【鳥】(ぼたんインコの”Pippi”、我が家に来る。2012年5月12日)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
高校1年の、秋の日のこと。
私は母に文鳥を買ってもらった。
岐阜市へ行ったついでに、小鳥屋に寄り、そこで買ってもらった。
すでに成鳥だった。
籠の中で、じっと私を見つめていた。
賢そうな目つきをしていた。
それでその鳥にした。
それまでにも、スズメの子どもなどは飼ったことはある。
ときどき屋根などから、落ちてきた。
が、スズメは、目が見えるようになったあとだと、人には慣れない。
自分で飛べるようになると、そのまま空へ逃げていった。
……以来、2年間、私とその文鳥は、まさに生活を共にした。
名前を「フレンド」と言った。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●ぼたんインコ
2日前(5月12日)、和合町(浜松市の北部)へ行ったとき、ペットショップに寄った。
右側半分が、犬や猫、左側半分が、小鳥などの店になっている。
その小鳥の店の前に立ったとたん、猛烈に小鳥が飼いたくなった。
見ると、文鳥、インコに混ざって、ぼたんインコや、おかめインコなどの雛が、ひとつの籠に入っていた。
劣悪な環境である。
が、その中でも、1羽、ひときわ、やせ細った雛がいた。
私を見つけると、ピーピーと鳴きながら、羽(両腕)を上に伸し、手前のほうにやってきた。
それがちょうど、人間の子どものように見えた。
小さな小さな人間の子ども。
背丈は7~8センチほど。
羽(両腕)を広げ、そこに立っていた。
名前を聞くと、「ぼたんインコ」とわかった。
とっても、ぼたんインコにも、いろいろな種類がある。
私が選んだのは、体全体が黄色で、クチバシの近くが、明るいオレンジ色のインコ。
ワイフに目で合図を送ると、「しかたないわね」という表情をしてみせた。
私は迷わず、それを買った。
餌と栄養補助剤も、あわせて買った。
小さな籠は、おまけで、つけてくれた。
とたん、目の前が、パーッと華やかになった。
●フレンド
文鳥のフレンドは、やがて私に慣れた。
いつもいっしょだった。
食事をするときも、勉強するときも、そして寝るときも。
私は毎晩、フレンドを手に抱いて寝た。
今でも、その感触が手に残っている。
それもあって、最初の夜は、そのインコを手に抱いて寝た。
ワイフは、つぶしてしまわないかと、何度も心配した。
が、私には、自信があった。
小鳥というのは、手に抱いているときは、手と一体化する。
小鳥の肌の温もりを直接感ずることができる。
動けば、すぐわかる。
もちろん熟睡はできない。
……というか、朝起きても、熟睡感はない。
●恐竜の子孫
鳥の魅力は、第一に、恐竜の子孫であること。
歴史がある。
1億5000万年!
そのころ人間の祖先は、ネズミのような小さな生き物だったという。
一方、人間そのものの歴史は、たかだか20万年。
比較にならない。
……というような大げさな話は別にして、哺乳動物を別にすれば、鳥は人間にいちばん近い。
感情も豊か。
喜怒哀楽の情は、すべてもっている。
もちろん嫉妬もする。
忠誠心も強い。
高校時代に飼ったフレンドにしても、私以外の者には、羽はもちろん体すら触らせなかった。
●名前
で、今は、……すでに今日で3日目になるが、名前で困っている。
ワイフは、「レモン」がいいという。
私は、「ピッピ」がいいという。
息子に聞くと、そのつど何やら、ゴージャスな名前を口にする。
そこで結論。
それぞれがそれぞれの呼び方で、呼べばいい、と。
そのうち、ひとつになる。
●ピッピ
今、そのピッピは、私の懐(ふところ)の中にいる。
眠っている。
ぶさいくな顔をしているが、横顔が、どこかあのティラノザウルスに似ている。
ときどき夢でも見るのか、小刻みに、チチ、ピョ、ピピピと鳴く。
上からのぞくと、安心しきった様子。
その様子が、そのまま私にとっては、癒しになる。
ネットで調べると、寿命は3年から10年とある。
この先、長いつきあいになりそう。
小さな体だが、命の大きさに、大小はない。
長短もない。
●余談
ところで、小鳥の話とは、まったく関係のないこと。
先の「ピッピ」のところまで書いたところで、筆が止まってしまった。
頭の働きが鈍く、思うように文章が出てこない。
おかめインコなどの鳥の名前さえ、出てこない。
そんな症状がつづいた。
そこで居間へおりていき、30分のウォーキング+ランニングの運動をした。
そのあと、10分間ほど、庭の木を切った。
かなりの汗をかいた。
で、今、書斎にもどってきて、先に書いた原稿のつづきを書いている。
が、運動をする前と、あと(現在)とでは、キーボードを叩く指の動きそのものがちがう。
文章も、スラスラと出てくる。
……というか、書きたいことが、前に前にと出てくる。
「やはり脳みその健康のためには、運動は欠かせない」と。
世間の常識を改めて、確認する。
●私と鳥
私はそういうわけで、鳥が大好き。
鳥を見ているだけで、ほっとするような安堵感を覚える。
で、この入野町(自宅の住所)に住むようになってからも、いろいろな鳥を飼った。
文鳥、ニワトリ、烏骨鶏(うこっけい)、白鳩などなど。
文鳥は、一時は、20~30羽近くになった。
白鳩も、15羽近くになった。
が、ヘビや猫に襲われ、どれも全滅。
それからは部屋の中で飼うようになった。
文鳥も飼った。
インコも飼った。
高校1年生のときから、そんなわけで、私の周囲にはいつも鳥がいた。
鳥がいなかった期間のほうが、はるかに短い。
だからというわけでもないが、(しかし多分にそうだが)、私は鶏肉が食べられない。
最近は、ときどき食べることもあるが、若いころは、いっさい、食べられなかった。
人間が人肉を食べるようなものではなかったか……というのは、少しおおげさ。
しかしかなり強い抵抗感を覚えた。
●5月14日
というわけで、この2日間は、ピッピのことで忙しかった。
寝床を作ってやった。
電気あんかを入れてやった。
下に毛布を敷き、それにカイロを張りつけてやった。
が、どうも具合がよくない。
熱くなりすぎたり、反対に暖かくならなかったり……。
箱だけでも、3箱、作りなおした。
で、結局、最初の日は、寒かったこともあり、エアコンを一晩中つけてやった。
その下に寝床を置いた。
が、昨晩は、やや暖かくなった。
寝床の下にカイロを張りつけ、その上にタオルを3~4枚、重ねて置いた。
これは結構、うまくいった。
寝る前と、目を覚ましてから、手の中で、30分~1時間ほど、抱いてやった。
この2日間で、かなり元気になった。
いろいろな鳴き声で鳴く。
ピッピ、チチ、ピーなど。
今朝からはときどき、ゲーと大きな声を出すようになった。
文鳥は、そういうふうには鳴かない。
鳴き方は、いつも同じ。
その点、インコはおもしろい。
まるで言葉を話しているかのよう。
中には、本当に言葉を覚えるのもいるとか。
楽しみ。
私の家に、久々に、華やかな花が咲いた。
息子も、昨日は、1日中、ピッピを手の中に抱いていた。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 ぼたんインコ ぼたんいんこ ピッピ はやし浩司 2012-05-12)
Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司
●2003~04年に書いた原稿
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
「鳥」について、どんな原稿を書いたか知りたくなった。
そこで「はやし浩司 鳥」で検索をかけてみた。
1作、見つかった。
そのまま再掲載する。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
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子育て最前線の育児論byはやし浩司 04年3月X日・マガジン見本
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子どもは、人の父
空に虹を見るとき、私の心ははずむ。
私が子どものころも、そうだった。
人となった今も、そうだ。
願わくは、私は歳をとって、死ぬときもそうでありたい。
子どもは人の父。
自然の恵みを受けて、それぞれの日々が、
そうであることを、私は願う。
(イギリスの詩人・ワーズワース)
