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コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

まぁ、私にもこういう面があるということで

2012-02-24 00:54:53 | 日常雑感

今回の書き込みはちょっと感情的な部分が入り込みます。

 

感情を一切殺すことはできないまでも、できるだけ怒りの心は抑えるように努めています。

しかし、自分の中に「刺激されたくない」部分があり、そこに抵触されるとその感情はどうしても噴出してきます。

 

先日の「傾聴トレーニング研究会」でのロールプレイで、最近の出来事を話しているうちに少しその正体に触れた気がします。

 

私の父親との関係を意識せざるを得ない状況になるとき、思わぬ反応が私の中からでてくるようです。

 

父親に「こうあって欲しい」という幻想を抱いていて、現実はそうではなかった部分…それを誰かに投影して、それが裏切られたときにもそれは起こります。

 

父親のように思いたかった人がそうでなかったとき、ある程度距離を置いて冷静に「求めているものは幻想だ」と落ち着こうとします。

実際、関係が薄れ、沈静化していきます。

 

その後、ちらほらと関わりが出来たりするのですが、まぁ気持ち的に処理できる程度でした。

 

しかし、ある一線を超えてしまうと感情が揺さぶられます。

 

あるとき、直接的なアプローチがありました。

まぁ、今までの例に倣って距離を置こうとします。

しかし、こちらの感情を逆なでするアプローチに変わってくる。

 

と、ここまで書いてきて、こうやって振り返っていくこと自体が嫌になってきました。

 

噂では私の名前を使っていろいろ動いているようです。

まぁ、噂ですからその真偽はわかりません。

(直接確かめる気もおこりませんから)

 

今では怒りの感情よりも、情けない気持ちの方が大きいでしょうか。

 

 

本当は、噂と言うことについて書きたくて、その序章としてこの話題をさらっと触れるつもりでしたが、ちょっと気持ちがざわついてうまく着地できません。

噂の問題は、また落ち着いてからふれることにします。


日々是刺激也

2012-02-06 13:36:55 | 日常雑感

昨年からフェイスブックを始めたことで、日々の感じなんかをそちらに書き込んでおり、まとめて気持ちを書き込むこのブログがおろそかなってしまいます。

いや、まとめて書きたいことが無いわけではなく、いろいろ刺激を受けることで「語りたい」ことはあるんです。

が、仕事が立て込んだり、先月は中盤に1週間ほど体調不良があったりで、キーボード叩くのが二の次に。

 

で、ここらで最近の流れをまとめておくのと、今後の流れを記し宣伝することで、いろんな興味の方の橋渡しになれば良いなと。

 

1月には自分の学校でのPTA活動でイベントが二つ。

ひとつは「むかし遊び」の授業で、1年生対象に体育館で「おじゃみ」「こま回し」「けんだま」「福笑い」なんかのコーナーをつくり、順番に体験。

本当は、女性会・自治連合会のおじいちゃん・おばあちゃんたちと交流しながら、ベテランの味を教えてもらうんだけど、ご年配もなかなかに忙しい昨今、PTAも担ぎ出されたしだい。

私は「けんだま」コーナーを担当しましたが、これがなかなか難しい。

コツを教えたりしながらも、自分がうまくできない。

でも、最期に子どもたちの感想で、「難しいから、けんだまが面白かった」という声がちらほら。

うれしいもんです。

 

もうひとつはPTA主催の「親子であそぶデー」とおやじの会主催の「凧作り体験」の共催。

土曜日に凧作りに20名ほど、ピンポンやドッチボールにも30名ほど集まってくれました。

天気がよければ凧揚げ大会も出来たんだけど、グランド状態が悪いのでそれは中止。

来年に向けて、「おやじの会」が活動的になれば、こういう土曜学習の機会も増えるんだけどね。

(誰かが言い出せば…ってやつは、私が動き出さないと動かないだろうし…)

 

京都市の小P連活動もあったんだけど、ちょうどその日に体調を崩してて欠席。

毎月顔あわしてる理事さんたちと会えないのはかなり残念なこと。

新年会もあったから特に…ね。

 

その代わりと言うわけではないけれど、「日本PTA全国大会」の活動をお手伝いすることに。

他の分科会はスタートしてるんだけど、私は全体会部会に所属。

会場になる「国際会館」の視察から始まって、今までに2回会議。

ちょうど今日が「200日」のカウントダウン。

単なるお祭りにするんではなく、これをきっかけに「PTA活動って?」と意識してもらえるものになれば良いなと。

そのための裏方をしっかり勤めさせていただきます。

「日本PTA全国研究大会」

 

