写真歳時記≪まさとしの一日一首≫――写真と短歌で綴るコラボ作品

きょうも生きた、泳いだ、自転車漕いだ。
その一日を、フォト短歌に仕立てる。
写真歳時記≪まさとしの一日一首≫。

なんとまあ坂本龍馬は革靴だ

2020-09-09 06:32:57 | 幕末の志士
なんとまあ坂本龍馬は革靴だ 羽織袴でお洒落なことよ
                     まさとし

きのう紹介した高杉晋作は、革靴ではなく、裸足だった。
なぜ裸足だったのか、理由はわからない。ただ、高杉自身
それを内心羞じていたようで、袴の後ろに引いて足を隠そう
としていた。
それとはまったく対照的なのが、この坂本龍馬の写真だ。
羽織袴なのに、照れもせず、堂々と≪革靴≫を履いている。
裸足ではなく、≪靴下≫も履いている。
現代の私たちには、靴下履いて革靴を履くのは当たり前だが、
この写真が撮られたのは、幕末の慶応二年(1866)である。
私はさいしょ驚いた。えっ、明治になる前に革靴履いている、
と。当時、革靴なんてまだまだ珍しく、よほどのことがない
限り、履かなかったのではなかろうか。――坂本龍馬って、
こういうところも平気で、新時代を先取りしていたのか……。
ちなみに、きのう紹介した高杉晋作も、きょうの坂本龍馬も、
まったく同じ慶応二年(1866)、同じ場所の長崎で、肖像写真を
撮っている。撮影者は同じ、上野彦馬である。



おやおや高杉晋作は裸足だよ

2020-09-08 05:57:48 | 幕末の志士
おやおや高杉晋作は裸足だよ せっかくの肖像写真なのに
                      まさとし

慶応二年(1866)、高杉晋作は、長崎で開業した
ばかりの上野彦馬に肖像写真を撮ってもらった。
幕末の当時、若き志士たちは生死の不安の只中
にあったため、まだ珍しかった写真館で自分の
肖像写真を撮らせ、親元へ送ることが多かった
という(小沢健志『幕末・明治の写真』1997)。 
それはおそらく、いつ死ぬともわからないので、
≪形見≫を残す意味があったのだ、と思われる。
ただ、この高杉晋作の肖像写真をよく視ると、
おやおや≪裸足≫ではないか!
そのためかどうかわからないが、晋作の表情は、
どこか恥じらいを見せている。
撮影者である上野彦馬は、撮影する前にそれに
気付いていたはずなのに、なぜ高杉に注意して
やらなかったのか?
また、高杉自身、なぜ≪裸足≫のまま肖像写真を
撮らせたのか? せっかくの大事な≪形見≫なのに、
どうも釈然としない。