葡萄舎だより

海峡の街・下関の、葡萄舎の住人・洒人 (しゃじん) が身の周りの些事片々を書き綴ります。
本人は日記のつもりです。

巻頭言

2006年03月02日 15時01分54秒 | 日記 ・ 雑記録
「燈台賛歌」 は、編集しながら公開という、無責任な形態をとったが、
ようやく、一通りの体裁になったので巻頭言を載せた。
着手から1ヶ月かかった。
本来なら、作ったページを貯めておいて、今日ドカァ~ンと公開、なのだろう。

(巻頭言) 燈台へ‥‥。

 私の人生には、ワインがあり、旅がある。
 夜毎ワインを飲み、年に一回10日前後の旅に出る。
 それだけで充分だったのに、突如として 「燈台」 に関心を持ってしまった。
 2005年、地球の裏側のパタゴニアに出かけ、その余韻覚めやらぬうちに
 西安からイスタンブールまで2ヶ月間のシルクロード大走破に参加した。
 私にとって、究極の旅を終えてしまい、「次なる旅」 の目標を見失った。
 しばらくはおとなしくしていよう。

 おとなしくできるはずもなく、室戸岬にお出かけた。
 海岸段丘の岬が見たくて、燈台は二の次だった。
 坂道を登りつめると、その先のくぼ地に燈台が立っていた。
 目線の位置でレンズが回転し、1,900,000 カンデラの照射を受けた。
 瞬間、私の中を電流が走り、  ‥‥燈台への関心が、海岸段丘と入れ替わった。
 
 船の航行技術の進歩は、
 もはや、入出港時を除いて燈台の灯を必要としないらしいが
 船乗りにあこがれながら、海を知らず、陸しか知らない私は
 燈台を眺め、燈台から海を眺めることで、
 船と、海と、燈台と、私を直列に繋ぐことができる。
 
 人里を離れた岬の突端の燈台には、山道の登り降りを繰り返してたどり着く。
 離れ小島の燈台には、船の手配がついて、初めて近づける。
 そこには
 風雪に耐え波に耐え、雨の日も霧の夜も
 航海の安全を見守り続ける燈台が、何も言わずに待っている。
 清純で、無垢で、世俗に染まらない白い灯塔は、
 さながら、聖者の姿だ。
 燈台を書き表すときは、旧い漢字で 「燈臺」 が似合う。
 このサイトでは 「燈台」 を使うけど。
 
 「燈台めぐり」 は、 ふるさと ・ 北浦 (山口県の山陰) と、
 関門海峡の (灯台を含めた) 航路標識を訪ねることから始めたが
 燈台に関心を持つのが遅すぎたから、これから先、見る数に限りがある。
 行動半径が、1日を超えて遠くに伸びることもないだろう。
 訪ねるのは 「沿岸小型」 と分類される、小さな燈台が主体だ。
 なに、小さくたって、 燈台としての役割と任務、持っている要素は
 スター級の燈台となんら変わらない。

 「日本の燈台 50選」 に選ばれた燈台。
 もちろん、行ってみたい、見てみたい。
 けれども、
 釣り人と話をしていて 「そういえば、あそこに燈台があったナァ」
 そんな燈台も、また、いい。
 
 燈台へ‥‥。


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