カウンセリングの方では、毎月の「ミニカン継続学習会」や「聞き方・伝え方の学び」

月例会の世話人会もあったんだけど、こちらは体調不良のときだったんで欠席。

さらには、初めての試みで「1日エンカウンター・グループ」を世話役として開催。

昨年のエンカウターグループ参加者の継続的な意味合いと、新たな参加者を含めての出会いの意味合いと。

ワークショップのファシリテーターとはちょっと違う、エンカウンターグループを意識した関わりを体験したりもしました。

 

今月からは、4月から新たにスタートする「傾聴トレーニング研究会」のプレワークも始まります。

「傾聴トレーニング研究会」

 

 

他にも、講師依頼を受けている「保健委員会研修会」で、カウンセリング目線での子どもとの関わりをお話させてもらう機会をいただいています。

対象が保健の先生や校長先生なんで、「子どもとの関わり」では私以上に勉強されてる方々ですが、点検の意味を込めて私なりの「経験」を話したいなと。

 

あと、月末に家庭教育学級があり、その企画として地域の警察署交通安全課の方とミーティングもしました。

これも、PTA会長を引き受けたからできた関わりですね。

(これまでは違う形で警察の方と関わりはありましたが…爆)

 

他にも、毎月のミニカン継続学習会、月例会、聞き方・伝え方の学び、小P連理事会、日P全体会部会がありますし、はぐくみ委員会の研修会や小P南支部の指導者研修会など、刺激を受けることは一杯あります。

 

真カ研の研修会もあるんですが、こちらは法事もあったりして欠席。

(祖母の他界から1年なんですねぇ…)

 

どれだけブログで振り返ることが出来るかわかりませんが、読んでくださる方がいるのでがんばりたいと思います。


新年の挨拶らしきものも兼ねて

2012-01-09 16:30:50 | 日常雑感

 

すっかりブログをほったらかしにしていました。

一応、新年最初のエントリーなんで、今年もよろしくお願いします…と言うところなんでしょう。

いえ、もちろん、よろしくお願いはいたします。

が、別に2012年と言う年号の間に限らず、常によろしくしていただいておりますし、これからもお願いしたいわけです。

 

2011年と2012年の切り替わる刹那に、私の中の何かが変わった訳ではありません。

ちょうどその時間は、連れ合いの実家寺にて除夜の鐘を付くお手伝いをしておりました。

その行為で108あると言われる煩悩が払われたかというと…まったく変わらずの煩悩まみれでございます。

 

じゃあ、除夜の鐘に意味はないのか?

いえいえ、こうやって108もの煩悩があるということを改めて知らしめる大きな意味はあるでしょう。

 

新年の挨拶も同様に、こうやって1年ごとの節目を意識することで、”今”命があることを意識させてもらえるんですね。

 

さて、年が変わる刹那に何も変わっていないとは書きましたが、実際は常に変化は起こっています。

1秒前と同じ私はいません。

常なる物は無いんですね。

そういう変わり続ける過程を意識することは出来ませんが、振り返ってみると”変わっていた”ということは意識できます。

 

毎朝、鏡を覗き込んで、昨日とどこが変わったかは分かりません。

しかし、そこに映されているのは、以前のイメージの私とは違います。

「こんなはずじゃなかった…」思わず、ため息をついてしまいます。

どの瞬間かで変わったのではなく、常に変わり続けた”結果”ですね。

 

 

そういう変化、無常ということを振り返ると、この一年単位でも大きく変化していたことがわかります。

いろんなものの”距離感”が変わって来ています。

その多くは思いがけない変化であったりします。

 

”絶対”ということはない…頭の理解ではしっかり根付いています。

しかし、この関係がこうなるとは…ということが私の中でいくつも起こっています。

もともと、私の中で興味の中心となるものはうつろい続け、ちょっとしたトピックでシフトしていきます。

 

昨年は、PTA活動の”立場”が変わることで、非常に多くの出会いがありました。

それらは、今では”かけがいの無い”ものとなっています。

一方では、一番近くにあり続けるであろうと思っていた関係の距離感が変化していたりもします。

キャパ的に、時間・労力に限りがあるので、ある物が増えれば別の物が薄まるのも必然でしょう。

が、今回のそれは、そういう”割り振り”の物ではなく、もっと根源的なところでモチベーションの変化を起こしてしまっています。

 

そう、変わらないと思っているものでも、ほんのきっかけで変わってしまいます。

 

祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす 


よろずのこと みなもって そらごとたわごと まことあることなきに

 

 