訳は私がつけたが、問題は、「子どもは人の父」という部分の訳である。
原文では、「TheChild is Father of the Man. 」となっている。
この中の「Man」の訳に、私は悩んだ。
ここではほかの訳者と同じように「人」と訳したが、どうもニュアンスが合わない。
詩の流れからすると、「その人の人格」ということか。
つまり私は、「その人の人格は、子ども時代に形成される」と解釈したが、これには二つの意味が含まれる。
一つは、その人の人格は子ども時代に形成されるから注意せよという意味。
もう一つは、人はいくらおとなになっても、その心は結局は、子ども時代に戻るという意味。
誤解があるといけないので、はっきりと言っておくが、子どもは確かに未経験で未熟だが、決して、幼稚ではない。
子どもの世界は、おとなが考えているより、はるかに広く、純粋で、豊かである。
しかも美しい。
人はおとなになるにつれて、それを忘れ、そして醜くなっていく。
知識や経験という雑音の中で、俗化し、自分を見失っていく。
私を幼児教育のとりこにした事件に、こんな事件がある。
ある日、園児に絵をかかせていたときのことである。
一人の子ども(年中男児)が、とてもていねいに絵をかいてくれた。
そこで私は、その絵に大きな花丸をかき、その横に、「ごくろうさん」と書き添えた。
が、何を思ったか、その子どもはそれを見て、クックッと泣き始めたのである。
私はてっきりうれし泣きだろうと思ったが、それにしても大げさである。
そこで「どうして泣くのかな?」と聞きなおすと、その子どもは涙をふきながら、こう話してくれた。
「ぼく、ごくろうっていう名前じゃ、ない。たくろう、ってんだ」と。
もし人が子ども時代の心を忘れたら、それこそ、その人の人生は闇だと、私は思う。
もし人が子ども時代の笑いや涙を忘れたら、それこそ、その人の人生は闇だと、私は思う。
ワーズワースは子どものころ、空にかかる虹を見て感動した。
そしてその同じ虹を見て、子どものころの感動が胸に再びわきおこってくるのを感じた。
そこでこう言った。
「子どもは人の父」と。
私はこの一言に、ワーズワースの、そして幼児教育の心のすべてが、凝縮されているように思う。
(1)子育てポイント**************************
●子どもとの笑い
いつも深刻な話ばかりなので……。最近経験した楽しい話(?)をいくつか……。
☆ときどきまったく手をあげようとしない子ども(年中女児)がいる。
そこで私が「先生(私)を好きな子は、手をあげなくていい」と言ったら、その子は何を思ったか、腕組みをして私をにらみつけた。
「セクハラか?」と思わず後悔したが、そのあと私が「どうして手をあげないの?」と聞くと、「だって、私、先生が好きだもん」と。
マレにですが、私も子どもに好かれることがあるのです。
☆ 私が「三匹の魚がいました。そこへまた二匹魚がきました。
全部で何匹ですか?」と聞くと、皆(年長児)が、「五匹!」と答えた。
そこで私が電卓を取り出して、「ええと、三足す二で……」と電卓を叩いていたら、一人の子どもがこう言った。
「あんた、それでも本当に先生?」と。
☆指をしゃぶっている子ども(年中児)がいた。
そこで私が、「どうせ指をしゃぶるなら、もっとかっこよくしゃぶりなよ。
おとなのしゃぶり方を教えてあげるよ」と言って、少しばかりキザなしゃぶり方(指を横から、顔をななめにしてしゃぶる)を教えてやった。
するとその子は、本当にそういうしゃぶり方をするようになった。
私は少しからかってやっただけなのだが……。
☆私のニックネームは……? 「美男子」「好男子」「長足の二枚目」。
あるとき私に「ジジイー」「アホ」と言う子ども(年長児たち)がいたので、こう話してやった。
「もっと悪い言葉を教えてやろうか。
しかし先生や、お父さんに使ってはダメだ。いいな」と。
子どもたちは「使わない、使わない」と約束したので、こう言ってやった。
「ビダンシ」と。
それからというもの、子どもたちは私を見ると、「ビダンシ、ビダンシ」と呼ぶようになった。
☆算数を教えながら、「○と△の関係は何ですか?」と聞いたら、一人の子ども(小四男児)が、「三角関係!」と。
ドキッとして、「何だ、それは?」と聞くと、「男が二人で、女が一人の関係だよ」と。
すると別の子どもが、「違うよオ〜、女が二人で、男が一人だよオ〜」と。
とたん、教室が収拾がつかなくなってしまった。
私が、「今どきの子どもは、何を考えているんだ!」と叱ると、こんな歌を歌い始めた。
「♪今どき娘は、一日五食、朝昼三時、夕食深夜……」と。
「何だ、その歌は」と聞くと、「先生、こんな歌も知らないのオ〜、遅れてるウ〜」と。
++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
●心を開く
何でも言いたいことを言い、したいことをする。
悲しいときは悲しいと言う、うれしいときはうれしいと言う。
泣きたいときは、思いっきり泣くことができる。
自分の心をそのままぶつけることができる。そういう状態を、「心が開いている状態」という。
昔、ある文士たちが集まる集会で、一人の男性(七〇歳くらい)がいきなり私にこう聞いた。「林君、君のワイフは、君の前で『へ(おなら)』を出すかね?」と。
驚いて私が、「うちの女房はそういうことはしないです……」とあわてて答えると、そばにいた人たちまで一斉に、「そりゃあ、かわいそうだ。君の奥さんはかわいそうだ」と言った。
子どもでも、親に向かって、「クソじじい」とか、「お前はバカだ」と言う子どもがいる。
子どもが悪い言葉を使うのを容認せよというわけではないが、しかしそういう言葉が使えないほどまでに、子どもを追いつめてはいけない。
一応はたしなめながらも、一方で、「うちの子どもは私に心を開いているのだ」と、それを許す余裕が必要である。
子どもの側からみて、「自分はどんなことをしても、またどんなことを言っても許されるのだ」という絶対的な安心感が、子どもの心を豊かにする。
そこで大切なことは、心というのは、相手に対して「開く心」と、もう一方で、それを
受け止める「開いた心」がないと、かよいあわないということ。
子どもが心を開いたら、同じように親のほうも心を開く。
それはちょうどまさに「開いた心の窓」のようなものだ。
どちらか一方が、心の窓を閉じていたのでは、心を通いあわせることはできない。
R氏(四五歳)はこう言う。
「私の母(六五歳)は、今でも私にウソを言います。
親のメンツにこだわって、あれこれ世間体をとりつくろいます。
私はいつも本音でぶつかろうとするのですが、いつもその本音が母の心のカベにぶつかって、そこではね返されてしまいます。
私もさみしいですが、母もかわいそうな人です」と。
そこで問題なのは、あなたの子どもはあなたに対して、心を開いているかということ。
そして同じように、あなたはあなたの子どものそういう心を、心を開いて受け止めているかということ。
もしあなたの子どもがあなたの前で、よい子ぶったり、あるいは心を隠したり、ウソを
ついたり、さらには仮面をかぶっているようなら、子どもを責めるのではなく、あなた
自身のことを反省する。
相手の心を開こうと考えるなら、まずあなた自身が心を開いて、相手の心をそのまま受け入れなければならない。
またそれでこそ、親子であり、家族ということになる。
さてその文士の集まりから帰った夜、私は恐る恐る女房にこう言った。
「おまえはあまり
ぼくの前でおならを出さないけど、出していいよ」と。
が、数日後、女房はそれに答えてこう言った。
「それは心を開いているとかいないとかいう問題ではなく、たしなみの問題だと思うわ」と。まあ、世の中にはいろいろな考え方がある。
(2)今日の特集 **************************
【虐待】
●虐待にもいろいろ
一般論として、子どもに虐待を繰りかえす親は、自分自身も、虐待を受けた経験があるといわれている。
約50%が、そうであるといわれている。
その虐待は、暴力だけにかぎらない。
大きく、この(1)暴力的虐待のほか、(2)栄養的虐待、(3)性的虐待、(4)感情的虐待に、分けられる。
暴力的虐待は、肉体的虐待、言葉の虐待、精神的虐待に分けられる。
順に考えてみよう。
(1)肉体的虐待……私の調査でも、約50%の親が、何らかの形で、子どもに肉体的な暴力をバツ(体罰)として与えていることがわかっている。
そしてそのうち、70%の親(全体では35%の親)が、虐待に近い暴力を加えているのがわかっている。
日本人は、昔から、子どもへの体罰に甘い国民と言われている。
