ユニバーサルフロンティア理論は世界を救う

GUTこと大統一理論を上回る現代最高の物理理論を公開したいと思う!こう、ご期待・・。

数学体系は同義反復を含まない!(というより論理学の判断が甘いのかも?)

2012年10月26日 | Weblog
ゲーデル命題「この命題は証明できない」が、なぜ「~を二度くりかえす,は証明されない」と同義だったのだろう?

数学の証明技術において、もし、証明すべき命題がそのままの姿でもう一度現れたとしたら、それまでの艱難辛苦は徒労に終わったと思わなければなりません。そのような事態は、論理学体系であれば証明そのものかもしれませんが、数学体系や三段論法においては致命的な悪循環であるからです。その意味において事態は数学の危機だったというよりも論理学改革の兆時だったはずを逃してしまったようで悔しいです。

二度くりかえすことによって命題真が保障されてしまうからカリーのパラドクスが防がれないのでは?

論理学は、そこを「自己言及がよくない」「条件命題に命題自体の真偽判定を含ませてはならない」などの禁則を作って排除してしまいますけど、本当は“そこまで内包してこその論理学”ではなかったでしょうか。「この命題が真ならば,A」は「私が正しいならば,A」と同義です。そのような言葉まで非論理的だと判定してしまうのは得策ではないのではありませんか。

自分流に、カリー命題をT⇒Aと定式化しますと、そこに驚くべき真実が出てきます・・・。

T⇒A

F∨A  ___(ア)



つまり、カリー命題は「Aという意味の文章」であるに他ならないのですよ、論理学では十分条件は(三段論法とは違って)大前提ではなくて否定される場面がありますので、そうしたら必要条件(ここではA)を言っていることにはならない、そこを“しっかり言う言い方”だと考えられます。また(ア)で示し得ているように「この命題が偽であるか,またはA」という“正直な意味”が途中で出てきておりますので、FとかTとかを含んだ計算結果には何か新しい意味づけが可能なのではないか、という夢もあります。

カリー命題の証明は「同義反復ゆえにカリー命題は正しい」という形をしておりますw)

私見によると、カリー命題は数学命題のように真偽判定を己のあり方によっては決定できない「真理を要する命題」なのではなかったか、と思い至るわけです。「カリー命題を真と仮定すれば同義反復ゆえにカリー命題は真」というのは“その証明法そのものに問題がある”のではなかったでしょうか。文頭に述べましたような、自己言及を含まないゲーデル命題を検討する機会に恵まれてみますと、論理学には真理を取り扱うだけのcapasityあるいはcapabilityに不足しているように感じるわけです。

それにしても「数学体系は同義反復を含まない」ことから「すべての数学命題の無矛盾性は証明されない」ということだったとはw)

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