葡萄舎だより

海峡の街・下関の、葡萄舎の住人・洒人 (しゃじん) が身の周りの些事片々を書き綴ります。
本人は日記のつもりです。

10年ひと昔

2006年03月24日 18時08分33秒 | 日記 ・ 雑記録
社会人になってからの私は、長く勤めて4年で転職を繰り返してきた。
部屋の模様替えと、HP表紙の模様替えが趣味だというのだから、飽きやすいのだろう。
そんな私が、家業を継ぐまでの12年間は1つの会社に在籍し続けたのだから、
これはもう驚きに値する。
その会社では、新しいセクションを造るとき、新分野に進出するとき、
私を将棋の駒のように用いた。
その周期が2・3年だったから、私の新しいもの好きにうまくマッチしたのだろう。
宇部・小野田日本社があって、
下関から岩国まで、山口県の瀬戸内沿いが私の活動範囲だった。
下関、小野田、宇部、山口、防府、徳山、岩国、それぞれに想い出がある。
私のそばには、いいヤツもダメなヤツもいたが、
思い出すときはいいことばかりを思い出す。

その名残で、下関から出かける機会はなくなっても、散髪だけは宇部に出かけている。
先日、宇部の馴染みの理容院で散髪をしてから、徳山まで足を延ばした。
高速を使わずに下の道を走ったのは、退職以来7年ぶりだった。
防府まで、懐かしい周防大橋を渡ると、知らない道と橋ができていた。
防府の街は昔のままで、お世辞にも活気があるとはいえない。
繁盛していたレストランが閉店したり、客の少ない喫茶店が未だがんばっていたり、
スピード違反で捕まったバイパスも懐かしかった。

徳山海上保安部に行くのが目的だったが、
住所も電話番号も控えてくるのを忘れた馬鹿さ加減に自分で呆れながら、
昔懐かしい徳山のレストランに立ち寄った。
レジのお姐さんも、サービスのお姐さんも相変わらず元気そうだ。
「調理長は誰?」 と聞いたら、Y氏だという。
Y氏といえば、葡萄舎ができる前の我が家で、何度も料理を作ってくれた男だ。
案内も乞わずに調理場に入った。 勝手知ったる調理場だ。
肥満に拍車のかかったY氏が居た。

再会の挨拶もそこそこに、聞かされたのは会社の話。
2日前、提携していた会社に買収され、子会社になってしまったと言う。
労働強化が課せられ、たまったもんじゃない、と言う。
私を好きなように泳がせてくれた専務が社長になっていたが、責任を取って退任だと言う。
私はいいときに辞めた、それが結論だ。

10年ひと昔。 いい話は嬉しいが、逆は辛い。
明日は、下関在住の高校の同級生が11人集まる。 
5年ぶりの 「下関四一会」 だ。 どんな話が出るのだろう。


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またまた表紙の模様替えをしています。
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