「日本人の親で、『(子どもへの)体罰は必要である』と答えている親は、70%。
一方アメリカ人の親で、『体罰は必要である』と答えている親は、10%にすぎない」(村山貞夫)という調査結果もある。
体罰はしかたないとしても、たとえば『体罰は尻』ときめておくとよい。
いかなるばあいも、頭に対して、体罰を加えてはいけない。
(1−2)言葉の虐待……「あなたはダメな子」式の、人格の「核」に触れるような言葉を、日常的に子どもにあびせかけることをいう。
「あなたはバカだ」
「あなたなんか、何をしてもダメだ」
「あんたなんか、死んでしまえばいい」など。
子どもの心は、親がつくる。そして子どもは、長い時間をかけて、親の口グセどおりの子どもになる。親が「うちの子はグズで……」と思っていると、その子どもは、やがてその通りの子どもになる。
しかし言葉の暴力がこわいのは、その子どもの人格の中枢部まで破壊すること。
ある男性(60歳)は、いまだに「お母さんが怒るから」「お母さんが怒るから」と、母親の影におびえている。そうなる。
(1−3)精神的虐待……異常な恐怖体験、過酷な試練などを、子どもに与えることをいう。
ふつうは、無意識のうちに、子どもに与えることが多い。
たとえば子どもの前で、はげしい夫婦喧嘩をして見せるなど。
子どもの側からみて、恐怖感、心配、焦燥感、絶望感を与えるものが、ここでいう精神
的虐待ということになる。
子どもの心というのは、絶対的安心感があって、その上で、はじめてはぐくまれる。
その基盤そのものが、ゆらぐことをいう。
(2)栄養的虐待……食事を与えないなどの虐待をいう。
私自身、このタイプの虐待児について接した経験がほとんどないので、ここでのコメントは、割愛する。
(3)性的虐待……今まで、具体的な事例を見聞きしたことがないので、ここでは割愛する。
(4)感情的虐待……親の不安定な情緒が与える影響が、虐待といえるほどまでに、高じた状態をいう。
かんしゃくに任せて、子どもを怒鳴りつけるなど。
『親の情緒不安、百害あって一利なし』と覚えておくとよい。
少し前だが、こんな事例があった。
その母親は、交通事故をきっかけに、精神状態がきわめて不安定になってしまった。
しかし悪いときには、悪いことが重なる。
その直後に、実父の他界、実兄の経営する会社の倒産と、不幸なできごとが、たてつづけに、つづいてしまった。
その母親は、「交通事故の後遺症だ」とは言ったが、ありとあらゆる体の不調を訴えるようになった。
そしてほとんど毎日のように病院通いをするようになった。
その母親のばあいは、とくに息子(小2)を虐待したということはなかった。
しかしやがて子どもは、その不安からか、学校でも、オドオドするようになってしまった。
先生にちょっと注意されただけで、腹痛を訴えたり、ときには、みなの見ているところで、バタンと倒れてみせたりした。
このように精神に重大な影響を与える行為を、虐待という。
暴力的虐待も、暴力を通して、子どもの精神に重大な影響を与えるから、虐待という。
この虐待がつづくと、子どもの精神は、発露する場所を失い、内閉したり、ゆがんだりする。そしてそれが心のキズ(トラウマ)となって、生涯にわたって、その子どもを苦しめることもある。
(040220)
++++++++++++++++++++
以前、つぎのような原稿を書きましたので
送ります。(中日新聞投稿済み)
++++++++++++++++++++
●虐待される子ども
ある日曜日の午後。一人の子ども(小五男児)が、幼稚園に駆け込んできた。
富士市で幼稚園の園長をしているI氏は、そのときの様子を、こう話してくれた。
「見ると、頭はボコボコ、顔中、あざだらけでした。
泣くでもなし、体をワナワナと震わせていました」と。
虐待である。逃げるといっても、ほかに適当な場所を思いつかなかったのだろう。
その子どもは、昔、通ったことのある、その幼稚園へ逃げてきた。
カナーという学者は、虐待を次のように定義している。
(1)過度の敵意と冷淡、
(2)完ぺき主義、
(3)代償的過保護。
ここでいう代償的過保護というのは、愛情に根ざした本来の過保護ではなく、子どもを自分の支配下において、思い通りにしたいという、親のエゴに基づいた過保護をいう。
その結果子どもは、
(1)愛情飢餓(愛情に飢えた状態)、
(2)強迫傾向(いつも何かに強迫されているかのように、おびえる)、
(3)情緒的未成熟(感情のコントロールができない)などの症状を示し、さまざまな問題行動を起こすようになる。
I氏はこう話してくれた。
「その子どもは、双子で生まれたうちの一人。
もう一人は女の子でした。
母子家庭で、母親はその息子だけを、ことのほか嫌っていたようでした」と。
私が「母と子の間に、大きなわだかまりがあったのでしょうね」と問いかけると、「多分その男の子が、離婚した夫と、顔や様子がそっくりだったからではないでしょうか」と。
親が子どもを虐待する理由として、ホルネイという学者は、
(1)親自身が障害をもっている。
(2)子どもが親の重荷になっている。
(3)子どもが親にとって、失望の種になっている。
(4)親が情緒的に未成熟で、子どもが問題を解決するための手段になっている、の四つをあげている。
それはともかくも、虐待というときは、その程度が体罰の範囲を超えていることをいう。
I氏のケースでも、母親はバットで、息子の頭を殴りつけていた。
わかりやすく言えば、殺す寸前までのことをする。
そして当然のことながら、子どもは、体のみならず、心にも深いキズを負う。
学習中、一人ニヤニヤ笑い続けていた女の子(小二)。
夜な夜な、動物のようなうめき声をあげて、近所を走り回っていた女の子(小三)などがいた。
問題をどう解決するかということよりも、こういうケースでは、親子を分離させたほうがよい。
教育委員会の指導で保護施設に入れるという方法もあるが、実際にはそうは簡単ではない。
父親と子どもを半ば強制的に分離したため、父親に、「お前を一生かかっても、殺してやる」と脅されている学校の先生もいる。
あるいはせっかく分離しても、母親が優柔不断で、暴力を振るう父親と、別れたりよりを戻したりを繰り返しているケースもある。
結論を言えば、たとえ親子の間のできごととはいえ、一方的な暴力は、犯罪であるという認識を、社会がもつべきである。
そしてそういう前提で、教育機関も警察も動く。
いつか私はこのコラムの中で、「内政不干渉の原則」を書いたが、この問題だけは別。
子どもが虐待されているのを見たら、近くの児童相談所へ通報したらよい。
「警察……」
という方法もあるが、「どうしても大げさになってしまうため、児童相談所のほうがよいでしょう。
そのほうが適切に対処してくれます」(S小学校N校長)とのこと。
+++++++++++++++++++
【付録】
●虐待について
社会福祉法人「子どもの虐待防止センター」の実態調査によると、母親の五人に一人は、
「子育てに協力してもらえる人がいない」と感じ、家事や育児の面で夫に不満を感じてい
る母親は、不満のない母親に比べ、「虐待あり」が、三倍になっていることがわかった(有
効回答五〇〇人・二〇〇〇年)。
また東京都精神医学総合研究所の妹尾栄一氏は、虐待の診断基準を作成し、虐待の度合
を数字で示している。妹尾氏は、「食事を与えない」「ふろに入れたり、下着をかえたりし
ない」などの一七項目を作成し、それぞれについて、「まったくない……〇点」「ときどき
ある……一点」「しばしばある……二点」の三段階で親の回答を求め、虐待度を調べた。
その結果、「虐待あり」が、有効回答(四九四人)のうちの九%、「虐待傾向」が、三〇%、
「虐待なし」が、六一%であった。この結果からみると、約四〇%弱の母親が、虐待も
しくは虐待に近い行為をしているのがわかる。
一方、自分の子どもを「気が合わない」と感じている母親は、七%。そしてその大半が
何らかの形で虐待していることもわかったという(同、総合研究所調査)。「愛情面で自分
の母親とのきずなが弱かった母親ほど、虐待に走る傾向があり、虐待の世代連鎖もうかが
える」とも。
●ふえる虐待
なお厚生省が全国の児童相談所で調べたところ、母親による児童虐待が、一九九八年ま
での八年間だけでも、約六倍強にふえていることがわかった。(二〇〇〇年度には、一万七
七二五件、前年度の一・五倍。この一〇年間で一六倍。)
虐待の内訳は、相談、通告を受けた六九三二件のうち、身体的暴行が三六七三件(五三%)
でもっとも多く、食事を与えないなどの育児拒否が、二一〇九件(三〇・四%)、差別的、
