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ユニバーサルフロンティア理論は世界を救う

GUTこと大統一理論を上回る現代最高の物理理論を公開したいと思う!こう、ご期待・・。

超論理学だって認められるべきじゃないのか(2)

2012年09月16日 | Weblog
命題論理には「命題そのものの真偽を文中で扱ってはならない」という規則があるそうですけど、それには嘘つき命題などのパラドクスの合理化を防ぐ意味、矛盾を根底から排除するためという意味などによるのでしょう。

しかし、それらあっての論理学だったではなかったでしょうか、こうして嘘つき命題を恒真命題としてマニフェスト命題(仮題)と同列に扱ってみたら大したパラドクスには感じなくなってきたではありませんか。「この文章が嘘だったらこう」に対して「マニフェストは現実ではない」「現実があるならばマニフェストによればこう」が複雑化した(complicatedな)命題だという私の主張は、ひょっとしてゲーデル命題が「証明できる(provable)」という言葉を使って嘘つき命題を和らげた物だという話の対極とでも申せましょうか。

UF論理学(仮題)においては、嘘つき命題はF⇒Aであり、マニフェスト命題は¬A⇒(A⇒B)となりまして、前者は現行の基礎ではちょっとしたルール違反で、後者はルール内だとされています。

¬A⇒(A⇒B)

¬(¬A)∨(A⇒B)

A∨(¬A∨B)

(A∨¬A)∨B

T∨B _______(ア)



この(ア)の所ですが、先ほどの

F⇒A

¬F∨A

T∨A  _______(イ)



(ア)と(イ)とではAとBこそ違っても同じ形をしております。いずれも言いたいことの必要条件になっていますもので、同様の働きをしていることを期待(類推)していいのですが、すると両者ともに「嘘ならば嘘だ」という恒真命題と同値だということでしょうかね?

F⇒F

T∨F  _______(ウ)



これも(ウ)の箇所が気になりますよね、嘘かまことか、がどーして「恒等真」なんでしょーか?

これはちょっと「命題文を集合論で解釈し切ることは不可能」として【プール代数の危機】と指摘して差し戻したいですよね。いずれにせよプール代数によって計算結果がTやFなど文全体の真偽と同値になるのに「どうして文中に文全体の真偽を持ち込んではならないのか?」という疑問命題が大きく重くのしかかりますよね。さて、ここで「現行ルールでOKであるマニフェスト命題を排除するコトだって可能です」と聞いたらどう思われますかね?

ひょっとしたら、恒真命題というのは『A∨¬A形式のT』(Aは任意)でなくては駄目なのではなかったか、一歩手前がT∨AなどではF⇒A(A∨Tだと¬A⇒Tでなお不合理)などの変形が可能になってしまうから排除すべきなのではなかったか?

そうだとしたら、¬A⇒(A⇒B)を恒等真といっても駄目ですねえ・・・w)

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