基本的に、あいも変わらない私だと思ってます、これからもお付き合いください。

気が付けば、いろいろ変わっている私だと思います、こりずにお付き合いください。

 


11.11.11

2011-11-11 23:14:15 | 日常雑感

2011年11月11日ということで、巷ではなんでも11時11分11秒に何かがリセットされる、あるいは自ら何かをリセットさせるきっかけに良いとか言われとりましたが… 
先日来の探し物をいろいろとしているうちに、その時間は過ぎてしまってました。 
なにか 
リセットされたんだろうか… 

ということで、本日は結婚記念日だったりします。 

平成1年11月11日11時11分 に大谷本廟にて結婚しました。

(普段は元号を嫌ってるんですが、これだけは語呂合わせのために使用) 

本廟というのは親鸞聖人のお墓という意味でもありますから、人生の墓場にはふさわしいかと。 
いやいや、ちゃんと仏前結婚式を受け付けている立派な場所でして。 

で、本日2011年11月11日11時11分に長女からおめでとうメールが入っておりました。 
結婚「11+11」周年おめでとう、と。 
(周年とうちこんで変換したら”執念”とでてきた…まぁ、執念で結婚生活続けとりますな) 
なかなかおしゃれな娘でございます。 


昨日は「1日はやいけど」と言って、次男がプレゼントを買ってきてくれました。 
ちょっと大きなランドリーバスケット。 
やわらかいシリコン製のバスケットで、ちらかって狭くしか開かないドアの状態でも「やわらかいから曲げたら通れるねんで」と得意げです。 
ちょっと発想の変わった息子ですが、涙が出そうにうれしかったですね。 


一昨日、長男を病院に連れて行きました。 
ここ10日ほど頭痛が続くというので、かかりつけの病院に行き、念のためにと日赤に紹介状を書いてもらって、CT検査です。 
結果は大丈夫でちょっと安心。 
ただ、見てもらった先生は「じつはぼくは脳は専門外でこっちが専門なんやけど…」と肥満体質の息子を気にして「血液と尿の検査させてもらっていい?」と。 
結果は「脂肪肝」 
もうひとつ懸念されていた糖尿病は白だったんですが、「これ以上肥るとダメ」といわれました 。 
「頭痛で来たのに他のことしてごめんな」となかなかに低姿勢の先生でしたが、こちらも本人の自覚や家族の叱責いがいで客観的に息子に「大変なことなんやで」と示してもらえたので助かります。 
その態度やゆっくり静かなトーンの物言いで、今まであった医師の中で一番安心感の持てる先生な気がしましたね。 
しばらくは食事と飲料(お茶か水)を気にして、ダイエットに励んでもらいましょう。 


あと、一昨日次女が修学旅行から帰ってきました。 
オーストラリアに1週間、うち半分はホームステイです。 
直前に体調・精神的に不安な状態で心配してましたが、帰ってきて楽しく話をしてくれます。 
違う環境に触れるというのはなかなかに刺激をもらってくるようですね。 
いろいろと嫌なこともあったようですが(友達関係)そのことも明るく話してます。 
身体は疲れてるだろうに、マシンガンのように伝えたいことがあふれて止まらない感じでした。 
いつもは喧嘩になる次男の付きまといも、そんなに嫌がらず受け止めてる…1週間離れていると距離感が変わるんでしょうね、少し余裕があります。 
まぁ、また毎日一緒に暮らしてると戻っちゃうかもしれませんが。 

うん、結婚22年の様々な出来事・経験が、子どもたちを通じて今こういう形で現れてるんだろうなって気がします。 

長女だけはバイトでしたが、5人で食事に行ってきました。
たいしたところに行ったわけじゃないですが、なんだかんだで楽しくおしゃべりしながらの食事。
そういうことがうれしい記念日でしたね。


思い込み・誤解・想像・創造

2011-09-17 00:05:00 | 日常雑感

ちょっと我が身の周辺で揉め事が起こった。

その出来事の内容を書くつもりはないし、ヒントになるようなことも書かないが、その出来事をめぐる周辺の動きでいろいろ感じることがある。

 

揉め事はひとりでは出来ないので、最低1対の当事者がいる。

最初からその場面に遭遇していれば事実を知ることも出来るだろうが、たいていは後から話を聞くことになる。

それもどちらか一方の視点の話だ。

 

そこに嘘や誤解も含まれることが多いとは思うが、発信者は嘘をつこうとも間違った情報を流そうとも思っていないんだろう(そういう場合もないとはいえないが)

 