攻撃的言動による心理的虐待が六五〇件など。
虐待を与える親は、実父が一九一〇件、実母が三八二一件で、全体の八二・七%。また
虐待を受けたのは小学生がもっとも多く、二五三七件。三歳から就学前までが、一八六
七件、三歳未満が一二三五件で、全体の八一・三%となっている。
(3)************************************
Touch your Heart byはやし浩司(1)
●子どもの巣立ち
階段でふとよろけたとき、三男がうしろから私を抱き支えてくれた。いつの間にか、私
はそんな年齢になった。腕相撲では、もうとっくの昔に、かなわない。自分の腕より太く
なった息子の腕を見ながら、うれしさとさみしさの入り交じった気持ちになる。
男親というのは、息子たちがいつ、自分を超えるか、いつもそれを気にしているものだ。
息子が自分より大きな魚を釣ったとき。息子が自分の身長を超えたとき。息子に頼まれて、
ネクタイをしめてやったとき。
そうそう二男のときは、こんなことがあった。二男が高校に入ったときのことだ。二男
が毎晩、ランニングに行くようになった。しばらくしてから女房に話を聞くと、こう教
えてくれた。
「友だちのために伴走しているのよ。同じ山岳部に入る予定の友だちが、体力がないた
め、落とされそうだから」と。その話を聞いたとき、二男が、私を超えたのを知った。
いや、それ以後は二男を、子どもというよりは、対等の人間として見るようになった。
その時々は、遅々として進まない子育て。イライラすることも多い。しかしその子育て
も終わってみると、あっという間のできごと。「そんなこともあったのか」と思うほど、遠
い昔に追いやられる。「もっと息子たちのそばにいてやればよかった」とか、「もっと息子
たちの話に耳を傾けてやればよかった」と、悔やむこともある。
そう、時の流れは風のようなものだ。どこからともなく吹いてきて、またどこかへと去
っていく。そしていつの間にか子どもたちは去っていき、私の人生も終わりに近づく。
その二男がアメリカへ旅立ってから数日後。私と女房が二男の部屋を掃除していたとき
のこと。一枚の古ぼけた、赤ん坊の写真が出てきた。私は最初、それが誰の写真かわから
なかった。
が、しばらく見ていると、目がうるんで、その写真が見えなくなった。うしろから女房
が、「Sよ……」と声をかけたとき、同時に、大粒の涙がほおを伝って落ちた。
何でもない子育て。朝起きると、子どもたちがそこにいて、私がそこにいる。それぞれ
が勝手なことをしている。三男はいつもコタツの中で、ウンチをしていた。私はコタツの
ふとんを、「臭い、臭い」と言っては、部屋の真ん中ではたく。女房は三男のオシリをふく。
長男や二男は、そういう三男を、横からからかう。そんな思い出が、脳裏の中を次々とか
けめぐる。
そのときはわからなかった。その「何でもない」ことの中に、これほどまでの価値があ
ろうとは! 子育てというのは、そういうものかもしれない。街で親子連れとすれ違う
と、思わず、「いいなあ」と思ってしまう。そしてそう思った次の瞬間、「がんばってく
ださいよ」と声をかけたくなる。
レストランや新幹線の中で騒ぐ子どもを見ても、最近は、気にならなくなった。「うちの
息子たちも、ああだったなあ」と。問題のない子どもというのは、いない。だから楽な
子育てというのも、ない。
それぞれが皆、何らかの問題を背負いながら、子育てをしている。しかしそれも終わっ
てみると、その時代が人生の中で、光り輝いているのを知る。もし、今、皆さんが、子
育てで苦労しているなら、やがてくる未来に視点を置いてみたらよい。心がずっと軽く
なるはずだ。
++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
Touch your Heart byはやし浩司(2)
真の自由を子どもに教えられるとき
●真の自由を手に入れる方法はあるのか?
私のような生き方をしているものにとっては、死は、恐怖以外の何ものでもない。「私は
自由だ」といくら叫んでも、そこには限界がある。死は、私からあらゆる自由を奪う。が、
もしその恐怖から逃れることができたら、私は真の自由を手にすることになる。しかしそ
れは可能なのか……? その方法はあるのか……?
一つのヒントだが、もし私から「私」をなくしてしまえば、ひょっとしたら私は、死の
恐怖から、自分を解放することができるかもしれない。自分の子育ての中で、私はこんな
経験をした。
●無条件の愛
息子の一人が、アメリカ人の女性と結婚することになったときのこと。息子とこんな会
話をした。
息子「アメリカで就職したい」
私「いいだろ」
息子「結婚式はアメリカでしたい。アメリカのその地方では、花嫁の居住地で式をあげる
習わしになっている。結婚式には来てくれるか」
私「いいだろ」、息子「洗礼を受けてクリスチャンになる」
私「いいだろ」と。
その一つずつの段階で、私は「私の息子」というときの「私の」という意識を、グイグ
イと押し殺さなければならなかった。苦しかった。つらかった。しかし次の会話のとき
は、さすがに私も声が震えた。
息子「アメリカ国籍を取る」
私「……日本人をやめる、ということか……」
息子「そう……」
私「……いいだろ」と。
私は息子に妥協したのではない。息子をあきらめたのでもない。息子を信じ、愛するが
ゆえに、一人の人間として息子を許し、受け入れた。英語には『無条件の愛』という言葉
がある。私が感じたのは、まさにその愛だった。しかしその愛を実感したとき、同時に私
は、自分の心が抜けるほど軽くなったのを知った。
●息子に教えられたこと
「私」を取り去るということは、自分を捨てることではない。生きることをやめること
でもない。「私」を取り去るということは、つまり身のまわりのありとあらゆる人やものを、
許し、愛し、受け入れるということ。「私」があるから、死がこわい。が、「私」がなけれ
ば、死をこわがる理由などない。
一文なしの人は、どろぼうを恐れない。それと同じ理屈だ。死がやってきたとき、「ああ、
おいでになりましたか。では一緒に参りましょう」と言うことができる。そしてそれが
できれば、私は死を克服したことになる。真の自由を手に入れたことになる。その境地
に達することができるようになるかどうかは、今のところ自信はない。ないが、しかし
一つの目標にはなる。息子がそれを、私に教えてくれた。
++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
Touch your Heart byはやし浩司(3)
子どもに生きる意味を教えるとき
●高校野球に学ぶこと
懸命に生きるから、人は美しい。輝く。その価値があるかないかの判断は、あとからす
ればよい。生きる意味や目的も、そのあとに考えればよい。
たとえば高校野球。私たちがなぜあの高校野球に感動するかといえば、そこに子どもた
ちの懸命さを感ずるからではないのか。たかがボールのゲームと笑ってはいけない。私
たちがしている「仕事」だって、意味があるようで、それほどない。「私のしていること
は、ボールのゲームとは違う」と自信をもって言える人は、この世の中に一体、どれだ
けいるだろうか。
●人はなぜ生まれ、そして死ぬのか
私は学生時代、シドニーのキングスクロスで、ミュージカルの『ヘアー』を見た。幻想
的なミュージカルだった。あの中で主人公のクロードが、こんな歌を歌う。
「♪私たちはなぜ生まれ、なぜ死ぬのか、(それを知るために)どこへ行けばいいのか」
と。それから三〇年あまり。私もこの問題について、ずっと考えてきた。そしてその結
果というわけではないが、トルストイの『戦争と平和』の中に、私はその答のヒントを
見いだした。
生のむなしさを感ずるあまり、現実から逃避し、結局は滅びるアンドレイ公爵。一方、
人生の目的は生きることそのものにあるとして、人生を前向きにとらえ、最終的には幸福
になるピエール。そのピエールはこう言う。
『(人間の最高の幸福を手に入れるためには)、ただひたすら進むこと。生きること。愛
すること。信ずること』(第五編四節)と。
つまり懸命に生きること自体に意味がある、と。もっと言えば、人生の意味などという
ものは、生きてみなければわからない。映画『フォレスト・ガンプ』の中でも、フォレ
ストの母は、こう言っている。
『人生はチョコレートの箱のようなもの。食べてみるまで、(その味は)わからないのよ』
