写真歳時記≪まさとしの一日一首≫――写真と短歌で綴るコラボ作品

きょうも生きた、泳いだ、自転車漕いだ。
その一日を、フォト短歌に仕立てる。
写真歳時記≪まさとしの一日一首≫。

おお、エジプトの空を視よ!

2017-02-28 08:08:11 | 日記
秋のよな雲掃かれたるエジプトの 紺碧の空かくまで清し
(in Cairo, Egypt)             まさとし

目の前にあるのは、要塞。
その中に、モハメッド・アリ・モスクがある。

「モハメッド・アリ」と聞いたら、誰を想い浮かべますか?
そうです、元世界ヘビー級チャンピオンの「モハメッド・アリ」!

元の名前は、カシアス・クレイだった。彼はこう言った。

「クレイなんて、黒人奴隷の名だ。俺はイスラム教に改宗して、
”モハメッド・アリ”って名前を頂戴したんだ」
それ以来、”モハメッド・アリ”という名前を使いつづけた。

彼は黒人に対するアメリカ社会の偏見と闘い、その他あらゆる
差別と闘った。

若い頃は、ボクシングのリングで闘ったが、年を取ってからも
社会というリングで、果敢に闘いつづけた。

昨年、人々に惜しまれながら、アリはこの世を去った。
合掌

1864年、遣欧使節団の侍たちが、スフィンクスに立ち寄った

2017-02-26 07:45:41 | 日記
幕末に侍たちが立ち寄りし スフィンクスの今も砂漠に
(in Giza, Egypt)             まさとし

1864年、遣欧使節団の侍たちが、スフィンクスに立ち寄った。
そのときに撮った写真が、いまも残っている。

ここで、それに関するおもしろい話をご紹介します。

彼ら遣欧使節団の侍たちは、当時の先進国であった
ヨーロッパを訪れて、技術や軍事などについて、
情報を集めた。
その途中、エジプトに立ち寄ったのだった。

ところが、エジプトの現地ガイドは、その事実を枉げて
こう言った。
「日本の侍たちは、エジプトに学ぶため、スフィンクス
までやって来た」

お国自慢も、ここまでくると、噴飯ものだ。

王妃 Nefertari のために建てた Abu Simbel 小神殿

2017-02-24 07:58:38 | 日記
ラムセスに愛されし王妃ネフェルタリ 小神殿が砂漠の中に
(in front of the Abu Simbel Small Temple,Egypt)まさとし

古代エジプト第19王朝のラムセス2世の王妃ネフェルタリ。

正式の名は、Nefertari MeRi-eN-MuT で、「愛らしき者、
ムトに寵愛されし者」。ムトはアメンの妻である女神。

なお、きのうのブログで Abu Simbel 宮殿と書きましたが、
「宮殿(palace)」ではなく、「神殿(temple)」の誤りでした。
訂正します。

この神殿の本来の名称は、わかっていません。
”Abu Simbel”というのは、探検家を案内した地元民の名前。

彼の乗っていたロバが、穴に落ち込んだため、偶然、神殿を
発見し、その後発掘されたらしい。

してみると、これを日本流に言い換えると、”田吾作”神殿
とでもなるのかなあ。なんだか、おかしいなあ……(笑)。