だれでも、自分の考えを最初から”否定される”ために発信することはない。

話し相手に味方になってほしいから話するのだと思う。

そうするとそこに”自分に有利”言い回しになる。

さらには思い込みや願望も加わる。

 

それが今度は回りまわって相手の耳に入ると、その思い込みや願望が”嘘”をついていると映る。

「むこうは嘘をついている」ということが発信されると、今度は最初の事実まで”嘘”と第三者に伝わってしまう。

 

これでは話はこじれるだけで、”相手が悪い”という感情論が先頭に立って、最初の出来事どころじゃなくなってくる。

 

ネットなんかで”炎上”といわれるのもこういう流れだろう。

 

 

また、その周辺の出来事というのは、当事者がいないところでも起こる。

いわゆる”噂話”だ。

 

 

もちろん、何もないところに噂は生まれないので、なんらかの”タネ”があるのはある。

しかし、そのことの中身を”想像”し”創造”し、第三者が発信する。

それを聴いた別の人は、その”想像・創造”が事実だと思い、さらに”感想”を交えて別の人に伝わっていく。

しまいにはその”感想”も事実憎みこまれてしまう。

 

 

噂の攻撃対象になる人には、少なくともひとりにはそう誤解されるだけの普段の言動があるのかも知れない。

しかし、その対象の人が今回はまったく被害者であっても「普段ああだから、こっちの人が原因じゃないの」と噂されてしまう。

事情により、当事者が口をつぐんでいるときほど、周りの噂は”事実”にされてしまう。

 

タイミングを逃すと、本来の弁明であっても「本当かしら」といぶかしむ目で見られてしまう。

 

 

 

こうやって、気楽な第三者が「傷つけている」ことがあることを忘れないでほしい。

セカンドレイプってのは、結構身の回りでおこっているのだ。

 

 

想像・思い込みは、してしまうのだから仕方ない。

それを責めようとは思わない。

だからせめて、「これは私が想像してるんだけど」と話の責任を自分で負ってほしい。

 

問題解決は、ちゃんと当事者がするのだから、回りのものが想像で判決を下す必要はない。

 

 

以前も似たようなことを書いてるのでよければこちらも…

「噂の真相」

 


口をつぐむ時

2011-08-05 19:35:29 | 日常雑感

ブログをだいぶサボってしまいました。

前のエントリーを見ると7月15日ですから半月以上ですね。

ごめんなさい。

 

本来なら7月20日に大きなイベント予定があったのですが、台風の影響で中止延期に。

そうこうしているうちに夏休みに入り、子どもが家に居るだけで仕事のはかどり具合が変わり、なんとなく時間に追われたりしていました。

 

あと、ここ数週間立場上「言葉をつぐむ」という必要に迫られ、そういうことを意識しているとこういうブログで自由に思いを吐き出すことを躊躇してしまいます。

カウンセラーなどをしておりますと、そういう「守秘」ということはとても大事になります。

それはちゃんとカウンセリング契約してる場合はもちろんなんですが、そう例外の場合でも”立場上知りえたこと”をむやみやたらと他の人に話すことを恐れちゃいます。

 

例えば、学校関係のことで、PTA会長なぞやっとりますと学校側の事情が分かることがあります。

そのことに関連することを保護者側から相談されたときに、簡単に「学校はこういう考えですよ」と教えることが大丈夫なのかどうか。

逆に、保護者側のプライベートな話を聞いたりします。

それを当事者ではない私が学校側に伝えていいものかどうか。

「必要があれば、当人が直接伝えるだろう」ということを信じて、むやみに動き回らない…。

これって、結構神経使います。

昔はやった言葉で言えば「知っているのに知らん振り」ってやつですね。

 

どっかの広場に穴を掘って「王様の耳はロバの耳~」と叫びたくなったりします。

 

まぁ、それだけではないのですが、こういう心理状態であったりすると、積極的にブログに思いを書くことを控えようと思ったりします。

いや、元来がずぼらなだけですけどね。

 

 

昨日、PTAの夏のイベント「オセロ・将棋大会」がありました。

これでPTA役員もひと段落。

まだパトロールや夏祭りの準備はありますけどね。

 

その「オセロ・将棋大会」にお手伝いに来てくださってた保護者の方から「ブログ見てますよ」と声をかけていただきました。

嬉しさと同時に、サボってることが恥ずかしくなって、こうやって復活させてもらいました。

 

まぁ、こわごわの部分もありますが、とりあえず軽い話題なぞ書きながらリハビリしていきましょうか。

 


インデックス的な記録

2011-07-08 11:38:41 | 日常雑感

 

 