と。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
高校1年の、秋の日のこと。
私は母に文鳥を買ってもらった。
岐阜市へ行ったついでに、小鳥屋に寄り、そこで買ってもらった。
すでに成鳥だった。
籠の中で、じっと私を見つめていた。
賢そうな目つきをしていた。
それでその鳥にした。
それまでにも、スズメの子どもなどは飼ったことはある。
ときどき屋根などから、落ちてきた。
が、スズメは、目が見えるようになったあとだと、人には慣れない。
自分で飛べるようになると、そのまま空へ逃げていった。
……以来、2年間、私とその文鳥は、まさに生活を共にした。
名前を「フレンド」と言った。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●ぼたんインコ
2日前(5月12日)、和合町(浜松市の北部)へ行ったとき、ペットショップに寄った。
右側半分が、犬や猫、左側半分が、小鳥などの店になっている。
その小鳥の店の前に立ったとたん、猛烈に小鳥が飼いたくなった。
見ると、文鳥、インコに混ざって、ぼたんインコや、おかめインコなどの雛が、ひとつの籠に入っていた。
劣悪な環境である。
が、その中でも、1羽、ひときわ、やせ細った雛がいた。
私を見つけると、ピーピーと鳴きながら、羽(両腕)を上に伸し、手前のほうにやってきた。
それがちょうど、人間の子どものように見えた。
小さな小さな人間の子ども。
背丈は7~8センチほど。
羽(両腕)を広げ、そこに立っていた。
名前を聞くと、「ぼたんインコ」とわかった。
とっても、ぼたんインコにも、いろいろな種類がある。
私が選んだのは、体全体が黄色で、クチバシの近くが、明るいオレンジ色のインコ。
ワイフに目で合図を送ると、「しかたないわね」という表情をしてみせた。
私は迷わず、それを買った。
餌と栄養補助剤も、あわせて買った。
小さな籠は、おまけで、つけてくれた。
とたん、目の前が、パーッと華やかになった。
●フレンド
文鳥のフレンドは、やがて私に慣れた。
いつもいっしょだった。
食事をするときも、勉強するときも、そして寝るときも。
私は毎晩、フレンドを手に抱いて寝た。
今でも、その感触が手に残っている。
それもあって、最初の夜は、そのインコを手に抱いて寝た。
ワイフは、つぶしてしまわないかと、何度も心配した。
が、私には、自信があった。
小鳥というのは、手に抱いているときは、手と一体化する。
小鳥の肌の温もりを直接感ずることができる。
動けば、すぐわかる。
もちろん熟睡はできない。
……というか、朝起きても、熟睡感はない。
●恐竜の子孫
鳥の魅力は、第一に、恐竜の子孫であること。
歴史がある。
1億5000万年!
そのころ人間の祖先は、ネズミのような小さな生き物だったという。
一方、人間そのものの歴史は、たかだか20万年。
比較にならない。
……というような大げさな話は別にして、哺乳動物を別にすれば、鳥は人間にいちばん近い。
感情も豊か。
喜怒哀楽の情は、すべてもっている。
もちろん嫉妬もする。
忠誠心も強い。
高校時代に飼ったフレンドにしても、私以外の者には、羽はもちろん体すら触らせなかった。
●名前
で、今は、……すでに今日で3日目になるが、名前で困っている。
ワイフは、「レモン」がいいという。
私は、「ピッピ」がいいという。
息子に聞くと、そのつど何やら、ゴージャスな名前を口にする。
そこで結論。
それぞれがそれぞれの呼び方で、呼べばいい、と。
そのうち、ひとつになる。
●ピッピ
今、そのピッピは、私の懐(ふところ)の中にいる。
眠っている。
ぶさいくな顔をしているが、横顔が、どこかあのティラノザウルスに似ている。
ときどき夢でも見るのか、小刻みに、チチ、ピョ、ピピピと鳴く。
上からのぞくと、安心しきった様子。
その様子が、そのまま私にとっては、癒しになる。
ネットで調べると、寿命は3年から10年とある。
この先、長いつきあいになりそう。
小さな体だが、命の大きさに、大小はない。
長短もない。
●余談
ところで、小鳥の話とは、まったく関係のないこと。
先の「ピッピ」のところまで書いたところで、筆が止まってしまった。
頭の働きが鈍く、思うように文章が出てこない。
おかめインコなどの鳥の名前さえ、出てこない。
そんな症状がつづいた。
そこで居間へおりていき、30分のウォーキング+ランニングの運動をした。
そのあと、10分間ほど、庭の木を切った。
かなりの汗をかいた。
で、今、書斎にもどってきて、先に書いた原稿のつづきを書いている。
が、運動をする前と、あと(現在)とでは、キーボードを叩く指の動きそのものがちがう。
文章も、スラスラと出てくる。
……というか、書きたいことが、前に前にと出てくる。
「やはり脳みその健康のためには、運動は欠かせない」と。
世間の常識を改めて、確認する。
●私と鳥
私はそういうわけで、鳥が大好き。
鳥を見ているだけで、ほっとするような安堵感を覚える。
で、この入野町(自宅の住所)に住むようになってからも、いろいろな鳥を飼った。
文鳥、ニワトリ、烏骨鶏(うこっけい)、白鳩などなど。
文鳥は、一時は、20~30羽近くになった。
白鳩も、15羽近くになった。
が、ヘビや猫に襲われ、どれも全滅。
それからは部屋の中で飼うようになった。
文鳥も飼った。
インコも飼った。
高校1年生のときから、そんなわけで、私の周囲にはいつも鳥がいた。
鳥がいなかった期間のほうが、はるかに短い。
だからというわけでもないが、(しかし多分にそうだが)、私は鶏肉が食べられない。
最近は、ときどき食べることもあるが、若いころは、いっさい、食べられなかった。
人間が人肉を食べるようなものではなかったか……というのは、少しおおげさ。
しかしかなり強い抵抗感を覚えた。
●5月14日
というわけで、この2日間は、ピッピのことで忙しかった。
寝床を作ってやった。
電気あんかを入れてやった。
下に毛布を敷き、それにカイロを張りつけてやった。
が、どうも具合がよくない。
熱くなりすぎたり、反対に暖かくならなかったり……。
箱だけでも、3箱、作りなおした。
で、結局、最初の日は、寒かったこともあり、エアコンを一晩中つけてやった。
その下に寝床を置いた。
が、昨晩は、やや暖かくなった。
寝床の下にカイロを張りつけ、その上にタオルを3~4枚、重ねて置いた。
これは結構、うまくいった。
寝る前と、目を覚ましてから、手の中で、30分~1時間ほど、抱いてやった。
この2日間で、かなり元気になった。
いろいろな鳴き声で鳴く。
ピッピ、チチ、ピーなど。
今朝からはときどき、ゲーと大きな声を出すようになった。
文鳥は、そういうふうには鳴かない。
鳴き方は、いつも同じ。
その点、インコはおもしろい。
まるで言葉を話しているかのよう。
中には、本当に言葉を覚えるのもいるとか。
楽しみ。
私の家に、久々に、華やかな花が咲いた。
息子も、昨日は、1日中、ピッピを手の中に抱いていた。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 ぼたんインコ ぼたんいんこ ピッピ はやし浩司 2012-05-12)
Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司
●2003~04年に書いた原稿
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
「鳥」について、どんな原稿を書いたか知りたくなった。
そこで「はやし浩司 鳥」で検索をかけてみた。
1作、見つかった。
そのまま再掲載する。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
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. みなさん、 o o β
.こんにちは!(″ ▽ ゛ ○
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子育て最前線の育児論byはやし浩司 04年3月X日・マガジン見本
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子どもは、人の父
空に虹を見るとき、私の心ははずむ。
私が子どものころも、そうだった。
人となった今も、そうだ。
願わくは、私は歳をとって、死ぬときもそうでありたい。
子どもは人の父。
自然の恵みを受けて、それぞれの日々が、
そうであることを、私は願う。
