしいということだけはわかる。

いつも一つの山を越えると、その向こうにまた別の山があった。
今もある。
だからこれからもそれが繰り返されるだろう。
で、死ぬまでにゴールへたどりつけるという自信はないが、できるだけ先へ進んでみたい。
そのために私に残された時間は、あまりにも少ない。

 そう、今、私にとって一番こわいのは、自分の頭がボケること。
頭がボケたら、自分で考えられなくなる。
無責任な人は、ボケれば、気が楽になってよいと言うが、私はそうは思わない。
ボケるということは、思想的には「死」を意味する。
そうなればなったで、私はもう真理に近づくことはできない。
つまり私の人生は、そこで終わる。

 実際、自分が老人になってみないとわからないが、今の私は、こう思う。
あくまでも今の私がこう思うだけだが、つまり「私は年をとっても、最後の最後まで、今の道を歩みつづけたい。
だから空き地に集まって、一日を何かをするでもなし、しないでもなしというふうにして過ごす人生だけは、絶対に、送りたくない」と。
(02-10-5)

+++++著作権BYはやし浩司++++++copy right by Hiroshi Hayashi+++++
++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

○2012年12月21日

 再び、今日。
2012年12月21日、金曜日。

 風のない、穏やかな日。
枯れた庭の栗の木の葉が、動きを止めている。
去年もそうだった。
今年も、そうなりそう。
落ち葉にならないまま、栗の木の葉は、このまま越年する。

 ……ところで、10年前に、私はすでにボケの心配をしていた。
驚くというより、あくまでも結果論だが、杞憂(きゆう)に過ぎなかった。
が、この先のことはわからない。
10年後も、同じような文章を書ければ、それでよし。
そういう意味では、文章というのは、ボケのバロメーターになる。
自分の書いた文章を読み、ボケの進行度を知る。
そういうふうにも、利用できる。

 ということで、これから仕事。
我ら無年金族は、死ぬまで働くしかない。
がんばろう。


Hiroshi Hayashi+++++++Dec. 2012++++++はやし浩司・林浩司