書き込みを2週間サボってた。

体調は万全です、ご心配かけてたらごめんなさい。

また、書きたい意欲がわかなかったんでもないんです。

むしろ、日々イベントが多すぎて、書きたいことだらけ。

ただ、体調のことも気にしつつなんで、以前なら遅くまで起きてパソコンに向かってた時間も、暇があれば睡眠時間に充てて寝てるという始末。

そういう意味では、確実に人生の下り坂をすすんどりますな。

 

で、この先書き残せるかわからないけどいろいろ刺激受けた出来事を並べときます。

 

22日の支援学校交流会までブログにしたんでその後。

 

23日 
塔南の園福祉後援会会議(小P会長) - 夏祭りを含む、年間の予定会議。地域の自治連お歴々との会合だけど、あいかわらず高齢の方の聴く態度には…

 

25日 
休日参観(小P会長) - こういうときの児童の態度は、多少そわそわしてるもののちゃんと先生に向き合ってる感じはする。ただ、普段の授業もこの通りかは…いろいろ耳には入ってきてるかな。

PTA総会(小P会長) - いろいろ事前準備に苦心しましたが、何とか無事終了。というか、気を回して対応を考えてたけど、肩透かし食らうくらい何事もなく終了。参加人数も含めて、「無関心」という問題が横たわってるかな。まだ批判や要望の形でも「関心」の態度持ってもらう方がうれしいかも。

PTAバレーボール大会(小P会長) - 暑い中、皆さん元気です。PTA交流という意味ではイベントは大事ですね。この交流が普段の関わりにつながってくれればうれしいですね。ただ、こういう交流が”苦手”な方への、居場所を考えたいとは思ってるんですが。

 

26日 
華光京都支部法座 - だったんですが、祖母の家の撤去期限が月末だったんで法座を休んで掃除に。いよいよ長く親しんだ祖母の家とのお別れで感慨深いものが…と思ってたけど、祖母との分かれはすでに終わった事になってる感じで、予想してたほどの心の動きはなく、ただただこれだけのごみをどうしようかと…

 

28日 
家庭教育学級(小P会長) - 韓国の籍をもって生まれられ、日本に帰化して、チリの方と結婚されていまチリに在住されている方を先生に呼んで「国際化」について聞かせてもらいました。人数がそこそこだったこともあって、机なしで輪になった座談形式で。このことは別に機会にまとめて書きたいという気持ちは持ってるんですが…

 

29日 
心の健康を考える会講演会(小P連南支部会長) - 小P連南支部の会長をしてると自動的にこの会の委員にされているので参加しました。会議の後の講演会のテーマは「アルコール依存症」について。「だれでもなる可能性がある」という言葉は怖かったですね。ちょっと質問もさせていただいたんですが、まだまだ知らないことが多いですし、認識の甘いところがあることも分かりました。

 

30日 
南区文化協議会委員会(小P連南支部会長) - これも自動的に委員にされているもの。夏に行なわれる「東寺 写生大会」と秋の「東寺ふれあいまつり」のイベントは、小学生に関わりが深いので参加してきました。

 

7月1日 
日帰りで広島出張

 

2日・3日 
真宗カウンセリング研究会ワークショップ - 二日間の濃密な時間をいただきました。いろいろ振り返りたいですので、また別の機会に。

 

5日 
真宗カウンセリング研究会ミニカン - 火曜日夜の予定が続いたので2週間休み、久々に参加できました。こういうバタバタした日々を経ている「今の自分」をゆっくり振り返る時間をもらえて、とてもいい感じでしたね。

 

6日 
小P連理事会(小P連南支部会長) - 今月20日にあるイベントや、夏から秋にかけての各種イベントの会議が主でしたね。あと、自分が入っている環境部会で検討したポスターが出来上がり、その作業も。今年の課題である「伝える」ということを、このブログで行なっていこうと思っていたので、このことは改めて書き記そうと思います。

 

7日 
カウンセリング逐語録音 - 知人のカウンセラーさんからの依頼で逐語のクライエント役を。産業カウンセリング用の逐語なんで、ちょっと意識して仕事の話題から。あっという間の50分、行ったりきたりしながら、今自分が問題にしていること、そうみえて実はそんなに問題にしてないことなどがすっきりさせてもらいました。

 

これらの合間に、本業の仕事で客先行ったり、家族と初USJ行ったり、夜勤の副業行ったり…

いやぁ濃密ですね。

これで気持ちに一段落付いたんで、順番関係なしに「今、記録しておきたいこと」をぼちぼちと…

 