(イギリスの詩人・ワーズワース)
訳は私がつけたが、問題は、「子どもは人の父」という部分の訳である。
原文では、「TheChild is Father of the Man. 」となっている。
この中の「Man」の訳に、私は悩んだ。
ここではほかの訳者と同じように「人」と訳したが、どうもニュアンスが合わない。
詩の流れからすると、「その人の人格」ということか。
つまり私は、「その人の人格は、子ども時代に形成される」と解釈したが、これには二つの意味が含まれる。
一つは、その人の人格は子ども時代に形成されるから注意せよという意味。
もう一つは、人はいくらおとなになっても、その心は結局は、子ども時代に戻るという意味。
誤解があるといけないので、はっきりと言っておくが、子どもは確かに未経験で未熟だが、決して、幼稚ではない。
子どもの世界は、おとなが考えているより、はるかに広く、純粋で、豊かである。
しかも美しい。
人はおとなになるにつれて、それを忘れ、そして醜くなっていく。
知識や経験という雑音の中で、俗化し、自分を見失っていく。
私を幼児教育のとりこにした事件に、こんな事件がある。
ある日、園児に絵をかかせていたときのことである。
一人の子ども(年中男児)が、とてもていねいに絵をかいてくれた。
そこで私は、その絵に大きな花丸をかき、その横に、「ごくろうさん」と書き添えた。
が、何を思ったか、その子どもはそれを見て、クックッと泣き始めたのである。
私はてっきりうれし泣きだろうと思ったが、それにしても大げさである。
そこで「どうして泣くのかな?」と聞きなおすと、その子どもは涙をふきながら、こう話してくれた。
「ぼく、ごくろうっていう名前じゃ、ない。たくろう、ってんだ」と。
もし人が子ども時代の心を忘れたら、それこそ、その人の人生は闇だと、私は思う。
もし人が子ども時代の笑いや涙を忘れたら、それこそ、その人の人生は闇だと、私は思う。
ワーズワースは子どものころ、空にかかる虹を見て感動した。
そしてその同じ虹を見て、子どものころの感動が胸に再びわきおこってくるのを感じた。
そこでこう言った。
「子どもは人の父」と。
私はこの一言に、ワーズワースの、そして幼児教育の心のすべてが、凝縮されているように思う。
(1)子育てポイント**************************
●子どもとの笑い
いつも深刻な話ばかりなので……。最近経験した楽しい話(?)をいくつか……。
☆ときどきまったく手をあげようとしない子ども(年中女児)がいる。
そこで私が「先生(私)を好きな子は、手をあげなくていい」と言ったら、その子は何を思ったか、腕組みをして私をにらみつけた。
「セクハラか?」と思わず後悔したが、そのあと私が「どうして手をあげないの?」と聞くと、「だって、私、先生が好きだもん」と。
マレにですが、私も子どもに好かれることがあるのです。
☆ 私が「三匹の魚がいました。そこへまた二匹魚がきました。
全部で何匹ですか?」と聞くと、皆(年長児)が、「五匹!」と答えた。
そこで私が電卓を取り出して、「ええと、三足す二で……」と電卓を叩いていたら、一人の子どもがこう言った。
「あんた、それでも本当に先生?」と。
☆指をしゃぶっている子ども(年中児)がいた。
そこで私が、「どうせ指をしゃぶるなら、もっとかっこよくしゃぶりなよ。
おとなのしゃぶり方を教えてあげるよ」と言って、少しばかりキザなしゃぶり方(指を横から、顔をななめにしてしゃぶる)を教えてやった。
するとその子は、本当にそういうしゃぶり方をするようになった。
私は少しからかってやっただけなのだが……。
☆私のニックネームは……? 「美男子」「好男子」「長足の二枚目」。
あるとき私に「ジジイー」「アホ」と言う子ども(年長児たち)がいたので、こう話してやった。
「もっと悪い言葉を教えてやろうか。
しかし先生や、お父さんに使ってはダメだ。いいな」と。
子どもたちは「使わない、使わない」と約束したので、こう言ってやった。
「ビダンシ」と。
それからというもの、子どもたちは私を見ると、「ビダンシ、ビダンシ」と呼ぶようになった。
☆算数を教えながら、「○と△の関係は何ですか?」と聞いたら、一人の子ども(小四男児)が、「三角関係!」と。
ドキッとして、「何だ、それは?」と聞くと、「男が二人で、女が一人の関係だよ」と。
すると別の子どもが、「違うよオ〜、女が二人で、男が一人だよオ〜」と。
とたん、教室が収拾がつかなくなってしまった。
私が、「今どきの子どもは、何を考えているんだ!」と叱ると、こんな歌を歌い始めた。
「♪今どき娘は、一日五食、朝昼三時、夕食深夜……」と。
「何だ、その歌は」と聞くと、「先生、こんな歌も知らないのオ〜、遅れてるウ〜」と。
++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
●心を開く
何でも言いたいことを言い、したいことをする。
悲しいときは悲しいと言う、うれしいときはうれしいと言う。
泣きたいときは、思いっきり泣くことができる。
自分の心をそのままぶつけることができる。そういう状態を、「心が開いている状態」という。
昔、ある文士たちが集まる集会で、一人の男性(七〇歳くらい)がいきなり私にこう聞いた。「林君、君のワイフは、君の前で『へ(おなら)』を出すかね?」と。
驚いて私が、「うちの女房はそういうことはしないです……」とあわてて答えると、そばにいた人たちまで一斉に、「そりゃあ、かわいそうだ。君の奥さんはかわいそうだ」と言った。
子どもでも、親に向かって、「クソじじい」とか、「お前はバカだ」と言う子どもがいる。
子どもが悪い言葉を使うのを容認せよというわけではないが、しかしそういう言葉が使えないほどまでに、子どもを追いつめてはいけない。
一応はたしなめながらも、一方で、「うちの子どもは私に心を開いているのだ」と、それを許す余裕が必要である。
子どもの側からみて、「自分はどんなことをしても、またどんなことを言っても許されるのだ」という絶対的な安心感が、子どもの心を豊かにする。
そこで大切なことは、心というのは、相手に対して「開く心」と、もう一方で、それを
受け止める「開いた心」がないと、かよいあわないということ。
子どもが心を開いたら、同じように親のほうも心を開く。
それはちょうどまさに「開いた心の窓」のようなものだ。
どちらか一方が、心の窓を閉じていたのでは、心を通いあわせることはできない。
R氏(四五歳)はこう言う。
「私の母(六五歳)は、今でも私にウソを言います。
親のメンツにこだわって、あれこれ世間体をとりつくろいます。
私はいつも本音でぶつかろうとするのですが、いつもその本音が母の心のカベにぶつかって、そこではね返されてしまいます。
私もさみしいですが、母もかわいそうな人です」と。
そこで問題なのは、あなたの子どもはあなたに対して、心を開いているかということ。
そして同じように、あなたはあなたの子どものそういう心を、心を開いて受け止めているかということ。
もしあなたの子どもがあなたの前で、よい子ぶったり、あるいは心を隠したり、ウソを
ついたり、さらには仮面をかぶっているようなら、子どもを責めるのではなく、あなた
自身のことを反省する。
相手の心を開こうと考えるなら、まずあなた自身が心を開いて、相手の心をそのまま受け入れなければならない。
またそれでこそ、親子であり、家族ということになる。
さてその文士の集まりから帰った夜、私は恐る恐る女房にこう言った。
「おまえはあまり
ぼくの前でおならを出さないけど、出していいよ」と。
が、数日後、女房はそれに答えてこう言った。
「それは心を開いているとかいないとかいう問題ではなく、たしなみの問題だと思うわ」と。まあ、世の中にはいろいろな考え方がある。
(2)今日の特集 **************************
【虐待】
●虐待にもいろいろ
一般論として、子どもに虐待を繰りかえす親は、自分自身も、虐待を受けた経験があるといわれている。
約50%が、そうであるといわれている。
その虐待は、暴力だけにかぎらない。
大きく、この(1)暴力的虐待のほか、(2)栄養的虐待、(3)性的虐待、(4)感情的虐待に、分けられる。
暴力的虐待は、肉体的虐待、言葉の虐待、精神的虐待に分けられる。
順に考えてみよう。
(1)肉体的虐待……私の調査でも、約50%の親が、何らかの形で、子どもに肉体的な暴力をバツ(体罰)として与えていることがわかっている。
そしてそのうち、70%の親(全体では35%の親)が、虐待に近い暴力を加えているのがわかっている。
