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ユニバーサルフロンティア理論は世界を救う

GUTこと大統一理論を上回る現代最高の物理理論を公開したいと思う!こう、ご期待・・。

反不完全性定理が対等に出現し、しかもずーっと優れている・・

2010年09月12日 | Weblog
まずは当方のちょっとした失敗談から入らせていただきます・・。

 ヤフー掲示板で孤軍奮闘していたところ指摘をいただきましたことには原子命題「太郎は犬を飼っている」に太郎という名前をつけたりすべきでないというお話。ところが半面において「ゲーデル命題は否定の主語が変化している」という文をして(皮肉混じりながらも)「一般意味論の治療を受けたのかね?」とお褒めいただきました。その後つらつらアブな考察を交えながら奮闘を続けたのですけどそうしたら自分でいうのもナンだという転機を迎える運びとなったのですよ、へへへ!

太郎「太郎は犬を飼っている」 ¬太郎「太郎は犬を飼っていない」

 残念ながらこれは述語論理学のまな板には乗せられない創造物であったようです。そして自分でいうのもナンですがクォーク命題と名付けるのも自由だというような新しい思想の所産として著作権を獲得したようです。どうやら主語の説明に終わる文は述語命題ではないようですね。確かに否定形が背反になっておりません!

Y「Yは反証できない」 ¬Y「Yは反証できる」

 これが当方が次に編み出した《山野命題》です。Yは「この命題は反証できない」という自己言及命題と同値になっており、次なる¬Yもまた「この命題は反証できる」という自己言及命題と同値なのですよ・・、ええ、いや、どういたしましてありがとうございます!

数学の無矛盾性「数学の無矛盾性は反証できない」 数学の矛盾性「数学の無矛盾性は反証できる」

 これがゲーデル命題よりも優れていて素晴らしい成果であることにどこの誰が異論があるというのでしょうか・・、そうだよ、文句があるなら出て来いっ!

1)Gの自己言及性はYと比べてaltenativeで劣っている。

ゲーデル命題の(~は証明できない、は証明できない)型は(~は反証できない、は反証できない)型よりも矛盾的ではないですか?

2)¬Gは自己言及命題ではなくなっており、¬Yは自己言及命題になっている。

このことは定義として(Gと¬G)よりも(Yと¬Y)の方が正しい定義であると誇って良いでしょう!


以上より、
《反不完全性定理》「数学が無矛盾性であるならば数学の無矛盾性は反証できなくて数学が矛盾しておれば数学の無矛盾性は反証される」

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2 コメント

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ゲーデル定義の不備を浮き彫りにすれば (buturikyouiku)
2010-09-12 18:17:40
>¬Y「Yは反証できる」⇔「この命題は反証できる」

これはやはり非自明です、こんこんちきです、¬Gと良い勝負です、だけど証明できるかもシレマセン!

仔細に検討すれば、

G「Gは証明できない」⇔「この命題は証明できない」

¬G「Gは証明できる」⇔「この命題は反証できる」

これがゲーデルマニアの一部が隠し持っていた“ゲーデルによる巧妙なヒネリ”なんですか!

Y「Yは反証できない」⇔「この命題は反証できない」

¬Y「Yは反証できる」⇔「この命題は証明できる」

なんですねえ~、で、証明できるという言葉は自己言及の場合には無条件にという類まれな制約がございますから数学の矛盾性ぐらいしか同値となる命題は存在せぬのですよねえ~!

Yが数学の矛盾性であるならば「この命題は証明できる」と同値であると同時に「この命題は反証できる」とも同値なのですよ・・・。
返信する
これが《やっつけ法》の真髄ってこと (buturikyouiku)
2010-09-12 18:43:38
これで「この命題は間違いである」も「この命題は正しい」も共に矛盾だといえそうです!


《嘘つき命題》も《カリー命題》も共に「矛盾しておればA」なんです・・・。


ああー、本日は良き日かな、本日も晴天なり!
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