でも、油断してたら今日も夜に「おやじの会」研修会があったり、来週にもPTAがらみの会議やイベントあるから、時間あるときにどんどん書かなきゃね。

 

 

 

 


噂の真相

2011-06-22 00:05:00 | 日常雑感

 

かつてそういうタイトルの本があった気がするが、これは別のお話。

 

PTA活動や、いろんな集団に所属しているといろんな噂話に遭遇する。

いやそのエネルギーたるやすごいもので、よくこれだけネタがあるなと。

近しい人の話題から、政治界、芸能界のネタまで。

ネットでは「2ch」などで根も葉もない噂が流され問題になったりしているが、なにもそんな最新メディアを持ち出さないでも、過去より井戸端会議なるコミュニケーションツールで持って同じことが成されてきたように思う。

 

ただ、先にあげたネットと言う「一手間で多くに同時に情報伝達」できることが、その頒布能力に加速度を与えている。

 

しかしよく考えて欲しい。

その噂を広めているのは、コンピューターが勝手にしているのではなく、そのモニターの前に座っている人間なのだ。

 

 

で、この噂だが、その多くは伝達過程で尾ひれが付く。

まぁ最初は誰かが”気になる”ことをつぶやいたんだろう。

「Aさんは○○じゃないだろうか?」

ここには何も確証はない。

気になることを疑問形で発信しているだけだ。

それを聞いていた相手にもそれなりに気になることがあれば

「そういえば△△って話も聴いたから、○○なんじゃない?」

と、これも自分なりの解釈を加えて「○○」という想像を深めていく。

そして最初の発信者に「△△」という情報が加わる。

 

これが関西人だとさらにややこしい言い回しが加わる。

「Aさんは○○らしいで…知らんけど」

これは、「○○」と断定しているのじゃなく、「知らんけど」を付け加えることで自分は特定していないと言う逃げ道を作っている。

しかし、聞いている人は「○○らしい」の”らしい”を断定の言葉として受け取りかねない。

かくして「Aさんは○○」という規定路線で話は伝わっていく。

 

また、その情報源についてもいろいろ問題がある。

たとえばテレビで得た情報が「正しい情報」と思い込んでしまう。

まぁ、ワイドショーもそれなりに取材して事実性を高めてはいるんだろうが、そこには”演出”が加わり、いけにえを見つけて集中攻撃をする。

見ている人も、自分が正義側に回りたくて、少しでもエラーをしたものを責め立てる。

違う意見を言おうものなら、いけにえの味方をしていると決めつけられ、攻撃対象にされてしまう。

それも多くの場合は当人の前では笑顔で、本人不在のところで「あの人は悪の味方だ」と陰口で広がってしまう。

 

 

もうひとつよくあるパターンで「みんなが言ってる」という言い回しの問題。

”みんな”まで行かなくても、自分以外の「BさんやCさんが言ってたんだけど」というパターンもある。

じつはその多くは、本人が想像していること…特に確証をもてないことを、自分以外の”誰か”が言っていることとして情報発信する。

そうまでして情報発信したい性があるのだ。

これも先の「知らんけど」と同じもので、自分が特定したということを避けて、責任逃れしたい姿だ。

以前聞いた講演で、「みんなが言ってます」という話に対して、「みんなって誰?」という受け答えをする話を書いた。

「あなたは見たんですか」

どこにいるか分からない「誰か」が発信している話を、事実のように触れ回ってしまう…怖いと思いません?

 

 

で、ここに潜んでいる問題はさらに奥深いものがあって、そういう発信者は特に深い意識がなくても、噂されている対象は非常に傷ついてしまうということ。

 

極端な例で言うと、殺人を犯した加害者がいたとして、その”殺人”という行為に対してだれもが「悪者」と思う。

まぁ当然の話。

しかし、その情報で現れる”殺人”という行為の奥に、そこに至る経緯もあったりする。

時には、そうせざるを得ないところまで追い込まれてしまった、被害者的状況もあったりするだろう。

なのに多くの野次馬たちは、そういう事実を知らずに、知っている情報の範囲で事実を”想像”して、それが事実だと思い込んでしまう。

逆に仕方ない理由があったとしたら、今度は一転「加害者になっても仕方ない」と同情を込め、自分が知りえた”理由”だけを判断基準にして被害者をせめたててしまうこともある。

 

自分は実は事実は何も知らず、誰かが見聞きしたものを、自分が見聞きしたように錯覚して、いつのまにかそれが事実だと刷り込んでしまう。

そこに罪はないが、そのことで傷つく人がいるということを、ちょっと冷静になって思いをはせてみて欲しい。

 