日本人は、昔から、子どもへの体罰に甘い国民と言われている。
「日本人の親で、『(子どもへの)体罰は必要である』と答えている親は、70%。
一方アメリカ人の親で、『体罰は必要である』と答えている親は、10%にすぎない」(村山貞夫)という調査結果もある。
体罰はしかたないとしても、たとえば『体罰は尻』ときめておくとよい。
いかなるばあいも、頭に対して、体罰を加えてはいけない。
(1−2)言葉の虐待……「あなたはダメな子」式の、人格の「核」に触れるような言葉を、日常的に子どもにあびせかけることをいう。
「あなたはバカだ」
「あなたなんか、何をしてもダメだ」
「あんたなんか、死んでしまえばいい」など。
子どもの心は、親がつくる。そして子どもは、長い時間をかけて、親の口グセどおりの子どもになる。親が「うちの子はグズで……」と思っていると、その子どもは、やがてその通りの子どもになる。
しかし言葉の暴力がこわいのは、その子どもの人格の中枢部まで破壊すること。
ある男性(60歳)は、いまだに「お母さんが怒るから」「お母さんが怒るから」と、母親の影におびえている。そうなる。
(1−3)精神的虐待……異常な恐怖体験、過酷な試練などを、子どもに与えることをいう。
ふつうは、無意識のうちに、子どもに与えることが多い。
たとえば子どもの前で、はげしい夫婦喧嘩をして見せるなど。
子どもの側からみて、恐怖感、心配、焦燥感、絶望感を与えるものが、ここでいう精神
的虐待ということになる。
子どもの心というのは、絶対的安心感があって、その上で、はじめてはぐくまれる。
その基盤そのものが、ゆらぐことをいう。
(2)栄養的虐待……食事を与えないなどの虐待をいう。
私自身、このタイプの虐待児について接した経験がほとんどないので、ここでのコメントは、割愛する。
(3)性的虐待……今まで、具体的な事例を見聞きしたことがないので、ここでは割愛する。
(4)感情的虐待……親の不安定な情緒が与える影響が、虐待といえるほどまでに、高じた状態をいう。
かんしゃくに任せて、子どもを怒鳴りつけるなど。
『親の情緒不安、百害あって一利なし』と覚えておくとよい。
少し前だが、こんな事例があった。
その母親は、交通事故をきっかけに、精神状態がきわめて不安定になってしまった。
しかし悪いときには、悪いことが重なる。
その直後に、実父の他界、実兄の経営する会社の倒産と、不幸なできごとが、たてつづけに、つづいてしまった。
その母親は、「交通事故の後遺症だ」とは言ったが、ありとあらゆる体の不調を訴えるようになった。
そしてほとんど毎日のように病院通いをするようになった。
その母親のばあいは、とくに息子(小2)を虐待したということはなかった。
しかしやがて子どもは、その不安からか、学校でも、オドオドするようになってしまった。
先生にちょっと注意されただけで、腹痛を訴えたり、ときには、みなの見ているところで、バタンと倒れてみせたりした。
このように精神に重大な影響を与える行為を、虐待という。
暴力的虐待も、暴力を通して、子どもの精神に重大な影響を与えるから、虐待という。
この虐待がつづくと、子どもの精神は、発露する場所を失い、内閉したり、ゆがんだりする。そしてそれが心のキズ(トラウマ)となって、生涯にわたって、その子どもを苦しめることもある。
(040220)
++++++++++++++++++++
以前、つぎのような原稿を書きましたので
送ります。(中日新聞投稿済み)
++++++++++++++++++++
●虐待される子ども
ある日曜日の午後。一人の子ども(小五男児)が、幼稚園に駆け込んできた。
富士市で幼稚園の園長をしているI氏は、そのときの様子を、こう話してくれた。
「見ると、頭はボコボコ、顔中、あざだらけでした。
泣くでもなし、体をワナワナと震わせていました」と。
虐待である。逃げるといっても、ほかに適当な場所を思いつかなかったのだろう。
その子どもは、昔、通ったことのある、その幼稚園へ逃げてきた。
カナーという学者は、虐待を次のように定義している。
(1)過度の敵意と冷淡、
(2)完ぺき主義、
(3)代償的過保護。
ここでいう代償的過保護というのは、愛情に根ざした本来の過保護ではなく、子どもを自分の支配下において、思い通りにしたいという、親のエゴに基づいた過保護をいう。
その結果子どもは、
(1)愛情飢餓(愛情に飢えた状態)、
(2)強迫傾向(いつも何かに強迫されているかのように、おびえる)、
(3)情緒的未成熟(感情のコントロールができない)などの症状を示し、さまざまな問題行動を起こすようになる。
I氏はこう話してくれた。
「その子どもは、双子で生まれたうちの一人。
もう一人は女の子でした。
母子家庭で、母親はその息子だけを、ことのほか嫌っていたようでした」と。
私が「母と子の間に、大きなわだかまりがあったのでしょうね」と問いかけると、「多分その男の子が、離婚した夫と、顔や様子がそっくりだったからではないでしょうか」と。
親が子どもを虐待する理由として、ホルネイという学者は、
(1)親自身が障害をもっている。
(2)子どもが親の重荷になっている。
(3)子どもが親にとって、失望の種になっている。
(4)親が情緒的に未成熟で、子どもが問題を解決するための手段になっている、の四つをあげている。
それはともかくも、虐待というときは、その程度が体罰の範囲を超えていることをいう。
I氏のケースでも、母親はバットで、息子の頭を殴りつけていた。
わかりやすく言えば、殺す寸前までのことをする。
そして当然のことながら、子どもは、体のみならず、心にも深いキズを負う。
学習中、一人ニヤニヤ笑い続けていた女の子(小二)。
夜な夜な、動物のようなうめき声をあげて、近所を走り回っていた女の子(小三)などがいた。
問題をどう解決するかということよりも、こういうケースでは、親子を分離させたほうがよい。
教育委員会の指導で保護施設に入れるという方法もあるが、実際にはそうは簡単ではない。
父親と子どもを半ば強制的に分離したため、父親に、「お前を一生かかっても、殺してやる」と脅されている学校の先生もいる。
あるいはせっかく分離しても、母親が優柔不断で、暴力を振るう父親と、別れたりよりを戻したりを繰り返しているケースもある。
結論を言えば、たとえ親子の間のできごととはいえ、一方的な暴力は、犯罪であるという認識を、社会がもつべきである。
そしてそういう前提で、教育機関も警察も動く。
いつか私はこのコラムの中で、「内政不干渉の原則」を書いたが、この問題だけは別。
子どもが虐待されているのを見たら、近くの児童相談所へ通報したらよい。
「警察……」
という方法もあるが、「どうしても大げさになってしまうため、児童相談所のほうがよいでしょう。
そのほうが適切に対処してくれます」(S小学校N校長)とのこと。
+++++++++++++++++++
【付録】
●虐待について
社会福祉法人「子どもの虐待防止センター」の実態調査によると、母親の五人に一人は、
「子育てに協力してもらえる人がいない」と感じ、家事や育児の面で夫に不満を感じてい
る母親は、不満のない母親に比べ、「虐待あり」が、三倍になっていることがわかった(有
効回答五〇〇人・二〇〇〇年)。
また東京都精神医学総合研究所の妹尾栄一氏は、虐待の診断基準を作成し、虐待の度合
を数字で示している。妹尾氏は、「食事を与えない」「ふろに入れたり、下着をかえたりし
ない」などの一七項目を作成し、それぞれについて、「まったくない……〇点」「ときどき
ある……一点」「しばしばある……二点」の三段階で親の回答を求め、虐待度を調べた。
その結果、「虐待あり」が、有効回答(四九四人)のうちの九%、「虐待傾向」が、三〇%、
「虐待なし」が、六一%であった。この結果からみると、約四〇%弱の母親が、虐待も
しくは虐待に近い行為をしているのがわかる。
一方、自分の子どもを「気が合わない」と感じている母親は、七%。そしてその大半が
何らかの形で虐待していることもわかったという(同、総合研究所調査)。「愛情面で自分
の母親とのきずなが弱かった母親ほど、虐待に走る傾向があり、虐待の世代連鎖もうかが
える」とも。
●ふえる虐待
なお厚生省が全国の児童相談所で調べたところ、母親による児童虐待が、一九九八年ま
での八年間だけでも、約六倍強にふえていることがわかった。(二〇〇〇年度には、一万七
七二五件、前年度の一・五倍。この一〇年間で一六倍。)
虐待の内訳は、相談、通告を受けた六九三二件のうち、身体的暴行が三六七三件(五三%)
でもっとも多く、食事を与えないなどの育児拒否が、二一〇九件(三〇・四%)、差別的、
攻撃的言動による心理的虐待が六五〇件など。
虐待を与える親は、実父が一九一〇件、実母が三八二一件で、全体の八二・七%。また
虐待を受けたのは小学生がもっとも多く、二五三七件。三歳から就学前までが、一八六
七件、三歳未満が一二三五件で、全体の八一・三%となっている。
(3)************************************
Touch your Heart byはやし浩司(1)
●子どもの巣立ち
階段でふとよろけたとき、三男がうしろから私を抱き支えてくれた。いつの間にか、私
はそんな年齢になった。腕相撲では、もうとっくの昔に、かなわない。自分の腕より太く
なった息子の腕を見ながら、うれしさとさみしさの入り交じった気持ちになる。
男親というのは、息子たちがいつ、自分を超えるか、いつもそれを気にしているものだ。
息子が自分より大きな魚を釣ったとき。息子が自分の身長を超えたとき。息子に頼まれて、
ネクタイをしめてやったとき。
そうそう二男のときは、こんなことがあった。二男が高校に入ったときのことだ。二男
が毎晩、ランニングに行くようになった。しばらくしてから女房に話を聞くと、こう教
えてくれた。
「友だちのために伴走しているのよ。同じ山岳部に入る予定の友だちが、体力がないた
め、落とされそうだから」と。その話を聞いたとき、二男が、私を超えたのを知った。
いや、それ以後は二男を、子どもというよりは、対等の人間として見るようになった。
その時々は、遅々として進まない子育て。イライラすることも多い。しかしその子育て
も終わってみると、あっという間のできごと。「そんなこともあったのか」と思うほど、遠
い昔に追いやられる。「もっと息子たちのそばにいてやればよかった」とか、「もっと息子
たちの話に耳を傾けてやればよかった」と、悔やむこともある。
そう、時の流れは風のようなものだ。どこからともなく吹いてきて、またどこかへと去
っていく。そしていつの間にか子どもたちは去っていき、私の人生も終わりに近づく。
その二男がアメリカへ旅立ってから数日後。私と女房が二男の部屋を掃除していたとき
のこと。一枚の古ぼけた、赤ん坊の写真が出てきた。私は最初、それが誰の写真かわから
なかった。
が、しばらく見ていると、目がうるんで、その写真が見えなくなった。うしろから女房
が、「Sよ……」と声をかけたとき、同時に、大粒の涙がほおを伝って落ちた。
何でもない子育て。朝起きると、子どもたちがそこにいて、私がそこにいる。それぞれ
が勝手なことをしている。三男はいつもコタツの中で、ウンチをしていた。私はコタツの
ふとんを、「臭い、臭い」と言っては、部屋の真ん中ではたく。女房は三男のオシリをふく。
長男や二男は、そういう三男を、横からからかう。そんな思い出が、脳裏の中を次々とか
けめぐる。
そのときはわからなかった。その「何でもない」ことの中に、これほどまでの価値があ
ろうとは! 子育てというのは、そういうものかもしれない。街で親子連れとすれ違う
と、思わず、「いいなあ」と思ってしまう。そしてそう思った次の瞬間、「がんばってく
ださいよ」と声をかけたくなる。
レストランや新幹線の中で騒ぐ子どもを見ても、最近は、気にならなくなった。「うちの
息子たちも、ああだったなあ」と。問題のない子どもというのは、いない。だから楽な
子育てというのも、ない。
それぞれが皆、何らかの問題を背負いながら、子育てをしている。しかしそれも終わっ
てみると、その時代が人生の中で、光り輝いているのを知る。もし、今、皆さんが、子
育てで苦労しているなら、やがてくる未来に視点を置いてみたらよい。心がずっと軽く
なるはずだ。
++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
Touch your Heart byはやし浩司(2)
真の自由を子どもに教えられるとき
●真の自由を手に入れる方法はあるのか?
私のような生き方をしているものにとっては、死は、恐怖以外の何ものでもない。「私は
自由だ」といくら叫んでも、そこには限界がある。死は、私からあらゆる自由を奪う。が、
もしその恐怖から逃れることができたら、私は真の自由を手にすることになる。しかしそ
れは可能なのか……? その方法はあるのか……?
一つのヒントだが、もし私から「私」をなくしてしまえば、ひょっとしたら私は、死の
恐怖から、自分を解放することができるかもしれない。自分の子育ての中で、私はこんな
経験をした。
●無条件の愛
息子の一人が、アメリカ人の女性と結婚することになったときのこと。息子とこんな会
話をした。
息子「アメリカで就職したい」
私「いいだろ」
息子「結婚式はアメリカでしたい。アメリカのその地方では、花嫁の居住地で式をあげる
習わしになっている。結婚式には来てくれるか」
私「いいだろ」、息子「洗礼を受けてクリスチャンになる」
私「いいだろ」と。
その一つずつの段階で、私は「私の息子」というときの「私の」という意識を、グイグ
イと押し殺さなければならなかった。苦しかった。つらかった。しかし次の会話のとき
は、さすがに私も声が震えた。
息子「アメリカ国籍を取る」
私「……日本人をやめる、ということか……」
息子「そう……」
私「……いいだろ」と。
私は息子に妥協したのではない。息子をあきらめたのでもない。息子を信じ、愛するが
ゆえに、一人の人間として息子を許し、受け入れた。英語には『無条件の愛』という言葉
がある。私が感じたのは、まさにその愛だった。しかしその愛を実感したとき、同時に私
は、自分の心が抜けるほど軽くなったのを知った。
●息子に教えられたこと
「私」を取り去るということは、自分を捨てることではない。生きることをやめること
でもない。「私」を取り去るということは、つまり身のまわりのありとあらゆる人やものを、
許し、愛し、受け入れるということ。「私」があるから、死がこわい。が、「私」がなけれ
ば、死をこわがる理由などない。
一文なしの人は、どろぼうを恐れない。それと同じ理屈だ。死がやってきたとき、「ああ、
おいでになりましたか。では一緒に参りましょう」と言うことができる。そしてそれが
できれば、私は死を克服したことになる。真の自由を手に入れたことになる。その境地
に達することができるようになるかどうかは、今のところ自信はない。ないが、しかし
一つの目標にはなる。息子がそれを、私に教えてくれた。
++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
Touch your Heart byはやし浩司(3)
子どもに生きる意味を教えるとき
●高校野球に学ぶこと
懸命に生きるから、人は美しい。輝く。その価値があるかないかの判断は、あとからす
ればよい。生きる意味や目的も、そのあとに考えればよい。
たとえば高校野球。私たちがなぜあの高校野球に感動するかといえば、そこに子どもた
ちの懸命さを感ずるからではないのか。たかがボールのゲームと笑ってはいけない。私
たちがしている「仕事」だって、意味があるようで、それほどない。「私のしていること
は、ボールのゲームとは違う」と自信をもって言える人は、この世の中に一体、どれだ
けいるだろうか。
●人はなぜ生まれ、そして死ぬのか
私は学生時代、シドニーのキングスクロスで、ミュージカルの『ヘアー』を見た。幻想
的なミュージカルだった。あの中で主人公のクロードが、こんな歌を歌う。
「♪私たちはなぜ生まれ、なぜ死ぬのか、(それを知るために)どこへ行けばいいのか」
と。それから三〇年あまり。私もこの問題について、ずっと考えてきた。そしてその結
果というわけではないが、トルストイの『戦争と平和』の中に、私はその答のヒントを
見いだした。
生のむなしさを感ずるあまり、現実から逃避し、結局は滅びるアンドレイ公爵。一方、
人生の目的は生きることそのものにあるとして、人生を前向きにとらえ、最終的には幸福
になるピエール。そのピエールはこう言う。
『(人間の最高の幸福を手に入れるためには)、ただひたすら進むこと。生きること。愛
すること。信ずること』(第五編四節)と。
つまり懸命に生きること自体に意味がある、と。もっと言えば、人生の意味などという
ものは、生きてみなければわからない。映画『フォレスト・ガンプ』の中でも、フォレ
ストの母は、こう言っている。
『人生はチョコレートの箱のようなもの。食べてみるまで、(その味は)わからないのよ』
と。