うん、怖いのは「自分はそんな傷つけることはしていない」という間違った認識かな。

 

人は基本的に噂が好きで、思い込みを事実に誤認してしまう生き物なんだろう。

気づかないうちに、決め付けをしてしまう。

気づかないうちに、想像してしまう。

そして、それが自分のせいにならないように、善意の第三者を仕立て上げて、自分の想像した”事実”を吐き出して満足してしまう。

 

 

噂ってそういうことだと思う。

事実を知っているのは当事者だけ。

その他は、何らかの想像や憶測が混じっているってことをもう一度見つめてみて、情報伝達ってデリケートだってことを思い返してみませんか?

 

まぁ、言いたいことが出来て黙ってるのは精神衛生上良くないでしょうから、そういう時は私に吐き出してくだされば、事の真相は判断せずに、吐き出したい気持ちを聞かせてもらうことは出来ますよ。

 


悲観するだけじゃないと思うよ

2011-05-24 01:57:30 | 日常雑感

先日、ネット上で見つけたニュースをもとにmixiというところで話題(日記)にしたところ、いくつか反響のコメントがあった。

その日記を書いてから、5分と経たないうちに200人以上のアクセスがあった様で、結構多くの人が興味を持ってる話題なんだな。

 

日本では子育て費用や働く環境などへの不安から、すでに子どもを持つ人が2人目以降の子どもを持つことをためらう傾向が強いことがわかった。

YOMIURI ON LINE

 

 

このニュースに対するコメントの多くは、子育てにお金がかかることを嘆き、政府の無策ぶり(あるいはKYな政策)に憤り、不安を語っている。

 

私自身が、4人の子育てをしていることや、お金では得られない喜びもあることを語ると、何人かの方が賛同してくださった。

 

4人の子どもそれぞれが性格が違い、それだけでも楽しい。

いや、楽しいことばかりじゃなく、怒らされたり、悩まされたり。

でも、喜怒哀楽を刺激してくれるこの子らがいなければ、人生はもっと面白くないものになっていただろう。

 

 

などとここ数日考えているのだが。

 

しかし、経済的なことを考えると、大変なのは確かだ。

同じ収入レベルだとしたら、独身貴族の友人はもっと趣味や遊びにお金を使えているだろうし、子どもがいない友人は夫婦での時間や旅行などにお金を使えているだろうし、子どもの少ない友人はもっと一人の子どもにお金をかけたり遊びに行ったり…

 

と、ついつい他を基準に考えてしまう悪い癖が出る。

他人と比べてため息をつくのは仕方ないことなのかもしれないが。

わたしから見たら夢のような生活をしている人でも、それで満足しているかというとそうではないらしい。

欲というのはきりがない。

 

そう思えば、2500年前に、王子として華やかな生活をしながら、その現状に満足できずに「どんなにその一瞬が楽しくとも”苦”からは逃れられない」と、家を捨て家族を捨て、目覚めの道を目指した人がいた。

 

そんなおしゃか様のような境地にはなれないが(笑)

 

 

わたしから見たら楽しそうに思える独身貴族も、子どものいない人も、子どもの少ない人も、すでに子育てが終わった人にも、それぞれに苦しみがあり、果たされない欲がある。

 

そんな満たされない思いをどうするのか。

 

「そんな自分だけど、もっと大変な人もいる」と、上を見ずに下を見てごまかす方法もあるだろう。

「いや、これは本当の私じゃない。これからもっといいことがあるさ」と、将来に希望を持って今をやり過ごす人もいるだろう。

「今の状態が、これでしか得られない結果につながるさ」とポジティブに考える人もいるだろう。

「理想ではないけれど、今の状態は今の状態で、これが私」と”今・ここ・わたし”を受け入れていく人もいるだろう。

「幸せな奴にも、きっと不幸は訪れるさ」と、他を呪う人もいるだろう。

 

どれが良くてどれが駄目ってことはない。

私を見てみると、こんないろんな思いが時によって現れたり消えたりしている。

うん、欲の世界から抜け切れられんなぁ。

 

 

不安はあるかもしれないけれど、「もうひとり子どもがいたらなぁ」って気持ちがわいてきたら、それにしたがっても良いと思うよ。

「今、わたしはどうしたい?」って問いかけを、じっくりと時間かけて向き合ってみるのは大事なことだと思うから。


話せる時間があることの意味

2011-04-29 02:50:04 | 日常雑感

今日は「南区まちづくり推進協議会」なるものの会議に参加してまいりました。

 

南区の小学校PTA代表と言うことだそうです。

召喚状には日時と出欠確認だけで内容はほとんど書かれておらず、規模も内容も分からないままの不安な出席です。

まぁ、引継ぎ時に前任者から聞いていれば良かったのですが、引継ぎ事項は学校向けの事柄中心でしたから地域のこういう組織に関しては触れられていませんでした。

いや、もしかしたら聞いていても意識してなかったかもしれません。

 

いざ、会場に入ってみると結構な数の人。

区役所職員を除くと、半分は各地域の自治連会長様。

自分の地域の会長は良く知ってますが、他の地域の方は面識がありません。

これがまた、かなり高齢のお歴々。

残り半分は各種団体の代表で、身近なところですと保育園会の会長や中学PTAの会長、あとは地域の医師代表(歯科や眼科などからそれぞれ)女性会や身体障害者の団体もあります。

それと行政側から消防署や上下水道局などの代表ですね。

そして顧問として区長が座っています。

 

いやはや、予想だにしない本格的な「行政」に関わる集まりにまで進出することになってしまいました。

 

今回は総会のようなもので、役員改選に始まり、昨年度の事業報告と今年度の計画が説明され、承認の拍手でちゃんちゃん…

ただ、こういう進行はお役所さまはお手の物で、そのプレゼン手段も用意された資料も突っ込みどころがないように整備されており、しっかり予定時間で終了と言うものですね。

(自校のPTA総会もこうありたいものですが)

 

ただ、これだけしっかり資料がそろっているから、やっていることが簡単に見えてくるかと言うと…

 

実際に活動されている内容は良く分かりますが、その活動を行う根拠となる声が良く聞こえてきません。

なんといいますか、きれい過ぎるんですね。

同じような事業の報告が昨日の小P総会でもあったんですが、昨日のブログに書いたように「人の熱」があったんです。

 

ここまで書いてもやっとしたものが言葉になってきました。

「南区のまちづくり」なんですが、なんか主役の区民の声が聞こえてこない。

出来上がったものを、事務的に受け止めることしか出来なかったんですね。

おそらく、この日説明された様々な事業の「部会」に参加して運営側に回ればもっといろいろ見えてくるんでしょうが、今の時点ではどういう風にすればその「部会」に参加できるかも分かってなかったりしますから。

今日もらった、説明が省かれた多くの資料に目を通すことからはじめるしかなさそうです。

(それをしてから意見を述べるべしなんでしょうがね)

 

 

と、相手のことを通じて今日の気づきがやっと整理されてきました。

私もいろんな総会などの運営側を経験してます。

いつも時間に追われながらもできるだけ参加者の声を聞く時間を大事にしてきました。

私のくせとして、先にサービス精神たっぷりに「これを聞かれるだろう」と想定して答えを並べてしまうことがあるんですが、これは駄目だなと。

この先回りが、声を殺すことになるんだと。

 

言いたことを言えないのがしんどいことは、コミュニケーションの学びの中で知っています。

だからこそ、ここでも何度も書いているように、話し手の時間を大事にします。

同じ事柄でも、聞き手が言うのではなく、話し手の言葉にしてもらうまで待ちます。

話し手が自分の言いたい事を持っているときに、それに似たことを先に言われてしまうと、似ていれば似ているほど残りの”違い”が表に出しにくくなります。

だから、聞き手は想像して「こうじゃないですか?」と質問したり決め付けたりすることを避けなければなりません。

 

参加者の声を聞くことを大事にする総会ならば、参加者を「話し手」として、じっくり聞く集まりであって欲しいものです。

そう考えると、昨日の小P連の総会も、会長や役員の話を聞く場としてはその生の声が届くいい集まりでしたが、参加者の声が出しやすい時間があれば良かったなと言う思いを持っていたことに気づきました。

その前の「はぐくみ委員会」の報告会が、途中にインタビューとして声を聞く時間を確保していましたから、「声を聞いてもらう時間がない」という不満になることがなかったのかもしれません。

 

と、このままでは主催者側に対する一方的な思いになってしまいそうですが、私自身の反省として、参加するならば「ちゃんと知っておけ」ということになりますね。

あまりにも初めて触れることが多すぎて…

 

まぁ、「知っておく」のが先か、「知らないから聞く」のが先か、ニワトリと卵のようなものです。

今回は「知らなかったことがある」から始まったので、せっかく縁があることとしてちょっとアンテナを張ってみましょう。

あまり守備範囲が広がりすぎると危険なので、軸足は立場でもある「小学校PTA」の視線であることを忘れないように努めながら。